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カテゴリー ダメダメ家庭出身者の状況
配信日 04年9月3日 (10年5月9日,10年10月18日 に記述を追加)
タイトル 兄弟仲が悪くなる
夕食の時に、兄弟でオカズの取り合い・・・やがては身体を使ったケンカに・・・
そんな流れは、兄弟ケンカに至る王道と言えましょうか?

まあ、オカズの取り合いくらいなら、どこの家庭でもあるでしょう。だから、逆に言うと「兄弟の仲が悪い」と聞かされた人間は、そのようなタイプの、カラっとした兄弟ケンカを連想するわけです。

「ああ、ボクも兄貴とよくオカズの取り合いでケンカしたものだよ。ワッハッハッ!」
しかし、ダメダメ家庭の場合の兄弟仲の悪さは、このような「オカズの取り合い」といったタイプとは違うんですね。

ダメダメ家庭の中の兄弟仲の悪さは別のスタイルになっていることが通例です。もっと陰質なもの。
オカズの取り合いだったら、片一方がオカズをゲットして勝利者、もう一方がオカズを取り損なって敗北者となるんでしょう。しかし、敗北者と言ってもオカズがないだけで・・・いわば「ゼロ」の状態といえますね。つまり「オカズの取り合い」といった兄弟ケンカの場合には「プラス」か「ゼロ」かの戦い?になるわけです。

しかし、ダメダメ家庭の兄弟ケンカはもっと深刻なんですね。
「ゼロ」か「マイナス」かの戦いが展開されてしまうわけ。
例えば常にグチっている親のグチが自分に向かわないように、子供ながら戦略を展開する必要がある。ノホホ〜んとしていたら、親のグチが自分に降りかかってしまう。これは避けたい!

ということで、そのようなグチを他者に向けさせるように考えるわけ。他者と言っても要は自分の兄弟・・・兄弟の中でババの押し付け合い状態になるわけです。
オカズが取れなくても、次がありますし、まあ、ちょっとガマンすればいい。しかし、グチはイヤですよね。
それにそのグチを放置すると、いわば家庭内で犯人認定が確定してしまうことになる。
「オマエのせいで、ワタシたちはうまく行かない・・・」なんて自分へのグチを放置すると、それが定説になってしまって、いわば「悪いのは全部コイツのせいだ!」というコンセンサスが家庭内で確立してしまうわけ。

ですから、兄弟の戦いによって、自分がグチの対象とされない「ゼロ」状態を勝ち取るのか?それともグチを延々聞かされ、諸悪の根源とされてしまう「マイナス」 状態に陥るのか?
そんなバトルは、たとえ「勝った」としても、所詮は「ゼロ」でしょ?
非常に面白くない兄弟ケンカになってしまっているわけです。それにケンカと言ってもまさに心理戦。互いに相手の心理を読みあって、そして親の心理を読んで・・・と、シリアスな戦いなんですね。それに、グチの対象を自分以外に向けるために、日頃から「あら探し」をして、「オマエには、こんな欠点があるじゃないか!そのせいでうまくいかないんだ!」という理論武装をしておくことになる。
日頃から兄弟の中であら探しをしていたら、仲良くいくわけがないじゃないの?

このような「ゼロ」を目指すための戦いということは、進学の問題でも起こってきます。
お金がない場合、兄弟一方だけが進学ということになってしまう。
「ウチは兄弟が多いからガマンしなさい!」
「ウチはお金がないんだからガマンしなさい!」
「だから進学するのは一人だけよ!」
まあ、マトモ家庭だったら、たとえ資金的に十分とは言えなくても教育ローンとかを設定するでしょうが、ダメダメ家庭ではそんな面倒なことはしないことは、以前に配信しております。

ということで、大学進学は兄弟のうち一人だけ・・・となったら必死ですよね?
片一方は大学に進学できて、片一方は進学しないのなら、「マイナス」と「ゼロ」の戦いではなく、「ゼロ」か「プラス」の戦いじゃないの?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、今の日本で、本人に学力がありながら、家庭の事情で進学できないのは「マイナス」でしょ?決して「ゼロ」とは言えませんよね?

オカズの取り合いだったら、次もある。負けても、ちょっと我慢すればいいだけ。
しかし、進学の問題だったら次があるとは言えないし、負けたらこれからの人生が大ダメージ!!
兄弟ケンカといっても全然違っているわけです。己の人生を掛けてケンカしているわけ。

オカズの取り合いだったら、まあ、いずれは和解しますよね?オカズの全体量が増えればいいわけですし・・・それこそ、漬物でガマンするという対処も取れる。問題は大したことにはならないわけです。

しかし、親のグチの押し付け合いだったら、例え勝ったとしても「ゼロ」状態でしかないわけだから、気分がよくなるわけもなし・・・
もっと深刻なバトルといえる進学費用の取り合いだったら、バトルの後で和解に至ることはありません。

2人が乗っていたボートが転覆して、海で泳いでいる間に相手をオールで倒して一人だけボートに乗り込んで助かったようなもの。たとえ、オールで殴られて気を失った人間が後で運良く救出されても、両者に「和解」などは絶対に不可能でしょ?

それにダメダメ家庭においては、親が子供の間を比較したりする。子供たちに対して平等に愛情を注がないわけ。
ババの押し付け合いだけでなく、親から愛情の取り合いも発生するわけ。
勝った方はともかく、じゃあ、負けた方が、愛情はどこから受けるの?
と言うことで、負けた側は、愛情の渇望から気が立ってきて、ますます兄弟の間のバトルが激しくなってしまう。

兄弟の間を比較され、「兄の方は出来がいいのに、弟のオマエときたら・・・」
そんな比較を聞かされ続けたら、ますます弱みを見せられないでしょ?
だから、家庭内で気を使うことになる。
だから、その緊張が家庭外で外れて、結局は、トラブルになってしまう。

そんな様子を見て、親の側は、兄弟仲の悪さを嘆き、双方の子供にも愛情を注がなくなり、兄弟はお互いに「アイツのせいで・・・」と犯人認定の応酬となってしまう。

家庭内で毎日こんな戦いが繰り広げられていたら、そりゃ兄弟仲なんて悪くなりますよ。
しかし、マトモ家庭出身の一般の人は「兄弟ケンカ」といってもオカズの取り合いのレベルで捉えてしまう。あるいは、それこそダメダメ家庭の親だってそう。
「兄弟がケンカするのは当然だ!」「ケンカするほど仲がいい・・・って言うじゃないか?」
あるいは、ダメダメな親だったら「これが兄弟の普通の姿だ!」と勝手に納得してしまう。
確かに外見的にはそうなんですが、その兄弟ケンカの種類や精神状況が、マトモ家庭とダメダメ家庭では全然違っているんですね。

だから、後になって「和解」することは絶対にないんです。ダメダメ家庭は往々にして兄弟仲が悪くなるのは当然なんですね。逆に言うと、成人後に兄弟仲が悪い家庭は、ダメダメ家庭である可能性が大です。

もし、結婚するような段になったら、相手の兄弟仲をチェックしてみましょう。
ダメダメ家庭だったら、それこそ「もう5年以上会ってないなぁ・・・」「もう、1年以上、電話もしていないなぁ・・・」などと言ったりすることも「ふつう」です。
たとえ、物理的に簡単に会うことができないような場合でも、兄弟の現在の境遇をちゃんと知っているか?
ダメダメ家庭出身の兄弟は完全に疎遠になってしまったりするんですね。

「アナタのお兄さんは、今は何をやっているの?」
『うーん・・・どうしているんだろう?』
そんな感じ。

そして「子は親の鏡」であり、兄弟仲の悪さは、親である夫婦仲の悪さの鏡のようなもの。
日頃から「いがみあっている」両親を見ていたら、兄弟仲よくとはいきませんし、そんな環境だったら、兄弟仲以外にも色々と問題を抱えていることが想定できるでしょ?

まあ、当人たる兄弟たちが「自分たち兄弟はダメダメ家庭出身だ!」と自覚していればまだいいのですが、そのような自覚がない場合には、自分の子供を同じような境遇にしてしまうわけです。
兄弟という存在は、お互いの過去を共有している間柄。疎遠になってしまった兄弟ということは、兄弟が共有している過去が、お互いにとって不快なものだったことを示しているわけです。

ダメダメから脱却するには、そんな不快な過去を直視するしかないわけですが、そこから逃避するがゆえに、「兄弟のアイツのせいで・・・オレはうまく行かない!」と親ゆずりの犯人認定に陥ってしまったり、そもそも子供時代のことを考えたくないがゆえに、兄弟と完全に疎遠になってしまう。

今現在疎遠となってしまっている兄弟と無理に仲良くなる必要はないわけですが、少なくとも、兄弟と共有した子供時代について、心理的にちゃんと確定しておかないと、どんな人とのやり取りにおいても、うまく行かなくなってしまう。
過去をアンタッチャブルにしてしまっている人は、何か不都合な事態になると、スグに逆上したりするでしょ?
兄弟そのものよりも、兄弟と共有した過去との距離感を確立する・・・
そうしないと、他の人とも、どんどんと仲が悪くなってしまう・・・そんな経験をされた方もいらっしゃるのでは?

兄弟というのは、ある意味においてよくわかっている間柄。
いい点も悪い点も、つまり相手から突っ込まれたくない点もわかっている。
だからこそ、バトルも一線を越えてしまうと、お互いのウィークポントを執拗につくようなパターンになってしまう。
共通性が高いもの同士のバトルは、どうしても陰湿になってしまうわけ。

それこそ、言葉や文化がまったく違った国同士の戦争だったら、歴史的にみて、戦争終結後には、やり直しがきいたりするもの。
しかし、同じ言葉を話すもの同士の内戦だったら、やり直すどころか、後々まで響くものでしょ?
まさに、古代ギリシャにおけるペロポネソス戦争が、古代ギリシャの崩壊の決定的な要因となるようなことが起こるわけ。
わかったもの同士の戦いは、その戦いが終了しても、敵意なり疑念が残り続けることになる。
だから、修復することは不可能なんですね。

子供時代というのは、その人の心理なり精神の土壌となるもの。
その土壌がダメダメであれば、あらゆることがうまく行かなくなってしまう。
だから、その土壌を直視することが必要になってくるわけ。
兄弟仲の悪さということは、その土壌の問題点をよく示しているものなんですね。

(終了)
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発信後記

たとえ不幸な事件でも、当事者が納得できるものもありますし、全然納得できないものがあるわけです。
「やることをやれば防ぐことができる。」しかし「やることをやらなかったので事件が起こった。」そのような類のものは、当事者としてはやり切れませんよね?
ダメダメ家庭出身者の兄弟仲の悪さも、そのような「やり切れなさ」の積み重ねなんですね。

しかし、現在起こっている浅間山の噴火のような事件では、逆に納得ができるわけ。
本当に、どうしようもないですからね。諦めるしかないし、だから諦めることもできる。

そういえば、浅間山の噴火・・・江戸時代の1783年の大噴火では、日本の天明の大飢饉だけでなく、その粉塵によってヨーロッパにも飢饉をもたらし、それがフランス革命の遠因になった・・・と、たまたま見ていた午後10時の民放の某ニュース番組?で言っていました。
そのフランス革命の説明のためなのか、ウジーヌ・ドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」の絵が出てきました。

しかし、このドラクロワが描いた戦闘シーンは1830年のフランス7月革命での戦闘。
断じて、1789年のフランス革命(第1次)ではないんですね。
これがゆとり教育の弊害ということなのかな?

マスコミも考えもせずに、いい加減な意見を巻き知らすのは勝手ですが、ヘタをすると犠牲者がでたりしますからね。
 ちなみに・・・これはドラクロワではありませんヨ。オディロン・ルドンです。
R.10/10/18