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配信日 | 08年7月18日 (11年1月20日 記述を追加) | |
タイトル | 「ふつう」というレッテル | |
このメールマガジンでは「ふつう」という言葉について頻繁に触れております。 それこそ「ふつう」に使われることの多い「ふつう」という言葉なんですが、「じゃあ、アンタの言う『ふつう』って、いったいどういう意味なの?」なんて、改めて聞かれると答えられないもの。 人々は、往々にして、何も考えずに、「ふつう」という言葉を使っている。だから、改めてその意味を聞かれても答えられない。ただ「な〜んとなく」で使っているだけ。 だから「ふつう」という言葉ではなく別の言葉・・・たとえば「一般的」とか「平均的」とか「日常的」とか、「規格品的」とかの言葉を使った方が、より明確になるものです。 英語だって、「ordinary」とか「average」とか「normal」とか、あるいは「not bad」や「no trouble」とか・・・色々と使い分けをするでしょ? まあ、言葉に対する感性がシャープでない人が、とりあえずのやり取りをするのならともかく、言葉を使って何かを伝えたいと思ったら、「ふつう」という言葉は避けた方がいいものなんですね。「ふつう」という言葉は、ちょっとしたおしゃべりには便利な言葉と言えるわけですが、会話によって相互理解を達成しようと思ったら、できるだけ明確な言葉を使った方がいいでしょ?「ここで使っている『ふつう』という言葉は別の言葉にならないかなぁ・・・」そんな感じで考えてみるだけで、色々と見えてくるものなんですよ。 ボキャブラリーが豊かではなく、何も考えずに「ふつう」という言葉を使ってしまうのは、まあ、しょうがない。ボキャブラリーの貧困がダメダメなのではなく、現状認識の貧困さや思考の貧困さがダメダメなんですからね。 だから、「ふつう」という言葉の問題点は、何も考えずに使うというよりも、「何も考えたくないがゆえに」使う・・・そんな面の方が大きいわけです。いわば、心理的な抑圧があるがゆえに「ふつう」という言葉に逃げているケースが多いわけです。 抑圧的で自己逃避となってしまうと、「『ふつう』と言っておけば、相手から突っ込まれないだろう!」 そんな安直さが漂う使い方が多くなってしまう。 会話のようなシチュエーションばかりではなく、現状を認識し、思考する・・・その段階から「ふつう」とレッテルを貼り付け、「まっ!そんなものさ!これって『ふつう』さ!」と勝手に納得してしまうそして、問題点を見ようとしないし、考えようとしない。 それこそ、 「それこそ、夫の単身赴任が、もう4年以上になっている・・・」 まっ!これもふつうの単身赴任さ! 「子供が、親に逆らって困っている。」 「いつも問題行動を起こしている。」 まっ!これもふつうの反抗期だな! しかし、本当にそうなの? 上記の2つが重なって、結局は、自分の子供を殺してしまった母親の事件が03年に山口県でありました。 本来は、事件が起こる前に、現状をもっと真摯に見る必要があるわけですが、都合の悪くなると、「ふつうの○○だから・・・」と自分で納得してしまって、それ以上の思考から逃避してしまう。 子供のための単身赴任という名目だったのに、子供が問題行動を起こしても、単身赴任をやめようとはしない・・・それのどこが「ふつう」なの? そんなことは、ちょっとでも自分で考えれば、すぐに気がつくことでしょ? あるいは、別のケースだと、 子供が過激なダイエットで、やせ細って来たようだ・・・ 「まっ!ちょっとダイエットの水準が、高いだけだな!」 「これもふつうのダイエットの一種だよ!」 「女の子がこんなことをするもの、ふつうだよ!」 そうやって、親が勝手に納得してしまい、何も対処しないから、結局は拒食症で死ぬことに。 また、 「一緒に暮らしている子供同士が、お互いに、もう2年以上も、口をきいていないようだ・・・」 「まっ!これもふつうの兄弟ケンカだよ!」 そのまま放置して、結局は、兄弟同士で殺害事件となったりする。 あるいは、何か事件があったりすると、「おい、おい・・・ちょっと特徴的な名前だなぁ・・・」なんてこともありますよね?そこから色々と思考を発展させていけばいいわけですが、ダメダメな人は何も考えない。 「まっ!今のご時勢だと、こんな名前もふつうだよ!」 本来は、「そんな名前を自分の子供につけた親はどんなことを考えて付けたのか?」 あるいは、「その親はどんなキャラクターなのか?」 「そんな親によって育てられた子供は、どうなってしまうのか?」 そのような点を考えれば、色々と見えてくるわけですが、「ふつう」というレッテルを貼り付けることによって、思考停止状態を獲得してしまうわけです。 「ふつう」というレッテルを貼りさえすれば、もう何も考えなくてもよくなってしまう。 現実逃避のダメダメ人間が使う「ふつう」と言う言葉は、「大きな問題が無い。」と言う意味に近く、つまりは「大きな問題があるようには見えない。」という意味になってしまい、「問題があるようには見えない」ようにするために、まさに現状を見ること自体から逃避してしまう。 家族間で、10年以上音沙汰のない関係でも、「ふつう」の家族と主張。 身長160cmで体重が40kgを割っていても、「ふつう」のダイエットと認識。 犬でも笑ってしまうような「面白い名前」でも、「ふつう」の名前だと、暖かい理解。 今はそんなモンだろ? みんなやっているだろう? それがふつうじゃないか?! それはいいとして、『じゃあ、アナタ自身はどう考えるの?』 なんて聞かれると、「どうして、そんなことを聞くのよ!」「ワタシはふつうよ!」と逆上するばかり。 現状認識から逃避し、思考することから逃避して、何も対処せずに、現実は悪くなるばかり。 結局は、ドッカーンと行ってしまう。 そんな人は、後になって「私たちはふつうの家庭だった・・・どうして、こんなことに?!」なんて、必ず言うものでしょ? まあ、『ふ・つ・う』の家庭だから、そうなるわけですよ。 皆さんも、「ふつう」という言葉を使う際には、注意した方がいいわけです。 別の言葉に置き換えられるのなら、置き換えた方が、自分自身のためにも理解しやすくなるもの。 あるいは、やり取りをしている相手が、そんな「ふつう」という言葉が頻発しているようだったら、距離を置くようにしないと危ないもの。 「ふつう」なんて言葉が頻発している人は、決して自分で考えるような人ではなく、事態が悪くなるばかり。そんな人が考えるのは、「こんなことになったのは誰のせいだ?」と犯人探しだけ。自分自身では考えないがゆえに、自分が判断したわけではなく、つまり自分の結果責任なんて発想は縁がない。だから、発生したトラブルの原因はすべて他者のせいになってしまう。たまたま、そんな人の身近にいたりすると、その人から犯人認定されちゃうことになっちゃいますよ。 「ふつう」というレッテルを好んで使う人は、「アイツのせいで・・・」と加害者としてのレッテルを他者に貼りたがる人と共通している・・・ 皆様も、そんな人をご存知なのでは? 実際問題として、自分の子供を虐待している親は、往々にして「ワタシは、ただ、ふつうの家庭を築きたいだけ!」なんて言ったりしますよね?まさに「ふつう」を掲げるがゆえに、自分の子供を犯人認定したわけです。 「何も考えずに」ふつうという言葉を使ってしまうのなら、まあ、しょうがない。 しかし、「何も考えたくない」ために、「ふつう」という言葉を使う・・・いわば、「ふつう」という言葉ではなく、「ふつう」というレッテルを使うことで、思考停止が習慣化してしまう。ダメダメにおいては、認識や思考を封印するための、封印の護符として「ふつう」という言葉が使われるわけです。しかし、その護符によって、自分が守られるのではなく、単に問題が見ないというだけ。だから、結局はそのツケは自分自身やその家族が負うことになってしまうものなんですね 「ふつう」という言葉は、人それぞれの意味があるわけですが、たとえば「オーソドックス」というか、基本に忠実という意味として使われる事例もあったりします。 基本に忠実という意味なら、その基本とやらを、ちゃんと説明できるはず。 その基本とやらを、自分で理解していて、その価値を認めているからこそ、その基本を尊重するわけでしょ?だからこそ、その考えについて、別の人に説明できますよ。 もし、その説明ができるようだったら、言葉の上では「ふつう」という言葉を使っても、それはダメダメとは言えない。 しかし、「とにもかくにも、周囲の人に合わせる。」という意味での「ふつう」だったら、その「ふつう」だと、別の人に説明できないでしょ? つまり、当人自身としては、その「ふつう」の価値について、自身でも分かっていないんですね。 自分でもわかっていないことを、「ふつう」という言葉を持ち出して、自分を騙すわけです。 しかし、そんな姿勢は、家庭を運営する「基本に忠実」とは言えないでしょ? だからこそ「ふつうの家庭を築きたい。」と言っている人は、家庭の基本から外れて、結果的にダメダメ家庭を作ってしまうんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 またまたまた、山口県の方が事件を起こしたようですが・・・ 今回はバスジャックですか? いずれにせよ、犯人の少年のコメントが、いかにもダメダメ家庭の子供のもの。 山口県で、これだけ多発するということは、やっぱり何がしかの理由があるんでしょうね。 ダメダメ家庭に典型的な事件というものは、逆に言うと、予防することができるものです。 しかし、その予防のための主体は、親ではない、というか、親がなりようがないわけ。 その現実から出発しないと、この手の事件は、今後とも起こるわけです。 今までさんざんと起こっていて、何も対策をしないから、今回も起こったわけですし、結局は、今後も起こるわけです。 山口県が、どのような背景を元にダメダメが進行したのか? 大阪や長崎だったら、ある程度はわかる私ですが、山口県のケースはちょっとわからない。 もともとの閉鎖性とか、軍事基地の問題とか・・・があるんでしょうが・・・ しかし、現実に多発する事件が、今の状態を一番雄弁に示しているわけですし、こうなると予防のための主体となる能力のある人は、逆に言うと、予見できるがゆえに逃げ出してしまう。 予見できる人は、現実的には、予防のためのアクションを起こすより、そんなダメダメなところからサッサと逃げ出してしまう。だから残っている人間は、改善のための主体とはなりえない。この現実を無視しても、現実はよくならないわけ。 |
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R.11/1/20 |