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カテゴリー 当事者意識の欠如
配信日 05年8月17日 (10年4月2日,10年8月18日に記述を追加)
タイトル 問題の先送り
ダメダメ家庭を作る人間は、自分に耳の痛いことを言われたり、書かれたりしていると、「クイック・レスポンス」で、実に迅速に反論するものです。

このことは以前に配信しています。耳の痛い指摘に対して「とりあえず」「早急に」反論しておくことで、その問題について自分で考えることを避けようとするわけ。そんな行動は、当人の意識の中では、自分が受けた不適切な指摘に対して、「自分で」、「的確に」反論した・・・となっているわけですが、そんな反論は、往々にして内容も支離滅裂ですし、指摘された重要な事項については明確な反論をしないわけ。どうでもいいような枝葉末節な部分を取り上げて、いわば揚げ足取り的なスタイルで懸命に反論するわけです。

相手に対して先走った形で反論することはあっても、反論する相手に対して、自分の見解を説明する発想は持っていないわけ。ただ、「気に入らない見解を見たくない!」というだけ。
だから、そんな反論を受けた側は、一時的に「黙る」ことはあっても、反論の意見なり、反論してきた人に対しては、「アホだなぁ・・・」とか「怖い人だなぁ・・・」と思うだけ。
頻繁に書いていますが、「合意を取る」という肯定方向のやり取りと、「相手から反論がない」という二重否定方向のやり取りはまったく別のもの。
「合意を取る」という発想そのものがないダメダメ人間は、相手を黙らせることしか発想を持っていないわけ。

何もそんなに急いで反論する必要はないでしょ?反論の文章をじっくりと考えればいいじゃないの?
しかし、そのためには、指摘された文章を熟読して、自分でしっかり考える必要がありますよね?ダメダメ人間はそれがイヤなんですね。だから取り急ぎ、とりあえず反論する。そうやって、耳の痛い指摘について考えることから逃げてしまうわけ。

耳の痛い指摘に対しては、即座に反論するものですが、普段は実にゆっくりと・・・もっと明確に言うと何もしないものです。ただ、グチっているだけなんですね。

たとえば、結婚生活でもそんな感じになっている。まずは「とりあえず」「て・き・と・う」に結婚する。
いわば、判断から逃避して、「投げやり」で「自己否定的に結婚」するわけ。
そんな行動は、「いつの時期に、誰と結婚するのか。」について考えることから逃避するために、実際に結婚してしまうと見ると理解しやすいでしょう。
そして、結婚生活を始めたら、夫との間がうまくいかない。そもそも、何も考えずに「て・き・と・う」に結婚したのだから、結果的に上手く行かなくなることは、それこそ小学生でも予想できることではあるのですが、現実逃避のダメダメ人間は、何も見ないし考えないままで結婚し、いざ結婚生活を始めたら、実体験として「こりゃマズイ!」ということを実感することになる。
別の言い方をすると、「結婚という選択について、考えたくも、見たくもない」がゆえに、実際に結婚したら、結婚生活の問題が目を背けられないほどに大きくなってしまったというだけ。

よく書いていますが、ダメダメ家庭を作る人間は、「どうしたら離婚をせずに、この夫婦関係を立て直すことができるのだろうか?」などと『結婚後』に考えたりしますが、「この人と長くやっていけるのだろうか?」と、『結婚前』には考えたりしないものなんですね。

しかし、結婚後になって、「どうしたら離婚せずに、この関係を立て直すことができるか?」について色々と考えたりする・・・のは、まだマシな方で、具体的に何も対処しない人も多いわけ。
ただ「困った、困った・・・」と嘆いているだけだったりするわけです。

せめて「このまま行くと離婚かな?」と考え、そのための準備でもしているのなら、まだ救いがあるわけ。現実によくある例ですと、「困った、困った、夫はヒドイ人だ!」と言いながら、そんな女性がやることは、離婚のための準備をすることではなくて・・・子供を作ること。
夫とは別にいる自分の愛人との子供だったら、まだわかりますが、ちゃんと夫との間の子供?なんですね。
夫との離婚が頭の片隅にあるのなら、子供を作るのは問題でしょ?

そうして子供を作った後でもお決まりのグチ。「夫は子育てに非協力的で・・・」
そんなグチはグチでいいとして、じゃあ、夫が父親失格であることを確認して、その時点でやっと離婚するの?
と、思いきや、そうは行かない。その手の女性が次にやることは、また子供を作ること。
2人の子供を抱えて、「夫は、子育てに非協力的で・・・」というお決まりのグチにも、いっそう身が入ることになる。

挙句の果てには、またまた子供を作って、3人目の子供を抱えて、「3人も子供がいるのに・・・」「夫は子育てに非協力的で・・・」とまたまたグチ。
私はギャグを書いているわけではありませんよ。現実にある例です。
ダメダメな人間は、具体的な改善策を先送りして、ダラダラと日常を過ごしているわけ。

夫との問題だって、単に会話の不足というレヴェルのものから、もっとシリアスなパターンとして暴力を受けるケースもありますよね?ダメダメな人間は、夫から暴力を受けながら、子供を作ったりするわけです。そんな環境で育った子供がどうなるかなんて言うまでもないことでしょ?
しかし、そんな妻は「子供のために離婚しない」という大義名分を掲げ、離婚という判断をしない。かと言って、夫の関係をやり直そうという判断も決意もない。
グチグチと文句を言って、判断を先送りしているだけ。

問題を先送りして事態が改善されるわけがないでしょ?どこかで気合を入れて、勝負しないとね。別の言い方をすると「賭け」ないとダメでしょ?

その手の先送り人間が、常に、行動を先送りしているのなら、まだ理解できます。単に頭が致命的に悪いだけなんでしょうからね。しかし、最初に書きましたが、その手の人間は、「耳の痛い」指摘に対しては異常にすばやい反論をしたりするわけ。
自分の目の前に「見せられたら」、異常にすばやく対処して、見ないようにしてしまう。
そして、見ないようにできたら、相変わらずの、判断逃避。

見えなくなればそれでいい・・・というスタンスなんだから、それこそ同居している家族が死んでも、それを見ないという対処を取ることになる。
その人が自分の部屋で、ひっそりと死んだのなら、問題が「見えている」わけではないので、そのままでいいわけ。死亡届を出すわけでもない。ただ、ダラぁ〜と「そのまま」流れているだけ。あるいは、徘徊とか家出で、まったく連絡が取れなくても、それはそれで結構なこと。だって、徘徊の結果でいなくなったのなら、「見なくても済む」という面においては理想の状況といえるでしょ?

何回も書きますが、抑圧的なダメダメ人間は、何かトラブルが発生した際には、ちゃんと見た上で対処するのではなく、「ただ、見えない状況が出来上がればそれでいい。」と思っているわけ。

結局は、自分では何も改善する覚悟がないわけです。ダラダラとグチを言い続ける「今のぬるま湯的状態」を温存したい・・・と思っているだけ。そんなグチに対して、マジメに同情したりする人がいるから、ますますグチに身が入ってしまうわけです。
何もしないことで、そしてグチを言うことで「構ってもらえる」という成功体験ができてしまうわけ。だから、ますます何もしないまま。

パスカルの「賭けの理論」ではないのですが、このまま行ったらダメダメなのはわかりきっている状態では、勝負すること自体に価値があるわけでしょ?しかし、そのためには自分自身で考え、行動する必要があるでしょ?グチっている場合ではないわけ。

その段になっても、まだグチの方に流れてしまう。重症のダメダメ人間はそのようなもの。このような人は外部からの強制力でないと、子供は救えないんですね。

先送りと言っても、一時的な判断として、「ちょっと様子を見てみよう・・・」そんな「判断」をするケースも実際にはあるでしょう。しかし、その場合にも、「少なくとも、この時点では何がしかの対処をする。」と決めておく必要があるでしょ?それまでは、注意深くウォッチしていく・・・そんなパターンもあるでしょ?
いわば「○月△日の時点では決定する。」・・・という判断でもいいわけ。
しかし、ダメダメ人間は、そもそも判断なり決定をしたくはない。
目の前から見えなくなればそれでいいだけ。

抑圧的なダメダメ人間は、自分で判断するために、その状況において様子を見てみるというよりも、見ること、判断することが本質的に不快なんですね。
だからこそ、自分が問題や判断を先送りしているという認識すらできていない。
それこそ、「自分が現在において、問題を先送りしているかどうか?」という状況認識をすること自体を、「先送り」してしまうわけ。
方法論としての、一時的な「先送り」なのではなく、もはやその人のアイデンティティとなっているわけ。「闇夜のカラス」が見えないように、常に先送り状態の人は、現在において問題を先送りしているという認識ができないわけ。

だからトラブル状態が何も解決せず、事態がどんどんと悪くなるばかり。
しかし、以前にも書きましたが、この手の問題に関わるボランティア・スタッフの資質に問題があるケースも多くあるわけです。ダメダメ人間のグチに共鳴してしまって、改善策の実行の妨げになってしまうわけ。
と言うか、その手のボランティアは、当人自身の問題を見たくないがゆえに、別の人間のトラブルに首を突っ込んでいるだけ。結局は、同じ穴の狢なんですね。
キリスト流に言うと、盲人が盲人を道案内しているだけ。

現実的には、ボランティアの中途半端な同情心なり、高らかに語られる善意によって、問題の先送りに貢献してしまうわけです。
そして、そのツケは、子供に集約してしまう。
これも現実ではよくある例でしょ?

(終了)
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発信後記

本文中に引用いたしましたパスカルは、もちろんのこと「人間は考える葦である。」のパスカル。
パスカルの伝記を読むとわかりますが、彼もダメダメ家庭の出身者です。
だから、やたらと対抗心が強かったり、原理主義的な宗教に入れ込んだりしています。
晩年はどうも鬱病のようです。

彼の「賭けの理論」ですが、私は哲学を学んだわけではないので、素人的な解説をすると、「座して死を待つよりも、たとえ成功の可能性が低くてもチャレンジしてみたら?自分自身の可能性を賭けてチャレンジすること自体に、価値があるんじゃないの?」そんな感じ。
別にギャンブルでの必勝法じゃあ、ありませんよ。
R.10/8/18