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カテゴリー ダメダメ土曜講座(事件・トラブル編)
配信日 09年11月21日
タイトル 代替物攻撃
ダメダメ家庭を作る親は、会話不全で強圧的。
子供の意向を聞く気など、まるで持っていない。子供が何かを言ったとしても「うるさい!いったい誰のための、こんな苦労をしていると思っているんだ?!」と逆切れするだけ。

自分の意向を聞いてもらえない子供は、親に対して不満を持つと同時に、自分の意向そのものを抑圧するようになってしまう。まさに自己逃避的で、抑圧的になってしまう。
そして、自分をこんな状態にした加害者を探すことになる。
しかし、その犯人認定の思考だって満足にできるわけがない。それが抑圧というもの。

問答無用の親によって育てられたので、そんな家庭の子供は親を恐怖し、「親に迷惑をかけてはいけない!」と切羽詰っている。
本来は一番の原因は自分の親なのに、親が真っ先に自分の被害を子供に対し語るので、親以外の犯人を探し回る。

かと言って、自分の親への不満は消えることがない。
自分を騙しながら、親の問題を見ないようにしていても、何かあると、ぶり返してしまう。
そうなって、自分の親を攻撃するのなら、まだしも、それこそ自分の親の問題はアンタッチャブル。だから犯人認定する対象も、「親ではない」「親に迷惑がかからない」対象が、いわば代替品的に選定されることになる。

代表的な代替品は、国家です。
それこそ、日本の社民党の政治家だと、やたら国家・・・この場合は日本政府に噛み付いたりしますよね?そんなに日本が不快なら、別の国に移住すればいいだけなのに、常に反抗の声を上げている。
逆に言うと、反抗の声を上げること・・・それ自体が目的となっているわけです。

問答無用で強圧的だった、自分の父親の姿を、日本政府に投影して、そしてその日本政府に対して抗議の声を上げることで、自分の父親に対して文句を言っているわけです。
社民党の方々のクレームのスタイルからは、逆に言うと、その人の父親の姿が見えてくるものでしょ?まさに自分の被害を真っ先に問答無用に語るスタイル。それも論理的には支離滅裂。自分の父親の問題が、心理的に清算できていないがゆえに、結局は、「なじみ」の行動パターンとなってしまう。

ちなみに、国家を父親の代替品と見る心理は、攻撃の方向で出るだけではありません。ある種の依存なり期待という形で出るパターンもあります。
以前に取り上げた現在外務大臣の民主党の岡田さんなんて、中国政府を、自分の父親の代替品としてみているのでは?
まさに中国から「いい子」として認められ、構ってほしがる心理は、そのまま、自分の父親への欲求じゃないの?
彼としては、自分の父親に対して「ボクのことも、ちゃんと見ててよ!」と言いたいわけです。

国家を父親の代替品と見るパターンのヴァリエーションとなると、官僚制や官僚たちが代替品となるパターンもポピュラーでしょ?
上の立場から、問答無用で命令する存在としての官僚制に、自分が持っている父親への不満を投影して、官僚を攻撃することになる。

以前に、「東京タワー、霞ヶ関、秋葉原」の3箇所に対する爆破予告で逮捕された学生がいましたが、その3点セットのうちの霞ヶ関は、問答無用の父親のキャラクターに心理的に対応しているわけです。官僚というものを、下のものの意見を聞かず、ただ上の位置から命令を押し付けているだけの存在として認定しているわけです。もちろん、東京タワーも、上の立場から、情報を流すという点において、父親のイメージとつながっているのは誰でもわかること。
塔というものは、「父親」という存在のメタファーであることも多い。
爆破予告くらいならまだしも、実際に官僚OBを殺害した事件もありましたよね?

あるいは、民主党の管さんは、やたら官僚に対して攻撃的でしょ?
それらは、自分の父親への不満を、官僚制に投影しているわけです。

官僚制に近い存在となると、たとえば宗教改革のマルティン・ルターにとっては、カトリック教会の組織がまさにそれでしょう。ルターが行ったカトリック教会への抗議の声は、ルターが抱き続けた父親への不満や憎悪とつながっている。

あるいは、有名な革命家のチェ・ゲバラなんて、反抗の声を上げるだけで、革命後の統治とは無縁の人でしょ?統治となると官僚とのやり取りも必要になる。
しかし、彼はそれができないんでしょうね。彼は反抗の声を上げただけ。それだけ官僚との付き合いが心理的にできなかったのでは?

あるいは、以前に「青色発光ダイオード」を発明された方が、会社とモメていましたが・・・
彼にしてみれば、自分の父親への憎悪が、会社への憎悪になってしまったわけです。
だから着地点もなしに、クレームをつけるようになってしまう。

父親という存在を、そのような集団なり組織に投影する例ばかりではなく、一般化してしまうのもポピュラーでしょ?

それこそフェミズニム運動の闘士の方々は、男性一般に対して攻撃することで、自分の父親に対する抗議としているわけです。自分の父親の問題から目をそむけながら、かつ文句を言いたい・・・そんな心情があんな行為となっているわけです。
だから達成するものがなく、抗議の声を上げることそのものが目的化されているでしょ?

あるいは、そんな代替品攻撃となると、よく「団塊世代のオヤジ」なる言葉が飛び交っているでしょ?自分の父親の世代全部を攻撃することで、自分の父親の問題と直接向き合うことから逃避しながら、自分の不満を語っている状態。

このパターンとなると、日本の「若い人」が、かつての日本の植民地政策云々で、わざわざ外国に謝罪に出掛ける行為があるでしょ?あれは、要は、「ボクちゃんも、アナタたちと一緒で、オヤジたちによる被害者なんだよ!」と言いたいわけです。自分の父親に対して直接言えない分、あんな回りくどい行為となっているわけです。
謝罪旅行をした人にしてみれば、語られた被害に食いつくことで、自分も被害者だと主張しているわけです。

そもそも一般化してしまえば、自分の父親の問題について具体的に考えなくてもいい。
認識から逃避し、思考から逃避する抑圧的な人間にしてみれば、一般化することで、認識や思考から解放されたいわけ。

たとえば夫婦別姓問題でも、さかんに主張している人は、「苗字を変えて、幸福になった現実の人」を見たことがないわけです。それは、一般的には自分の母親。本来なら、その面を考え直すことが必要ですが、結局は自分の親の問題はアンタッチャブルになってしまう。
だから、一般論でワイワイやるだけで終わってしまう。

一般化しながら、自分の父親とのキャラクター的な近親性を残した対象を攻撃するとなると、たとえば、ドメスティック・ヴァイオレンスのボランティアの「活動家」が、「加害者」の男性を「つるし上げ」たりして喜ぶようなことに典型的にみられるもの

問答無用で強圧的で、かつ、自分の父親とは、一応は違った存在をつるし上げることで、自分の被害者意識を満足させている。そして、そんな行為は、自分の親には迷惑をかけてはいないので、心理的にはやましさもない。
本来なら加害者をつるし上げても、被害者の「人を見る目のなさ」などは何も改善されないんだから、同じような事態が繰り返されてしまうだけ。

しかし、逆に言うと、同じ事態が繰り返されれば、また、強圧的で問答無用の男性をつるし上げることができる。結局は、その手の人にしてみれば、つるし上げ行為そのものが目的となっているわけです。
しかし、問答無用につるし上げる姿は、まさにその人の父親譲り。

自分の父親への不満を持ちながら、それを見ることから逃避しているがゆえに、逆に言うと、深層心理的には、常にそのキャラクターが生き続けている状態となっている。
そんな女性が、結婚するとなると、自分が大嫌いだった父親と似たキャラクターの人と結婚したりする。

それこそ、かなり歳上の男性とか・・・
その例となると、このメールマガジンでは、以前にビートルズのポール・マッカートニーさんと結婚したヘザー・ミルズさんの例を取り上げております。

彼女としては、自分の父親への不満を、ポール・マッカートニーへの不満の言葉で代用しているわけです。
あるいは、自分の父親と同じ商売の人と結婚して、その男性に対して憎悪の言葉を投げつけたのが、落語家の林家三平さんの次女の方。
彼女も結局は、自分の父親に対して不満があるんですね。
ただ、父親はアンタッチャブルだからこそ、代替品が選ばれ、そして代替品を攻撃することで、自分の不満を鎮めようとする。

要は自分を騙しているわけです。

逆に言うと、父親への不満としても使えるような言葉を言いやすい男性と結婚してしまい、わざわざトラブル状況を作ってしまう。そして、「共通の」不満の言葉を投げつけることになる。
自分の父親への不満が、心理的に解決されていないがゆえに、それは心の中で生き続け、そこから目をそらすために、常に心理的エネルギーを使うことになる。

だからこそ、自分を納得させるための、言葉はますます過激になり、その感情を収めるための儀式は、より大規模になってしまう。
儀式が過激になっても、自分の心の問題は何も解決していない。
だから、上記の人間たちって、だいたいが哀れな末路でしょ?

自分の父親に対して不満があるのなら、まずはその点を認識するのが最初に必要なこと。
目を背けても、背け続けるためのエネルギーが自分を食い尽くしてしまう。
結局は、自分が大嫌いだった、父親のような行動をして、自分の実家のような家庭を再現してしまう。

そして、そんな姿がなんとなく予想できるがゆえに、ミジメな自分自身の代替品を設定し攻撃する。学校でクラスメートをイジメたり、ホームレスの方を襲撃して喜ぶようになる。

父親の代替と、自分自身の代替とが兼ね備えた例となると、捕鯨反対の過激な活動家の方々がその典型でしょ?
殺されるクジラは自分自身の代替であり、捕鯨船は、自分の父親の代替。
そう見ると、あの活動が持っている過激さも理解できるでしょ?
父親に虐げられる自分を必死に救出しようとしているわけです。
自分を騙すためには、それだけ劇場的なものにならざるを得なくなる

そのような代替品攻撃は、行為のスタイルが実に似ていますし、やっている人も、結構かぶっているでしょ?
だって、心理的にかぶっているんだから当然なんですね。

(終了)
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発信後記

何も、自分の父親を嫌ってはダメと申し上げているのではありませんよ。
嫌いなら嫌いでそれを自覚しましょうよと申し上げているだけです。
代替品を攻撃しているうちは、何も生み出さないでしょ?

ちなみに自分の父親との距離感は、政治家の言動に実につながっています。
民主党の岡田さんが持つ、父親への感情の問題は、以前に触れております。

あきらかに自分の父親を嫌っていそうなのが、元首相の小泉さん。
彼は、自分の父親のお墓参りはやっていそうにないでしょ?そんなニュースはありませんでしたからね。しかし、逆に言うと「あんな人間には死んでもなりたくない!」という強い気持ちが、ゆるぎない信念につながるわけ。

安倍さん、福田さん、麻生さん、鳩山さんは、総理になる前に父親のお墓参りをしましたが、だからこそ、「いい子」の要素が強く、だから、みんなに嫌われたくないと思ってしまう。だから「人に合わせる」ことが多く、言動に一貫性がない。

小泉さん以外で、自分の父親を嫌っていそうなのが、民主党の管さんですが、それを自覚できれば、もっとバケることができるんでしょうが・・・どうなるかな?
R.10/12/29