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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない情報,スキル
配信日 04年4月21日 (10年10月17日,10年12月26日 記述を追加)
タイトル 一般社会常識
もし、誰かのお葬式に「真っ赤な服」を着用して出かけたらどうなるでしょうか?
まあ、そのような過激な服装をしていった人の評価は定まってしまいますよね?
しかし、お葬式に真っ赤な服を着て行ってはいけないなんて、本には書いてありませんよね?だって、あまりに当たり前のことですからね。

あるいは、人に郵便を送る際に、使い古しの封筒に2本線を入れて再利用したらどうなるでしょうか?意識的にケンカを売っているのならまだわかりますが、世の中には「勿体無いからまた使おう!」と思って再利用する人も現実的にいます。
さすがにそのような郵便物を受け取ると、「?!?!」となってしまいますよね?

深夜に用もなく電話をする人もいますよね?まあ、相手が学生ならわかりますが、社会人相手にそんなことをするとどうなるでしょうか?

そのような一般常識は、基本的には家庭内において親から子供への伝承されるものですよね?何も学校において勉強するものではないでしょ?
しかし、そのような常識の伝承を家庭内で行うことを、法律で規定されているわけではありませんよね?

ダメダメ家庭ではこのような一般常識の伝承なんて、ほとんどいたしません。
そもそも、ダメダメ家庭を作る親自体がそのような一般常識を知らないということもあります。
それに子供の将来のために子供に何か与える・・・ということを普段から考えていないので、親の側はそのような常識を多少は知っていても子供には伝わらないことになる。
また、普段から家庭内で会話があるわけでなし・・・
あるいはダメダメ家庭では、イヴェント等が少なく、様々な人を見ていないので、そのような社会常識を学習する場もないんですね。

せめて、親の側が、「自分たちは常識からは逸脱している。」ことを自覚すれば、子供に対して見本となる人をみせてあげればいいだけですが、常識がないことを自覚すらしていないのがダメダメ家庭というもの。
だから、ダメダメ家庭の子供は、親の非常識な姿に特に疑問を抱くことなく、日常的に接することになってしまう。

また、ダメダメ家庭を作る親は、自分たちの流儀が「ふつう」とされるような環境を求めることになる。つまり、ダメダメ家庭の周囲はやっぱりダメダメになっているわけ。
だから、ダメダメ家庭の子供としては、自分たちの家庭の近所からも一般社会常識を習得することが難しい。

マトモな社会における一般社会常識と、ダメダメ家庭の子供がなじんでいる自分たちの身近な流儀とあまりに違ってしまうと、どちらかがフィクションと言えるくらいになってしまう。だからダメダメ家庭の子供にしてみれば、マトモな社会における常識は、書物やテレビの中だけで成立しているフィクションの世界であり、このサイトで様々に言及している素っ頓狂なダメダメな流儀こそが一般社会常識となっている。

だって、ダメダメ家庭の常識は日常的に見ていて、マトモ家庭の常識はテレビや本の中で見るものなんですからね。
子供がヘタにマトモな社会常識をもとに行動すると、「コイツは現実と虚構を混同している!」と、叱られるだけ。
何回も書きますが、ダメダメ家庭においては、マトモな社会常識こそが虚構となっているわけです。
そんな環境の中で、子供としては、どうやってマトモな社会の一般社会常識を習得していくの?

幼少時において、家庭から一般常識を伝達されなかった人間は、自分自身で社会の常識を獲得する必要があります。
ダメダメ家庭出身者は、多少年齢が上がってくると、「自分が家庭から受けてきた常識は、マトモな一般社会の常識とは違っているのではないか?」と考えたりしますよね?
そうなると周囲の人間を常に観察し、自分の行動を常にチェックする必要があるでしょ?

そして、周囲の人の行動が、自分の流儀とは異なっている場合には、それが単にその観察対象の人の個人的趣味の上での行動なのか?そちらが世間一般の常識とされているものなのか?常に考察する必要があるわけです。だからこそ、ダメダメ家庭出身者ならではの、必死になって周囲をうかがう姿勢になってしまう。

しかし、本来は「何も考えずにできる。」からこそ常識というものでしょ?
しかし、常識を伝承されてこなかったダメダメ家庭出身者は、その常識というものを最大限の観察をもって習得し、遂行することになる。

常識的な行動というものは、「して当たり前」であるがゆえに、そこから外れると多大な評価ダウンとなるもの。
確かに人間は、常識を家庭から得ていなくても、その後の観察によって習得できるものです。しかし、そのように必死で周囲を観察している状態だったら、その観察のために多大な精神的エネルギーを使うことになってしまうでしょ?

別の言い方をすると、ダメダメ家庭出身者にしてみれば、自分の育ったダメダメな常識は母国語のようなもの。
そして、マトモな社会の常識は、外国語のようなもの。
努力して外国語をしゃべれるようになっても、母国語のように自然とはいかないでしょ?
常に神経を使うことになってしまうでしょ?
アメリカで育った人が英語で会話する精神的なエネルギーと、日本で育った日本人が英語で会話する精神的なエネルギーは、全然別物ですよ。

人間の総体的な精神的エネルギーは、すべての人でそれほど差があるわけではありませんよね?
常識的な行動の遂行のために精神的なエネルギーを消費するような人は、常識的な行動を意識せずに遂行できる人とは、違った結果をもたらすものです。
あるいは、その精神的なエネルギーを使い果たして、うつ病になってしまったりする。
あるいは、とにもかくにも人に合わせてばかりの人間になってしまう。その常識の背景となっている人々の考え方まで考えている余裕もなく、外見的な形を必死でまねすることになるわけです。

一般常識が欠けているがゆえに、周囲の人の言動に必死に合わせている行為をダメダメ人間はなんと表現するの?
そう!「ふ・つ・う」ですよね?
ダメダメ家庭にしてみれば、「ふつう」という言葉をあえて持ち出す背景には、非常識があるわけです。
それだけ、一般社会常識が「身になっていない」わけです。
だからこそ、声を大にして「ふつう」と主張することになる。

一般常識という法律で規定されていない情報は、規定されていないがゆえに、意外と個人差があるものです。だって、そのような常識を習得する社会システムがありませんからね・・・学校で学ぶわけでもなし・・・

ダメダメ家庭では子供に一般常識を伝達しない。
このことは法律上は問題とないでしょ?親が罰せられるわけではない。
しかし、常識的な行動遂行のために精神的エネルギーが消費されてしまったら、燃え尽きた精神の人間がどうなるのかなんて、言うまでもないでしょ?

一般社会常識というものは、本来は家庭の側が子供に伝えるものでしょ?
しかし、ダメダメ家庭においては、子供の側が学習するものとの位置づけになっている。
だから、子供がその常識の問題で周囲とトラブルになると、それは子供に対し常識を与えなかった親の問題ではなく、社会から常識を学習していない子供の問題になってしまうわけ。だからこそ、子供がますます抱え込み、ストレスが蓄積されてしまうことになる。
しかし、ダメダメ家庭においては、社会常識は親からではなく、周囲から習得するという形にならざるを得ない。だからこそ、ダメダメ家庭出身者は「ふつうの家庭を築きたい。」という文言を持ち出すことになる。

本来は、「ふつうの家庭を築きたい。」という言葉ではなく、「自分の親のような家庭を築きたい。」というのがスジというもの。
しかし、親から何かを習得し、参考にするということが現実的に難しいダメダメ家庭の子供としては、「周囲の人を参考にする。」という方法を取るしかない。
だからこそ、「ふつうの家庭を築きたい。」という文言にならざるを得ないわけです。
それだけ、自分の出身家庭が見本にならないということなんですね。

もし、自分の親が手本に値するものではないのなら、その点について、もっと考える必要があるでしょ?何と言っても、自分の出身家庭の流儀は、その人にとっても「なじみ」のものなんだから、何も考えないと、その流儀を踏襲するだけになってしまいますよ。

「自分の出身家庭は、自分の行動の見本としてはどうだったのか?」
その点について、自分なりに考える必要があるわけです。
しかし、そのようなことは、「自分の親に迷惑をかける」ことになり却下してしまう。
だからこそ、「ふつうの家庭を築きたい。」という「ふつうならざる」目標を掲げて、突っ走ってしまう。
別のところでも書いていますが、「ふつうの家庭を築きたい。」という目標を掲げる時点で、もはや「ふつう」ではなくなっていますよ。

しかし、ダメダメ家庭の子供としては、自分の親ではなく、周囲から常識を得るという習慣なんだから、そんな文言になってしまうわけです。
逆に言うと、「ふつうの家庭を築きたい。」という文言を持ち出す人の出身家庭は、子供にとって何も見本にならないダメダメ家庭ということなんですね。
出身家庭は、当人が一番よく知っている家庭といえます。出身家庭について、その人なりに考えないから、結局は、出身家庭の流儀で行動して、トラブルとなってしまう。

一般社会常識の問題でトラブルになった場合には、子供はどうすればいいの?
そもそも親には常識がない。だから親に相談しても意味はない。
それに、子育てに対して当事者意識がないダメダメ家庭の親は、子供からの相談なんて受け付けない。
おまけにダメダメ家庭の人間は、相談の仕方がわからないし、周囲にも相談相手がいない

だから、常識の欠如によって以前にやってしまった失敗の影響が、いつまで経っても解消しない。
だから、子供がますます追い込まれてしまう。
こうなると、それこそ引き籠るしかないでしょ?

あるいは、常識が必要とされない世界に行こうとすることもある。
非常識が許される世界となると「ぶっとんだ」人がいっぱいいる芸術分野ならまだいいでしょう。そんなパターン以外だと、外国に出かけてその場の常識を新たに習得する人もいたりする。
それこそ、映画「マイ・フェア・レイディ」では、母国語のなまりがひどいので、外国語しか話さないことで対処するというパターンもあったでしょ?

「自分に日本の社会常識がないのなら、別の常識の世界にいけばいいじゃないか。」
それこそ、「被害感情ばかり叫んでいる人たちとだったら、自分の常識との齟齬も小さいんじゃないか?」
そのように考えるのは、ある意味において自然でしょう。
しかし、常識の種類はともかく、そして、その欠如の問題はともかく、常識を子供に伝えない家庭の出身者という問題は残ったままでしょ?

あるいは、国内,海外を問わず、いわば「恵んでアゲル」という立場を取ることによって、相手よりも上の序列を得て、それによって、自身の常識の欠如を指摘「させない」ようにする方法もありますよね?このサイトで頻繁に言及しておりますボランティアの連中がそのパターンと言えます。相手がいくら非常識な人でも、その人から、何がしかを恵んでもらっているのなら、その人に対しては文句は言えませんよ。
だから、非常識な人も、安心して、非常識街道を驀進できる。

しかし、立場によって、とりあえず問題が見えないようにしているだけで、その人が常識とは無縁であるという問題には何も対処していない。だからこそ、トラブルになってしまう。それこそ、たまに介護とかの現場で、介護されている側が逆襲にでるような事例もあったりするでしょ?
非常識な人に介護をされても、介護される側も、不快ですよ。

先日のイラク人質事件のご家族も、被害者となった自分の子供に対して一般常識を伝承していないのは歴然でした。だって、人質にならなかったご兄弟も非常識だったわけですので、親が伝承していないことは確実です。

恵むことによって立場を得て、相手の側から非常識を指摘されないようにする・・・そんな習慣を持っているがゆえに、そんな人は、覚悟もなく親になってしまう。
そんな家庭の子供としては、親の非常識を指摘できませんよ。まさに、その親が子供時代にそうであったように。

社会においては、常識というものを、学ぶ場所がない。そのシステムもない。
だから、親が子供に伝承しなければ、子供はイラク事件のような非常識状態になっちゃうんですね。
「常識を体系的に学ぶことができる社会システムはない。」それゆえに、「常識の欠如した家庭で育ったら、その欠如が連鎖する。」ことになる。

このことは「一般常識」と言えるほどには、皆が分かっているわけではない。
だからこそ、問題が深刻化するわけです。

(終了)
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発信後記

このメルマガは3つのマガジンから発行しています。それぞれに購読者の特徴があるようです。
前回のお題で、メルマガ天国だけかなり購読者が減少いたしました。
中心となったお題の「苦労自慢」の内容よりも、イラク人質事件についての話に抵抗があったのでは?

しかし、あの人たちをマトモと思うような感性だと、自分たちもダメダメ家庭を作っちゃいますよ。
R.10/12/26