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カテゴリー ダメダメ家庭が持っている発想
配信日 07年10月2日 (10年12月12日,11年2月13日 記述を追加)
タイトル 正当化への欲求  (洗脳に関して)
追記 この文章には管理者による補足文章があります。(11年2月13日 アップ)
2002年に発覚した北九州の一家監禁殺害事件に関してです。
「このメールマガジンの発行者はワタシを洗脳しようとしているっ!」
なんて言葉を以前に取り上げたことがあります。
とある購読者さんから言われたことがあるんです。

その言葉を取り上げた際にも書きましたが、言い訳がましいダメダメ人間は、やり取りの相手から「耳の痛い」ことを言われた場合に備えての事前準備として、そんな言葉を前々から用意しておくようなことをする。そうして、実際に「で、アンタ・・・結局は、どうしたいのさ?」「アンタの話って、要はグチでしょ?」なんて私が言っても、まさに事前準備された言い訳を、満を持して持ち出すことになる。

しかし、よりにもよって洗脳とは!
私の文章のコンセプトは、「物事を自分の目で見て、自分の目の前の問題を自覚して、自分のアタマで考え、その自分の考えを、自分の言葉で、人に分かりやすい形で説明できるようにしましょう。」・・・まあ、そんなところです。この点については、多くの購読者さんにもご納得いただけるでしょ?

ということで、洗脳という言葉に途方に暮れた私ですが、ある意味では、非常に興味深く思いました。
「洗脳かぁ・・・新しい概念だねぇ・・・」
「その洗脳って、じゃあ、具体的にはどんな意味なんだろう?」
言葉としては、聞いたことがあるし、漠然とは理解していても、人に説明できるくらいには分かっていないよ。

まあ、『洗脳しようとしている!』と言い出したその人に対して、「アナタの言う『洗脳』って、具体的にどういう意味なの?」と聞いても答えはないでしょうね。
だから、時間があったら、自分で調べてみたいなぁ・・・そんな感じで思っていました。
何と言っても、『洗脳しようとしている!』認定されちゃったわけですからね。
それに洗脳の問題は、ダメダメ家庭の問題には登場してきたりするでしょ?
ダメダメのメッカの北朝鮮における洗脳。
あるいは、ダメダメ家庭出身者の巣窟と言えるカルト宗教における洗脳。

ダメダメ家庭の問題を考えるにあたって、洗脳という観点を取り入れると、見えてくることもあるのでは?
と言うことで、ちょっと前に、時間を見つけて、洗脳に関する本をサクっと読んでみました。

読んだ本によると、洗脳ということを人々が意識するようになったのは、第2次大戦後の朝鮮戦争においてのようです。
中国軍の捕虜になったアメリカ軍人が、アメリカに戻っても、完全に「いっちゃって」いる。それこそ「アメリカ帝国主義打倒!」なんて真顔で言ったりする。じゃあ、中国はどのようにして、アメリカ軍人を、「いっちゃう」ようにしたのか?
そんな問題意識から、心理学者などが洗脳手法ということについて考えるようになってきました。

実は、人を洗脳させるには、洗脳の対象者に向かって、染め上げたい考えを強制的に注入しようとしても、効果がない。むしろ『自分の行動を正当化したい!』という当人の欲求が大きく関係しているといえます。
洗脳というものは、周囲の人間が主体となって進行していくというより、その当人自身が主体となって進めていく・・・そのようなものなんですね。その当人が持つ正当化への欲求をどうやって、オーガナイズしていくのか?その問題となっている。

じゃあ、「自分の行動を正当化したい!」とは具体的には、どんなものなの?

人間は、生きていれば、色々と選択したり、あるいは表現したりしますよね?
ここで選択の一例として、服を購入するケースを考えてみましょう。
ある日、商店街で服を購入した。
しかし、家に帰ってその服を着てみると、どうも似合わない。
「ああ!失敗しちゃった!」

まあ、それくらいは、誰にでもあること。しかし、人間というものは、その失敗を認めたくない。その服を選択した自分を正当化したい。ということで、色々と理由をつけることになる。「あの時はこれがいいと思った。」「買ったのが夕暮れ時だったので、光の加減が今とは違う。」「たまたま、その時に自分が着ていた服には合いそうだった・・・」
それこそ、『あのブドウは酸っぱい。』と後付の理由をつける狐のようなもの。

しかし、そのような後付の理由を持ち出すだけではありません。その時の選択以外にも、もっと適切な選択が可能だった・・・そんな考えに接しないようにしてしまう。
自分が取ったアクション以外を、排除し、否定するわけです。
それこそ『アンタねぇ・・・その服を売っていたお店の隣にあったお店の服の方が、デザインもよくてアナタに合いそうだったよ!どうしてソッチにしなかったの?』なんて言われたら、自分の選択を正当化できないでしょ?だからそんなことを言うような人間の話は聞かなくなる。
もし、そんなことを言われそうになったら、「もうっ!いいじゃないのっ!」なんて言い出し、会話になることを拒否しようとする。
自分の選択を正当化する情報だけを得ようとすることになる。
耳の痛いことを言う人を遠ざけようとしてしまう。
こんなことは、皆さんもあったりするでしょ?

まあ、服の選択くらいなら、そんな失敗もあるでしょう。それに笑って済む話ですよ。
しかし、これが結婚相手の選択だったら、笑って済む話ではないでしょ?上記の服の選択の失敗の話は、そのまま結婚相手の選択の失敗の時の対応でも同じでしょ?
失敗した・・・と内心では思っていても、それにつながる情報は得ようとしない。「アナタは、その時は正しかったのよ!」そんな情報だけを得ようとする。

まあ、服の選択の失敗は笑って済むでしょう。
結婚相手の選択の失敗は、笑って済むわけでもありませんが、何回もやるわけでもない。
しかし、このように自分の選択・・あるいは自分が表現したものを正当化したい・・・という欲求をシステマティックに運営していくと、洗脳が可能になってきます。
実は、中国軍がやったのは、こんな感じらしい。

捕虜になったアメリカ軍兵士に対して、中国軍がこのように言う。
「キミの祖国のアメリカだって、100%正しいことをやっているわけではないだろ?キミだって不満に思うことも一つくらいはあるだろ?そのちょっとした不満を書いてくれないか?」
アメリカ軍兵士だって、自分の国を100%満足に思うわけもない。だから、そんなちょっとした不満を書いてくれと言われたら、「まあ、それくらいなら・・・」と書いてしまう。

そうなると、その次の段階が発生する。
アメリカという国に対する不満を自分が書いた文章なり、書いた自分を正当化したいという欲求が起こってくる。
そうなると、その自分が書いたアメリカに対する不満と矛盾する情報は得たくない。自分が表現したアメリカの問題点を正当化する情報だけを得ようとする。
そうなると、アメリカという国を考えるにあたって、接する情報にもアンタッチャブル領域が発生するし、考えること自体にもアンタッチャブル領域が発生してしまう。
自分が書いた不満を否定するような情報なり考え方は、アンタッチャブル領域に押し込まれてしまう。
このような状態を作っておいて、中国軍は捕虜になったアメリカ軍兵士に再び頼む。
「前回はごくろうさま!今度はアメリカに対する別の不満を書いてくれよ!」

前回書いた不満を正当化するために、入手する情報そのものにも「偏り」が生じているし、思考そのものにも偏りが生じている。そんな状態なので、別の不満を書くと、前回書いた不満よりも、「より強い不満」を書くようになってしまう。
前回書いた不満よりも、より強い不満を表現してしまうので、その「より強い不満」の文章を正当化したいという欲求が起こってしまう。そうなると、接する情報にも、より強い偏りが生じ、思考そのものにもより強い偏りが生じることになる。
そうやって、より強い偏り・・・つまり、より大きなアンタッチャブル領域がある状態で、さらに、「また、アメリカに対する不満を書いてくれよ!」と頼む。

こうなると、まさにスパイラル的に、情報と思考の偏りが進行することになる。
その結果として、まさに「いっちゃう」ことになってしまう。

中国軍がアメリカ軍兵士にやらせたのは、作文という、ちょっとした表現をさせることだけ。実に平和的なことですよ。自分が表現したものを正当化したい・・・その感情が、まさに自分を縛っていき、洗脳という状態に達することになる。
もちろん、洗脳をさせようとする側が与える情報にも、もともと偏りもあるでしょう。しかし、「自分を正当化したい」と思っている人は、そんな偏った情報を、自分から選んでいくものなんですね。そうやって、どんどんと、「いっちゃう」ことになる。
さすが中国4千年の歴史ですよ。

「自分がやったことを正当化したい!」
「自分がやったことがムダだったこととは思いたくない!」
こんな感情は、それこそ、北朝鮮に拉致された人の発言にも見られましたよね?

洗脳ということは、正当化に結びついている。
逆に言うと、洗脳を解くということは、自己の正当化の否定となり、自己否定につながってしまう。だから、洗脳をオーガナイズする側は、心理的な錨(アンカー)を設定して、とある言葉や情報と接すると、強烈な自己否定感情が起こるようにするんだそう。まあ、錨というか地雷を心に埋め込むわけです。
周囲が洗脳を解こうとすると、逆上が起こったりするのは、そのアンカーという、逆上ポイントがあるからなんですね。逆に言うと、洗脳されてしまった側は、逆上することにより、自分がアンタッチャブル領域に押し込んだ、自分を否定する情報なり考えかたに接することから回避しようとする。
まあ、そんなシーンはダメダメ家庭の周囲にも結構見られることでしょ?

「自分の行動を正当化しないものを受け入れたくない!」
まあ、そんな感情は誰でも持っているもの。
ヘンな話になりますが、「アナタはワタシを洗脳しようとしているっ!」なんて言い訳をして、自分の選択を否定する考えを拒否する・・・それって、ちょっとした洗脳状態。というか、その人も、実際に逆上したよなぁ〜
耳の痛い話は聞きたくないし、読みたくない・・・まあ、そんな心情で、このメールマガジンの購読を解除された方も多いでしょうね。
そんな心情は、実にポピュラーなことなんですね。

「自分がやったことを正当化したい!」
「自分が間違ったとは思いたくない!」
誰だって思うことですが、その思いが強すぎると、洗脳されやすくなってしまう。
まあ、システマティックにやられると誰だって洗脳されてしまうようです。
せめて、その正当化の欲求が強すぎないように、つまり自分の誤りを認める習慣をつけておく必要が、その対処法といえるでしょう。また、その洗脳されるメカニズムに対しても、ある程度理解しておけば、「今、自分はこの段階だなぁ・・・」と外から認識することもできることになる。自分の間違いを認められなくなってきたら、ちょっとヤバイ状況と言えるでしょう。

そもそも、今回の文章では「正当化」という言葉を使っていますが、今まで頻繁に使ってきた言葉に置き換えると、まさにコレ。
ワタシは悪くないっ!」
その言葉をよく使う人間は、正当化への欲求が強いといえます。そして、人から「アナタは悪くない」と言ってほしがる。これって、まさに入手する情報自体の「偏り」の典型でしょ?
実際に、ダメダメ家庭の周囲にいるボランティアや市民団体は、「アナタは何も悪くないのよ!」などと、当事者に対して同情の声を掛けるものですが、その言葉は、当事者の洗脳の深化に寄与することになる。・
「アナタは何も悪くないのよ!」と言いながら、「だから、こうしましょうよ!」と持っていくと、まさに洗脳された人間を扱うのと同じ効果が得られることになる。
あるいは、ボランティア市民団体は、その「アナタは何も悪くないのよ!」と言いながら、対象者の周囲に、自分たちに都合のいい人間を侍らせ、対象者の周囲に存在する情報に偏りを作っているわけです。

実際に、市民団体やボランティア自身の言動と、洗脳状態との相似性は強いでしょ?
彼らは、自分に都合のいい話しか聞こうとしないものでしょ?
ちょっと不都合なことがあると、スグに逆上するものでしょ?

正当化への欲求が強い人は、それを上手に弁護してあげると、その弁護に乗っかってしまう。
それこそ、「オマエはかわいそうな被害者なんだよ!だから、こんなことをしてしまったんだよ!キミは何も悪くないんだ!」と弁護の流れを作ってあげると、過去に行った間違った選択も、「ワタシは被害者だから・・・」という理由で正当化されてしまうでしょ?
だからこそ、ダメダメ人間は、被害者誘導に乗っかりやすく、その流れを与えてくれるものにすがってしまう。
つまり、上手に被害者誘導をして、そして、対象者になにがしかの表現をさせれば、そこそこの洗脳はできるわけです。

そもそも、ダメダメ家庭の人間は、自分に自信がない。
だからこそ、自分を正当化したいという欲求はマトモな人より強い。
と同時に、たとえマイナスが発生しても、絶対にやり遂げるという信念を持っていない。
だからこそ、マイナスが発生すると、パニックになってしまう。
発生したマイナスを見ないように導いたり、正当化してあげれば、その理屈にすがってしまう。
つまり、もともと洗脳されやすいキャラクターを持っている。

洗脳なんて、あまり自分とは関係ない・・・と思われる方も多いでしょうが、自分を正当化したいという欲求は誰だって持っているでしょ?
ちょっとは、そんな知識を持つことも必要なんですね。

それに、この洗脳手法を、逆に使うこともできますよね?

「自分で表現したものを正当化したい!」
「自分が表現したものに対して、責任を持ちたい!」
そのように考えるわけですから、「自分がマトモになるためには、どうすればいいのか?」それを自分で書いてみると、その自分で書いた文章に、実際の自分の行動が縛られるようになってくるでしょ?
それこそ、「毎日ゲンキに挨拶をしましょう!」という言葉でも、自分自身で書くと、やっぱり違うものでしょ?
そうやって、プラスの方向に、自分の発想を持っていくこともできるわけです。

洗脳手法というか、正当化への欲求もある意味においては道具の一種なんだから、有効に使えるものは、使ってみてもいいのでは?
それとも、やっぱり、この私が、購読者さんを洗脳しようとしていると思われますか?

(終了)
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発信後記

ちなみに、洗脳は、この正当化の心情を理解していれば、誰でもカンタンにできるというものではありません。やっぱり専門的な技術が要求されるわけ。
今回言及した正当化の心情は、その洗脳手法を理解するための、要素です。

洗脳というと、オウム真理教で話題になりましたよね?

日曜日にテレビを見ていたら、オウム真理教がでていました。あとウラ番組で、大相撲の力士が死亡した事件について報道していました。
チャンネルを変えながら見てみたら、ほとんど同じことを言っているのにビックリ。

脱走した人を連れ戻す。
オマエのため・・・という名目でリンチ。
死体を証拠隠滅。
内部だけで通用する名前。
細かく分かれた身分階層。
人から追求されると、逆切れ。
精神的な言葉を使うけど、結局はお金に執着する。
そして、
何かトラブルがあると「自分たちは悪くないっ!」と主張するだけ。
けど、そんな自己弁護に終始する姿を見せられたら、マトモな人は寄って行きませんよ。

やっていることが同じということは、内面も共通しているということ。
まあ、どっちも上意下達で、逆に言うと、思考から逃避している。
自分で考え、自分の間違いを認めることって、言うほど簡単ではないわけ。だから人は思考からの解放を求めてしまう。
しかし、だからこそ事件も起こるものなんですね。
R.11/2/13