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カテゴリー | ダメダメ家庭が好きな言い回し | |
配信日 | 06年3月3日 (10年11月26日 記述を追加) | |
タイトル | べき論 | |
ダメダメ家庭は会話不全の家庭。だから、その物言いも相手から会話を引き出すものではなく、自分の考えなり意見なりを、一方的に押し付けるスタイルなんですね。 その例として、以前に「くだらない」という言葉を取り上げました。 会話の意欲がないダメダメな親は、子供が何を言っても、「くだらない!」と一刀両断。 そんな物言いをされてしまったら、子供しても、親に対して何も言う気がなくなるでしょ?あるいは、親に気に入られようと、常に親の意向に沿ったことしか言わない人間になっちゃうでしょ? まあ、ダメダメ家庭一直線ですよ。 今回は、その「くだらない」という言葉ではなく、「べき」という言葉を取り上げましょう。 ダメダメ家庭を作る人間は、その物言いが、やたら「こうすべき」「ああすべき」と、「べき論」なんですね。 そんな「べき」で言われちゃったら、どのように会話が進展するの? 私程度に頭が回る人間なら、ニヤニヤ笑って、ジワジワとひっくり返すこともできますが、そんな人間は実にレアケース。一般的には、そんな「べき」で言われちゃったら、会話が発展しないでしょ? 大人同士でも、そうなんだから、大人と子供の間柄だったら、どうやって会話するの? 大人の側が『こうすべきだ!!』。 子供としては「ははっ!仰せのとおりにいたします!!」って、こんな感じにならざるを得ませんよね? そんなやり取りしかしてないのだから、子供が問題を抱えていても、それが顕在化するわけがないでしょ? だって、スグに「べき」なんて言い出す人に対して相談のしようがないじゃないの? 以前にこのメールマガジンで「長崎の事件での父親の手記」を取り上げ考えてみましたが、あの手記には「べき」という言葉が実に多くありました。手記の中に多いということは、普段から「べき」という言葉を使っていることですよね?父親が子供に「こうすべき!」なんてやっていたら、当然のこととして事件は起きますよ。だって、あの女の子がどんなに困っていても、「べき論」で問答無用で説教されてオシマイでしょ? 子供に対し直接的に「べき論」で言わないにせよ、自分の前で「べき論」ばかりだったら、子供だって、そんな人とのフランクなやり取りは期待できないでしょ? 自分の意見なり考えを相手に分かってほしい場合は、「べき論」などを使うのは下等なんですね。 もっと上等な方法はこんな感じ。 相手に伝えたい考えの反対のケースを取り上げ、シミュレートしていくわけ。そして、その考えを「取らないと」どのような不都合な事態になるかを説明していくわけ。アインシュタイン風に言うと思考実験とでも言いましょうか? まあ、このメールマガジンの常套の手法ですが・・・ 「もし、アナタがこうしないと想像してご覧?そうなると、相手の人はこのように考えるものでしょ?すると、相手はこんなことをするようになるよね?それは困ったこと!だったらそうならないように、最初からこうした方がいいでしょ?」 そんな言い方の方が説得力があるでしょ? あるいは、そんな説明を受けても、その考えに納得していない場合には、『けど・・・必ずそんな事態になるのかな?』『こんな風に考えることもできるんじゃないの?』などと、質問なり反対意見を言いやすいでしょ? だったら会話も発展しますよね? 「べき論」からは、会話なんて発展しないでしょ?つまり、その言葉に「べき」が多い人ということは、いかに対等の関係での会話をしていないかが見えてくるわけ。いわば「命令と服従」というコミュニケーションしかできない人間といえるわけです。 別の言い方をすると、相手から合意を取るという、肯定的な状況を作り出すことを目的としたやり取りではなく、相手に「反論を言わせない」という二重否定的な状況を作ろうとしているわけです。 いわば「つるし上げ」を、言葉だけでやっているようなもの。結局は問答無用なんですね。 逆に言うと、それだけ、自分の主張に自信がなく、あるいは、説明能力にも自信がないわけ。 相手から反論を受けたら、もうその時点で対処不能・・・そんな恐怖心が、「べき」という強い言葉につながっているわけ。 一般の書籍なりメールマガジンの世界でも、やたら「べき論」の書き手っているでしょ?その手の人は、権威主義的で、序列に拘る人が多かったりしますよね?そして、権威主義の裏面としての強い対抗心を持っていることも多い。まさにダメダメ家庭の典型的なメンタリティーを持っているわけ。 だから、被害者意識が強く、当然のこととしてグチっぽい。 「あ〜あ、○○のせいでうまく行かない!全く○○には困ったものだ!だから我々は、あの○○をやっつける『べき』なのだ!」 そんな調子。 ダメダメ人間の文章や発言って、まさにそんな調子でしょ? しかし、そんなグチというか説教を聞かされてもねぇ・・・ そんなグチっぽい「べき論」に同調するような人は、所詮は同じ穴のムジナ。 一般の人は「べき論」で語られても、ジャマくさいだけでしょ?だったら無理に付き合う必要はないわけ。だって、いつだってそんな調子なんですからね。まあ、知人のような間柄だったら避ければ済む話でしょう。 しかし、家族にこんな人がいると、そんな家庭からは会話が消失してしまうでしょ? 会話が機能していないダメダメ家庭って、実に簡単にわかるものなんですね。 事件が起こってから大騒ぎするより、そんな事件が起こらないように対処すればいいわけ。物言いに「べき」が多いということは、それだけでその人が要注意ということがわかるわけです。 それこそ、家庭の問題に関して、「べき論」を使って、「少子化対策のために子供を持つべきだ!」という物言いがあったりしますよね? あるいは、少子化の問題については、「子供を持つと、こんなにいいことがあるよ!」という言い方も存在する。片や命令であり、片やサジェストと言えるでしょう。 「子供を持つべきだ。」は、命令の一種であり、「逆らうことができない」「反論を許さない」という二重否定となっている。それに対し、「子供を持つとこんなにいいことがある。」というのは、単純な肯定形であり、合意形成を志向している。必要に応じ、追加説明をする意向も示しているわけ。 「べき論」を使って、相手を黙らせても、それは合意ではないわけ。 それこそ、「子供を持つべきだ!」という二重否定的な物言いに「従って」子供を持ってしまったら、できた子供はどうなってしまうの? まさに、その子供当人が「逆らうことができない」状況になるのは、小学6年生でもわかることですよ。 そして、逆らうことができない状況になっている人間が、自分の意向を通そうとすると、どうしても過激なものになってしまうでしょ? そりゃ、事件だって、起きますよ。 「こうすべき」「ああすべき」と語る問答無用人間は、放っておけばいいだけだし、どうせやりとりをしてもおもしろいわけではない。 しかし、そんな問答無用人間の周囲にいる人間は、その人の意向が、「べき論」の問答無用人間によって、抑え付けられていることが想定できるもの。 その不満が爆発する可能性が高いわけ。 そもそも、「べき論」の問答無用人間の周辺では、会話が成立していない。だから不満を解消するためには、結局は、フィジカルな手段となってしまう。 「べき論」を使う人は、その当人だけでなく、その周囲も危険人物の可能性が高いわけ。 長崎の事件なんて、まさにその典型でしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 「べき論」がおなじみの世界というと、いうまでもなく政治の世界ですよね? 政治家という存在も、ダメダメ家庭出身者の巣窟であることは以前に配信しております。それだけ、その出身家庭が「何でも政治のせいにする」傾向があったわけでしょ? 何でも教育基本法の改定とかで、愛国心とかを教えようなんて話になっているようです。それに対し「国による教育の管理に反対!」と、いつもの議論。 どっちも理念的すぎるでしょ? そもそも学校教育が重要なのは、むしろダメダメ家庭の子供。 マトモな家庭だったら、学校の選択にも配慮しますし、塾に行かせたり、家庭教師などもつけることができる。家庭で情操教育にも取り組んだりする。学校だけが教育の場ではないわけ。しかし、ダメダメ家庭はそんなことはしない。 子供の教育だって「て・き・と・う」 そのようなダメダメ家庭にフィットした、サポートが必要なんでしょ? マトモ家庭は、国や学校が放っておいても、ちゃんとしますよ。 ダメダメ家庭の子供に、自分の家庭のレヴェルを自覚させ、それに対応した施策をとっていく・・・「べき論」よりも、そんなきめ細かい施策でないと無意味なんですね。 |
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この文章に関連した文章では、「09年8月14日 配信 逃避としてのべき論」という文章があります。 あるいは、必要以上に強い調子の言葉を使うことによって、反論されることから逃避する心理については、 「08年9月8日 配信 劇場風ハイテンション」という文章があります。 |
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R.10/11/26 |