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カテゴリー | ダメダメ家庭の被害者意識 | |
配信日 | 05年12月28日 (10年4月28日,10年6月2日に記述追加) | |
タイトル | 陰謀史観 | |
ダメダメ家庭は被害者意識が強い。 「このワタシは、かわいそうな被害者なんだ!」と自分で勝手に認定している。 これは、もう、お約束の書き出しとなっております。 被害者意識の強いダメダメ家庭の人間にしてみれば、被害者意識は共通していても、「じゃあ、自分に被害を与えた加害者は、いったい何?」となると、その加害者認定する対象は、人それぞれに、様々なヴァリエーションがあったりする。 「被害者と加害者の間の構図」のヴァリエーションいっても亭主に暴力を振るわれるというような単純なケースもあります。それだったら、被害者と加害者の構図は比較的簡単と言えるでしょう。しかし、「じゃあ、どうして、そんなオトコと結婚したの?」などと聞かれたりすると、その構図も一気に崩壊してしまうわけ。 だから、アタマがいいダメダメ家庭の人間は、もっと高度なスタイルの被害者と加害者の構図を使ったりするわけ。 ある種の陰謀史観を得意げに展開するわけです。 それこそよくありますよね? ユダヤ人の陰謀だとか、フリーメイソンの陰謀だとか、あるいは右翼勢力の策謀だとか、あるいは韓国人がスグに言い出す日本による陰謀だとか、イスラムでおなじみの「これはアメリカの陰謀じゃないのか?」とか。 その手の話を真顔で話したりするわけ。 まあ、ネタとして話す分には面白いでしょう。それに何も世の中がすべてキレイ事で進んでいるわけではないでしょう。そういうことだって、やっぱりあるでしょうね。 しかし、だからといって、「じゃあ、アンタはどうしたいの?」 そんな陰謀史観を聞かされるとそう思っちゃいますよね? 「今の世界は、ユダヤ人が握っている。ユダヤ人でないものは、なかなか認められない。困ったことだ!」 そんな嘆きは嘆きでいいとして、しかしねぇ・・・ 長野県の中小企業で営業マンをやっているアンタが一生懸命にそんなことを話しても・・・ アンタの営業成績が上がらないのは、ユダヤ人とは関係ないと思うよ〜 そう思っちゃいますよね? 論理的に無理があるでしょ? 長野県で中小企業で営業マンをやっている人が陰謀史観を語るのなら、まだ分かるというもの。だって、現実のやり取りをしている人といえるわけですからね。 しかし、もっとトンデモナイ人たちも、一生懸命に陰謀史観を得意気に語ったりするでしょ? それこそ、インターネットの掲示板においては、「ユダヤの陰謀だ!」「フリーメイソンの陰謀だ!」とかの文言が飛び交っていますが、その言葉を得意気に書き込む人は、じゃあ、実際のやり取りの中で、ユダヤ人やフリーメイソンによって、どんな苦労をしたの? そもそも、そんな言葉を、一生懸命に書き込む人は、まあ、引き篭もりとかニートの方々じゃないの? まずは、どうやったら、外の世界に出られるのか? コミュニケーションの能力をどうやって向上させていくのか? そのような、身近で、かつ、切実な問題に向き合うのが先じゃないの? 逆に言うと、自分にとっての切実な問題を考えたくないわけ。 だから、自分の問題とは関係が無い、格調高いネタにすがってしまう。 まだ、「オレは世界の将来をこの手に握りたい!そのためにはユダヤ人がジャマだ!世の中はユダヤ人が世界を握っていて、ユダヤ系以外は認められないんだ!ユダヤ人の陰謀は世界中で展開されている!オレはなんとしてもユダヤ人を排除したい!」という話だったら、理屈は通っているでしょう。まあ、理屈は通っていても、別の面で「退いて」しまいますが。 一般の人間にしてみれば、ユダヤ人などの陰謀などは、たとえ実際にあったとしても関係ないでしょ?まあ、だからネタとしては面白いわけ。 重要なことは、「自分がどうしたいのか?」 それでしょ? しかし、ダメダメ家庭の人間は、その「自分はどうしたいのか?」それが自分でもわかっていない。そんな人間が上手くやっていけるわけがないでしょ?だから、結果的に問題が発生するのも当然ですよね? そうなると、いつもの被害者意識に浸るわけ。そして自分に被害を与えた原因として、その手の陰謀のストーリーは「格調」があって、ありがたいわけ。 それにダメダメ家庭は妄想癖がある。「恋に恋する」ように、自分の妄想の世界で生きている。そんな妄想人間にとって、そのような陰謀史観は「ツボ」そのものなんですね。 実際にユダヤ人が世界を握っていたとしても、そんなユダヤ人に対しこのように話しかけたらいいわけでしょ? 「ワタシは最終的にこのような目標を持っている。そして当面の目標は○○だ。この○○実現のために当面のところは協力してくれないか?」 そのように理路整然と自分自身を語ることができる人間を、相手だって無碍には扱いませんよ。 だってそのような人間は「役に立つ」わけですからね。 お互いが会話によって、意思疎通ができれば、味方になるならないは別として、無碍には扱わないものなんですね。 自分自身の希望が自分自身でもわかっていない。そして会話によって自分を説明できない。そんな人間はこの手の陰謀史観に逃げ込んで、加害者を設定し、自分が上手くいかない理由を押し付けるわけ。 そして「オレたちはヤツラの陰謀のせいで上手く行かない!」「ああ!オレって、何てかわいそうなんだ!」とお約束の被害者意識。 それこそ韓国人はスグに「日本による陰謀だ!」などと言ったりしますよね? しかし、日本が朝鮮半島を占領しても不良国民が増えるだけでしょ?そんなことは金もらってもイヤですよね? まだオーストラリアとかニュージランドだったら占領してもメリットはあるでしょうが、そんな国は何も軍事的に占領しなくても、話し合いでことが決まるわけでしょ?「お金を払うからこれをやってね。」それで済む話。話し合いでことが進まない相手だからこそ、占領などをして強制力を使わないといけないわけでしょ?しかし、そんな話し合いもできない人間たちなんて、支配してもジャマなだけ。だって役に立たないんだから。 そんなことは、ちょっと考えれば子供だってわかる話ですよね? しかし、自分で考えることをしないダメダメ家庭の人間は、そんな簡単な思考もできないわけ。そんな簡単な思考はできないのに、「自分が被害者」となる「格調高い」陰謀のストーリーだけは、一生懸命に考えるわけです。 そんな話を得意げに展開するダメダメ人間は、話の内容がネタというより、存在自体がネタなんですね。 陰謀史観を得意げに語る人は、その陰謀話は一生懸命に語るけど、「その人自身がどうしたいのか?」については、まったく語らない。というか、その点について考えることからの逃避としての陰謀史観なんですね。 「世の中は、こうなっている。」→ 「だから、ボクは、何もできないし、うまく行かないんだ!」 その手の人の話は、いつもそんな調子でしょ? 渾身の思いで説明した陰謀史観に対して、「それは正しいの?○○という組織なんて、本当に存在するの?」などとツッコミが入ると、「いや、そんなことはなくて・・・」と更に「熱く」説明することになる。 しかし、「その陰謀話はいいとして、アナタ自身は何かやりたいことはないの?」「その組織の陰謀とやらは、そのアナタがやりたいことの達成に対してどんな障害になっているの?」などと、その人自身に関係する質問が返ってくると、何も答えられない。 だって、「自分はこれを達成したい!」ということから逃避するための、ストーリーなんですからね。 だから、その陰謀以外の分野において、何か客観的な作品として残すようなこともしない。 それこそ客観的な文章をまとめてみるとか、音楽を作ってみるとか、絵画などを制作してみるとか・・・そんなことはしないもの。 もし、そのような客観的な作品を制作してみれば、その制作中に、実に多くの選択が発生することがわかるはずです。 それこそ、文章の制作において、その「文章」という言葉を、「文章」という漢字で表記してもいいし、「ぶんしょう」という平仮名で表記してもいいし、「ブンショウ」という片仮名でもいいわけでしょ? そして、その選択においては、ユダヤ人とか、右翼勢力とか、フリーメイソンとかの問題は関係ないでしょ? 逆に言うと、客観的な作品を制作している人は、陰謀史観なんて、得意気に語ったりはしないでしょ?そんな第3者の陰謀を語るよりも、自分の判断で、自分が責任を持って作品を制作した方が楽しいに決まっているじゃないの? しかし、自分自身の選択から逃避するダメダメ人間は、「自分が選択できない理由」として、そのような陰謀史観を持ち出してくるもの。 そして「ああ!あの○○のせいで、オレはうまく行かない!ああ!オレって、なんてかわいそうなんだ?!」と大仰に嘆くだけ。 そして、嘆きはいくらでも語るがゆえに、自分が達成したものについては、何も語れない。 そして、自分が何も達成できない理由として、やっぱり持ち出してくるのが陰謀史観。 このようなことは、程度問題は別にして、選択を恐怖し、選択から逃避するダメダメ人間には、実にポピュラーなこと。 選択からの恐怖や、現状認識なり思考からの恐怖があるがゆえに、芸術作品へのセンシビリティが、実に低い。 「この作品の作り手は、どんな問題意識を持って、このような表現をとったのかな?」 そんな思考には至らない。 芸術作品を鋭い視点でみることができる人と、陰謀史観を得意げに語る人とは重ならないでしょ?まあ、芸術作品へのセンシビリティが低いくらいなら、実害はないでしょう。 陰謀史観を語る人は、自分よりもはるか遠くにあるものに目を向けることにより、自分の眼前のものから逃避しているわけ。 だからこそ、その人自身は何も達成することができず、そして、やっぱりその理由を遠くに求めてしまう。 陰謀を肯定するか、否定するかについては語れても、自分の目標については何も語れないまま。 そうやって、ますますその人の存在自体がネタになってしまうわけ。 (終了) *************************************************** 発信後記 そういえば、いよいよ日本でも人口減少時代に突入したとのこと。 この少子化の問題については、以前に触れたことがあります。 少子化と聞いて、まず最初に「オレたちの年金はどうなる?」と心配する「心の貧しい」人間が多いからこそ、少子化が進んでいるわけでしょ? 子供は年金を払うために生まれて来るわけではないんですからね。 マトモな人間だったら、そんな社会に自分の子供を送り出すことを躊躇するもの当然ですよ。 それに少子化対策ということでヘタに子供の養育への補助を増やしたりすると、ダメダメ家庭が増えるだけ。 だって、マトモな人間は、どんなに困難があろうと子供を作るか、逆に、どんなに補助があろうと子供を作らないかのどっちかでしょ? お金をもらえるから子供を作るような人間なんて、将来自分の子供をどのように扱うのか?なんて言うまでもないことですよね? 以前も書きましたが、「子供をキライなワタシが子育てをするハメになり、こんなに苦労しているのは、政府の少子化対策のせいだ!ワタシって何てかわいそうなんだ!」そう言いながら、自分の子供を虐待している親が実際にいたりします。 ダメダメ人間は、とにもかくにも自分を被害者にしたがるもの。そしてユダヤ人だろうが、日本政府だろうが、自分の子供だろうが、何でも加害者にしちゃうわけです。 ヘタな少子化対策って、そんなダメダメ家庭を増やすだけ。マトモな人はそんな社会に自分の子供を送り出すことに、ますます躊躇するでしょ? ちょっと考えればわかる話ですよね? |
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自己逃避のダメダメ人間は、遠くのものに目を向けることによって、眼前の現実から逃避するわけです。 これに似た心理となりますと、「09年12月25日 配信 超肯定による否定 」という文章があります。 あるいは、格調高い嘆きを上げることで自己逃避する心理としては、「08年6月6日 配信 高雅で感傷的なグチ」という文章があります。 |
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R.10/6/2 |