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カテゴリー 信頼と好意の諸相
配信日 08年1月1日 (10年7月12日 記述を追加)
タイトル 信頼と好意との組み合わせ
ダメダメ家庭の人間は、人間関係における『信頼』と『好意』の区別がつかない。このことはこのメールマガジンで頻繁に触れております。まあ、信頼と好意の区別がつかないというより、人間同士の信頼というものが理解できない・・・そうとも言えます。

ダメダメ家庭の人間は、人から好意を得ようと行動しますが、人から信頼されるように自分を律することはしないわけ。「あの人は・・・自分を好いているのか?嫌っているのか?」という、他者の問題になってしまうわけ。だから好意を得られないと「ワタシを好いてよ!」と絡むようになり・・・逆に、相手から気持ち悪がられてしまう。

さて、信頼と好意は違うわけですが、人間同士の関係もそれらの組み合わせによって、色々な様相を帯びることになります。

今回は、その組み合わせを考えてみましょう。

1. 信頼があって、好意もある
相手の人を信頼していて、一緒にいると気持ち的に楽しい・・・そんな間柄だったら、すばらしいこと。それこそ、カップルとしてやっていけるでしょ?まあ、人間関係の理想形ですよね?

2. 信頼がなくて、好意もない
最初に挙げた、「信頼があって、好意もある」とは、まったく逆の組み合わせのパターンです。まったく逆ですが、それを自覚していれば、大きな問題にはなりません。だって、そもそも「信頼もしていないし、好意も持てない」人の近くには行きませんよ。だから、接触そのものがないわけですから、トラブルにもなりようがない。もちろん、その自覚がない状態だったら、接触が発生し、トラブルになるケースもあります。だから、せめてトラブルが起こった後で、「あの人をワタシ自身はどのように認識しているんだろうか?」と考えればいいわけ。「信頼もしていないし、好意も持っていない」ということなら、避ければいいだけですし、それしかないし、そんな対処は簡単なことでしょ?

3. 信頼があって、好意はない
やり取りをすると、不快な人だけど、まあ、信頼はできる・・・そんな人っていたりしますよね?よく言う言い方だと、「アイツは生意気で気に入らないヤツだけど、やる時はやるヤツだよ!」なんて言葉もあったりするでしょ?やり取りの最中は不快であっても、やり取りが発生しないときにはトラブルが起きるわけでもないし、いざという時には、こちらが「折れれば」協力してくれることもある・・・そんな間柄。まあ、歴史上で有名な例は、戦国武将の武田信玄と上杉謙信でしょう。彼らは、お互い同士では、好意などは持っていなかったでしょうが、ある意味において、もっとも信頼していた間柄でしょ?だから信玄は「自分が死んだら謙信を頼れよ!アイツが一番信頼できるヤツだ!」と言い残したわけでしょ?人間にとって、最後の判断の決め手になるのは、好意よりも信頼の方なんですね。

4. 信頼がなくて、好意がある
ダメダメ家庭の人間が陥りやすいのが、この「信頼がなくて、好意がある」というパターン。そもそもダメダメ家庭の人間は信頼というものが理解できない。理解できないんだから、人から信頼を得るために、自分を律するなんてこととは縁がない。ダメダメ家庭の人間は当人も信頼とは無縁だし、周囲の人も信頼とは無縁な人ばかり。そうして、その被害者意識からグチで盛り上がることになる。グチで盛り上がったりすると、「あの人とワタシは気が合うわ!」と好意認定したりするわけ。しかし、好意と言っても単にグチで盛り上がっているだけ。双方ダメダメ人間同士で傷の舐め合い。だから決して相手を信頼するまでには至らないわけ。

そんなグチの共鳴での好意から、結婚などに進むとどうなるでしょうか?
だって、信頼とは無縁の間柄なんですよ。
もうドツボ一直線でしょ?
トラブル状態になっても、「オレを好かないオマエが悪い!」なんてことになってしまうだけ。まあ、バカ夫婦同士がそれを言うのは勝手ですが、自分の子供に対してもやる始末。それこそ「懐かないから殴った!」となるわけ。
殴っても信頼につながらないことは、本来なら小学生でもわかることですが、そもそも信頼を理解できないのがダメダメ人間。だから、自分への好意を得るためによりいっそう過激な手段を行使することになる。
そうして、「デキの悪い子供を持ってオレって、なんてかわいそうなんだ?!」と周囲に対し自分の被害を主張して、周囲から好意を得ようとするわけ。

好意を得る手段は「ワタシはかわいそうな人間なのよ!」ということだけなので、ますます、実際に「かわいそう」な状態になってしまい、より安心した状態で、「ワタシに好意を持ってよ!慰めてよ!」と主張する。

しかし、かわいそうであって、それが同情につながることはあっても、信頼にはつながらないでしょ?

好意などという感情の問題は、所詮は、一時的なもの。
信頼というものは、もっと長く続くものでしょ?それに信頼は自分自身の問題として自分で何とかできますが、人からの好意なんて自分ではなんともできないじゃないの?

信頼とは、その人の言動がブレないことが絶対に必要になってくる。
だからこそ、その人の信念が見えてくることが信頼感を抱くことにつながる。
しかし、好意であったら、逆でしょ?
よく言うと臨機応変。悪く言うと、その場しのぎとなってしまう。当人の言動がブレてもいい・・・というか、ブレた方がいいわけ。
つまり、その場の雰囲気に合わせたり、相手の人に合わせることが、好意につながることになる。好意というものは、感情であるがゆえに一時的であり、状況の一時性に合わせることで達成される。
しかし、信頼は信念の問題であり、判断の積み重ねによって達成されるものであり、積み重ねるためには、一貫性が必要になる。

信念であれば、自分の問題となる。自分を見ることが必要になるし、自分を知ることが必要になる。
しかし、好意を得ようとするとなると、相手の人に合わせていればいいだけだから、相手を見ることで対処できる。当事者意識がなく、自己逃避のダメダメ人間にしてみれば、ラクなことなんですね。

しかし、好意を元に考えるから、好意がなくなった後では修羅場になるばかり。そもそも、好意とは一時性につながっているわけだから、もともと、長く続くものではありませんよ。
信頼で結びついている状態なら、好意がなくても、修羅場にはなりませんし、修復も可能でしょ?

人との間柄を考えるに際しても、「信頼」と「好意」を分けて考えると見えてくるものが多いものなんですね。それに、やり取りの相手方の言葉を聞いていると「この人は好意を求めているのか?それとも当人の尊厳に配慮して、信頼関係を構築しようとしているのか?」スグにわかるものなんですよ。
好意を求めてきている人に好意を持ってはダメ・・・そのことを、実際に修羅場になって実感した人も多いのでは?
まだ、実感していないのなら、早めに自覚しておけば、実際に修羅場になることはないわけです。

(終了)
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発信後記

新年あけましておめでとうございます。
ホント、一年なんて、あっという間ですよねぇ・・・

新年第一回ということなので、比較的「軽め」のお題にいたしました。

ただ、このメールマガジンの基本的なスタンスは従来どおりです。
ダメダメ家庭を考えるに際し、有効な視点を、具体例を挙げて提示していく・・・そんな文章です。
このメールマガジンも、そろそろお開きにしたいと、もう数年前から思っていますが、まだまだ続いております。ダメダメ家庭の方々が、色々と「やらかして」くれるので、「ああ!そういえば、そのことについても書かなくちゃ!」と思って、文章にしていたら、延々と続いてしまっております。

ちなみに、内容については、従来のままですが、配信600回以降は、また週3回のペースに戻そうと思っています。ドラフトの文章が200本くらいたまってしまったので、何とか減らさないといけない状態です。週2回のペースだと、年間約100本の配信ですので、それでは、終われない。今回の配信が579回目ですので、3月初旬あたりから、週3回を復活する予定です。

多くの文章を配信すると、読むのもタイヘンでしょうが、まあ、逆に言うと、関心がありそうなネタだけを選んで読んでいただければ結構です。
では、本年もよろしくお願いいたします。
R.10/7/12