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カテゴリー ダメダメ土曜講座(トピック編)
配信日 10年1月1日 (10年7月12日,10年9月12日 記述を追加)
タイトル 自分騙しの旅
以前に、「自分探しの旅」という文章を配信しております。
自分自身という、自分自身にとって最も身近な存在を探すために、わざわざ外国に出かけるという珍妙な行動についての文章です。
外国に行くのだって、「遊びに行きたい・・・」「珍しいものを見たいから。」でいいじゃないの?どうしてわざわざ「自分探し」なんてお題目を付けるの?

しかし、ダメダメ家庭では、何かと「成果を求める」もの。
そんな家庭環境なので、自分の後ろめたさをごまかすために、ある種の大義名分を求めてしまうわけ。だから自分探しなんて、わかったような意味不明の言葉を持ち出すことになる。

そもそも、本当に自分自身を見つめたいのなら、まさに身近なところでも見つかるでしょ?
あるいは、その自分探しの旅の結果によって探し当てた「自分」とやらは、結局は何だったの?

その手の「自分探しの旅」なんて言葉は、とりあえず自分自身からの逃避を、自分自身に騙すための言葉なんですね。
まさに自分自身から逃避しているがゆえに、それを自覚できないわけ。
まあ、せめて、「その時は自分自身は逃避していた。」・・・と自覚できたのなら、それだけでも有意義というもの。しかし、そうはいかないのが逃避というもの。

ダメダメ家庭の人間は、自分自身から逃避している。
そして、自分自身を騙すようなことをするわけ。
通りのいい言葉で、自分の問題を説明してしまって、それ以上考えることをやめてしまう。

それこそ、自分でじっくりと考えることから逃避することを、「ボクは直感で生きているからなぁ・・・」なんて言ったりするもの。
しかし、そんな言葉は、その直感を肯定したものではなく、いわば、「熟慮することからの逃避」を、別の言い方で言っただけ。
そもそも、「直感で生きている」と自称する人の直感が、鋭かったことなんてないでしょ?

新年にちなんで、今回はそんな「自分騙しの旅」を集中的に取り上げてみましょう。


夫は子育てに非協力的だ」という女性の夫は、子育て以外の家事も非協力的。
子育てに非協力的という言葉で、自分を騙している。

「子供の問題行動は、ただの反抗期だ!」という親は、反抗期の前はどんな家族関係だったのかが語れない。都合の悪いことを反抗期という時期の問題のせいにしているだけ。それ以上は見たくも考えたくないわけ。

上記の反抗期の問題を社会全体に拡大すると「時代が悪い。」という言葉になります。
スグに「時代が悪い」と言い出す人は、歴史についての知識がない。自分が生まれた時代について語れない。あるいは、かつて良かったとする時代についても具体的に語れない。だから「悪い時代」とやらのどんな点が悪いのか、まったく説明できない。時代のせいということで、それ以上は考えたくないというだけ。

「あの人は変わってしまった。」と嘆く人は、どんな点が変わったのか?あるいは、その前はどうだったのか何も言えないもの。ただ前からそうだったとしたら、その時点で対処する必要があるのに対し、いつのまにか変わってしまったのなら、変わられてしまった側は被害者となる。そうやって「ワタシは相手に変わられてしまった、かわいそうな被害者なんだ!」と自分を納得させているわけ。

このパターンだと、夫婦の不倫で「あの女が夫を誘惑したから」とかの言葉になるわけですが、「じゃあ、不倫が起こる前は、そんなにうまくいっていたの?」と言う話になるでしょ?
しかし、そんな質問をすると、ワタシたちは「ふつう」の夫婦だったと答えるだけ。
事件前も、事件後」も、基本的なことは変わらないわけ。ただ、事態がシリアスになって、目をそむけられなくなったというだけ。
ふつうの家庭というレッテル」を貼り付けて、それ以上考えることから逃避してしまうわけ。

何かトラブルがあって「あの人たちも事情があって・・・」と弁護する人は、その事情について具体的に説明できないし、そんな事情があるのに、子供を作ってしまった親の問題は無視。あるいは、その事情を改善することもしない。要は具体的に考えることから逃避しているだけ。

「親に迷惑を掛けられないから相談できない。」と言っている人は、迷惑がかからないような事案の際には親に相談しているの? じゃあ、今まで親に相談したことがあるの?相談してうまくいったことがあるの?親の問題を考えたくないことを、「親に迷惑がかかる」という言葉にすりかえているだけ。

「ワタシは親を恨んでいない」という人は、じゃあ、親を頼りにしているの?
往々にしてダメダメ家庭出身者が、結局は自分の親と同じことをやっている状態になったら、そんな言葉で自分を正当化する。そうやって親とまったく同じ行動 をしている自分を弁護する。

「信じられるのは血のつながった家族だけ。」という言葉を語る人は、血のつながった家族とはそんなにうまくコミュニケートできているの?そんな言葉を主張する人は、家族との間のコミュニケーションにも問題があるもの。ただ家族だったら「支配・被支配の関係」があるので、命令するだけでいい。結局は、家族以外の人間とコミュニケートできない理由を血縁の問題にしてしまっているだけ。

何かあると「そんなことは言った覚えがない。」と怒り出す人は、じゃあ、具体的にはその時にどう言ったのかについて言えないもの。結局は、「ワタシって、なんてかわいそうなの?!どうしてわかってくれないの?」と被害者意識を持っているだけ。相手の記憶力の問題にしてしまって、自分を被害者の位置においているだけ。

没交渉状態に近い相手に対して「アナタに会いたい。」と呼びかける人は、じゃあ、会っていない時にはどんなコミュニケーションをとっているの?そんな呼びかけは、自分のコミュニケーション能力の不全を、「顔を合わせてやり取りをしていないから」という理由を付けているだけ。

ふつうの家庭を築きたいだけ。」という人は、その「ふつうの家庭」というものについて、何も説明できない。つまり、自分では何も考えていないということを、自分でわかっていないだけ。
「自分で考えるのが面倒だから、人に合わせるだけでいい」という怠惰な心理を、「ふつうの家庭を築きたい。」という言葉で表現しているだけ。

昨日にも書きましたが、「虫けらだから、殺してもいい。」と言いながら通り魔殺人をしている人もいますが、本当に虫けらと思っているのなら、わざわざ殺す必要はない。目の前から出て行ってくれればそれでいい。ゴキブリを隣の家まで追いかけていって、殺す人はいない。
結局は、自分の殺意と向き合うことから逃避しているだけ。
自分自身が持つ「敵意をムリに抑圧している」がゆえに、自分を騙す必要があるわけ。

結局は、自分で認識し、考えることから逃避しているわけです。
だからお手軽に自分を騙してしまうことになる。
だから、形の上では終了状態となっても、「最後を締めて」、結論を出すことはしない。

周囲に対しては「努力のための努力」を見せて、自分は一生懸命にやっているとアピールする。
そして、アチコチに「アリバイのための相談」などをしたりする。

しかし、本当の意味で危機意識がないので、周囲にアピールするだけになってしまう。
ただ、なんとなくのダラぁ〜として、何も判断しないまま、いつのまにか終わろうとするわけ。とりえあえず見えなくなったら、もうそれ以上は何もしない。
結局は、そのツケは子供に集約してしまうんですね。

自分を騙して生きている人は、まさにその点を突かれたくない。
自分を騙していることが明らかになりそうになると、それを回避するために、スグに逆上したりするもの。

顔を真っ赤にして「オレは冷静だ!」などと主張したりするもの。
あるいは、都合の悪いものを見たくないので、「つるし上げ」のようなことをして、都合の悪い見解を言わせないようにするもの。

逆に言うと、そんなつるし上げをやっているような人は、自分を騙している人。

過去を思い出すのがイヤなので、その手の人は、「前向き」とか「前進あるのみ」という美辞麗句を持ち出し、そうして、過去の問題から逃避してしまう。
その手の人が使う「前向き」というという言葉は、将来のことを真剣に考えることではなく、過去の問題を持ち出さないという二重否定的な意味となっているわけ。将来を肯定的にみているがゆえの「前向き」とは違っているわけです。

その逆方向で、「過去を直視する」とかの大義名分を持ち出す人もいますが、その手の人は、「自分は将来的にどうしたいのか?」ということを考えたくないがゆえに、「過去を直視」といっているだけのことが多いもの。
それこそ、韓国人なんて、その典型でしょ?

今回、この手の様々な行動をリストアップいたしましたが、「あの人・・・コレとコレとアレも該当しているな・・・」と、多くが該当している人が実際にいるでしょ?
そんな人は、自分を騙しきれなくなると、まさに逆上したり、犯人認定して攻撃してくるもの。まさに「窮鼠ネコをかむ」になるわけ。
必要以上に「いい子」ぶっている人は、まさに「いい人でしょ?」オーラをだしていたりするもの。

しかし、そんな人を、よく見てみると「自分を騙している」面があったりするでしょ?
そんな「いい子ちゃん」は、自分を騙しているついでに、周囲の人も騙されてしまうわけですが、そのことに早めに気がついて距離を取らないと、色々と面倒な事態になったりするものなんですよ。

(終了)
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発信後記

新年あけましておめでとうございます。
と言っても、いつものようにおめでたいとは言えない文章ですが。
ただ、普段に比べると軽い内容でしょ?

毎年、もう年を越さないようにメールマガジンの発行を終了させたいと書いていますが、実際は年を越して相変わらず発行を続けております。ただ、サスガに今年こそは何とかしたいと思っております。文章のストックもかなり減りましたしね。
このメールマガジンは、現在では「マグマグ」と「カプライト」の2つの発行元から配信しておりますが、そのうち「カプライト」は本年3月をもって終了するそうです。
今のペースで配信していくと、その頃には総発行回数が千回を超えてしまうくらいですので、そのあたりが終了のメドかな?と思っているところです。

この分野で、後に続く人が出てくるのは、かなり先でしょうから、私としては、やり尽くせるだけやっておきたいとは思っておりますが、後になってバックナンバーのサイト上のみで新規の文章をアップしたり、既存の文章を修正して対応することも可能でしょう。

本音を言うと、誰か後継者が出てきてほしいところです。ダメダメというのは、その基本さえ分かっていれば、意外にも見通しがいいもの。ただ、権威筋のご高説などがジャマをして、虚心坦懐に見ることが難しい。
ただ、一旦、見ることができるようになったら、皆さんにも見通しがよくなると思います。
私としては、そんなお手伝いができれば、それが喜びですし、私の文章が、それなりに役に立っているとは思っております。

では、終了までよろしくお願いいたします。
 10/10/16