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カテゴリー やり取りと距離感
配信日 05年11月11日 (10年7月4日 に記述を追加)
タイトル 他人の問題に首を突っ込む
ダメダメ家庭の人は、やたら他人の問題に首を突っ込むものです。
必要もないのに、関りを持とうとするわけ。
似たようなことは、「ボランティア関係者」というお題で以前に配信しております。

ボランティアのように、組織だって、あるいは明確な意欲のもとに、首を突っ込むまでは行かないまでも、なんとなく他人の問題に首を突っ込んでアドヴァイスしたりするわけ。
ダメダメ人間は、当事者意識がないがゆえに、逆に言うと、「部外者意識」もないことになる。
むしろ、あまり関係がないがゆえに、自分の問題に対処しなくてもよく、それが自己逃避人間には心地いいわけ。

実際に面白い例があります。
「もうっ!○○君ったら、ワタシの言うことを全然聞いてくれないわ!このままじゃダメになっちゃう!ホント、どうしたらワタシのアドヴァイスを聞いてくれるのかしら?」
『ふぅーん・・・それはそれでいいとして・・・アナタ自身としては、結局は、離婚するの?離婚しないの?』
「・・・それは・・・うーん・・・けど、このままじゃ、○○君が将来大変なことに!!」
『・・・って、アンタ、そんなこと言っている場合なの?』

何もギャグを書いているわけではありませんよ。というか、こんな面白いギャグを自在に創作できたら、こんな無料のメールマガジンなんて発行していませんって。
現実に結構あったりする例でしょ?

結局は、そのような人は、他人の問題に首を突っ込むことで、自分自身の問題から逃げているわけですね。
だって、他人の問題だったら、気がラク。その問題が結果的にどうなろうと知ったことではないでしょ?それに、その問題だって、事態がよりマズくなったらサッサと逃げればいいわけ。自分から逃げるために他人の問題に首を突っ込んで、その他人の問題もマズくなると、やっぱり逃げ出す。
しかし、そんな人のアドヴァイスなんて聞くわけがないでしょ?

自分自身の問題に真剣に向き合うのが怖いダメダメ人間は、このように他人の問題に首を突っ込んで、事態をかき回して、メチャクチャにした挙句、さっさとトンズラするもの。
そもそも人の話を聞くことができない人間なんだから、アドヴァイスと言っても、結局は、お説教を押し付けるだけで終わってしまうものなんですね。

それにダメダメ人間が、他人の問題に関わりを持ちたがる別の理由もあります。
ダメダメ人間がよく言うセリフとして「下には下がある」という物言いがあります。これも以前に配信しております。
自分より「うまく行っていない」人間を見て安心したいわけ。しかし、「人は人、自分は自分」でしょ?自分より下の存在があるからと言って、自分のやれることをやらない理由にはならないでしょ?
しかし、自分より下の人間を見ることで、「ワタシは、その人よりは恵まれている。」と言えるんだから、「自分は何もしなくてもいいんだ・・・」という理由にしてしまうわけ。

しかし、この手の人は結構いたりするもの。
たとえば地域の民生委員とか・・・
私は民生委員の本人とはやり取りをしたことはありませんが、民生委員が親として作り上げたダメダメ家庭出身者とやり取りをしたことがあります。
まさに民生委員の家庭そのものがダメダメ家庭のケースがあったりするんですね。

他人の問題をサポートするのは結構ですが、自分の家族の間でフランクな会話を樹立できていない人間が、どうやって他人との会話を樹立するの?
しかし、民生委員だったら、権威があるでしょ?ダメダメ家庭は往々にして権威主義。権威をかさに一方的に正論を押し付けるわけ。
だから、民生委員の札が掛かっている家の門構えって、封建的な雰囲気でしょ?
家庭問題で困っている人って、あの雰囲気には近寄りたくないものですよね?

そんな家庭で育った子供が、今度はボランティアに入れ込んだりするわけ。
自分の家庭から逃げている親の元で育った子供が、今度は世界をまたに掛けて他人の問題に首を突っ込むようになる。そして事態がマズくなったらスグに逃げ出す。

ギャグじゃないですよ。実際の例です。
というか、こんな面白いギャグが自在に書ける人間だったら、巨匠ですよ。
まあ、ダメダメ家庭というものは、ちょっと横から見てみると、実に面白いもの。本人がその面白さをわかっていればまだしも、本人なりには真剣なんだから、より一層ギャグになっているわけ。

そして他人に問題に首を突っ込んでアドヴァイスしている人間は、往々にして、周囲から評価が高かったりするものでしょ?「困っている人を放っておけない善意の人だ!」「ああ、あの家庭は立派な家庭だ!」なんて言われたりしてね。
しかし、それって、自分の子供が親に対して、困りごとを言えないということなんですね。
ただ、問題点を見せないようにしているだけ。

子供が困っていることを親に言えないようにして、親の側は、「自分たちは上手く行っている。」と勝手に納得している。そして、その『幸福』を周囲におすそ分け。
しかし、そんな親も無意識的には、自分の家庭の中にある不満の雰囲気がわかっているもの。だからそんな人のアドヴァイスも強圧的になってしまう。決して相手からの反論を許さない雰囲気でのアドヴァイスとなっているものでしょ?だって、相手から自分自身の問題を追及されたら、立ち往生してしまいますからね。どうしても強圧的に言わざるを得ないわけ。しかし、当然のこととして、そんなアドヴァイスなんて聞けませんよ。

だから、その手のアドヴァイスは、自分の家庭の現状を踏まえたものではなく、権威筋認定の教科書どおりのものになってしまう。
しかし、そんな教科書的な正論なんて、わざわざ人に聞かなくても、どこにでも転がっていますよ。

自分以外の人を助けることができるのは、自分自身の問題を直視できる人だけ。
人のことを救うことを、先制的に言い出すような人は、それだけ自己逃避なんですね。
だから、そのアドヴァイスの言葉も軽い。

常に自分自身に対して切羽詰っているくらいに真剣に向き合っているような人の言葉だからこそ、他の人間にとっても参考になるものでしょ?それこそ、ドイツの詩人のリルケは、『それからもう一言あなたに申し上げておくことがあるとすれば、それはこうです。あなたを慰めようとしているこの者が、あなたに時として快く思われるその単純な静かな言葉の元で苦労なく生きているとはお思いにならないように。この者の生活も苦労と悲しみに満ちていて、あなたよりずっと後れているものです。しかし、もしそうでなかったら、彼はそういう言葉を見つけることができなかったでしょう。』と手紙に書いています。

中身のある言葉は、教科書に書いてあるわけではなく、自分自身の内面にあるわけ。
「アナタを助けたい!」なんて率先して言い出すような人間は、そもそもが自己逃避なのであって、問題からの「目の逸らし方」は習得できても、困難な現状そのものは何も改善できませんよ。

人の問題に関わるにせよ、その相手から頼まれれば、関わればいいだけ。
しっかりと頼まれれば、そしてその依頼に対して、役に立てる能力があれば、お手伝いくらいはするのが人間というもの。
しかし、当人自身に解決の意欲がなければ、周囲がいくら騒いでも事態は解決しませんよ。
そして、その当人自身の意欲があれば、ちゃんとした形で、周囲の人に依頼できるでしょ?
そんな依頼もできないようだったら、大仰に嘆いていても、当人としては、事態を改善する意欲はないわけ。
嘆きの声を上げること自体が目的となっているわけ。

他人の問題に関わって、たとえそれが結果的に解決しても、サポートした側としては、意外にも苦悩することになる。
だって、「人の問題は解決できても、自分自身の問題はどうなるんだ?」そんな自問自答が起こるものなんですね。
逆に言うと、他人の問題を解決できるくらいの人は、それだけ自分自身に解決できないような問題を抱えていて、常にそれを直視しているわけ。

それこそ、2000年前のキリストだって、逮捕された後になって「アイツは奇跡を起こして人を助けたけど、自分自身は助けられないじゃないか!ワハハ!」なんて揶揄されたわけでしょ?
「人は助けることができても、自分自身は幸福になれない。」そんな状況は芸術作品においては、頻繁にテーマになっているもの。
まさに洞察力があるがゆえに、人を助けることができても、洞察力がありすぎるがゆえに、自分は助けられない。

洞察力がありすぎる、いわば芸術家に類する人はともかく、たとえ一般人であっても、自分自身の苦悩や現状を直視すれば、相手に対して、より的確なサポートもできるわけですが、ダメダメ人間は、結局は、自己逃避に安住するばかり。そして、案件が自分自身の問題に関わってしまいそうになると、いつの間にかトンズラしたり、「オレのことは関係ないだろう!!」と逆上するばかり。

自分の問題から逃避して、自分自身をごまかしている親は、今更どうしようもない。しかし、子供にしてみれば、たまったものではありませんよね?ダメダメな親の不条理な行動は、ハタから見れば喜劇ですが、子供にしてみれば悲劇以外の何ものでもないんですね。

(終了)
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発信後記

昨年の今頃、「不幸への憧れ」というお題で、メチャクチャに長い文章を配信いたしました。あの文章は、あの時点での総決算という意味がありました。
あの時点で、メールマガジンもあと半年くらいかなぁ・・・と書きましたが、まだ続いていますねぇ・・・

実は最終回のお題の、大体の内容と最後のセリフはかなり前から決まっているのですが、もうちょっと先になりそうです。
ご興味がありましたら、それまでよろしくお願いいたします。
R.10/7/4