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カテゴリー 事件の前
配信日 08年5月7日 (11年1月23日 記述を追加)
タイトル 事件前、事件後 (中国の愛人撲滅ゲリラ隊について)
こんなメールマガジンを発行しているので、発行者の私の元に、購読者さんからのお便りもあります。シンプルな感想のお便りだったり、たまに触れますが逆上メールの時もある。
あるいは、相談のメールもあったりします。
チョット前には、購読者さんから「中国で、こんな事例があるけど、アナタはどう思う?」そんなお便りがありました。「できれば、メールマガジンで取り上げてほしい。」とのこと。

何でも中国で、「愛人撲滅ゲリラ隊」なる集団が、活躍しているらしい。女性たちが、自分の夫を奪った愛人に対して、尾行をしたり、殴りこみをしたり・・・と、色々とやっているんだそう。読売新聞で記事があったそうです。
「そんな女性たちをどう思う?」
・・・なんてお便りでした。

その話を伺った私としては、まずイメージしたのは、日本の女性運動です。
日本の女性運動は、その攻撃の対象者を自分とは直接に関わりのあった人にはいたしません。その手の女性は被害者意識が強く、だから対抗心が強く攻撃的になるわけですが、自己逃避の側面も持っている。だから、自分とは直接に関わりのある人を対象にすることはない。

具体的に言うと、子供時代の自分に対して問答無用で強圧的だった父親に対する恨みを、自分とは違う境遇で発生している「強圧的な別の男性」を糾弾することで代用することになる。
自分の父親に対しては直接に抗議できないので、父親の代替品をつるし上げることで満足しちゃうんですね。
しかし、相手の考えも聞かず、感情的に他者を犯人認定して、「つるし上げる」女性たちの姿は、ある意味において「父親譲り」そのもの。
日本では、そんな女性運動がポピュラーでしょ?

そんな女性運動を見ているので、中国の「愛人反対」の運動家も、その延長かな?と思っておりました。ただ、読者さんから教えていただいた新聞記事を実際に読んでみるとちょっと違う。
その愛人反対の女性たちは、自分の夫が愛人に走ってしまって、「捨てられた」女性たちの集まりなんだそう。中国は法治国家ではないので、夫から捨てられたら、もう一巻の終わりとなってしまう。だから「世にあだなす」愛人たちや、その愛人に走ってしまう「無節操な」男性たちを撲滅しようという集団のようです。そして糾弾する対象は、自分の夫だったり、その愛人だったりするんだそう。

日本では自分と直接に関わりがあった人を攻撃の対象とはしないものですが、中国では直接に関わりがあった人を対象とするのかぁ・・・・と、国情の違いに驚いた次第。
まあ、本来は、直接に関係のある人を攻撃するのがスジというものですよ。
抗議のスタイルとしては、中国の方がまだマトモ。日本はその点は「奥ゆかしい」んでしょうねぇ。

しかし、夫が愛人に走ってしまって、捨てられたかわいそうな女性・・・による抗議活動と言っても・・・ちょっとねぇ・・・

このメールマガジンは基本的には10時20分頃に配信しております。愛人に走った夫と、去られてしまった妻・・・なんてシチュエーションは、この文章が配信された3時間や4時間経った後の時間帯で、テレビドラマなんかでやっているんじゃないの?

妻と愛人のバトルのシーン。
「アンタがウチの亭主をたぶらかしたんだ!」
『知らないわよ!そんなこと!』
「何を言っているのよ?!返してよ!私の夫を返して!私の家庭を返して!」
『知らないって言っているでしょ?!鬱陶しいわねぇ!アンタの亭主が勝手に私についてきただけよ!』
「何を屁理屈を並べて!この泥棒猫!!」
『もうほっといてよ!』
「絶対に夫とは別れてやらないんだから・・・いつまでもアンタたちを困らせてやる!」
奥さんのその言葉に、愛人さんは薄目を開けながら、タバコの煙を「妻」に吹きかけ、
「フンっ!寝取られ女が!」
その言葉に「妻」は更に逆上して、「キーっ!」とつかみかかる。

まあ、こんなシーンはその手のドラマには、お約束のシーンじゃないの?
そんなシーンにおける登場人物は、すべてが「どっちもどっち」なもの。
精神的には「どっちもどっち」とは言え、妻には法律的には正当な権利がある。
愛人よりも、妻の方が権利を持つなんてことは、言うまでもないこと。
妻としては過激な抗議の一つや二つもしたいところでしょう。
何も泣き寝入りをする義務はありませんよ。

その愛人によって、妻の生活はメチャクチャになった・・・のはいいとして、じゃあ、「寝取られる」前は、そんなに良好な夫婦関係だったの?
夫が愛人に走る前は、会話と笑顔が絶えない日々だった。夫婦は信頼感で結ばれていた。しかし、あの愛人が現れてからは、メチャクチャになってしまった・・・
そう言いたいのかもしれませんが、現実にそうだったの?
夫が愛人に走る前は、実際には、どんな夫婦関係だったの?

夫が愛人に走ったことへの抗議として、愛人を尾行したり、殴りかかったり、付きまとったりするような女性が、「寝取られる前」には、どんなことをしていたのか?あるいは、どんな妻だったのか?あるいは、その夫の側も、そんなに「いい夫」だったのか?
そんなことは簡単に推定できるでしょ?

夫婦に信頼関係が出来ていれば、たとえ一時的な「あやまち」があったとしても、いずれは元の鞘に収まりますよ。それに、たとえ離婚になったとしても、夫の方だって、財産分与が何もない状態で放り出したりはしないものでしょ?

「寝取られる」という事件の、前も、後も、その精神的な面においては、変化はないもの。
ただ、今まで目を逸らしてきた実態が、避けようがないほどに見えるようになってしまったというだけ。

しかし、当事者意識がなく、被害者意識だけがあり、だからこそ自己逃避のダメダメ人間は、事件前のことなど、何も認識していない。それこそ、「ワタシたちは『ふ・つ・う』の日々だった。」とでも言うしかない。だから、事件によって突然に顕在化した問題に対応できない。だからこそ、「アイツのせいで・・・」と他者を犯人認定して、その犯人認定を自分自身に確定させるための、儀式を挙行することになる。

事件前の状態について何も語れないので、何が変わってしまったのか、当人も説明できない。ただ嘆いているだけ。
このようなことは、愛人によって、「寝取られて」しまうようなドラマティックな事例ばかりではなく、ダメダメな世界では結構ポピュラーに発生しているもの。
このようなことについては、かなり以前に、「夫は子育てに非協力的だ!」なるグチを取り上げたことがあります。

まあ、現実に「子育てに非協力的な夫」もいたりするもの。しかし、じゃあ、その夫は、「子育て以外」の、いったい何に協力的なの?食事後の皿洗いとか、庭掃除や風呂掃除には協力的なの?
そんなわけないでしょ?
子供が生まれる前から、あらゆる家事に対して、非協力的だったでしょ?
そんな状態なのに、子供が出来たら、子育てには協力的になると思っていたの?
サウロもビックリの改心を期待していたの?

現実的には、出産前も出産後も、「非協力的」であることには、全然変わらないでしょ?
ただ、それが、出産という「事件」を契機に「避けようがないほどに見える」ようになっただけ。

愛人問題だって、同じでしょ?それに・・・そもそも、愛人に走るそんな男性と、どうして結婚したの?
いくら中国だって、全員の男性に愛人が持てるわけではないでしょ?
そんなことができるのは、特権階級だけですよ。結婚前は、その男性は、どんな人だったの?その男性が、女性に対してジェントルマンだったとでも言うの?
その女性は、どんな考えで、その男性と結婚したの?

逆に言うと、そんな特権階級の男性だからこそ、その身分を目当てに、妻となったその女性も結婚したんでしょ?
「この人と結婚しておけば、あとは、ラクチンだ!」
「ぜったいに食いっぱぐれはないぞ!」
「ワタシも勝ち組よ!」
そのプランが崩壊したからこそ、逆上して、過激な抗議運動に走るわけでしょ?
財産分与を求めて抗議活動をするのはいいとして、逆に言えば、それだけの財産がある夫だったということ。一般庶民ではありえませんよ。

「まっ、こうやっておけば、あとは安心!」
なんて「て・き・と・う」にことを始めるから、コケしてしまう
いったんコケてしまうと、今まで何も考えずに生きてきたので、対応ができない。だから誰かを犯人認定をして、犯人確定の儀式としての嫌がらせに励むことになる。

分かりやすい事件があると、その目立つ事件を、自分が「うまくいかない」原因としてしまうものですが、現実では、その前から、ダメダメの積み重ねがあったわけです。ただ自己逃避のダメダメ人間は、自分の目の前で起こっていることを見ようとしない。
トラブルの土壌が出来つつあったのに、それに目をそらし続けて、何も対処せずに、結果的に小さなきっかけで、大きな事件になってしまう。そして、目をそらしてきた人間は、目立つきっかけだけに注目し、「あの○○のせいで!」と大騒ぎすることになる。

愛人に寝取られるくらいなら大人同士のやり取りなので、ある意味においては「勝手にどうぞ!」、なんですが、現実的には子供が絡んだりすることになる。
それこそドメスティック・ヴァイオレンスなどにおいても、往々にして結婚前から暴力的なのに、そのまま結婚してしまう。結婚という「事件」の前も後も、基本的には変わらない。
その時点で離婚すればまだしも、ダメダメ人間は何も考えずに、そのまま突っ走ってしまう。
そうなると、出産という事件が発生する。
こうなると、出産という事件に、自分たちが「うまくいかない」原因が押し付けられてしまう。

結局は「コイツのせいで・・・」と子供を虐待することになってしまう。
しかし、暴力的なキャラクターは、出産後も、出産前も、そして結婚前も変わらないもの。
現実的には、何も変わっていないがゆえに、何かを原因として設定して、自分を納得させる必要がある。
そして、勝手に認定した犯人を恨むことで、「加害者vs被害者の構図」を作り上げ、自分をかわいそうな被害者として認定してしまう。

中国の愛人撲滅ゲリラ隊の珍妙な行動は笑って見ていればいいだけ。
しかし、現実逃避であるがゆえに、「目立つ」事件に原因のすべてを押し付ける人は、日本でもポピュラーなもの。
「ワタシの夫は子育てに非協力的だ!」なんてグチも、規模はともかく、その精神においては、共通しているわけです。

あるいは、家庭問題だけでなく、マスコミの人は、前々から「おかしな」状態になっているのに、何も取材をせずに、いざ事件が顕在化したら、大騒ぎするでしょ?しかし、じゃあ、その事件の前はどんな状態だったの?そんなにマトモだったの?そんな丹念な取材をした報道なんて、お目にかかれないでしょ?
結局は、その目立つ事件に、あらゆる原因が押し付けられてしまう。
そして大騒ぎをすること、それ自体によって、その関係性を確認する儀式としてしまう。
事件前も、事件後も、その精神は共通しているわけですし、規模は別にして、どんな国でもダメダメな人は、同じようなことをやっているものなんですね。

それこそ、ロシアの文豪トルストイは「アンナ・カレーニナ」において、夫と情夫の名前を同じアレクセイとしました。つまり、2人は本質的には同じキャラクターだということを、その名前の一致という形で描写したわけです。
アンナは、浮気前も、浮気後も、結局はアレクセイと付き合っているわけですからね。
彼女としては、本質的には何も変わっていないわけです。変わっていないが故に、目の前にあるものを犯人認定して、食って掛かるだけ。

現実逃避する人間は、目の前のものを見ようとしない。
変化があったときだけ、それを感知する。
そして、その変化に大騒ぎ。
永遠なるもの、変わらないものは、人の目の前に常にあるがゆえに、人は認識しないし、見ようともしない。
しかし、問題の本質は、その変わらない面にある。

移り行くものは、永遠なるものの比喩に過ぎないし、あるいは、洞窟に映った影のようなもの。しかし、比喩であり、影でもあるわけだから、永遠なる本質を見るためには、本来は役に立つはず。
せめて、その影や比喩をしっかり見て、そこから永遠なる本質まで考えていけばいいのでしょうが、現実逃避のダメダメ人間は、そんなことはしない。

もちろん、それこそが、永遠に続く、人類の姿なんですが。

(終了)
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発信後記

当然のことですが、「愛人に走った男性」を擁護しているわけではありませんヨ。
そんな男性は、そもそも結婚前からそんな男性だったでしょ?ということです。

事件の後に大騒ぎをするよりも、そんな事件にならないように、日頃から準備する方がラクじゃないの?と申し上げているだけです。
R.11/1/23