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カテゴリー | ダメダメ家庭が子供に与えない情報,スキル | |
配信日 | 08年4月16日 (10年5月21日,11年1月23日 記述を追加) | |
タイトル | 説明能力 | |
ダメダメ家庭は会話不全の家庭といえます。 相手の話を真摯に聞き、自分の考えを相手にわかりやすいように伝える・・・そんな発想を持っていない。 だから、当然のこととして、説明能力が不足することになる。 だって、そもそも「相手に分かりやすく伝える」という発想がないわけですし、それにダメダメ家庭の周囲には、手本となるような「説明能力のある」人なんて、いないわけですからね。 これで、どうやって説明能力が上達するの? こんなシーンを考えてみましょう。 子供2人が口ケンカしている。 双方の子供とも、顔を真っ赤に言い合っている。 大人がやってきて「アナタたち!止めなさい!いったいどうしたの?」 片方の子供が、『○○ちゃんはヒドイの!ヒドイの!ワタシは、なにも悪くないのよ!』 もう一方の子供が、「ボクが、△△ちゃんの服がちょっとヘンと言ったら、△△ちゃんが急に大声を上げだして・・・つい、ボクも声を上げちゃった。」 そんなシーンは現実にあったりしますよね? 子供だったら、説明能力が低いのもいたし方がない。 しかし、口ケンカの原因をちゃんと説明できれば、たとえ、その子に原因があっても、『この子は信頼に足る。』と評価を受けたりするものでしょ? だって、説明能力があるということは、別の観点でみれば、「説明すれば分かってくれる。」とも言えるわけですからね。 「ヒドイの!ヒドイの!ワタシは悪くないわ!」 ただそれだけの説明だったら、その時のケンカはともかく、次に同じような事態になった時には、その子供は信頼されませんよね? 『この子は・・・口では言わないけど、何かこの子にも問題があったんだろうな?』 そう想定するのが、大人の発想というもの。 「言わないから何もない。」と考えるのではなく、「言えないことをやっているのでは?」と、そこそこ知能がある大人は考えるものでしょ?まあ、アタマの出来の悪い大人ならば、そうは考えないのかもしれませんが。 その子供の周囲で、そんな口ケンカがあちこちで続いたりすると、「ワタシは何も悪くないのよ!」と主張するだけの子供に対しては、『もう、あの子には近づいちゃいけません。』なんて周囲からの評価になってしまう。 周囲から避けられるような状態になってしまうと、周囲を気にして、ますます自意識過剰気味になってしまって、ちょっとのことで逆上するようになってしまう。だから、ますます、そのものの言い方も、客観的な説明からかけ離れ、ひたすら「ワタシは悪くないのよ!」と感情的に連呼するばかり。 そんな子供が、そのまま大人になってしまったらどうなるの? 大人になっても、「ワタシは何も悪くはないのよ!」って、そんな感じでしか事態を説明できない人って、いますよね? だからと言って、周囲のマトモな人がその人を信頼したり、その「ワタシは悪くないのよ!」という言葉を信頼するか?というと、まったく逆でしょ? この私にも、色々なお便りがあったりしますが、問題を客観的に説明できる人と、「ワタシは何も悪くはないのよ!みんなアイツらが悪いのよ!」なんて調子の文章の人があったりします。 「ワタシは何も悪くはないのよ!」なんて、この私に言われてもねぇ・・・ 『いったい、この私にどうしてほしいの?』 そう思っちゃいますよね? 『アンタがそんな説明能力不足だから、問題も起きるんでしょ?』 そう考えるのは、この私だけではないはず。 以前にも書きましたが、トラブルになった際に、「どっちがいいか?悪いか?」を考えるのではなく、「いったい自分はどうしたいのか?」それから考えた方が、うまく行くんですね。そのためには、自分の希望を明確化するとともに、現状を客観的に説明する必要があるでしょ?相談相手に対しても、それに自分自身に対しても・・・ 自分自身の希望そのものがないダメダメ家庭の人間は、やり取りに当たっても、合意を取るという肯定を向いた形ではやり取りをしない。 むしろ、相手から反論されないようにという二重否定的な発想が先にたつことになる。 だからこそ、合意を得るために必要となる説明能力がないし、そもそも相手から合意を得ようとしていないので、自分に説明能力が不足しているということ、それ自体を自覚していない。 結果的に、相手から合意が得られるわけもなく、結局は、「どうして、分かってくれないんだ?!」と逆切れしたりする。 しかし、そんな人に対して、『じゃあ、アナタの何を分かればいいの?』と聞いても何も回答がないもの。逆に、「どうして、そんなことを聞くんだ?!」と更に逆上するだけ。 相手から合意を取るという発想自体を持っていなければ、説明能力なんて向上するわけがないでしょ?逆にいうと、説明能力が低い人は、相手の人格を認め、その相手との間で相互理解を達成し、合意を積み重ねていく発想そのものを持っていないわけです。 相手というものを認識できていないので、主観的な感情ばかりを連呼するだけ。 まさに「ワタシは悪くないのよ!」と叫ぶだけの小学生そのまま。 トラブルになっていない状況においても、主観的な感情を語るだけ。だから、そんな人の物言いには「〜思う。」なる物言いが多くなる。 その人がどのように思おうと、その人の勝手ですが、それを相手に伝えたいの? 言いたいのはいいとして、それを相手に分って欲しいの? 分って欲しいのなら、主観的な感情だけでなく、客観的な説明が必要でしょ? 逆に言うと、平時において、主観的な感情表現ばかりの人は、説明能力が低いわけです。 感想を語りたがる人ほど、客観的な説明能力がないものでしょ? 説明能力を必要としないということは、的確な説明をするために、物事を見ておく必要もない。客観的に説明できる人は、物事を客観的に見えているからできるわけでしょ? ちゃんとした説明能力がある人とは、話をしていても、楽しいもの。 何もギャグなどを言わなくても、会話が弾むものでしょ? だって、相互理解が深まったり、新しい知見と接することができれば、楽しいものですよ。 説明能力がない人とは、話をしていても楽しくない。だってそもそも何を言っているのかサッパリわからないんだから、やり取りをしていても途方に暮れるだけですよ。だから、マトモな人はそんな人からどんどん離れて行ってしまう。 結局は、周囲の人間のレヴェルが落ちてしまい、だからますますトラブルが起こるようになって、ますます「ワタシは悪くないのよ!」の一点張り。 あるいは、トラブルにおける状況説明だけでなく、普段のやり取りでもつまらない。 そんな人は、お互いの間に齟齬がない状態では楽しいおしゃべりはできる。ただ、そこには相互理解があるわけではなく、相違点がないという雰囲気を作っているだけ。 傍観者然とした感想を言っているだけで、相手に分って欲しいことはない。 あるいは、説明能力がない人は、相手から合意を取ることができないので、ちょっとしたやり取りにおいても、「命令」と「服従」の関係を構築しようとする。 つまり序列意識が強くなってしまう。 そして、「上の序列」から、問答無用で、「これをしろ!」「このように考えろ!」と命令するだけ。 そして、そんな「命令」でことが済んでしまうから、ますます説明能力を向上させる発想と無縁になってしまう。 説明能力が低い人ほど、序列意識が強かったりするでしょ? 逆に言うと、序列意識が強い人ほど、説明能力が低いものですよね? 相違点を認めた上で合意形成をする能力がないので、いったん相違点が発生してしまったら、対処ができず、相手をつるし上げるしかない。 個人の例ばかりではなく、それこそ韓国人が典型でしょ? もともと会話能力が低く、それに被害者意識が強いと、説明能力も上達しないし、向上させようとはしない。ただ「みんなはワタシのことを分かってくれない!」と被害者意識に浸るだけ。そうなると周囲の人間からして、同じ穴のムジナ状態になってしまうので、ますます説明能力が上達しない。 「どうして、ミンナはワタシのことを分かってくれないのっ?!」なんて、スグに嘆きの声を上げる人もいるわけですが、そんな嘆きの声を上げる人に限って、「分かってほしいこと」それ自体が明確ではないし、だからこそ、それを的確に説明できない。 嘆きのヴァリエーションだけは向上しても、事態の説明能力はまったく向上しない。 相手に対してちゃんと説明しようと言う意欲を持っている人だったら、「どうして分かってくれないの?」という大仰な嘆きの言葉ではなく、「どの点が分かりづらかったかな?」と聞くものでしょ?その質問に対する相手方の回答を踏まえ、補足説明すればいいだけですし、次からはその補足説明を取り込んだ形で説明していけば、やり取りも、よりスムーズになりますし、説明能力も向上するでしょ? やり取りの齟齬が発生した後になって、そんな質問も出てこない人だったら、その人の意向を無理に分かろうとしても、結局はトラブルになってしまうだけ。 最初に書きましたが、説明能力が高い人は、説明を理解する能力も高い。 逆に言うと、説明能力が低い人は、何を言っても、被害者意識で「ワタシは悪くない!」と連呼するばかり。 こんな状態って、ポピュラーでしょ? そんな状態の説明って、こんな感じでいいかな? (終了) *************************************************** 発信後記 文章を配信した後になって、ちょっと後悔するのは、逆上メールをいただいた時・・・ではありません。 「ああ!あの事例も文章中に入れておけばヨカッタなぁ・・・」と思う時。 書いている当時は、その事例のことを知らなかったなんて時もあって、後になって、「そんな典型的な事例があったのか?!」と悔しく思ってしまいます。 前回の配信で「故意のあら探し」なるお題で配信いたしました。ダメダメ家庭の人間は、自分の被害者意識を満足させるために、「自分に被害を与えている」と認定できるものを、まさに故意に探し回るわけ。 そのドンピシャ!な事例がありました。 とある漫画家さんが、ド派手な家を建てて、それに対する抗議活動を行っている、自称『近隣住民』の話です。まあ、ド派手な家については、色々と見解もあるでしょう。 しかし、都会において一番、トラブルに結びつきやすいのは、視覚に関するものよりも、聴覚に関するものですよ。いわゆる、騒音問題。その次には臭覚の問題。それに対し、視覚はそれほど問題にはならないもの。だって視覚は人間の意志に従属しますからね。見ないという選択ができるでしょ?それに対し、騒音や悪臭は、避けようがない。 そもそも家の外壁なんて、見て歩かないし・・・ わざわざ、気に入らない家を見つめる必要はありませんよ。 他人の家を気に入らないと思うのはいいとして、裁判に打って出て、賠償金を取ろうとする・・・その発想が典型的。 しかし、裁判している『近隣住民』も、お金が欲しくて裁判をしているわけではないんですね。 「自分をかわいそうな被害者と認めてほしい!!」 自分が被害者であることの確認としての「賠償金」であるわけ。 その点は、韓国人とまったく同じ。 まあ、その『近隣住民』も、それだけ被害者意識が強いわけだから、夫婦生活だって、子育てだって、自分が被った被害と捉えているもの。 そんな人は、「もっと、行政は子育て支援をすべきだ!」と日頃から主張したり・・・ そんなご婦人と結婚したご主人は、身から出たサビだからしょうがないけど、子供は気の毒ですよ。 それに、その自称「近隣住民」のご近所さんにしてみれば、恐怖ですよ。 相手がクレーマーだと、まさに「故意にあら探し」をするわけだから、積極的に、欠点を「探し回る」ことになる。そうして「コイツのせいで!」と大騒ぎをすることになる。 そんな人の近くにいたら、気が休まるどころじゃありませんよ。ド派手な家のように「見ない」という方法も取れないし・・・ 度を越した抗議なり、色々な主張も、被害者意識というダメダメの深層から出た、表層に過ぎないわけです。逆に言うと、抗議の姿から、別の面も予想できたりするものなんですね。 |
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R.11/1/23 |