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カテゴリー | ダメダメ家庭の序列意識 | |
配信日 | 07年10月26日 | |
タイトル | 序列の切れ目は縁の切れ目 | |
よく言う物言いに「金の切れ目は縁の切れ目」なんて言葉がありますよね? 「アイツとはお金だけの関係だよ!お金が儲かりそうだから、その間は付き合っているけど、そうでなくなったら、アイツなんてオサラバさっ!」 まあ、ドライと言えば、ドライですが、そんな考え方もあるでしょう。 すべての人に対して、「人間関係はお金だけ」という考え方だったら、あまりに寂しいでしょう。しかし、個別のケースとして「アイツとは、お金だけの付き合い。」ということなら、また別でしょ? 相手をする人間だって、色々とレヴェルがありますよ。お金だけの付き合いの人もいれば、もっと深い付き合いをする人もいる。重要なことは、「自分がどんな人間で、何をしたいのか?」自分でもわかっていればいいわけでしょ? さて、ダメダメ人間は、当事者意識がなく、だから、この「自分がどんな人間で、何をしたいのか?」そのことが自分でもわかっていない。「自分が何をしたいのか?」がわかっていない人間は、それを実現するために行動することはないので、当然のこととして会話の能力も低い。そんな人間は、序列意識が強くなるものです。 序列の中にあって、上からの命令には服従し、下のものには命令を下す・・・そんなコミュニケーションしか存在しないわけ。同格とか対等の間柄において、「自分の考えを相手にわかりやすく伝え、相手の言葉を真摯に聞く。」そんな態度ではないわけ。 そんな序列意識の強いダメダメ人間の発想は、「金の切れ目は縁の切れ目」ではなく、「『序列』の切れ目は縁の切れ目」なんですね。特に自分より上の序列のものに対しての態度に、そんな傾向があったりするわけ。 実に典型的だなぁ・・・と思わされたのが、以前より話題になっているボクシングの亀田親子です。 亀田親子が大阪でボクシングを習っていた時は、親子ともども、素直でいい人だったとか・・・ボクシング・ジムの指導者にも挨拶はきちんとしているし、感謝の気持ちも持っていた・・・それなのに東京に行ったら、100%変わってしまった・・・あれほど尊敬していたジムの会長がお亡くなりになったときにもお葬式にも来ない。 『ああ!本当にどうしてこんなに変わってしまったんだろう?!』 ジムの会長の奥さんが、そんな感じで嘆いていました。 ・・・しかし、人間というものは、たった数年でそんなにも変わりませんよ。 大阪において、ジムでの指導者に尊敬の念を持っていた・・・というのは、そのオバチャンの誤解なんですね。亀田親子は、自分より上の序列のものにヘーコラしていただけ。 ただ単にヘーコラしていただけなんだから、いったん、その序列関係から外れてしまうと、無関係な人になってしまう。イヤ!無関係と言うより、「かつては自分より上の序列として、自分を支配していた、鬱陶しいヤツ。」あるいは「かつて自分を抑圧していた存在。」そんな認定に変化してしまうわけ。 だから、尊敬どころか憎悪になってしまうわけ。 だから、お葬式にも来ない。 序列意識にあまり縁がない人は、ダメダメ家庭の人間が持っている「人間関係において序列を基本とする」という発想にピンと来ない。だから上の序列のものに対するヘーコラを、尊敬と捉えてしまいやすい。 あるいは、「あの人は、腰の低い人だなぁ・・・」なんて「丁寧な人」と認定してしまう。 このような誤解は、基本となっている発想そのものが違っているんだから、まあ、しょうがないわけ。何も無理にダメダメな発想に合わせる必要もありませんし、理解する必要もありませんよ。 ただ、序列意識が強い人は、序列の中にいるときは、ヘーコラしていても、序列から外れると憎悪に転化してしまう・・・そんな危険性があるわけです。 自分のキャラクターとして人に丁寧だったり、自分の尊厳として相手に丁寧なのではなく、あるいは、相手に対する敬意を持って丁寧な行動をしていたわけではなく、序列意識からヘーコラしていただけなんだから、いざトラブルになると何をするかわからない。「腰の低い丁寧な人」どころか、危険人物なんですね。 序列意識が強い人は、自分で勝手に「あの人は自分より上の序列」と認定して、勝手にヘーコラしていて、後になって、「アイツは自分を抑圧していた!」なんて、勝手に敵認定して、報復することになる。その報復の手段も、堂々としたものではない。以前に書いた「ごまかし」のような方法を取るわけ。 インターネットの掲示板でのいやがらせとか、いたずら電話とかね。 あるいは、親同士の問題なのに、子供に対して報復するようなことをする。 ダメダメ人間は、個の確立が出来ていない。 そんな人は、どうしても序列の中に安住するようになる。 上のものには、ヘーコラ。 下のものには、居丈高。 序列とはまったく関係ない第3者に対しては、どう扱っていいのかわからない。 だから、できるだけ序列が通用するような領域を好むことになる。 ボクシングにおけるランキングなんて、まさに序列でしょ? 彼らには、そんな序列しか人間関係が存在しないわけ。序列が確定しない人に対しては、心理的な不安感を持ってしまって、それが攻撃性へと転化する。 だから、単に「縁が切れる」では済まない。 大阪のボクシング・ジムのオバチャンがそのようなことを理解できないのはしょうがありませんが、その手のダメダメ人間は、皆さんの周囲にも結構の割合でいたりするもの。 そんな人からヘーコラされた段階で、注意しないと、後々危険なことになったりするものなんですよ。 たとえば、以前に東京の文京区で起こったお受験殺人事件の心理を考えるにあたって、このような序列意識から来る攻撃性を理解しておくと理解しやすいわけです。あるいは、以前にも書きましたが滋賀県で起こった中国人妻による、幼稚園児の殺害事件も、この序列意識が関係あるわけです。 人からヘーコラされた段階で注意しておけば、あのような事件に巻き込まれることから回避できるわけです。 とは言え、「ヘーコラ」と「丁寧さ」の区別が付けられる人は、それほど多くはありません。ここではヘーコラなんて書いていますが、このメールマガジンでよく使う言葉だと「人に合わせすぎる」キャラクターといえます。 自分自身が何をしたいのかが自分でもわかっていないし、いざトラブルが起こってしまうと解決する能力がないので、とりあえず「波風が立たないように」「人に合わせておく」・・・ただそれだけになっている。 そんな人は、「で、結局は、アナタはどうしたいの?」なんて質問されると答えられない。 あるいは、ちょっと注意を受けると、何も考えずに「すいません。」などと、とりあえずの雰囲気で謝罪したりする。 序列意識からくるヘーコラというものは、そんな点からわかったりするもの。 序列意識は当事者意識の欠如と会話の不全が発現されたものですので、注意して会話することで判断できるものなんですね。そして、強い序列意識があるということは、別のダメダメ要素である被害者意識があると見て間違いがないでしょう。だから、勝手な理屈で『報復』することになる。 報復することで、「自分はコイツによる被害者なんだ!」と自分に確認する儀式とするわけ。 当事者意識がなく、「自分は何をしたいのか?」について、何も考えないが故に、その手の人は、自分自身の問題よりも、自分との関係性が重要になってくる。 頻繁に書いていますが、自分や相手という実体は従の位置づけになり、関係性が主の存在になるわけです。 序列においては、自分自身の存在や、相手方の存在そのものよりも、その序列関係だけが存在することになってしまう。 それこそ、同じような状況は、ストーカーとかクレーマーも同じ。 相手との肯定的な関係性だけが存在する状況になるとストーカーになるし、 相手との否定的な関係性だけが存在する状況になるとクレーマーになる。 関係性だけが存在しているので、自分自身や相手が死ぬことも厭わない。 そうして、過激な行動によって、その関係性を自分に確定させることになる。 序列の切れ目が縁の切れ目となるような人とは、そもそも縁を早めに切った方がいい。 しかし、その手の人が、その序列関係を強引に維持しようとすると、設定している序列関係にそぐわない現実の方を攻撃することになる。 関係性だけが存在する状況になった人は、単なるお騒がせ人間というよりも、実に危険な人間なんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 最近、例の亀田親子が話題になっていますので、それに関連したお題にいたしました。 前にも書いていますが、亀田親子の言動を非難するつもりは毛頭ありません。 ダメダメ家庭を理解するのに、序列意識をアタマに入れておくと、わかりやすい局面が多いというだけです。 実際、このような「序列の切れ目は、縁の切れ目」ということを体験なさった方もいらっしゃるでしょう。 いくら話題になっているといっても、あまり亀田親子関連だと飽きるでしょうから、次回は別の関連にする予定です。 やっぱり最近、よく問題になっているマターについての話題です。 「なっるほどねぇ・・・」と思っていただけると思うのですが・・・ |
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R.10/12/8 |