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アップ日 11年2月13日 
タイトル 「正当化への欲求」の追加文章
テーマ 2002年に発覚した北九州での一家監禁殺人事件で使われた洗脳技法について
本文では洗脳技法を取り上げております。
本文で書いていますが、誰かを洗脳しようとした場合には、人が持つ、自分を正当化したい、つまり、「ワタシは悪くない!」と主張したい、わかってほしい、思いたい欲求を上手にリードすることによって、自分で自分を縛ってしまう状態を作り出す。それが洗脳状態というもの。

逆に言うと、洗脳する側は、正当化が必要となるような、ある種の「後ろめたい状況」を作り上げると同時に、「オマエは悪くはない。悪いのは○○のせいだ!オマエはむしろ被害者なんだ。」という正当化の道を用意しておけば、洗脳ができてしまうことになる。
そんな洗脳のテクニックは、カルト団体などによる組織だったものだけではありません。
個人としても、それを上手に使うことにより、対象とする人間を洗脳することが可能になります。

このような洗脳技法が個人による犯罪として使われた実例として、2002年に発覚した北九州監禁殺人事件があります。
この事件については、ウィキペディアに項目がありますので、ご自身で調べてみてくださいな。
今回の本文で取り上げた洗脳技法を実に有効に活用していて、この私も感心するほどですよ。

前にも書きましたが、洗脳をしていくためには、当人が正当化を求めてしまう「後ろめたい状況」を作り上げることが必要になります。
この事件の犯人である松永太がどのようにして対象者の後ろめたい状況を作っていったのか?
ここで列挙してみましょう。
彼は、のちに共犯となる緒方純子を後ろめたい状況に陥れ、あるいは、その関係者を次々と後ろめたい状況を作っています。

作っていった状況としては、
○ 高校の同級生であっても、あまりなじみのない男性からホイホイと応じてしまう後ろめたさ
○ 男性の家庭を壊してしまったという後ろめたさ
○ 男性の将来の可能性を台無しにしたという後ろめたさ
○ 犯罪の原因となってしまった後ろめたさ
○ 自分に配偶者がいるのに性的関係を持ってしまったという後ろめたさ
○ 自分の父親に咬みつかせるという後ろめたさ
○ 名家の不祥事という後ろめたさ
○ 死体をバラバラに解体したという後ろめたさ
○ 義父や義母に暴力をふるったという後ろめたさ
○ 自分の弟を殺害するという後ろめたさ

あるいは、本文である「正当化の欲求」の中で、自分が表現したものに責任を持ちたいという正当化が、その人を縛ることについて記述しております。この事件においては、主犯である松永が、洗脳しようとする対象者にドキュメントを書かせる状況が多くあります。あるいは、口に出して言わせることをよくやっています。

○ 『婚約確認書』なるものを作成させる
○ 『絶縁書』なる書面を作成させる
○ 「結婚できないと自殺する。」という宣言をさせる
○ 「私は〜の犯罪を犯した事実を証明します。」と書かされた『事実関係証明書』を作成させる
○ あえて、罵倒の言葉を言わせさせる
○ 住民票の住所を変えさせる

そして、対象とする人間を弱った状態にさせ、弱っている状態で、ポロっとヤバイことを言わせ、その言葉によって、後ろめたい状況を作ると同時に、自分の言ったことをなんとかして弁護したいという状況を作っています。
いったん、ボロがでてしまうと、それを弁護するために、弁護に弁護を重ね、それによって、ますますボロをだし、そのボロを、取り繕うために、ますます無理な正当化が必要となってしまうというスパイラル的な流れになっているわけです。

ちなみに、この事件の主犯である松永太は、1961年4月に小倉北区で生まれました。
この松永に利用された、共犯といえる緒方純子は、1962年2月に久留米市に生まれました。緒方家は、上にも書いておりますが、いわゆる地方の名士といえる家柄です。

主犯の松永は、後ろめたい状況をつくり、そして、その後ろめたさから何とかして解放されたいと思ってしまう人間の心理を実に的確に利用しているといえるでしょう。
この松永が洗脳技法を体系的に勉強したわけではないでしょうが、その幼少時において、「後ろめたい」人間がみせる行動を的確に洞察していたからの技術といえるでしょう。身近にそんな人間がいたのでしょうね。
逆に言うと、洗脳技法について、ある程度アタマに入っていれば、被害者となった方も、相応の対応が取れた可能性もあるわけです。

ちなみに、この主犯の松永ですが、フルネームは松永太という名前ですが、この「太(ふとし)」という名前は、「大」という字がもつ意味合いに近く、名前を付けた人のコンプレックスが見えてくるもの。
ちなみに、この松永が会社を興した際に、その会社の名前は「ワールド」という名前だったとのこと。
それだけ、「大きさ」に対して過剰なこだわりがあったわけです。
だからこそ、相手を支配することに異常にこだわることになる。
「オレはオマエよりも上なんだ!オレは大きいんだ!」と主張したいわけです。
逆にいうと、そのように主張し、証明しておかないと、自分の扱いが軽くなってしまうという恐怖があるわけです。
「オレは何でもできるんだぞ!」という余裕ある全能感とは違っているんですね。
切羽詰った恐怖心が根本であるがゆえに、歯止めもなく、「行きところまで、行ってしまう」ことになってしまったわけです。
ちなみに、松永に利用されて、共犯となってしまった緒方純子ですが、その名前の「純」は、汚れがないという意味であり、逆に言うと、「いったん汚れてしまったら、対処が不能。」という意味になります。
名前で見ても、この人たちのコンプレックスや、汚れとの付き合う能力の低さが見えてきます。
だからこそ、いったん発生した汚れに対処ができなくなってしまい、思考停止になってしまう。
だからこそ、その思考停止を上手に使われてしまったわけです。

洗脳されないためには、汚れと上手に付き合うことも必要になってくるわけです。
汚れと付き合えないからこそ、過剰に正当化を求めてしまい、まさにその点から利用されてしまったのがこの事件といえるでしょう。

「清く正しい」を標榜する人は、ちょっと不都合な事態になってしまうと、逆上するような対応をとったりするでしょ?
それだけパニックになっているわけです。
だからこそ、「アナタは悪くないわ!」という言葉が目の前にあると、すがってしまう。
そんな流れを作り出せば、個人でも洗脳ができることをこの事件が証明しているといえるでしょう。
このとんでもなく残虐な事件も、「ワタシは悪くない!」と言いたい切羽詰った心理から見ると、一貫したものになってくるわけです。
「悪くない!」と言いたいがために、実質的には悪くなっていく。
そんな流れは、この事件に限らず、ダメダメの周囲には頻繁にみられるものなんですね。

この事件について、購読者さんからの情報で知ることになりました。
ここで感謝申し上げます。
また、この事件については、上記購読者さんよりご紹介いただいた+MONSTERES+というサイトでの記述を参考にしております。