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カテゴリー | 「入れ込み」「入れ込まれ」問題 | |
配信日 | 05年12月14日 | |
タイトル | 「入れ込み」「入れ込まれ」の補足 |
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先日(05年)、京都で、いたましい事件が起きました。 塾の講師が、生徒である小学校6年の女の子を殺害した事件です。 このメールマガジンでは、このような「顔見知り」同士による残虐性を持つ事件は、「入れ込み」「入れ込まれ」の関係がこじれた結果であるとして、書いたりしています。 多くの事件は、実際にそのような観点から見ると、理解しやすいでしょ? ただ、今回の京都の事件は、単純な「入れ込み」「入れ込まれ」とは言いがたい。 しかし、犯人の大学生の行動を理解するには、少なくとも「入れ込み」はあったことは確実でしょう。しかし、一方的な「入れ込み」のようです。 たまに、「入れ込み」「入れ込まれ」について、この私に対しご質問される方もいらっしゃいます。 まあ、一般の方にしてみれば無縁のものでしょうしね。 ということで、今回のメールマガジンでは、今回の京都の事件を踏まえ、ダメダメ家庭の事件によく出てくる、この「入れ込み」「入れ込まれ」について、補足説明をしてみたいと思っています。 この「入れ込み」「入れ込まれ」という感情を、別の言葉で表現すると、こうなります。 「アナタのことは、ワタシが一番わかってあげられる。」「ワタシのことは、アナタが一番わかってくれる。」 「入れ込み」「入れ込まれ」の背景にあるのは、『自分たちは周囲から理解されていない、が、アナタはワタシを理解し、ワタシはアナタを理解している。』 そんな感情なんですね。一番の理解者という認定がないと、「入れ込み」「入れ込まれ」は存在しないわけ。一番の理解者と認定しているから、自分の近くに置きたがる。逃げようとするのを許さない。 それこそ、長崎の小学6年生による事件なんて、その典型でしたよね? だから、この「入れ込み」「入れ込まれ」が発生するのは、基本的に同格の間柄となります。 子供同士なり、大人同士で発生するわけ。 子供が大人に入れ込むことなんてありません。 だって、「(あの大人は)ワタシのことを誰よりもわかってくれる。」と思うことは可能ですが、「(子供である)ワタシは、あの大人のことを誰よりもわかってあげられる。」なんて思えないでしょ?まあ、高校生くらいになると、恋に恋した挙句そのような感情を持つことはあるかもしれません。しかし、中学生以下だったら無理ですよ。基本的には「入れ込む」対象は、自分が理解できる範囲の人間になるわけ。 大人が特定の子供に異常になつかれるケースは、過剰に頼られているわけです。「自分の親は全く頼りにならない!」そんな不安感が元になっているわけ。だから、入れ込まれているわけではありません。勿論、その過剰に頼ってくる子供の家庭がダメダメ家庭であることは同じですが。 子供が大人に入れ込むことはありませんが、大人が子供に入れ込むケースは存在します。 しかし、このようなケースは親子関係に限定されます。 そもそもダメダメ家庭は会話不全の家庭であり、会話によって、自分の「縁」を広げていくことができないわけ。そんな会話不全の大人が、赤の他人の子供とコミュニケートすることなんてできないでしょ?どうしても、会話なしに成立している「縁」に頼らなければならないことになってしまう。 親子関係というものは一般的には会話なし存在している縁でしょ?会話不全のダメダメな親はどうしても、親子関係に拘らないといけないわけ。子供に対し「ワタシのことをわかってくれるのは、この子供だけ!」と思い込み、そして「この子のことは親であるワタシが一番わかっているんだ!」となる。 この「この子のことはワタシが一番わかっているんだ!」という言葉は以前に取り上げました。神奈川県で起きた事件において、「被害者とされる側」の親がそんなことを言っていました。まあ、そんな親だからこそ子供が事件に巻き込まれるわけですが、被害者意識だけがあるダメダメな親は事件前は何もせず、事件が起こると大騒ぎするだけなんですね。また、女子ゴルフで自分の娘にストーキングしている父親がいましたが、やっぱりこの心理なんですね。 ということで、大人が子供に「入れ込む」ケースは親子関係に限定されるわけです。赤の他人などとは、そもそもマトモにコミュニケートできないわけですから、大の大人が「あの○○ちゃんは私の一番の理解者だわ!」なんて、色々な意味で思いようがないわけ。 「入れ込む」「入れ込まれ」という発想の元は、「一番の理解者!」という認定であり、その根底にあるのは「同病相哀れむ」感情です。お互いが同じ病気だから、一番の理解者と認定されるわけ。 「入れ込み」「入れ込まれ」が成立するためには、このような前提があるわけです。 「のべつ幕なし」に「入れ込み」なんて起きませんよ。 さて、今回の京都の事件ですが、このような「入れ込み」感情の前提を思い出すと、逆に理解できにくい。大人が子供に入れ込むことなんてありません。まがりなりにも大学生が、小学生に対し「この子がオレの一番の理解者!」なんて思えようがないでしょ?以前から知り合いだったというわけではないのですから、その生徒に異常に執着する理由がわかりにくい。今回の事件の被害者の女の子が、犯人の大学生と「同病」というわけではないでしょう。しかし、犯人の大学生の行動そのものは、「入れ込み」に基づく行動の典型と言えます。長崎の事件と殺害のスタイルが似ていますよね?他の女の子に対しても悪さをしたようですが、拒否されるとそれっきりのようです。しかし、今回の事件の女の子に対しては、「行くところまで行った」わけ。 「オマエの一番の理解者であるオレの元を去ってゆくのか!」「そんなことは許さない!」 そんなところでしょ? 犯人の大学生がダメダメ家庭の人間であることはスグにわかりますよね? 何でも、その学生は女性のお財布を盗もうとした前科があるとか。 別に「食うや食わずの生活」をしていたわけではないのですから、金銭的な意味ではなく、精神的な意味でお金に対するこだわりがあるわけです。 たぶん、その犯人の親は、日頃からこんなことを言っていたんでしょうね。 「あ〜あ、オマエが私立大学に行ってしまうから、お金がかかってしょうがない!」 自分の目の前でこんなグチを言われたら、そりゃ強盗だってしますよ。 自分の学費は自分で稼ぐ必要があるわけですからね。それに当然のこととして、普段から自分の親がそんなグチばかりだったら、子供の精神はいつも切羽詰った状態でしょ? 当然のこととして事件だって起こしますよ。 もし、その大学生に「子供への性的な興味」があるのなら、何も顔見知りの子供を襲ったりはしないでしょ?顔を知られているんだから、バレちゃうでしょ?見知らぬ子供で十分じゃないの? そのように考えを進めて行くと、この事件は、単純ではないことがわかるわけ。 性的な嗜好でもなく、単純な「入れ込み」でもない。 そもそも特定の生徒が気に入らなければ、そんな生徒は無視すればいいだけ。どうせバイトでしょ?所詮「オ・シ・ゴ・ト」ですよ。淡々と授業を進めればいいだけでしょ?どうして無視しなかったの?無視した方が、お互いが上手く行くわけでしょ? だからこの事件は、何か「ミッシング・リンク」を想定しないと理解できないんですね。 ここまでの推論は、スムーズにできる。しかし、じゃあ、そのミッシング・リンクは具体的に何でしょうか?さすがの私も、ちょっと難しい。 唯一考えられるのは、その大学生が、かつて、とある女の子と「入れ込み」「入れ込まれ」の修羅場を展開し、それが精神的に清算できていない可能性です。 犯人の大学生は、あのような人なんだから、以前にも人に入れ込んだことがあったはずです。かつて、同年代の女の子と「入れ込み」「入れ込まれ」の関係に陥ったわけ。その関係はなんとなく終わったけど、その心のモヤモヤが残っている。もし、かつて入れ込んだ女の子と、今回の事件の被害者の女の子の容姿が似ていたら? そうなると、今回の小学生を見るたびに、かつての「入れ込み」「入れ込まれ」の修羅場を思い出さざるを得ないでしょ?当然のこととして冷静ではいられませんよ。しかし、生徒の方だってそんな逆上気味の人間なんて相手にしたくはないでしょ? そうなると大学生の方も「アイツは、(前回と同じように)、またオレの元を去って行くのか!?」と思いつめる。そんな感情になってしまうと、今回の事件の犯行スタイルだって理解できるものです。 あの大学生は実家に住んでいますよね?まあ、実家から通える大学ということなんでしょう。やっぱりお金に厳しい家庭環境が見えてくるわけ。本当は「自分の家庭はダメダメ家庭なんだ!」と自覚して、実家から離れればよかったのでしょうが、そのような問題から目を逸らしていたんでしょうね。 そして、かつての「入れ込み」「入れ込まれ」の関係からも、目を逸らして、なんとなく、考えないようにしているだけ。そんな心の弱い人間に、かつて「入れ込んだ」女の子とよく似た容姿の女の子が現れた。 そのように仮説を建てると、実に理解できるでしょ? まあ、私の仮説と同じことを言ったりする、識者さんは出てこないでしょう。 というか、私の推論はケタというか次元が違っていますからね。 それに何回も書いていますが、ダメダメ家庭の問題を考える際には、「何が言われているのか?」ではなく「何が言われていないか?」から考える必要があるわけ。当事者が、そう簡単に問題の本質を言うわけがありませんよ。だって、そんな自分の問題から目を逸らしていたからこそ、「行くところまで行った」わけですからね。 長崎の事件においては、動機が非常に理解しやすい。だから、防ぐことはその気になれば簡単でした。 しかし、今回の京都の事件は、被害者が「入れ込まれる」理由が被害者本人とは無関係なので、なんともしようがない。ただ、犯人の大学生が持っていた、その生徒への執着を察知した時点で、その大学生の過去の問題も考える必要があるわけ。 現在の理由ではなく、過去の理由で「入れ込んで」いる。そんなケースもあるわけです。 購読者の方にも「この人を見ていると、昔、付き合っていたあの人を思い出す。」なんてあったりするものでしょ? それが単に、ちょっとした過去の恋愛だったら、笑って済む話ですが、それが「入れ込み」「入れ込まれ」の間柄だったのなら、次には新たな修羅場が再現されるわけです。 今回の京都の事件がそうだとは確証を持って言うことはできませんが、そのようなことも現実にあったりするものですよね? (終了) *************************************************** 発信後記 今回のお題での仮説は、ドラマの台本にでも使えそうな話でした。 しかし、このように仮説を建てると、スムーズに理解できるでしょ? 私はオカルト的な霊感などは全然ありませんが、芸術的な直観力はあるんでしょうね。 前回の配信でデ・ニーロ主演の映画で触れましたが、現実の物事をしっかり見ると、実に多くの情報が得られるもの。そして、そうやって得られた多くの情報をつなぎとめる結節点のようなものがあるわけ。 一般の人は、そもそも物事をしっかり見ないので、多くの情報が得られない。少ない情報で考えるから、無意味な結論になってしまう。 まあ、私の仮説が「あまりに文芸的」ということは、確かでしょうが。 ただ自信はありますよ。 |
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R.10/11/27 |