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カテゴリー ダメダメ家庭の金銭感覚
配信日 04年2月13日 (10年8月2日 記述を追加)
タイトル すぐに成果を求める (費用対効果)
かなり以前には、アメリカの会社と日本の会社の違いとして、このように言われました。
「アメリカの会社は目先の利潤を重んじるため、長期的な研究開発とか人材育成を行えないもの。それに対し、日本の会社では長期的にものを考えることが可能なのだ。」

・・・「だから、日本の会社では長期的な人材育成や基礎的な研究も可能なんだ。」と・・・しかし、ホントかな?
勿論、今となってはアメリカの会社だけでなく、日本の会社も長期的にものを考える余裕はなくなっているのが現状でしょう。

ただ、会社であれば、「投入した費用に対して、利潤としてどれだけ回収されたか?」このような「費用対効果」について、長期的にせよ短期的にせよ考慮する必要があることは言うまでもありません。

株式会社は基本的に株主のものですからね。
株主に利益を還元しないと、会社としての存在価値がないわけです。

ダメダメ家庭においては、そのような「費用対効果」の考えが顕著にあったりします。
使った費用の回収に拘るんですね。
費用を投入したのだから、リターン(見返り)を早く出せよ!というわけですね。

「高校に進学した成果」「大学に進学した成果」「ピアノ教室に通学した成果」「服を購入した成果」「外食に出かけた成果」・・・そんな成果を求められるわけ。

人間は、生きていくうちにはあらゆる点で費用が発生することは言うまでもないでしょう。
まあ、このような費用は、いくらダメダメ家庭でも親の方が負担しますよね?
ダメダメ家庭の特徴としては、スグにリターンに言及することですね。
そもそもダメダメ家庭は被害者意識が強く、何かあると、まずは自分の被害という観点から物事を見ることになる。被害と認識しているからこそ、いわば「補償」を求めるようになるわけ。

だから、「高校に進学させてやったのだから成果を出せ!」「新しく服を買ってやった成果は何だ?」このように投入した費用に対する成果について追求することになる。
これは子供にとっては「毎日が株主総会」の状態と言えるものです。
出資者といえる株主、つまり親から追求されて気の休まる時もない

しかし、「高校進学の成果」なんてどうすればいいの?
あるいは「ピアノのお稽古の成果を出せ!」と言われてもねぇ・・・
「こんな曲も弾けないのか!お稽古の月謝がムダになった!」
そう言われちゃうと、もうピアノなんて見たくもなくなってしまうでしょ?

このように「費用対効果」について常に言及がある状態では、子供としても、自らに対して新規の投資を親に依頼する気がなくなってくるでしょ?
もし親から費用を受けたら、後は散々な追求が待っているわけですからね。

「これだけの投資を受けたら、どれくらいのリターンがあるか?また、そもそもこの投資についてのリターンとはどのようなものか?」
このようなことを明晰に示すことができる小学生は皆無に近いはずです。いい歳をしたおじさんだって難しいのですからね。

ですから、このような発想のダメダメ家庭では、元々からして出口が見えないダメダメな状況を打破するための糸口すらなくなってきます。親からの新規投資を受けにくいのですからね。新しいことへのチャレンジなんてできないでしょ?

このようなお稽古事や、進学の問題だけではありません。スグに成果や見返りを要求する「常識」は、当然のこととして、それ以降も響いてくるわけです。

それこそ病気になって治療を受ける時
ダメダメ家庭においては、「これだけ治療費がかかったのだから、ワタシたちの老後の面倒を見ろ!」なんて話になったりする。だから、子供としては「絶対に治療しないで!」なんて話になる。

また、それこそプレゼントのやり取りにおいても、人からプレゼントなどをもらうことが不愉快な人間になってしまうわけ。
本日は2月13日で、明日はヴァレンタインデーですが、女の子からチョコレートでももらったりしたら、すぐに「お返し」のことを考え気が滅入ってしまう。それこそ、実際にチョコレートをもらってしまったら「どうして、こんなイヤなことをするんだ?この女は、ボクに何か恨みでもあるのか?」と訝ってしまう男の子になってしまうわけ。笑えない話ですよね?まあ、ギャグではなく、実話ですが・・・

また、例えば職業の選択の問題でも同じ。
そもそも、ダメダメ家庭出身者にはカタギの仕事は向かない。
そもそも「普通」とは言えない境遇で育ったのだから、「普通」の人とは話が合わないわけ。また「普通」の人の発想もわかりませんよね?

大体において、「普通」の家庭では、「高校進学の成果」など言われたりはしないでしょ?
しかし、ダメダメ家庭では何事にも成果を求める。子供としては、日頃から親から突き上げを食らっているわけ。精神的安定とは無縁な子供時代を送ってきたわけです。
だから「普通」の仕事は難しいわけ。まあ、芸能人にダメダメ家庭出身者が多いのは理由があるわけです。芸能界は、情緒不安定の人間にはうってつけの業界といえるでしょ?だから、芸能界みたいなところに進めばいいわけです。一般の会社員でなくてもね。

しかし、早急にリターンを求められると、職業を選択する際に「セーフティ・ファースト」を考慮しなければならなくなりますよね?

自分が本当にやりたい職業があったとしても、確実なリターンが見込めないような場合は、その職業を選択することは不可能になってしまうでしょ?まさか役者や芸術家になりたいとは言えないでしょう?そんなところに進んだら、親から受け取った学費や食費は確実には返せませんからね。
あるいは弁護士のように、浪人覚悟の上で考えないといけないような職業の場合も同じ。相応の才能があっても、その道には進めないわけです。

前にも書いておりますが、ダメダメ家庭を作る親は被害者意識が強く、子育ても、親である自分が背負わされた被害と認識している。そんな親にしてみれば、子供から見返りを求めることは、いわば「被害に対する補償」という位置づけ。
子供のために資金を投入するのにも、「子供の成長のため」にサポートするという意識ではなく、「世間や社会から要求されているから、しょうがなく。」と、背負わされた被害というスタイルで認識している。だからこそ、執拗にその資金の回収にこだわることになる。
資金の回収によって、「それが親である自分が受けた被害である。」と心理的に確定しているわけです。

子供としては、「とにもかくにも、親からの投入資金の返還しなくては!」と切羽詰った心理状態。
親からの借金が完済できた頃には、その精神状況がどうなっているのかについては言うまでもないことですね。

スウェーデンのイングマル・ベルイマン監督の映画「野いちご」ではそのような登場人物を、「魂が燃え尽きたような状態」と言っていましたっけ・・・
まあ、そのようにダメダメ家庭では、子供は「燃え尽きて」、その家庭を巣立っていくわけです。

ですから、このようなダメダメ家庭は「株式会社」というより、「ヤミ金業者」とか「商工ローン業者」のようなものに近いわけ。子供が家にいる時は、いつだって「取立て」にあっているんですからね。まあ、子供だって腎臓売ってラクになるのなら、さっさと売っちゃいますよ。

成果というか、見返りが前提となっているわけだから、そんな家族の結びつきは、いわば法律的というか制度的というか経済的な結びつきであって、「心と心の結びつき」ではないわけ。
相互理解に基づいた信頼関係があるのではなく、そして、信頼関係を基にした好意があるわけでもなく、相互の役割を果たしていくという機能中心の結びつきとなっている。つまり、社会学者のテンニース流にいうと「ゲマインシャフト」ではなく、「ゲゼルシャフト」になっているわけ。

逆に言うと、機能さえ維持していれば、その人の生命などはどうでもよくなってしまう。
それこそ死んでも、死亡届を出さずに、その人の分の年金を受け取るという発想が自然とできてしまう。
つまり、「年金を受け取る」という機能が認識されていて、心と心の結びつきなどは、その家庭には、もともとなかったわけ。
たとえ、生物的には生きていた状態であっても、精神的な面においては何もなく、心理的には、いわば人形と同じ。
ただ、一般の人形は、年金を受け取れないけど、ある種の人形は年金が受け取れるというだけ。

死亡届も出さずに、年金を受け取っていた事件があったりすると、「どうして、そんなことをしたんだ?」などと疑問に思われる方もいらっしゃるでしょうが、お互いの機能だけしか見ない関係においては、生物的な生命などは、もともと、どうでもいいことと言えるわけです。

子供に対して、常に成果を求めていた親が、生物的に死んだら、死んだ後も、子供から成果を求められる・・・このようなことは、論理的にも、心理的にも、実に自然なことでしょ?

(終了)
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発信後記

今日は13日の金曜日ですね。
まあ、このメールマガジンはいつだって楽しい内容ではないんですが・・・
R.10/8/2