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カテゴリー ダメダメ家庭をめぐる環境
配信日 09年12月2日 (11年1月24日 一部分を分離独立)
タイトル 吹き溜まりスパイラル
追記  「排除されるからすがりつく」「被害による絆」を分離独立 (11年1月24日)
ダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。
そんな人は、自分で何かを達成したいなんて思っていない。だから自分では何も努力しない。
それにダメダメ家庭の人間は、会話の能力がない。
そもそも自分でやりたいことがないわけだから、相手に伝えたいこともない。
ダメダメな人間が言っていることは、「ワタシがかわいそうな被害者であることを分かってほしい!」所詮はそれだけ。

そんな人間の周囲にいても楽しいわけがない。だって会話の能力のない人と、そして、「分かってほしい」ことそれ自体がない人と、どんなやり取りをするの?
自分で努力をしない人と、どんなネタで話をするの?
スグに被害者意識を爆発させる人と、どんなやり取りをするの?

結局は、マトモな人は、そんなダメダメ人間を避けてしまって、同類のダメダメ人間が集まるようになる。
同類だと、意外にも話が弾むことになる。
「ワタシって、こんなにかわいそうなの!」
『まあ、なんてお気の毒な!実は、ワタシにはこんな被害があって・・・』
そうやって盛り上がることになる。

それにダメダメ人間は、「自分にとっての味方は誰なのか?」そんな発想はしない。むしろ、「自分にとっての敵は誰なのか?」「ワタシに被害を与えているのは誰なのか?」そのような敵についての視点が先にある。だから、人との結びつきも「共通の敵」が出発点になってしまう。

そして、ダメダメ人間は、「信頼と好意」の区別がつかない。
人から信頼されるように自分自身を律するなんてことはしない。人から邪険にされると、「あの人はワタシを好いてくれない!」と立腹し、相手に絡みクレームを付けるだけ。
しかし、そんなふうに絡まれても・・・そんな人を信用するわけがないでしょ?となると、ますます「ワタシを好いてよ!」と、しつこく絡むだけ。シュールなギャグそのものですが、韓国人の行動って、まさにそれでしょ?
あるいは、インターネットの掲示板なんて、それに近い状態でしょ?

会話の能力がなく、信頼には配慮せず、話題は敵の話題だけ。
ダメダメ人間の周囲は、そんな吹き溜まり状態になってしまうものなんですね。

しかし、吹き溜まりは、吹き溜まりであるがゆえに、それなりに「深い」結びつきになる。
だって、他の人からは相手にされないもの同士だから、お互いが一緒にやらないと、どうしようもないじゃないの?まさに消去法的で二重否定の結びつき。

家族の結びつきにおいては、周囲のマトモな人とマトモなやり取りができた上で、家族の間ではより深い結びつきとなっている。そのような状態が理想の形でしょ?
しかし、ダメダメ家庭の間の結びつきは、周囲のマトモな人たちとマトモなやり取りができないので、ダメダメな家族で一緒にやるしかない。
そんな吹き溜まり状態なんですね。

実に典型的に見られたのは、以前に話題になったボクシングの亀田親子です。
亀田親子は、周囲のマトモな人たちと、マトモなやり取りができる人ではなかったでしょ?だからダメダメ同士の家族で一緒にいないとどうしようもない。
そんな吹き溜まり状態の「濃い」結びつき状態が発生すると、その周囲に新たなるダメダメが集まってくる。

それこそ、ダメダメなマスコミがやってきて、「これぞ理想の家族だ!」なんて持ち上げることになる。マスコミも、会話の能力が欠如していて、強い被害者意識を持っていますよね?加えて対抗心も強い。対抗心が強いもの同士で、共通の敵についての話題で盛り上がり、「濃い」結びつきになってしまう。そうなると、亀田親子も、ますます物事を客観的に見ることができなくなってしまう。結局は、ドッカーンとなってしまう。

何も、亀田親子とマスコミの結びつきの例だけでなく、ダメダメな人間の周囲には「アナタは悪くないわ!」「まあ!なんてお気の毒なの!」と持ち上げるボランティアの連中がいたりするものでしょ?そうして「アナタの困難さを理解してあげられるのは、ワタシたちだけよ!」と盛り上がってしまう。

しかし、本当に理解しているの?
「そんな困難な状況から脱却するにはどうすればいいのか?」
そんなことをちゃんと言えるの?言っているの?
それを言えるのが真の理解者でしょ?
嘆きの言葉を言い合えるのが理解者というものではないでしょ?

一見すると、理想的な家族の絆のように見えたり、善意の人たちによる博愛精神による結びつきに見えることもあるわけですが、現実はダメダメ人間の吹き溜まりの場合が多いわけです。
そして、いったんそんな状況になってしまうと、脱却するのが、実に難しい。
何とかして、外のマトモな世界に出ても、そこでちょっと苦労したりすると、「楽しい語らいに満ちた」「あの『楽しい絆』の日々が懐かしい!」と感じ、そうやって、元の吹き溜まりに舞い戻ってしまう。だって、目標を達成するために懸命に努力しているのではなく、「アイツのせいでうまくいかない!」と言いながらグチっているだけの日々は、ある意味においてラクな日々と言えますからね。どうしても、そのラクさが染みついてしまっている。
そして、そんなラクな状態を維持しようとする。
人の出入りも、そんなダメダメな状態を促進する方向に進むだけ。

マトモな集団は、基本的には「来るものは拒まず、去るものは追わず。」そういうものです。最初はお互いが分かっていない間柄なんだから、「来るものを拒んで」いたら、お互いのチャンスが減るだけ。それに「もう、こんな人たちと一緒に居たくない。」と思って去ろうとしている人を強引に引き止めていても、何も得られないでしょ?
人の出入りというものは、「その集団がマトモなのか?ダメダメなのか?」判断するのに有効な方法なんですね。

ダメダメな集団は、まずもって、入ってくる人間を選別しようとする。だって、ダメダメな集団は「ワタシたちはかわいそうな被害者だ!」といつもグチっている状態。そんな中に『アンタもグチグチ言っていないで、自分でできることは自分でやったら?』などと言ったりするような人間は、入ってきてもらっては困ってしまう。

自分たちのグチに共鳴してくれるような人間だけを、その集団に入れようとするわけです。それに、よく書いていますが「腐臭にハエやゴキブリが吸い寄せられる。」ように、ダメダメな集団には、「ワタシもあの人たちと一緒にグチを言い合いたい!」と、グチっぽいダメダメ人間が集まってくるもの。
たまたま入りそうになった、マトモな人間は、入る段階で排除されてしまう。そうやってダメダメがスパイラル進行していき、その集団がどんどんと硬直化してしまう。それこそ北朝鮮などもその典型でしょ?

家庭だって、結婚などで新たにそのダメダメ家庭に入っていく人は、そんなダメダメ家庭の人たちの「お眼鏡」にかなった人なんですね。
「お義父さんやお義母さんがどうの、こうの・・・」と、結婚した後になってグチを言ってもしょうがない。
そんなグチっぽい人だから、そのダメダメ家庭に迎え入れられたわけでしょ?

そして、そんなダメダメな集団なり家庭は、「出て行くことを許そうとはしない」もの。
本当に自分たちに自信があるのなら、『どうぞ!どうぞ!出て行きたいのならアナタのご自由に!』と言えるものでしょ?
そのように言えないということは、別の世界を知ってしまうと、戻ってこないと思っているわけです。
それこそ北朝鮮がそうでしょうし、プロゴルファーの自分の娘にストーキングしていた父親もそんな心理なんですね。

ダメダメな集団は、ダメダメな人間だけを新たに迎え入れることで、ますますダメダメになってしまい、そこから脱却しようとする人間を妨害し、ますますダメダメになっていく。
そして、そんな集団ばかりなので、地域全体がダメダメになってしまう。

グチばかり言っているダメダメ家庭は、自分のグチが言いやすい環境を求めるもの。
まさに、「腐臭にハエやゴキブリが吸い寄せられる。」ように、ダメダメな地域に集まってしまう。
それこそ、児童虐待が頻発している環境だったら、逆に言うと、ちょっとしたネグレクトくらいは許容されてしまうでしょ?
つまり、ダメダメな親にしてみれば、実にラクになるわけです。
そして、そんなダメダメ家庭ばかりが集まってしまうので、その地域がますますダメダメになってしまう。ということでスパイラル的に環境が悪化してしまう。

せめて、学校で何とかなればいいのでしょうが、ダメダメの分野においてはそうは簡単にはいかない。
非常識な親は、ダメダメな学校に平気で入れる。
というか、ダメダメな親は自分たちのダメダメさを指摘してこないようなダメダメな学校に自分の子供を入れようとする。
そんな学校なんだから、子供としては学校でも常識が身につかないし、マトモな発想が身に付くわけもない。
子供としては、ただ、人に合わせる技術が身につくだけ。
本来は、そんなダメダメな地域からさっさと避難するしかないわけですが、外の世界では、やっぱり怒られる。だから心が弱いと帰ってきてしまう。

とにもかくにも、当人が自覚するしかないわけです。
しかし、その自覚を妨害するのがボランティア。
本来なら石にかじりついても、自分の持っている常識や考え方の問題を解決する必要があるもの。ダメダメ家庭の出身者にしてみれば、自分に欠けている社会常識を付けると同時に、少ない常識でも何とかなる分野からやっていくしかない。ダメダメ家庭出身者がマトモな環境にいると、北朝鮮からの脱北者が、北朝鮮の常識を元に行動してトラブルになるのと同じような状況を引き起こすことになる。それは不可避なことだし、当人なりの解決策を見つけていくしかないわけです。
マトモな世界で生きていくためには、甘い言葉を弄するボランティアを排除する覚悟が絶対に必要なんですね。

ダメダメな人の間の結び付きは、敵を共有するという二重否定はできても、目的を共有するというシンプルな肯定的な結び付きはできない。そもそも自分の目的自体を持っていない。
主体的な目的を持っていなくて、常に受け身の立ち位置なので、不都合な事態は、全部被害という認識になってしまう。
抑圧的な人間は、自分で達成したいものが存在しないので、自分の被害しか語るものがない。普段は「人に合わせるのに必死」な状態。だからこそ、周囲の人間が気になってしまう。自分が被害を語っても、周囲の人間が同調してくれないと、その手の人の騒ぎも沈静化してしまうもの。そうなると、自分の存在感がなくなってしまう。逆に言うと、自分の被害話に同調してくれる周囲を求め、まさに吹き溜まりを自分で作ってしまう。

自分が言いたいことがあるのなら、堂々と言えばいいだけ。
しかし、自分自身に自信がないので、堂々と主張することはできない。むしろごまかしをすることで自分の被害者意識を満足させることになる。
自分を被害者として勝手に認識し、だから、自分に被害を与えた存在と言える加害者も勝手に認定してしまう。そして、勝手に認定した加害者に敵対心を向けることで、自分を被害者だとますます認定してしまう。
そして、敵対心を周囲の人と共有することで人と結び付く。
敵対心によって、居心地のいい状態を作るわけです。

敵対心の共有化は言い訳の共有化でもある。
集団内で、言い訳を気軽に言い合える状況になっている。
まさに、「悪いのは全部○○のせいだ!」と簡単に言えてしまう。
だから、何をするにも「て・き・と・う」に取り掛かってしまって、ますます事態が悪化してしまう。しかし、事態が悪化しても、内部のみんなが納得する言い訳があるので、スグに自分たちだけで勝手に納得してしまう。だからますます周囲からも厳しく見られる。

しかし、そんなことをしていると、結局は「国民の敵」扱い。
しかし、そんな感じで一般の国民から、自分たちが「敵」呼ばわりされると、ますます、自分の敵対心が満たされ、ダメダメな結ぶつきも強くなってしまう。
そうして、「オマエのことを分かってあげられるのは、このオレだけ。」と、お約束の入れ込み状態。

こうやって、どんどんと、敵対心が濃くなってしまう。
このような流れは、まさに北朝鮮と同じでしょ?

周囲に対する疎外感を持つことは、これはこれでしょうがない。
それを踏まえて、どうするのか?
それは、周囲の側にあるのではなく、自分自身の心にあるわけでしょ?
せめて、自分の心からは疎外してはダメなんですね。

会話や相互理解に基づいた真の絆と、グチや対抗心や敵対心で結びついた吹き溜まり・・・
真の絆は信頼に基づいているのに対し、吹き溜まりは一時的な感情や周囲に対する敵対心で結びついているだけ。別の言い方をすると「肯定で結びついているのか?二重否定で結びついているのか?」その点が違っている。
外見上は似ている面もありますが、その後がどうなってしまうのか?
その点は決定的に違ってくるものなんですね。

(終了)
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発信後記

そういえば、本文中で言及しておりますボクシングの亀田さんが、試合をやったそうですが、私はボクシングの試合には関心がなく、その言動に関心があるだけです。
あと、その亀田さんに擦り寄っていったマスコミが、ゴルフのゲーム中で、トラブルを起こしたそうですが・・・

その手の事件があると、「ケシカラン!」なる倫理的な非難が登場したりするものですが、私としては、その手の非難には賛同いたしません。
そもそもダメダメというのは、避けるしかないと、このメールマガジンで頻繁に書いています。非難してどうなるものではないわけ。
むしろ非難することで、「自分がその○○による被害者だ!」と思ってしまい、自分が安っぽくなるだけ。
あの手の人たちは、「自分こそが一番かわいそうなんだから、他の人間には何をやってもいいんだ!」と確信を抱いているもの。そんな人に近寄っても危険なだけですよ。

ゴルフ場で事故にあわれた女性にはお気の毒ですが、上手に距離をとらないと、あの手のトラブルに遭遇してしまう・・・それは、現実なんですね。
R.11/1/24