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カテゴリー ダメダメ家庭が持っている発想
配信日 04年12月13日 (10年9月22日 記述を追加)
タイトル スグにカテゴライズする
何回も書いていますが、ダメダメ家庭ではコミュニケーション能力が低い。人の話を聞く能力が低いし、自分の考えを伝える能力が低い。そもそも自分自身で考えることから逃避しているんだから、コミュニケーションの能力というよりも、意欲の次元からしてないわけ。
だから、やり取りにおいて、相互理解に到達することはない。
事前にわかっていたことを、自分なりに確認するだけ。

そのような一例として、相手の人格そのものや、相手の見解なり、相手との会話の内容をやたらカテゴライズしたがるんですね。
人の発想や言葉や立場を、やたら分類したがるわけ。
そして、勝手に分類して、レッテルを貼り付けて、勝手に分かった気になって、もう考えない。

それこそ、
右翼とか左翼とか、
敵と味方とか、
生まれた星座とか、
勿論、血液型とか、
以前に取り上げましたが「地縁や血縁を重んじる」ということも、このような人間のカテゴライズの一環と言えます。

だから、そのような人と話をしていると、やたら分類が出てくるんですね。
まあ、人間の発想を理解するために、何がしかの「目印」のようなものを利用することもあるでしょう。

しかし、人間というものは、まさに人間の数だけ考え方や価値観がありますよね?絵に描いたような右翼とか、完全無欠の左翼なんて存在するの?

しかし、コミュニケーション能力が低い人は、人の話を聞く能力も低い。
あるいは、コミュニケーション能力の問題だけでなく、日頃からの問題意識が欠如しているので、人の話を聞いて「ピンっ!」と来るようなこともない
問題意識があれば、まさに砂に水が吸い込むように理解できるわけですが、舗装状態だったら、いくら水を撒いても流れてしまうだけですよ。

相手の語っている内容を理解できないので、どうしても自分が持っている分類に当てはめることになる。
「おお!左翼的発想だ!」
「ああ、典型的なてんびん座の感情ね!!」
そんな言葉は、さながら舗装した道路に降った雨が、脇の側溝に流れただけのようなもの。

まあ、会話のどこかにそのようなカテゴリー分類的な考えを持つこともあるでしょう。しかしダメダメな所以は、そのような会話の最後に分類が登場することではないんですね。会話の最初に人を分類してしまうわけです。そして、自分の頭の中での分類が完成してしまったら、もう人の話は聞いてはいない。

その人に対して語った側の人は、色々と説明した挙句に、結局は「左翼」とか「右翼」とか分類されただけになってしまう。これでは、話をするのもイヤになってしまいますよね?
だいたいにおいて、そんな分類に意味があるの?

人間が人間として価値があるのは、その分類じゃないでしょ?
一般的には人はそう思っているわけです。だから相手に自分自身の意見を言ったりするわけでしょ?そうでなかったら「私は左翼です!」でOKですもの。面倒がなくてラク。

本来は人間一人一人に多様な考え方があるわけでしょ?そのような人それぞれのパーソナリティの違いこそが楽しいんじゃないの?
だから会話の最初に人間を分類してしまうような人に対しては、人は会話する意欲をなくしてしまうんですね。

結局は、そんな人に対しては、当たり障りの無い内容で時間をつぶすだけ。
だって会話しても意味がないんだもの。色々と説明しても分類されるだけ。
そして、その分類とやらも、当人の問題意識とは無縁の傍観者的なもの。

こうなると、ダメダメ家庭の人間に対しては、ますます本音の会話がなされないことになるわけ。話しかけてくる側からして熱意がない状態なので、結局は、よりいっそう人の話を聞かなくなってしまい、ますます、人を分類しただけで、相手についてわかった気分になってしまうんですね。

実際の会話においても、あるいは、インターネットの掲示板のような世界においても、そのような分類の用語が多く飛び交っている場所は、ダメダメ家庭出身者が多くいる世界と言えるでしょ?
人の意見をありのままに、あるいは人間そのものをありのままに認めるようなことができずに、分類しただけで、理解した気分になっている。

典型的な事例としては、私も「レクチャー?」を受けたことがありますが、関西人が関西人をカテゴリーで語る事例です。
「大阪人は○○、京都人は△△、奈良は□□、兵庫は☆☆・・・・」などと色々と分類し説明するわけ。本人は「いかに関西が多様か!」と主張しているのかもしれませんが、マトモな感性を持った人には呆れられてしまう内容でしょ?

だって、大阪人とか京都人が問題ではなく、今話題になっている「その人」がどんな人なのか?そのことが重要でしょ?そんな分類してどうなるの?地域の多様性ではなく、人間一人ひとりの多様性が豊かであることが重要じゃないの?
つまり人を分類しただけで分かった気になっている人間は、個々の人間とはマトモには会話していないことがわかるわけです。そんな人は親になっても、子供の話だって聞いていないわけですね。
そんな分類を自慢気に表明する人がいたりする関西で、児童虐待が頻発するわけですよ。

面白いことに、このような出身地で分類してわかった気になる・・・そんなダメダメ人間は、勿論のこと、関西の人だけではありません。かなり前ですが、私もビックリしたことがあります。
以前のことになりますが、駅で座っていたら、隣のオッサンに尋ねられました。

「なあ、これって、どう読むの?」と新聞を見せられたわけ。
指先の紙面には「滋賀」と書いてありましたから、
「これは『しが』と読むんですよ。」と答えると、
「そうかぁ・・・『しが』かぁ・・・じゃあ、ダメだな・・・」とかおっしゃっていました。

どうやらスポーツ新聞の競輪欄を読んでいて、読めない字があって私に聞いたようです。
まあ、それはそれとして・・・
しかし、「滋賀」という字を読めないのはともかく、競輪選手の出身地なんて意味あるの?競輪なんてペダルをこいで競っているわけでしょ?まあ、競技者の間の駆け引きもあるでしょうが・・・
しかし、どうやら競輪の世界では、選手の出身地が、検討材料として重視されるようです。

「ダメダメ家庭では地縁、血縁に拘る」というタイトルの文章に書いておりますが、ダメダメ人間は会話ができないため、会話の前から存在する結びつきである地縁、血縁に拘らざるを得ないわけです。韓国で学歴が偏重されるのも同じ理由なんでしょうね。結局は会話ができない人というわけです。

そのような地縁を重視するダメダメ人間の思考に対応して、競輪の世界では選手の出身地が重視されるのでは?
だって、地縁ではなく、血縁を重視するものもあるじゃないですか?
そう!競馬です。
ギャンブルがいいとか悪いとかは別として、あの手のギャンブルはやっぱり「分類することが好きな」ダメダメ人間にフィットするようにできているんでしょうね。

ちなみに、今テレビでは「血液型で人を分類」する番組が多くあるそうです。
私はそんな番組は見ませんのでわかりませんが、その手の番組に対して「子供に悪影響だ!」なんて、いつものセリフが出て来ているそう。
「大人はそれがネタであることがわかるが、子供はわからない!」「だから子供に悪影響だ!」「イジメにつながる!」

いかにも「自分は人権派だ!」と言った感じの人が、集まって問題にしていました。
しかし、少なくとも「大人はそれがネタであることがわかる。」わけでしょ?
そんなテレビ番組を見て、その内容を信じ込んでいる子供は、一人暮らしの小学生なの?

そんなテレビ番組を見た後で、学校において子供同士で話をすると同時に、家庭で食卓の会話に上るんじゃないの?
その点はどうなっているのかな?親が子供に説明すればいいじゃないの?どうしてもダメだと思う内容なら、そんな番組は、まずもって子供に見せないことが重要でしょ?

つまり、子供同士で、「血液型分類」が定説化する状況は、背景となっている家庭がダメダメであることを示しているわけですね。

そんなテレビ番組があるから、子供のイジメになるのではなく、そもそもそんな「カテゴライズしたがる」ダメダメな環境だからこそ、ちょっとの理由でイジメが発生するわけ。
トラブルを認識する際には、シリアル形式ではなく、同じ土壌から発生したものというパラレル形式で見た方が理解しやすいわけ。
しかし、現実認識から逃避しているがゆえに、たまたま目立つきっかけにすべての原因を押し付けてしまう。

アルベール・カミュの小説「異邦人」でのムルソーが「太陽がまぶしかったから・・・」ということで、殺人を犯すようなもの。
それは単なるきっかけであって、理由ではないわけ。
「血液型分類」によって引き起こされた事件とやらも、そんな程度の分類の話で、火が付くくらいの「人の話を聞かない人たち」の地域であることが原因となっているわけです。

この手のカテゴリー分類にこだわる人自身は、帰属意識がなかったりするもの。
分類したカテゴリーへの所属はあっても、帰属はないわけ。

このサイトでは、ダメダメ家庭の問題を考えるにあたって、「似て非なるもの」に注目すると理解しやすいと頻繁に書いております。
地縁にせよ、血縁にせよ、あるいは血液型にせよ、そのような分類は単なるカテゴリー分類であって、帰属とは言えない。

別のところでも書いていますが、帰属意識というものは、当人の判断があった上で、その集団に帰属しているがゆえに持つ意識でしょ?ところが、判断の場から逃避するダメダメ人間は、それゆえに、帰属意識そのものがない。
自分が結婚し、親となって作った家庭に対しても、帰属意識もなく、単に所属しているだけの認識となっている。
人の分類においても、その人の帰属意識に目を向け、その意識を向けている対象によって、そのメンバーを分類するのなら、それなりの意味はあるでしょう。

ダメダメ人間は、帰属意識がなく、カテゴリー分類だけであり、逆に言うと、カテゴリー分類を議論することにより、帰属の問題が霧散してしまう。
どこにも帰属しない人たちであるがゆえに、カテゴリー分類で口角泡を飛ばす。
その手の人にしてみれば、それが判断とは無縁の分類であるがゆえに、そのような分類は考慮に値する・・・そのようになっているわけです。
逆に言うと、それだけ、その人による判断などには何の意味もない・・・そのように当人自身で言っているようなものなんですね。

(終了)
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発信後記

以前配信した「お題」で、ダメダメ家庭出身者は、親からのサポートが全く期待できないので、「トラブルを全部自分で解決しなければならない!」という切羽詰った心情で育ってしまい、クレーマーになってしまう例があると書きました。どうしても過剰防衛になるわけです。

その折に現在の代表例として、大阪の島田伸助事件を取り上げました。被害者の女性は「着地点も考えずにクレームで突っ走る」典型的なクレーマー状態と申し上げました。
あの女性本人に悪気はないでしょうが、自分自身の状況を悪くしているだけですよね?

何でも現在では「島田伸助氏の引退」を主張しているそう。
まあ、私はその手の番組は見ませんので、島田氏が引退されても残念に思いませんが・・・
ただそんなことをしても、「被害者の女性」は何のトクがあるの?

不思議なのは、その女性の周囲の人です。
もし、このメールマガジンをご購読されている方の、ご友人が、あそこまでクレームで突っ走ったら、「もういい加減にしたら!」と忠告するでしょ?
あるいは、自分の子供があそこまで突っ走ったら「もう止めなさい!」と強く言うでしょ?

「やれ!やれ!もっと、やれ!」なんて囃し立てるようなことはしないでしょ?あの女性のことを本当に思っているのなら、絶対に止めさせますよね?
あの事件の・・・というか、あの女性の問題は、「そこ」なんですね。
周囲の人・・・特に実家がダメダメなので、問題の解決能力がないわけ。だからこそ「自分自身ですべて解決!」なんて追い込まれた状況になってしまって、クレーマーになってしまう。

本当の問題は、芸能人ではないわけ。ただ、「自分の親は心理的にアンタッチャブル」なので、トラブルの要因をすべて他に押し付けてしまうわけです。
結局、自分自身から目をそらしているわけですね。
クレーマーも度が過ぎると、牛丼屋さんへのクレーマーのように殺されちゃいますよ。
R.10/9/22