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カテゴリー | ダメダメ家庭はいつも否定形 | |
配信日 | 08年3月28日 | |
タイトル | 二重否定と肯定の混乱 | |
ダメダメ家庭の人間は否定形の発想しかしない。 誰かや何かを否定することでしか、自分自身を認識できない。 そして、それが重なって二重否定なり、さらに重なって多重否定となっていく。 「二重否定は、否定の否定だから、肯定の意味なのでは?」 そう思われる方もいらっしゃるでしょう。それに、そのようなケースも実際に「ないわけでは、ありません。」 しかし、それだったら、シンプルな肯定形で表現したほうがいいわけですし、後で肯定形を使って言い直してもいいわけでしょ? 厳密に考えた上で言葉を使っていない人は、二重否定と、肯定は、「近い」意味と思っている。 だから、二重否定で表現された場合は、その中にあるダメダメが認識できないものなんですね。 以前に書きましたが「敵の敵は、敵ではない。味方の味方は味方だ!」という言葉があります。つまり「敵の敵は、必ずしも敵とは言えない・・・まあ、味方とも言いきれないけど・・・」となるでしょ? 本当にその人が信頼できるのだったら、「敵の敵」なんて回りくどい表現を使わなくても、「彼は味方だ!」とシンプルに言えばいいだけ。 二重否定表現を使っている段階で、本当の意味での信頼感がないことがわかるでしょ? あるいは、ちょっと前から話題になっている日本の捕鯨の問題ですが・・・ 日本人の多くは、「捕鯨反対運動には反対でも、捕鯨を推進したいと思っているのではない。」でしょ?あんな過激な反対派の連中に屈してはならないとは思っても、自分では鯨の肉なんてわざわざ食べたいとは思いませんよ。そもそも値段だって高いんだし。まあ、日本の政府も、その二重否定と肯定の間の混乱を上手に利用しているんでしょうね。政府としては、役人を食べさせるために、捕鯨をやっているだけですよ。本当に鯨の肉が食べたいのだったら、近海だけで需要がまかなえるでしょ?あるいは、日本の文化云々の問題というのなら、わざわざ南極近くに出向く必要はありませんよ。しかし、日本は近海では、打ち上げられた鯨を必死で救助している始末。鯨の肉を食べたいのなら、まずは打ち上げられた鯨を食べればいいだけ。 捕鯨のような大きなマターばかりではなく、人とのやり取りにおいても、「もう、やり取りはやめましょう!」と呼びかけても、拒否されたりする。しかし、拒否した人からアクションがあるわけではないケースもある。そんな人とやり取りすると、まさに「で、結局は、アンタはどうしたいの?」と思ってしまうもの。そんな人にしてみれば、「やり取りをやめる」ことは拒否しても、やり取りを続けることにはつながらないわけ。 そんな「やめることを拒否する」姿勢は、クレーマーとのやり取りにおいては、必ず起こっているものなんですよ。 そもそも、クレーマーになるような人は、「買わないという判断ができない」人が多い。 だからこそ、「存在すること自体が罪なんだ!」と大騒ぎするわけです。 だからといって、そのものを本当にほしかったわけではない。 二重否定的に購入しただけで、肯定した上で購入したのではないわけです。 その違いに注目しないと、クレーマーの心理も理解できなくなってしまう。 一般の人でも、二重否定と肯定の区別がなかなかできていないもの。しかし、ダメダメな人は普段から否定形の発想なので、その区別が全然できないわけ。 このような二重否定となると、家族の結びつきの場合にも発生します。 他の人が相手になってくれないから、家族同士で結びつかざるをえない。まさに「共通の敵」による結びつき。 そんな「濃い」結びつきの家族もありますよね? それこそ、以前に話題になったボクシングの亀田親子がそのパターンと言えるでしょう。そんな二重否定による結びつきの家族は、「じゃあ、お互いが本当に理解しあっているのか?」というと違うでしょ?ただ、周囲の社会に対する敵対心で結びついているだけでしょ?まさに「敵の敵は敵ではない。」というだけ。 あるいは、子供の問題でも同じ。 子供が好きだから、子供を多く作ったという肯定形のパターンもあるでしょうし、避妊がイヤだから、面倒だから、子供ができてしまった・・・という二重否定のパターンも、現実にありますよね? そうして、「多くの子供に囲まれて仲良し家族!」 って、本当にそうなの? 子供を一人前にするのは、簡単じゃない。子供が勝手に育っていくというものではないでしょ? 何も考えずに無計画に子供を作るような親が、子供をどうやって一人前にするの?そんな子供にコミュニケーション能力が付くの? 結局は、コミュニケーション能力の低い、自分たち家族同士で結びつかざるを得ない。 避妊が嫌いという二重否定で子供を作ってしまう人は、現実的には、周囲とのコミュニケーションがとれないことが多く、家族で結びつかざるをえない。 一見、楽しい家族のようですが、所詮は、二重否定の積み重ね。 そんな集団は否定形を基本の発想としているので、自分たちが否定する対象を次々と求めるようになってしまう。だって誰かや何かを否定しないと自分自身を規定できないんですね。 まさに、「あら探し」街道を驀進することになる。 ますます周囲の人間を否定するようになって、否定形が濃くなってしまう。 そんな濃い否定形の集団を、周囲のダメダメな人は、「すばらしい結びつきだ!」などと持ち上げてしまう。 結局は、お約束のドッカーンへ。 家族の二重否定だと、「離婚しない」もその典型です。 その言葉は、離婚はしないけど、結婚生活を続けたいというわけではないでしょ? そんな夫婦は、前に書いたような「避妊が面倒」だから出来てしまった子供がいたりする。 だから、しょうがないから「離婚しない」となるわけですが、じゃあ、これからどのような家庭を作っていくかはまるで考えない。ダラぁ〜と過ごしているだけ。 一見、「濃い」結びつきのように見えても、それが肯定形の結びつきなのか?二重否定による結びつきなのか?その判断を間違うと、その人たちから敵認定されたりして、とんでもない迷惑を被ることになってしまうものなんですね。 ダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。「自分が何をしたいのか?」それが自分でもわかっていない。とにもかくにも目の前のものを否定しているだけ。 あまりに否定形が身についているので、二重否定が、もはやデフォルト状態。 そんな人については、「死んでいないわけではない。」状態としか言えないでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 以前ちょっと言及したことがある、東京の杉並区の中学校ですが、夜の有料の補習に対し、中止命令を求める訴えが裁判所にあったそう。 ニュースでやっていましたよね? 有料の補習のような活動に不快感を持つ人もあるでしょう。 しかし、だったら自分たちなりの方法で、別の中学校を盛り立てていけばいいだけ。 「コッチの方がうまくいっているぞ!」と呼びかければいいじゃないの? しかし、ダメダメ人間は、他者のやり方にはケチをつけても、当事者意識をもって自分たちでアクションをしていくことはしないわけ。 まあ、そんなダメダメなPTAはいまさらどうしようもないわけですが、そんな親を持つ子供が気の毒でしょ?子供がそんな親に何を言っても、どのような返事が返ってくるのか? あまりに自明でしょ? ダメダメって、ちょっと見ただけでわかるものなんですよ。 あと・・・最近は、また、いっぱい事件が起こっていますが、来週、そのうちのひとつに関連したお題にしようかな?と思っています。 原因不明といっていることが意味不明ですよ。実にわかりやすい事件ばかり。 よかったら皆さんも投稿の文章を考えてみてくださいな。 それこそ小学生の飛び降りとか、茨城の事件とか、岡山駅の事件とか・・・ あのような事件は、「その気」になっていれば、防ぐことが可能な事件なんですね。 |
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R.10/12/11 |