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カテゴリー ダメダメ家庭の雰囲気
配信日 09年8月5日 (11年1月17日 一部分を分離独立)
タイトル 張り詰めた子供 (注意力散漫、落ち着きがない子供、気を緩める体験)
追記 子供体験」という部分を分離独立 (11年1月17日) 
このメールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」は、家庭問題を考える視点を提示するものです。それぞれの家庭の評価を目的としているわけではありません。しかし、実に誤解が多いのは、まさにその点で・・・

評価という観点で、この文章を読んで、「この点はダメダメと言えるのか?」なんて問い合わせと言うか、まあ、クレームがあったりするもの。
問い合わせはともかく、いきなり文章を誤解しておいて、クレームも何も・・・そもそも、そんな態度が・・・
と言いたいところですが、このようなことは起こりやすいもの。

そもそも「考えるための視点」を提示されても、その視点を受けて自分で考えることができれば、それは当事者意識があるということ。
当事者意識がない人には、自分で考えるための視点なんて、まったく無意味となる。当事者意識がない人間に必要なものは、考えなくても済む「結果」。つまり「評価」となる。

だから、「視点」を提示されても、「評価」と捉えてしまうことになる。評価と受けて、「オレはダメダメではなかった!」と安心したり、「ワタシは、ダメダメなのかっ?!」と残念に思ったり・・・
しかし、評価が重要ではなく、見過ごされがちな観点を、意識できるようにする・・・何回もこのメールマガジンで書いていますが「見えているものを、見えるようにする。」それがコンセプトです。

いきなり一般論になってしまいましたが・・・
家庭問題に関する「現実的な」視点を取り上げると、巷に跋扈する「説教オヤジ」や「正論オバン」が、「そんな見方はよくないっ!」なんて、大騒ぎするものですよね?
しかし、現実的に存在する問題点を現実的に考えないと、現実の改善なんてできないでしょ?
「あの○○はケシカラン!」
なんて問答無用に、説教していれば、事態は改善するの?
誰かを犯人認定して、対抗心を燃やして、つるし上げをすれば、問題は解決するの?
そんな態度がダメダメでしょ?

さてさて、長い前置きになってしまいましたが、それは必要があってのことです。
と言うのは、今回の文章では、母子家庭の問題を取り上げますので・・・

私はこの文章で母子家庭の「評価」を目的としているわけではありません。母子家庭が直面しやすい問題点を考える「視点」を明らかにしたいと考えているだけです。
しかし、それこそ母子家庭の問題を取り上げると、「そんな色眼鏡で見てはよくないっ!」なんて、問答無用の「正論オバン」が大騒ぎするでしょ?

しかし、母子家庭と言うものが、ある種のハンディキャップを持っているのは確かでしょ?そのハンディキャップを具体的に考えないと、そのような人たちへのサポートも出来ないでしょ?しかし、「そのような色眼鏡で見てはよくないっ!」というありがたい説教を持ち出すことで、逆に言うと、何も考えなくなってしまう。

ここで別の事例で考えましょう。
このメールマガジンにおいて、いわゆるドメスティック・ヴァイオレンスの問題を取り上げることもあります。あの手の問題も、「事前」に対策を取れば、あのような深刻な事態にならなくて済むわけです。
たとえば、こうやってアドヴァイスしておけばいいわけでしょ?
「アナタは、人を見る目がないし、アナタの周囲の人も、人を見る目がない。だから、男性と付き合うにあたって、誰か信頼できる人とよく相談した方がいい。そして、ちょっとトラブルになったら、別の信頼できる人に早めに相談するようにした方がいいよ。」そのように言ったらどうなるでしょうか?

まあ、返ってくる回答はコレ。
『まあ!なんてヒドイことを言うのよ!ワタシは人を見る目はあるわ!ワタシの周囲の人だって、しっかりした人だわ!!』

しかし、上記のドメスティック・ヴァイオレンスの事例の文言の中の言葉を、ちょっと変えたら?
「アナタは風邪を引きやすい体質だから、『うがい』は人並み以上にやった方がいいよ。ちょっと身体の調子が悪くなったら、早めに医者に行った方がいいよ。」
そうアドヴァイスしたら、どんな返事が返ってくるでしょうか?
『まあ、ご親切に・・・ありがとう!』

そうなるでしょ?
しかし、人を見る目がなく、ドメスティック・ヴァイオレンスになりやすい人も、身体が丈夫でなく風邪を引きやすい人も、対策においての基本的な考えは同じでしょ?
『予防に注意して、早めのケアー。』
「自分がコケやすいところはどこなのか?」それを自覚すれば、クラッシュになることは防ぐこともできますよ。

以前にも書きましたが、母子家庭を取り上げるにあたって、何も、その評価を問題にしているわけではありません。「母子家庭がダメダメだ!」なんて申し上げるつもりは毛頭ありませんよ。ただ、このメールマガジンで母子家庭の関係者が実例として随分登場しているのは確かで・・・

オペラ「カルメン」で、カルメンをストーキングして殺してしまったドン・ホセは、劇の上では母子家庭の出身者です。
あるいは、映画監督のフランソワ・トリュフォーや、有名な俳優のアラン・ドロンとか、オードリー・ヘップバーンのような外国の芸能人ばかりではなく、日本の芸能人さんなど、芸能界には母子家庭出身者が多くいますよね?あと、以前にあったJR西日本の脱線事故の運転手さんも確か母子家庭出身です。
あるいは、たびたび言及します小説家マルグリット・デュラスも母子家庭の出身です。
あと、母子家庭ではありませんが、父子家庭のケースもあります。まあ、長崎の事件などがその典型でしょう。
つまりダメダメに結びつきやすいのは、現実的に確かなんですね。

これらの状況に共通する精神状況は何でしょうか?
それは、子供が、精神的に張り詰めていると言うことでしょ?

何と言っても、そんな家庭では親は頼りにならないことが多い。そもそも片方しかいないわけですから、親も時間的にも余裕がない。それに、人を見る目がないことは実証済みなので、そんな親は能力的に頼りにならない。子供としては自分の問題は自分で解決する必要がある。だからこそ、「絶対にトラブルを起こしてはいけない!」と、常に神経が張り詰めている状態になってしまう。
常に張り詰めているから、それが破れた時には、抑えが効かずに、行くところまで行ってしまうことになる。

「トラブルがあったら、自分で何とかしないと・・・」
という緊張感を理解していないと、以前に脱線事故を起こしたJR西日本の運転手の心情なんて理解できませんよ。普段からそんな発想だから、パニックになってしまう。まさに「行くところまで行ってしまう」ことになる。
「ここで失敗してしまったら、あの○○さんに相談しよう!」
なんて余裕を持っていない。だから、逆に言うと、失敗を心理的に受け入れることができない。失敗に直面したら、思考停止になってしまう。

今回の文章の最初に書きましたが、何も母子家庭の評価を目的としているわけではありませんよ。ダメダメ家庭の子供が、直面しやすい問題点を顕在化したいと思っているだけです。そもそもダメダメ家庭の子供はトラブルに巻き込まれやすい。どちらかというと、注意力散漫な子供が多い。
と言っても、普段から何も注意せずボケーとしているわけではない。
普段は、むしろアッチコッチに目を向けて、様々に注意しているわけです。

何回も書きますが、ダメダメ家庭の子供にとっては、自分の親は頼れない。
「自分の身は自分で守らないと!」と常に切羽詰った状態となっている。
そんな感じで、常に周囲に注意して切羽詰っていたら、逆に、注意力が切れる時もありますよ。人間は、特に子供にしてみれば、そんなに注意力を持続することなんてできないでしょ?まあ、そんな感じで、ちょっと注意力が途切れた時に事故が起こるわけです。

そんな感じで、事故が起こったりすると、子供に対して「もっと周囲に注意しなさい!」と厳しい指導となる。
その命令を受けた子供としては、普段からますますアチコチに注意するようになり、注意力を使い果たしてしまって、一瞬、注意力が切れてしまって、また事故となる。
たびたび事故が起こるので、周囲からの指導もますます厳しくなってしまって・・・とスパイラル進行してしまう。

ダメダメ家庭の子供の注意力散漫は、普段から各方面に注意しすぎているからなんですが、そんなことが分かる大人なんて滅多にいない。と言うことで、子供の事情に目を向けず、事態が何も改善せず、結局はそのまま進んでドッカーンとなってしまう。そんな感じでカタストロフになっても、「あの子は注意力散漫な子だから・・・」と、周囲の人間は納得してオシマイとなる。

確かに注意力と言うものも、ある種、先天的な面もあるでしょう。
生まれつき注意力がない・・・そんな人もやっぱりいるもの。このようなことは、たとえば、芸術的な作品についての注意力の問題もあったりします。しかし、芸術作品が理解できないからと言って、その人が、普段の生活に支障があるかというと別問題でしょ?ケガをするような命にかかわるような注意力は、誰だって持っていますよ。

ダメダメ家庭の子供にも、人間として誰しもが元から備わっている生命維持のための注意力は十分にあるわけです。しかし、普段においては「自分の命は自分で守なければいけない!」「親に迷惑をかけられない!」と異常にハイテンションとなっている。だからこそ、たまにフッとその注意力が抜けてしまう。注意力を「使いすぎて」「一時的に燃え尽きてしまっている」状態になってしまう。その瞬間に、事故が起ったりする。
そんな子供は、普段は注意力を使いすぎるので、ある意味において「落ち着きがない」ことになる。それこそ、ちょっとした物音にも反応して、注意を向けることになる。たとえば、以前に配信いたしました聴覚過敏となったりする。

落ち着きがない子供と、注意力散漫な子供って、共通しているでしょ?
それだけ、周囲に対する信頼感がないんですね。
これって、人間の子供や大人ばかりではなく、ダメダメな飼い主に飼われている犬にもみられますよね?

『ウチの子は注意力がなくて・・・』なんてグチを言っている親の話を聞くと、「アナタがそんなにグチばかりだから、子供としては、『自分の身は自分で守らないと!』と必死になっているのが、この人には分からないんだろうなぁ・・・」と思わされることになってしまう。

その問題に目を向ければいいわけですが、現実では、そんな子供に強圧的に命令するだけ。
だからこそ、ますます子供が常に張り詰めてしまい、疲れ果ててしまう。それにダメダメな親は被害者意識が強い。子育てによる被害を子供に語っている。そんな親に対して、子供の側は「親に迷惑をかけてはいけない!」とますます切羽詰ってしまう。だから子供は、ますます疲れてしまう。そして、自分の疲労感を理解してくれる人に入れ込んでストーキングしたりする。あるいは、自分の疲労感を和らげてくれる人と出会うと、「この人といると安らげるなぁ・・・」と、やっぱりストーキング。

そもそも、そんな家庭にいる人間は、自己逃避状態になっていて、自分の精神的な疲労感そのものを自覚していないことが多い。あるいは、その前段階と言える張り詰めている緊張状態を自覚していない。
ただ、「この人と一緒にいると・・・何となく・・・」なんて思っているだけ。
緊張感なり疲労感を自覚していれば、別の方法で解決することもできますが、それを自覚していなくて、「この人といると・・・」という認識だけなんだから、まあ、事件も起きますよ。

本来なら、自分自身に向き合って、自分の精神状態くらいは、ある程度は、認識してもいいわけでしょ?さながら、「風邪をひいたかな?」と思って体温を測るようなもの。
しかし、ダメダメ家庭では自分自身から逃避している。だから、自分の問題点を分かろうともしない。むしろ、「アイツのせいで・・・」と相手を恨んでいるだけ。
死別のような形で母子家庭になったのなら、その人自身の能力としてみれば問題はないでしょう。
しかし、離婚して母子家庭と言うことなら、その親に何がしかの問題があったということでしょ?ここでは、その倫理的な問題を議論しているのではありませんよ。風邪を引きやすい体質なら、それを自覚すれば、悪化させずに済むというだけです。

人を見る目のない親だったら、それを自覚しないと、同じことを繰り返すだけ。
しかし、ダメダメな人間は、自分の選択ミスを弁解するために、「オトコはみんな○○だ!」と問題を一般化してしまう。
こうなると、子供が女の子の場合は、「男性への対抗心を持つように」育てて、「ああ!ワタシたちはオトコによる被害者よ!」とグチの共鳴。
あるいは、子供が男の子の場合は、「あんなつまらないオトコになるな!」と、常に否定形。
おまけに自分の選択ミスを認めたくないものだから、そんな人は基本的には、思考停止状態となっている。自分に関わる話題になりそうなら、逆上する始末。そんなスグに逆上する親に、子供としても相談できるわけもなく・・・子供はますます精神的に張り詰めることになる。そうやって子供の緊張感や疲労感がどんどんと積み重なっていく。

何回も書いていますが、母子家庭や父子家庭の倫理的な問題を云々しているわけではありませんよ。特に、離婚でそうなってしまった場合には、親の「人を見る目のなさ」「判断力の低さ」を自覚しないと、そのしわ寄せが子供に集中してしまうと申し上げているだけです。
親が思考停止している分、子供が色々と考えなくてはならなくなってしまう。
子供の側が色々なことを考え、周囲とのやり取りを行っている状態が日常化する。
つまりダメダメ家庭の子供は、「親に守られる」という子供体験ができないままで成長することになってしまう。
もちろん、このような状況は何も母子家庭や父子家庭だけに起きる問題ではありません。親の機能を果たしていない家庭といえるダメダメ家庭においては、程度問題は別にして、起こっていること。ダメダメ家庭では、その親に当事者意識がなく、自分たちの問題を自分たちで解決していこうなんて、そもそも思っていない。そんな家庭なんだから、不都合な事態は親を素通りして子供を直撃することになり、だから、子供は常に張り詰めている。

このような点は、以前に東京の立川であった40歳のストーカー警官の事件では顕著でしょ?ストーキングして、相手の女性を殺害してしまった警官がいました。
彼の出身家庭は母子家庭でも父子家庭でもないようですが、頼りにならない親による、緊張感と疲労感があると、まさにあんな行動をするようになってしまう。彼としては、まさに「いい子でいることに疲れた」状態なんですね。
あるいは、別の言い方をすると「生きるのに疲れた」なる言い方もありますよね?この物言いは大阪で個室ヴィデオ店に放火した犯人が言っていました。あるいは「自分を騙すのに疲れた。」そんな言い方もダメダメの世界ではポピュラーです。

その疲労は、肉体的な疲労ではありません。
難しい数学の問題をやり続けて、アタマを使いすぎて疲労したという類でもない。
プラス方向への努力に対する疲労ではなく、逃避なり、自分を騙すことへの疲労と言えるもの。マイナスを回避するための努力に対する疲労であり、二重否定への疲労。
以前にカール・グスタフ・ユングのいう「中年の危機」なる考え方を紹介したことがありますが、やっぱりある程度の年齢になると、疲労感も相まって自分を騙しきれなくなってしまう。だからこそドッカーンとなってしまう。

それこそ職業の問題だって、自分を騙して「ふつう」の職業についていても、どうしても無理が来たりするもの。あるいは、「ウチの親はふつうの親だ!ふつうの家庭だった。」と周囲に主張しても、それが通じなくなってくるし、それが通じる相手はダメダメ連中ばかりになってしまう。

本来は、自分自身なり自分が直面している現実を直視する必要があるわけですが、現実的には何かを犯人認定して、対抗心を燃やすことで納得してしまう。「あの○○のせいだ!」「みんな○○が悪いんだ!」「あの○○をやっつけろ!」そうやって、どんどんと自分自身なり現実から逃避してしまう。
その対抗心の対象としての○○が、厚生省の事務次官だったり、特定の民族だったり、特定の政治勢力とかのヴァリエーションはあっても、所詮は犯人認定の○○の中の問題であって、逃避のスタイルは同じとなっている。別の言い方をすると「○○からの自由」に拘ることにより、「○○をする自由」から逃避している状態とも言える。そのような対抗心に逃げ込む心理そのものに目を向けないと、対抗心の対象が変化するだけ。

現実的な問題に対処するには、それを倫理的な問題として、「べき論」で議論するよりも、現実を直視することが必要でしょ?
子供が精神的に張り詰めているのなら、何らかの対策を取ればいいわけですし、その必要があるわけです。しかし、ダメダメ家庭と言うものは、被害者意識が強く「ワタシが一番かわいそうな人間なんだ!」と確信を持っているので、周囲の人間のことなど頓着しない。
何回も書きますが、ダメダメな親は、自分の子供に対しても、「子供は親である自分より恵まれている!」と根拠のない確信を持っている。

そんな家庭にいる子供は、結局は、誰にも相談できずに、精神的疲労を溜め込み、ドッカーンとなってしまう。
子供時代にドッカーンとならなくても、それこそストーカー警官のように、疲労感が蓄積され、40歳になって限界を超えてドッカーンとなったりする。
緊張感と疲労感も、当人自身が自覚していれば、あそこまで行ってしまうことにはならないわけです。

当人においてドッカーンとはならなくても、自分から逃避したり、自分を騙していることは変わらない。だから、そんな人は自身の目標を持つことができず、できるのは子作りだけになってしまい、その手の緊張感や疲労感は次の代まで引き継がれることになってしまう。緊張感や疲労感は蓄積されても、子供体験はまるで蓄積されない。

常に張り詰めた日々だったために、「気を緩める方法」がわからない。
ちょっとでも不都合なことがあると、パニックになってしまう。
だから、極端なまでに失敗を恐れ、減点法的な精神になり、そんなことだから何も達成できず、自信が持てず、ますます減点法が進行してしまう。
自覚から逃避しているがゆえに、自分の状態から目を背け、緊張感や疲労感は積み重なるばかり。
だから、結果的にポキンと折れてしまう。張り詰めているからこそ、折れる・・・これは、何事も同じでしょ?

(終了)
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発信後記

何でも秋葉原の「耳かき」屋さんの従業員の女性をストーキングして、その祖母さんを殺害してしまった41歳の会社員の事件があったそうですが・・・
今回の文章は、その解説として、そのまま使えるでしょ?
ちなみに、今回の文章は、基本ドラフトは2年前にできあがっていました。だから、今回の事件に触発されたわけではありません。

今回の犯人は、母子家庭の出身ではないかもしれませんが、張りつめた精神状態に疲れ果ててしまった上での犯行の典型といえるわけ。
まさに、本文中の『自分の疲労感をやわらげてくれる人と出会うと、「この人といると安らげるなぁ・・・」と、やっぱりストーキング。』そのもの。
2年前に書いた文章がそのまま使えるのは、どうしたものだか・・・
ちなみに、別の言い方をすると、「自分を騙すのに疲れた」「いい子でいるのに疲れた」状態。

逆に言うと、あの手の事件は、「予防に注意して、早めのケアー」をすれば、対処が可能なんですね。そのためには、まずは、本人の自覚が必要になるわけです。
R.11/1/17