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カテゴリー | ダメダメ家庭出身者の活躍分野 |
配信日 | 10年2月22日 (11年1月21日 分離独立) |
タイトル | クレームによる居場所 (モンスターペアレンツに関して) |
追記 | 10年2月22日配信の「安い親切」から分離独立 (11年1月21日) |
ダメダメ家庭の人間は自己逃避であり、自分自身としてやりたいことについて考えることから逃避している。 だから、自分の役割を安直に求めることになる。 その方法の一つとして、誰かに恵んでやるとかのサポート活動を当面の役割とすることがあります。 このサイトで頻繁に言及しておりますが、「誰かから依存されるという関係性に依存する」と言う共依存状態になるわけです。 人をサポートすることは、周囲の人間にも通りがいい。 それに、その活動やその意義を自分の言葉で説明する必要もない。 「ワタシはあの○○さんを助けているのよ!」とでも言っておけば、周囲の人から大絶賛ですよ。 しかし、人をサポートするという言葉はいいとして、自己逃避のダメダメ人間が人をサポートできるの? サポートにあたっては、サポート対象の尊厳に配慮し、その人たちの希望に配慮する必要があるでしょ? しかし、ダメダメ家庭出身者はサポートというか、親切の原体験をしていない。 そもそも、ダメダメ家庭の親は、子供にとっては支配者であって、保護者ではない。子供を保護するという発想そのものを持っていない。 ダメダメ家庭では、親が子供に対して「○○してあげたい!」なんて、そもそも思っていないわけです。 子供に対し、教養とか、いい出会いとか、有意義な体験とか、いい環境を与えたいとは考えていない。 ただ、自分の老後の面倒を見させるとかの道具としてしか考えていない。いわば奴隷の一種となっている。子供時代に親からの親切体験を得ていないんだから、長じた後での人への親切が、ぎこちないものになるのも当然と言えば当然のこと。 あるいは、ダメダメ家庭の親は、子供の才能を認める眼力もないし、人を見る目もない。 「この子の可能性は何なのか?」という観点で自分の子供を見ていない。社会との接点がないので、「どんな才能や能力が有効なのか?役に立つのか?」そのヴァリエーションが少なく、評価や判断にあたっては、学校の点数くらいしか、思い浮かばない。 子供の可能性を伸ばすどころか、むしろ、内心では、親である自分に対し被害を与えている加害者として自分の子供を見ている。 子供の才能をそれなりに認めることができても、親の周囲に人脈がないことも多い。 ダメダメ家庭の人間は、自分たちのダメダメさが「ふつう」とされる環境を求めるものなので、周辺環境もダメダメになっている。だから、周囲の人から子供にとっての有意義な情報も入らない。 それこそ、現実的には、ダメダメな親は、子供の才能を伸ばしてあげようなんて思っていないので、社会にある奨学金などの制度も使うつもりもないし、調べもしない。むしろ、「ああ!悪い時代だ!悪い社会だ!」とグチるだけで、そのグチに子供を巻き込むようになってしまう。 親自身としては意外にもアタマがよかったりしても、むしろ、それゆえに親の不満が溜まっている状態となっている。そして、その不満のはけ口として子供が対象となってしまう。 ダメダメな親は好奇心がないし、当然のこととして向学心もない。 だからダメダメな親は子供の教育には関心がないし、ダメダメな学校に平気で入れてしまう。ダメダメな学校の教員は、教員自身に向学心がないもの。 マトモな教員は、生徒に間違いを指摘されると、自分で勉強するものですが、ダメダメな教員は、生徒から間違いを指摘されると逆上して、その生徒を押さえつけるだけ。 そんな環境では、子供は家庭からも学校からも向学心を習得できないし、人に対する尊敬など持ちようがない。そもそも、子供にとって、尊敬に値する人が家庭にも学校にもいない。 ダメダメ家庭では本もない。だから、尊敬できる作者にも出会わない。 ダメダメ家庭の周囲には、陰険な老人ばかり。 そんな老人たちは、「お年寄りを大切にしろ!」なんて強圧的に要求するばかりで、そんな環境にいる子供は、尊敬に値する老人は見たことがない。 子供時代から、マトモな出会いがなく、親が悪いとか、社会が悪いとか、時代が悪いとかの言葉で納得して、文句ばかり言っているから、マトモな人が寄って来なくなり、ますます出会いの機会がなくなってしまう。寄ってくるのはグチで共鳴するしか能がないボランティアの連中くらい・・・そして、お約束のグチの共鳴。 そのような、敬意とは無縁の人間が、結婚する相手って、どんな人?もう、同類しかありえないでしょ? と言うことで、また新たなダメダメ家庭になってしまう。 そのできてしまった子供をどのように見るの? 保護者としてサポートするの? そんなバックボーンを持つ親が、子供が学校でトラブルとなったらその親はどうするの? 尊敬に値する人とやり取りをしたことがなく、家庭や学校や地域がすべて支配・被支配の構図となっているんだから、子供のトラブルにおいて、相手を支配するような対応となるのは当然のことでしょ? ましてや、ダメダメ家庭の人間は被害者意識が強く、何かに対してクレームをつけるという状況となると、普段以上の高揚感を得てしまう。 ダメダメ家庭の親が、自分の子供のトラブルに際し、親として抗議する行為には、2つの心理的な側面があるもの。 顕在化した被害に対して、その被害に直接的に反応した形でのクレームとなるパターンだけではありません。 そのような被害者意識からくる反応だけではなく、自己逃避からくる反応もあるわけです。 つまり、自分以外の人間を助けるためのクレームなので、「人助け」という役割ができるわけです。 自分以外の誰かを助けるというのは、「自分自身でやりたいことが分からない。」という自己逃避の人間にしてみれば、実にフィットしたもの。 だからこそ、人助けとしてのクレーム活動に入れ込んでしまう。 ましてや、その「助ける」対象が自分の子供だったら、周囲にも通りがいい。 しかし、もともとが自己逃避なので、そのクレームがクレームのためのクレームになってしまう。それに今まで尊敬できる人と出会ったことがないので、いったん相手にクレームをつけ出したら、相手の人格などは無視して暴走することになる。 これでは、モンスターペアレントになるのは当然でしょ? 本来なら、そんな人は、ペアレントにはなってはダメなのですが、しかし、敬意とは無縁のダメダメ人間ができるのは子作りだけなのも現実。本来なら、それまでに尊敬できる教員を知らない時点で、親になるのもリスクが大きいもの。現在では尊敬できる教員などというものは、親が意識して探さないと見つかりませんよ。「て・き・と・う」に学校を選んだら、ハズレ教員しかいないに決まっている。しかし、抑圧的なダメダメ人間は、そもそも選択と言うシチュエーションが嫌い。 だから、何も選択せずに、何も考えずに突っ走ってしまう。 しかし、いったん被害があると大騒ぎ。 それに、選択とか判断することから逃避しているわけだから、着地点を設定するという判断もできない。結果的に、「この時点で矛を収める。」という判断もできず、クレームが暴走することになってしまうし、 しかし、いちおうは、子供のためという大義名分がつくので、加減がなく突っ走ってしまう理由がついてしまう。 しかし、クレームのためのクレームであって、子供のことは考えていない。ただ、名目として「子供のため」という言葉を使うだけ。 クレーマー系の人たちは、被害に対して騒ぐだけ。つまりマイナス面に反応しているだけ。 本当のサポートというか後見人は、対象者の尊厳に対して、つまりプラス方向にサポートをするものでしょ? 子供の才能を見出し、それをサポートする発想がないとダメでしょ? しかし、減点法のダメダメ人間は、「障害を除去」「被害への対処」という大義名分を掲げて、周囲にクレームをつけるだけ。 しかし、本当の意味ではサポート対象のことを考えてはいない。 自己逃避の大義名分として利用しているだけ。 たとえば、学校などに執拗に抗議するモンスターペアレントの最大の被害者はその人の子供でしょ? それこそ、そんな親を持ったら、その子供は学校でどうなるの?あるいは、そんな親を持つ子供の社会生活とか結婚生活はどうなるの?そんな親を持つ人間と結婚するのはバカですよ。バカと結婚したら将来的にモメることは必定。そして実際にモメたら、かつてのモンスターペアレントが、「昔取った杵」を発揮して、もっとモメるだけ。 何もモンスターペアレントだけでなく、市民団体のようなクレーマー的な団体が背後に控えている人間と一緒に何かをやろうとする人間はバカですよ。何かあると、バックの組織がしゃしゃり出て、トラブルがより大きくなることは誰だって予想できること。それが予想できない阿呆が、そんな人間と一緒になり、当然のこととしてトラブルになる。 その手のサポートをする人は、曲がりなりにも被害への救済という論理は使ったりするもの。しかし、現実的には、自分の被害を語ることができない弱い立場のものにしわ寄せがいくだけ。 弱いものにしわ寄せがいくことが、どうしてサポートと言えるの? それこそドメスティック・ヴァイオレンスのボランティアは被害者の女性の救済などと大義名分を掲げるものですが、結局は、「被害者」の女性の人を見る目は何も改善されていないでしょ?そんな状態だったら、またトンデモな人とくっついていましますよ。と言うか、人を見る目のない女性だからこそドメスティック・ヴァイオレンスの当事者になるというだけでなく、だからこそ、程度の低いボランティアでも寄っていけるわけでしょ? 人を見る目のある女性だったら、男性に対して過激な抗議をするしか能がないボランティアなどは自分の周囲におきませんよ。 人を見る目がないままなので、結局は、そのツケが被害を語ることができない子供に集約してしまう。実際に、その手の境遇で育った子供が、ボランティアに感謝している事例ってありますか? 本当に子供のサポートをするつもりがあるのなら、もちろん、その被害者の女性のことを真剣に考えているのなら、被害者の女性に対しても厳しいことを言わなくてはならないでしょ?それをしていないということは、単に人助けに逃げ込んでいるだけ。そしてクレームを楽しんでいるだけ。そして、クレームをつけるという立ち位置を得て喜んでいるだけ。 「世の中を正して行こう!」「社会が悪い!」と主張し、当人の問題ではなく、相手側や社会の問題にしてしまう。だから、社会に対して、強く抗議することに。 「この人は何も悪くない!社会が悪いんだ!!」 倫理的にいいも悪いもなく、当人の尊厳を向上させることと、当人の希望を実現させることがサポートというものなのでは?何かにクレームをつけることしか出来ないダメダメ人間は、被害者としての誘導説明をすることで、結局は、自分自身の被害を語りたい。 そして、自分の居場所がほしいだけ。 「こんなに困っている人がいて、ワタシが助けてあげている!」と言いたいだけ。本気で解決するつもりはない。最後まで付き合うこともせず、何も改善せず、「アイツのせいで・・・」と、誰かを犯人認定して終了。それこそドメスティック・ヴァイオレンスだったら、相手のオトコを犯人認定して、つるし上げをしてオシマイ。しかし、現実的には、女性も男性もそのキャラクターとしては何も改善しないわけだから、また同じ事態になりますよ。そうなってしまうと、暴力オトコに対しても、暴力をふるわれた女性に対しても、両方に対して悪口を陰で言う。 「オレたちがあんなにしてやったのに、アイツらは全然ダメだな!」 「ワタシたちの苦労が水の泡ね!」 そうやって、自分を納得させるだけ。 そして、また新たなる活躍の場を求めることになる。 ドメスティック・ヴァイオレンス以外でも、人をサポートする場合には、立派な人との出会いを作ることが重要でしょ?自分の子供に対しても同じですよ。 しかし、子育てに対して被害者意識はあっても、当事者意識がないダメダメな親はそんな発想はない。 と言うか、ダメダメ家庭を作る親は、人との出会いの重要性などはもともと分かっていない。 「自分が今の状態でいられるのはこの人との出会いがあったから・・・」 「この作品とであって、自分を見つめ直すことができた!」 そんなことが言えない人間が、自分以外の人をサポートできるの? だって、サポートのひな形を知らないわけでしょ? つまらない人間としか出会ったことがない人間がどうやって人をサポートするの? まずは、自分なりに出会いを作ってみることが必要じゃないの? ダメダメな環境においては、出会いについては、子供としては自分でコーディネイトするしかない。覚悟を決めて、意識して出会う必要がある。さながら、映画「マイ・フェア・レイディ」でのイライザのように、 いざとなったら自分で行動する必要があるわけです。 しかし、自分のちっぽけさを直視するのが怖く、自分で出会いを作っていくことから逃避するためにも、クレームによる人助けに逃げ込んでしまう。 クレームをつけることで、安直に役割ができて、抗議する自分に酔っていられる。 その手のサポートは、プラス方向へのサポートではなく、マイナスの補填という二重否定的なサポートしかありえない。つまり被害が発生したら大騒ぎというサポートだけになってしまう。 そして、クレームによるサポートによって、自己逃避できてしまう。 学校などにモンスターペアレントだけでなく、市民団体とかのクレーマー系の団体は、「あの○○さんを助けるんだ!」という名目で暴走するものでしょ? クレームをつけることで被害者意識も満足し、サポート対象者や抗議のターゲットを設定し、自分以外を凝視することで自己逃避も満足できるんだから、クレームによるサポートはダメダメ家庭の人間にしてみれば、オイシイことなんですね。 |