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カテゴリー | ダメダメ土曜講座(トピック編) | |
配信日 | 09年5月16日 (10年11月13日 記述を追加) | |
タイトル | 逆らったら怖い姿 | |
備考 | 「逆らう」は意味的に否定形であり、それを「押さえつける」という意味的に二重否定的な状況と言えます。 | |
ダメダメ家庭は否定形が多い。そして、その否定形が重なって「二重否定」になっているケースも多い。 表現としての二重否定だけでなく、その行動スタイルも二重否定。 今回は、そんな二重否定的な行動として、ダメダメ家庭の人間が周囲に見せる「逆らったら怖い姿」について考えて見ましょう。 上記の「逆らったら怖い」という文言において「逆らう」はある種の否定形表現でしょ?そして「怖い」は、意味的に否定形。 「逆らったら怖い」はともかく、じゃあ、「一緒にいると楽しい」の?「あの人と一緒だと安心できる」の?そんな肯定形で表現できる人なの? 「逆らったら怖い」と思わされる人って、皆様の周囲に実際にいるでしょう。 そんな人は、一緒にいると楽しい人ではありませんよね?「一緒にいると楽しいから、一緒にいる。」のと、「逆らったら怖いから、形の上では従う。」・・・その2つには、外から見ただけでは似ていたりするもの。しかし、その心理は全然違っているでしょ? そもそも「一緒にいて楽しい。」のなら、そのように単純な肯定形で言いますよ。 二重否定と肯定は、一見似ているようで、そのメンタリティは大きく違っているわけ。 そもそもダメダメ家庭の人間は、「当事者意識がない」。だから達成したいものがない。 だから相手に伝えたいこと、それ自体が存在しないし、そもそも「説明能力」がない。 そして、ダメダメ家庭の人間は「被害者意識が強い」。 何か不都合なことがあると、スグに自分が被った被害と捉えることになる。 そして、ダメダメ家庭の人間は、「発想が否定形」。 何かを否定するしか能がない。 そんなダメダメの要素が集まるので、まさに「逆らったら怖い」姿として結実するわけ。 自分とは違った見解が寄せられると、「このオレに逆らうのか?」と被害者意識を刺激され逆上気味になってしまう。そして、その相手を否定するような言動をすることになる。 相手に対して嫌がらせをすることで、その行為自体によって、「相手を犯人認定する儀式」とするわけ。 あるいは、そんな嫌がらせ行為を、周囲の人に見せることで、「おいおい!わかっているな!このオレに逆らったら、こんなことになるんだぞ!」そのように「態度で主張している」わけ。 このようなことは、何も暴力団の皆さんだけでなく、それこそ、つるし上げにいそしむ市民運動の人々でもまったく同じでしょ?あるいは、学校内のイジメもそんな面があるでしょ?相手を説得するでもなく、相手から合意を得る発想もなく、違った見解を犯人認定して、ただ「糾弾」しているだけ。 逆に言うと、そんな糾弾する姿を周囲に見せることで、周囲の人から説明を求められることから逃避しているわけ。 だって「逆らったら怖い人」に対しては、たとえ、一時的には同じ意見を持っていても、そんな人とやり取りをしたいとは思えないでしょ?あるいは、「ねぇ、ねぇ、どうしてその人をつるし上げているの?」なんて質問できる雰囲気ではないでしょ? そんな人は、まさに「逆らったら怖い」雰囲気を漂わせているもの。 そうなってしまうと、もう顔からして悪人顔となってしまう。 そんな悪人顔の人は、自分に自信がある人ではないんですね。 むしろ、コンプレックスが強く、「自分のイタイところを指摘されないか?」という点についてビクビクしている人。 そして都合の悪いマターになったら、スグに逆上することになる。 それだけ、会話でのやり取りが怖いんですね。 普段から、そんなことばかりやっていれば、悪人顔にもなりますよ。 ダメダメ家庭の人間は、「味方よりも敵が必要」なものです。 自分の目標を達成するための協力者よりも、自分をかわいそうな被害者と説明するための敵が必要になっているわけ。その敵がいないと、自分を被害者としては説明できないでしょ? そもそも当事者意識がなく、達成したいものがないんだから、協力者というか、味方を増やすという感覚はないわけ。 常に視点が敵の側を向いている。 だから、当然のこととして、「味方が少ない」ことになる。 味方は少なくても、自分の支配下となっている手下はいたりする。 最初に書きましたが「逆らったら怖い」というのは、ダメダメ家庭にお約束の二重否定表現。肯定形で表現される「あの人と一緒にやりたい。」とは全然違うもの。 マトモな人は、そんな「怖い」人とは距離を置くわけですが、抑圧的な人は、そんな現状認識や判断もせずに、何も考えずに、そんな人と一緒にやってしまう。そして、当然のこととして、強圧的に命令されることになる。 結局はドメスティック・ヴァイオレンスのような修羅場になって、今度は、「ボランティア」に助けを求める。 しかし、そのボランティアによるサポートも、「逆らったら怖い」キャラクターを持つ個人を、自称『善意ある人たち?』が集団になってつるし上げるだけ。 そんなつるし上げをするボランティアが言うのは「オイオイ!今度同じことをやったら、もっとヒドイ目にあわせてやるぞ!」 ああ!まさに予定調和の世界。 そもそもダメダメ家庭の人間は、「信頼と好意の区別が付かない」もの。 そんな人間は、他者から信頼を得ようとは思っていない。他者からの好意を要求するだけ。 好意を獲得する手段も、強さを見せ付ける方法を取ることも多い。 「わぁ・・・あの人って、強いなぁ・・・」 そんな感じで思わせたい。 だから、強い姿・・・つまり他者に対して怖い姿を見せ付けるわけです。 それが信頼にはつながらないことは言うまでもないことですが、好意という面においては、成立する場合もある。本来なら、「頼りがいがある」姿を見せればいいわけですが、信頼というものを理解できないダメダメ人間にはできないこと。だから、自分が唯一取れる「怖い姿」に、まい進してしまうわけ。 そんな状況なので、その支配下にある人間は、ますます抑圧的な精神状態になってしまう。 精神的に抑圧しているので、そこから脱却する意欲や希望までも抑圧してしまう。 意を決して、脱却しようとすると、まさに見せ付けられるのが「怖い姿」。 大人なら、「逆らったら怖い」という二重否定と、「一緒にいると楽しい」という単純な肯定形に間にある大きな差を認識することもできますが、子供だとそうは行かない。 それこそ児童虐待の状況になって、それでも子供が親の元に帰ろうとしますが、その心理は「逆らったら怖い」「迷惑を掛けたくない」という二重否定の心理。そもそも「逆らったら怖い」状況が作り出す抑圧的な環境によって、その違いを認識し思考すること自体を抑圧するようになってしまう。 そして、その手の「怖い」人本人は、「逆らったら怖い」姿を見せることで、支配を確立することができたので、ますますその路線にまい進してしまう。 それに、そんな怖い人に対してアドヴァイスする人がいるわけでもない。 周囲の人が誰も文句を言わず、その「怖い」人に従っている姿を確認して、その怖い人自身は、「ああ!オレ様はみんなから慕われているんだ!」と豪語する。 ギャグのように思われるかもしれませんが、現実にそんな事例をご存知の方も多いでしょ? 個人としてそんなキャラクターというだけでなく、国家運営に当っても、「逆らったら怖い」というスタイルに徹している国もあるでしょ?というか、独裁国家というものは、そんなもの。 国民の意向を吸い上げ、それを実現していく、そして、今後の指針を、国民に対して説明していくという合意形成を基本としているのか、それとも、「とにもかくにも、オレの言うことに従え!」と命令するのか?その2つには明確な違いがあるでしょ? あるいは、同じ国家でも、その時の政権によって、曲がりなりにも合意形成を目指しているのか?それとも、「逆らわないようにする」ことを目的としているのか? そんなキャラクターの違いは出てくるもの。 別のところで書いていますが、ダメダメ家庭の人間は、「支配と統治」の区別が付かない。 支配そのものが目的化されてしまい、「家庭なり国家なりをどのように統治し運営していくのか?」ということについて考えない。 統治について考えないんだから、結局は、むき出しの支配関係になってしまいますよ。 そして、その方法論が「逆らったら怖い姿」を見せることであるのは誰でもわかること。 逆に言うと、そんな姿が頻発していたら、その人は、名称としては国家統治者という名称であっても、その実質的には統治というものは眼中にない人であることも見えてくるわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 土曜日に配信している文章は、過去に配信した文章との関係がわかるようにリンクを貼った文章にしております。 いわば総集編と言った趣です。 このシリーズも昨年の11月から配信しておりますので、文章がたまってきました。 ということで、バックナンバーのサイトでは、人物編、トピックス編、事件・トラブル編と3分割いたしました。 ちなみに、この「逆らったら怖い」を売りにしている人物といえば、民主党の小沢さん。 来週は、この小沢さんの関わるお題を、集中的に配信しようと思っております。 |
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R.10/11/13 |