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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない発想,精神
配信日 06年4月7日 (10年10月20日 記述を追加)
タイトル 歳を取る準備
フロイトが創始した深層心理学の一分派に分析心理学と言うものがあります。
スイスのカール・グスタフ・ユングが始めました。

ユングについては以前に触れたことがあります。ケレーニイと一緒にやった神話学の研究に関してちょっと触れました。

その神話学の研究が、映画「スター・ウォーズ」のネタであることは、見る人が見ればスグにわかること。神話学なんていうと、シャチコばって聞こえますが、要は世界のおとぎ話。
その神話学が頭に入っていると、「スター・ウォーズ」を見ながら、「ああ、あの登場人物は、神話学でいうと○○に該当するんだな!」なんてスグにわかります。

ユングはその他にも、集団的無意識とか、ちょっと変わったところではオカルトの研究なり、UFOの研究なりと色々とやっています。興味を持たれたらご自身でお読みになってくださいな。何と言っても私は素人ですからね。ちなみに彼が言っていることのひとつに「中年の危機」ということがあります。今回の文章ではユングが言っている「中年の危機」に関して考えてみます。
論語に「40にして惑わず。」なんて言ったりしますが、現実には40歳近くになったら、精神的に危機に陥りやすい・・・ユングが言っているのは、そんなところです。

このことを思い出したのは、言うまでもなく、最近(06年)起こった川崎市での小学生投げ落とし事件。犯人が41歳ということで、この「中年の危機」という考えが頭に入っていると理解しやすいのでは?と思いました。
もちろん、40歳になったら、すべての人があのような事件を起こすというものではありませんが、多くの人がある種の精神的な危機に直面することが多いもの。
では、それからどう脱却するか?それが重要でしょ?小学生を投げ落としても、自分自身の問題は解決しませんよ。

では、なぜに「中年の危機」が訪れるの?
まず考えなくてはいけないのは、「自分はこのままでいいんだろうか?」という葛藤です。
若い頃は「いざとなったら、やり直せばいいや!」と考えることもできるし、実際にやり直しも可能ですよね?
しかし、40歳近くの中年になると、「やり直し」も簡単にはいかない。家庭などの「しがらみ」も増えてきます。
それだけでなく、やり直すだけの体力的パワーも落ちてくるでしょ?時間だって、若い頃と違って、いっぱいあるなんて言えない。

かと言って、「やり直したい」という欲求は、以前より強くなるわけ。
自分の親の老後なり周囲の年上の人を見て、「このまま突っ走ったら、あんな状態になってしまう。」「このままではいけない!」と危機感を持つことも多い。曲がりなりにも、40年ほどは生きてきたので、それなりの洞察力も付いてしまっている。「このままではダメだ!」と自分でもわかるわけ。

平均寿命は80歳くらいとして、40歳の人の場合、残された命は40年ほど。この40年ほどの年月は実に微妙な年月ですよね?勢いで突っ走れるものではないし、かと言って今からゼロからやり直すには、ちょっと短いかな?そんな年月ですよね?

さあ!どうする?
「自分はこのままの状態で、何となくのまま生きて行っていいのかな?」
「やり直すなら、今が最後のチャンスかも?」
どのような判断をしようと、本人の問題です。逆に言うと、本人しか解決できない問題でしょ?

ダメダメ家庭の人間は、自分自身から逃げてしまっていることが多い。「ふつう」という名目で、「人に合わせているだけ」のことも多いわけ。しかし、このまま「人に合わせる」だけで、残りの人生を送ってしまうの?
そのように自問自答したりすれば、焦ったりもするでしょう?精神的に危機にもなりますよ。

今回の川崎市の事件で、いつものように「犯行の動機」云々が言われるでしょうが、犯人の心の中に「自分はこのままでいいんだろうか?」という葛藤があったことは間違いないでしょう。その葛藤が直接的な「犯行の動機」と言えるのか?それはまた別。しかし、自分が意識している心理より、もっと深い無意識の部分では、そんな葛藤があり、それが事件の「理由」となっているわけ。別のところで書いていますが、「理由」と「きっかけ」は別のもの。しかし、多くの人はその区別をつけられずに、事件の心理を理解できなくなってしまう。今回の事件では、犯人が歳をとってきて、それに対して当人自身がどのように対処していいのか自分でもわからないという背景があるわけ。

ユングは言っています。「自分が若いということを自慢しているようではダメだ!」
体力的には、若い時と同じだけの体力があった方がいいでしょう。しかし、精神的には別でしょ?年齢に沿った分別なり、知力が付いていないとダメでしょ?いつまでも若さを自慢するだけの人は、ただ体力が落ちるだけの年齢の重ね方だったの?それも寂しいですよね?
精神的な成熟こそが、人間本来の年齢の重ね方でしょ?

ダメダメ家庭の人間は、自分自身から逃げている。そんな人間は当然のこととして、「自分が歳を取る」ことからも逃げているわけ。いつまでも若さにすがり付こうとするわけ。若さにすがり付いても、容姿も体力もいずれは落ちていきますよ。落ちていくものに執着するよりも、知力などの増やすことができるものに目を向けた方が楽しいじゃないの?

中世のヨーロッパで「メメント・モリ」なんて言葉が言われましたよね?ラテン語で「死を忘れるな。」という意味です。「人は誰もが死を迎えることになるのだから、はかない現世にこだわるよりも、永遠の来世に目を向けよう!」そんな意味と言えます。何もそこまで悟りの境地に到達する必要もないでしょうが、自分自身が歳を取ることを忘れてはダメというわけ。中年になる前から、ある程度準備しておけばいいわけでしょ?中年になると周囲の人の中で鬼籍に入る人も出てきたりする。そうなると、それまで「何も考えずに惰性で生きてきた」人は、急に焦って「このままでいいのか?」と考えてしまうわけ。

やっぱり中年にもなると、制約も多くなる。
それまでは可能性を追い求めることができても、それ以降は、自分の可能性の取捨選択の面が大きくなる。もっと端的に言うと、「持っている可能性を捨てる」という判断も必要になってくる。
自分にとって命をかけてまでやりたいことがあるのなら、それ以外のものには配慮していられないでしょ?
だからこそ、「それ以外」のものは、捨てる覚悟も要求されるわけ。

しかし、ダメダメ家庭の人間は減点法であり、「捨てる」という事態を減点面から考え、心理的な抵抗が大きい。だから、結局は、多くの可能性を捨てきれず、逆に言うと、何も達成できないわけ。
まさに「自分の可能性がいっぱいあっても、それが具体的な成果に何も繋がっていない。」という「可能性のゴミ屋敷」状態。
「あれも、これも・・・」と各方面に目が行き、そして、「とりあえず」は持っているのはいいとして、「これだけは、やり遂げたい!」と掲げることはしない。

あれも、これも・・・」というのは、若い頃はそんな発想もいいのでしょうが、さすがにある程度まで年齢を経たらそんな発想ではダメでしょ?
もっとも重要なことのために、二番手以降のものを捨てる覚悟・・・それも歳を取る準備の一つでしょ?

自分自身から逃げ回っている、ダメダメ家庭の人間は、歳を取る準備など何もしないわけ。だから、いざ中年になって「自分はこのままでいいんだろうか?」と精神的な危機に陥った時に、対処ができないわけです。
だからこそ、そんな精神的な危機にある自分自身から「より、目をそらす」ための行動をせざるを得ないわけ。
そう考えると、あの事件だって、理解しやすいでしょ?

「中年の危機」と似たようなことは、夫婦の離婚の問題だって発生いたします。「このまま、この人と一緒に夫婦をやっていていいんだろうか?」そんな相談やあるいは自問自答も現実に多い。まあ、実際にその年代の方で、この私に相談された方もいらっしゃいました。重要ことは、それまでの自分自身を見つめ、そして今後の自分自身をちゃんと考えるということでしょ?そもそも「て・き・と・う」に結婚して、現在の問題が発生しているのなら、まずはそのことを自覚しないとね。相手の問題を云々するばかりではなく、自分自身を見つめることが必要になってくるわけ。

よく「子供のために離婚しない。」という物言いをされる方もいらっしゃいますが、「子供のために離婚しない。」のなら、そんな言葉を口に出した時点でアウトでしょ?
別のところでも書いていますが、本当に子供のことを考えているのなら、子供のために自分を完璧に殺して、「よき妻、よき母」の姿にならないとね。
「子供のために離婚しない。」と言っている人は、結局は、何も判断したくないわけ。
母親稼業に徹することも、あるいは、家族を捨てるという判断もしない。結局は、「子供のために」という言葉を持ち出し、「子供のせいで」と子供を犯人認定し、自分自身の判断を先送りするだけ。
どんな選択でもいいわけですが、その人なりの決然たる覚悟が要求されるわけです。
いつも先送りばかりだったので、先送りできない状況になってしまうとパニックになってしまう・・・それゆえ、中年の危機が深刻になるわけ。
だからこそ、先送りしないで、適宜解決しておけばいいわけです。

今回の事件だって、「識者」さんが色々と御託を並べるのでしょうが、本当に理解するためには「中年の危機」という言葉がキーワードになるでしょう。そんな言葉も知らないような「識者」は、知識はあってもアタマがカラッポというわけ。

そんな「識者」さんの見解はそれで結構ですが、そんな程度の低いつじつま合わせで満足せず、自分自身で色々と考えることが重要でしょ?自分で考えるからこそ、人の考えもわかる・・・そんなことは、当然のこと。他人の言葉をいじるだけで、自分自身で何も考えないのに、「あの人の考えはわからないわ!」なんてダメダメですよ。わからないなりに、自分の目で見て、自分の頭で考えてみればいいじゃないの?

この「中年の危機」という視点は、ダメダメ家庭の人間に独特のものではありません。
マトモな一般人でも陥るもの。だって、どんな人間だって歳を取るわけですからね。
その曲がり角のところでは、色々と考え、迷いますよ。
そして、その地点で色々と考えた上で、不惑の境地に至ればいいだけ。
逆に言うと、それまでの日々なり、その地点で、真剣に迷っておかないから、目をそらす過激な行動が必要になってしまう。

人間の思考なんて、それこそ神話の時代から変わらないわけ。だからこそ世界中のおとぎ話が似ていたりするわけ。普段から「自分自身の目で、自分で考える」・・・それが中年の危機の最大の対処法じゃないの?そんなこと本来は誰でもできることですよね?そんなことを考えるのにお金が必要というわけでもありませんし、時間的にもトイレで座った時にでもちょっと考えればいいだけでしょ?「自分はこのままでいいんだろうかな?」って。
普段から、そのように考えていれば、葛藤があるのは当然として、極端なまでの精神的な危機には陥りませんよ。

(終了)
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発信後記

このメールマガジンは、やたら、様々な人の言葉などを引用したりしていますが、基本的には私の自己流の理解ですので、ご興味がありましたら、ご自分でお調べくださいね。

そういえば、民主党は結局代表選挙まで行きそうですが・・・
途中までは私の筋書き通りだったのですが、読みがハズレましたね。
菅さんも代表になりたいのなら、前に国対委員長が辞任した時に後任になっていれば、何の問題なく、次期代表になれたでしょうに・・・
結局何がしたいのか?私にはよくわからない。

しかし、政治家さんという種族は、やっぱり選挙が好きなんでしょうね。今回の代表選挙でも、妙に生き生きとしている。本当に楽しそう。
選挙自体が趣味の人たちなんだから、なんだかんだと理由をつけて、やっぱり選挙に突入しちゃうというわけなんでしょうね。
R.10/10/20