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カテゴリー ダメダメ家庭の人間の行動
配信日 10年2月22日 (11年1月21日 一部分を分離独立)
タイトル 安い親切 (お金による居場所)
 追記  元の文章から「クレームによる居場所」という部分を分離独立 (11年1月21日)
以前に韓国で大統領をされていた故ノ・ムヒョンさんは、南半球のオーストラリアを訪問した際に、「オーストラリアの民主主義はすばらしい!せひとも輸入したい!」「お金を払ってでもすぐに輸入できればと思う。」などと発言したそう。

オーストラリアに対して、それくらいの感嘆を受けたのはいいとして・・・
その民主主義を輸入することに対する最大限の代価が「お金」なの?

「受け取る民主主義の代価として、我々韓国人が持っている一番大切なものを、オーストラリアに提供しよう!」「それは、お金だ!」

それはいいとして、お金以外には何かないの?
マトモな人間なら、お金以外にも価値のあるものを知っているものですし、「最大限の配慮」を示す際には、お金以外のものを提示するものでしょ?
それこそ国と国のやり取りだったら、それ相応の文化財などもあったりするもの。
それこそ、「我々には素晴らしい歴史がある。」と勝手に自慢している韓国なんだから、オーストラリアのような新しい国に対して、歴史的遺産を提供すれば、提供した側も格好がいいでしょ?

しかし、ダメダメな人間は、お金以外に価値のあるものを知らない・・・それも現実でしょう。だから最大限の「誠意」が、お金になってしまう。逆に言うと、「お金」に関わるメリットを相手に提供した場合には、最大限の誠意を示したつもりになっている。

それにお金は扱いがラク。
上記の民主主義の問題だって、本来なら、会話によって頼めば済む話ですよ。
「自分たちの現状は、このようになっていて、この面についてアナタたちの知恵を借りたい。」そんなスタイルでOKですよ。しかし、自己逃避でかつ会話の能力のないダメダメ人間は、そんな依頼のスタイルはできない。
それこそ「オマエに金を払ってやるんだから、文句を言わずに、寄こせよ、コラっ!」と強圧的になってしまうし、うまく行かなくなると、「金を払ってやるから文句はないだろ!」と捨てセリフを投げつけるだけ。

お金が最大の対価という発想は、ダメダメ人間には、意外と見られたりするもの。
現実においては、ダメダメな人は、「お金を払ってでもほしい。」と言うのに対し、マトモな人は、「お金をもらっても、いらない。」と言ったりするものでしょ?

それこそパソコンソフトのようなものでも、あるいは、映画などの動画のようなものでも、インチキして、無料でゲットできたりする方法があったりするようですね?
「こんなオトクな情報があるから、アンタにも教えてあげるよ!」
なんて「親切」があったりします。しかし、そんな情報を提供することが、相手に対する誠意や親切なの?
無料の情報と言っても、もともと無料でゲットできるサンプルの情報なり、もともとフリーのコンテンツならいいでしょうが、インチキの情報なら、自分でコソっとやるのならともかく、人に勧める類のものではないでしょ?

とある作品に対し強い印象を受けて、「あの○○さんに、どうしてもこの作品を見てもらいたい!」「そして、コメントを聞いてみたい!」
そう思うこともあるでしょうが、そんな場合でも、やっぱり合法的な入手手段を教えないとね。どうしても、その作品を見てほしいのなら、DVDを自分で購入して、相手にプレゼントするくらいの意気込みがあってもいいのでは?せめて自分で何か対価を払わないとね。
「なんとか動画」のような、非合法的な動画サイトを教えても、それは親切心なのかもしれませんが、ヘタをすれば相手をバカにしていることでしょ?
自分の身が痛むくらいの対価を払う覚悟がないと、相手にも伝わりませんよ。

ダメダメ家庭の人間は、自分の身が痛まない、その手の安い親切が多いもの。
自分の身が痛むと言っても、お金の支出とまり。
ちょっとでもお金を支出すると、とんでもない持ち出しをした気分になってしまう。
そして、「ああ!あの人のために、お金を使ってあげたワタシって、なんていい人なの?!」
と、自画自賛することに。

そのような自画自賛は、まさにボランティアがいつもやっていること。
持ち出しをして、自分を「いい人」と勝手に認定して、それ以上は自分について考えない。そうやって自己逃避してしまう。
自己逃避しているから、自分自身の能力が分からないし、自分がしたいことが分からない。
だからとりあえず、人助けをすることによって、周囲との関わりを持つ。
そうすると、自分自身の役割なり価値が、安直にできるので、それに味をしめてしまう。

いわば、自分探しの一環としてのボランティア活動なんですね。
そんな自分探しというか、モラトリアムとしてのボランティアは、人助けと言っても、決して自分に痛みをもたらすようなことはしない。「持ち出し」の限界がお金の支出となっている。しかし、逆に言うと、「お金」で自分の役割が買えて、自分自身の価値が見つかったので、それを掘り下げるようなことはしない。そして延々とそんなことを繰り返すもの。

自分自身の痛みから逃避しているので、自分の実家の問題は放置されたまま。しかし、他人の問題には口を出す。しかし、他人の問題に関わっていても、その困っている人の実家の問題にことが及びそうになるとトンズラをしてしまう。

いわば、永遠にモラトリアム状態となっている。やがて、「ボクって、いい子でしょ?」なんて文章を書いたりするようになる。そんな人は、自己弁護ばかりだから、そんな人自身の実際の価値が何もないまま。と言うことで、ますます自己弁護に精を出す。あるいは、ますますモラトリアム的なボランティアに精を出す。

結局は、安っぽい親切が通用する世界だけに安住するようになってしまう。
インターネットの掲示板とかで、「教えてあげる!」なんてスタイルで得意気になって書き込んだり、動画アップロードサイトに動画を上げたりする。そうして「無料でこんなに役に立っていることをしているボクって、なんていい人なんだ!」と自画自賛。しかし、そんなところで役に立っても、何の意味もないでしょ?

他者にアドヴァイスはしても、自分の問題の判断はしない。
他者にアドヴァイスするのはいいとして、逆に「じゃあ、もしアナタがそのような状況だったら、どうするの?」なんて聞かれても答えられない。
あるいは、「ワタシはこのように考えるけど、アナタはどのように思う?」なんて聞かれても答えられない。自己逃避なんだから、スグに逃げられる立ち位置のまま。

「ボクって、いい人でしょ?」
と主張したい人間は、同類同士で「ボクって、いい人でしょ?」と主張し合いたい。個人で自分自身の心と向き合うのが怖い人が集まってしまう。いわば徒党を組むようになる。そうして、周囲のダメダメと相まって自己逃避がスパイラル進行してしまう。個人としての善意なら、その人なりの思考があり、まだ救いようがあるわけですが、集団化されるので、自己省察もなくなってしまう。

自分で考えたくないものだから、とおりのいい立派な言葉が好き。
だからこそ、「とおりのいい」文句に騙されやすい。
そうして、「ああ、騙されちゃった!ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と被害者意識に陥る。被害者意識があるので、被害への感応度が高くなり、他人の「被害」に首を突っ込みたがる。そして、どんどんと「人助け」の道に突き進むことになる。
そのような活動においても、自分たちの持ち出しに対しての視点のみであり、サポート対象のことはもともと考えてはいない。

考えているのは、人助けしているという自身の立ち位置だけ。
だからこそ、その立ち位置を主張することには熱心となる。
「このかわいそうな人を、このワタシが、ワタシたちが、守ってあげないと!!」
と、熱く語ることになる。
そんな人は、対象者をサポートしているようで、結局は、自分たちの居場所を探しているだけ。その「居場所」の居心地が悪くなると、サッサとトンズラするもの。
そうして、別の「かわいそうな」人を見つけて、人助けしているという立ち位置を得る。
そして、後になって、「あの人には、お金をいっぱい恵んでやったのに・・・」「あんなに時間をかけて付き合ってあげたのに・・・」と上からの物言いでグチったりする。

人に対しての親切のようなシチュエーションにおいても、被害者意識が強いダメダメ家庭の人間は、まずは自分の持ち出しに目が行っていて、相手のことは二の次となっている。
親切というものも、本来は、対象者の尊厳に配慮する必要があるでしょ?
あるいは、目線が自分自身を向いているとしても、それは自分の尊厳を考慮する必要があるのであって、自分がした持ち出しに目線が行くようではダメでしょ?
相手に対してお金を恵んでやればいいというものではないでしょ?

しかし、サポートを申し出る側の人が、尊厳がないんだから、どうしても自分の持ち出しばかりを意識する。
「無料でやってあげたんだから、このワタシに感謝しろよ!」ダメダメ人間の「親切」はそんなパターンだけ。自分の持ち出しには配慮しても、自身や相手の尊厳には配慮しない。
逆に言うと、ちょっとでも持ち出しをすると、自分が立派なことをしたと思ってしまう。
しかし、現実的には事態が改善されるどことか悪くなるばかり。

ちょっと例を考えて見ましょう。
どこかの偉いお坊さんに子供の名前をつけてもらう例もありますよね?
当事者意識がないダメダメな親は、自分の子供の名前をお坊さんに丸投げしたりするもの。そんな親からの依頼に対して、知り合いの偉いお坊さんが、もし無料で子供の名前を付けたら、そのお坊さんは親切と言えるの?まあ、お坊さんとしては特別サービスとして無料で子供の名前を付けるという持ち出しをしたわけだから、ある意味において親切と言えるでしょ?

しかし、本当の意味で親切なお坊さんだったら、子供の名前を丸投げする親をブン殴ってもいいんじゃないの?その時点で、親の目を覚ますことができれば、後々の子供の問題も予防できますし、まあ、知り合いであるその親たちの離婚も防げるかもね?
本当の親切というものは、ある種の覚悟や痛みを伴うもの。お金などの持ち出しの問題ではありませんよ。
その偉いお坊さんが「無料で子供の名前を付けてあげたオレは、なんて親切なんだ?!オレってスゴイ!」と自分を絶賛しても、周囲にいるマトモな人は、そんなお坊さんをバカにするだけですよ。相応の持ち出しがあったのかもしれませんが、相手のことは何も考えていないわけですからね。

持ち出しをするということは、親切な「いい人」という称号が得られることが多い。
安い親切を提供することによって、「いい人」という称号が得られるメリットだけではありません。
需要と供給の関係のように、安い親切を受けて「かわいそうな人」という称号を得るメリットもあるわけです。
いわば「恵んでもらう」立場に安住する人が登場してきてしまう。

他者から、恵んでもらうことにより、それを自分の被害に対する補償を受けたと心理的に認識し、「自分はかわいそうな被害者。」だと、自分で確認できることになる。そして、被害者と認められたということから、対応を加害者の側に投げつけ、自分では何もしなくていいと決め込んでしまう。

「恵んでもらって、自分で何をしていくのか?」本来なら、それが問題でしょ?
しかし、恵んでもらうこと、それ自体が目的化されるわけです。
だって、恵んでもらえば、あとは何もしなくてもいいわけですからね。

安い親切によって、
片や、安直に自分の居場所が見つかり、
片や、自分の被害者意識が満足できる。

つまり、双方の利害が一致することになる。
恵むという行為によって、「与える側」「受け取る側」双方とも自己逃避ができるわけです。

結局は、サポートではなく、依存関係となっている。
依存関係であるがゆえに、それを解消するのが難しい。

安い親切は、依存関係であり、それによって実現されるのは、安い居場所。
逆に言うと、安い居場所を作りたがる人は、まさに安い親切を駆使する。
本来は、そんな人とは縁を切る必要があるわけです。そうでないと、まずもって精神的な自立ができなくなるばかり。

とは言え、現実ではボランティアが、自分たちの居場所を守ろうと、対象者を自立させないようにしてしまう。
依存関係と愛情関係は別のもの。依存関係では、相手から依存されなくなってしまったら、役割が喪失し、その人の価値がなくなってしまう
依存されることを求め、構ってほしがるダメダメ人間は、サポートにあたっても、相手に厳しいことも何も言わないし、自分以外の誰か別の人を紹介するなんてことはしない。

誰かに恵むことによって、サポート対象者を利用しているだけ。
人に恵むことしか能がないような人間と出会って、人生が豊かになったと語る人がこの世にいるの?
ボランティアとのやり取りの結果は、恵んでやるしか能がない人間とか、恵んでもらうしか能のない人間にしかならない。だから、ますます敬意に対するセンシビリティがなくなってしまう。だから、敬意に値する人間との出会いがなくなってしまう。
敬意というものは、抽象的に教えるものではなく、尊敬に値する現実の人間と出会う必要があるでしょ?

最初に言及したノ・ムヒョンさんは、どんな人を尊敬していたの?せめて、どんな作品に感銘を受けたの?
かけがえのない思いや記憶があるから、かけがえのないモノが発生する。
お金しかかけがえのない人は、つまりかけがえのない思いや記憶がないということ。
大切なモノを持っていないが故に、お金しか価値のあるモノを知らない。だから、「お金を払ってでも・・・」なんて物言いになるのでは?
安い親切というものは、お金の問題ではないわけです。
その人の価値として、安いんですね。

(終了)
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発信後記

今週は、覚悟とか対価とかの問題に関する文章を集中的に配信いたします。
ダメダメ家庭では覚悟がない。だから、対価を払っても、やり遂げたいものがない。
そんな人たちがするサポートとなると、尊厳に配慮したものではなく、被害を補償する趣になる。

この種の安いサポートとなると、昨今話題になっているのが、子育て支援のお金でしょうか。
「金を恵んでやっているから、文句ないやろ!」
そんな発想がありありですからね。

恵んで悦に浸っている人は勝手ですが、その種の安いサポートを当てにして産まれてしまう子供が一番の被害者ですよ。
 R.11/1/21