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カテゴリー 映像作品に描かれたダメダメ家庭
配信日 07年7月20日
取り上げた作品 スター・ウォーズ(エピソード1〜3)
監督 ジョージ・ルーカス
さて、以前にこのメールマガジンで「地方国立大学」というお題を取り上げております。
その文章について、以前に、とある購読者さんからご意見を頂戴したことがあります。「地方国立大学は、それ相応の価値があるじゃないか?ダメダメと決め付けてはダメだろう。」そんな内容でした。

私の文章をお読みいただければお分かりでしょうが、私は地方国立大学がダメダメだと申し上げているわけではありません。ダメダメ家庭の人間との相性が悪いと申し上げているだけです。地方国立大学は、いわば「規格品」の人間を養成する大学でしょ?
頭脳程度も、規格品レヴェル。出身家庭も、規格品。その学生の人間性も、規格品。
そんな規格に沿った人間がダメダメというわけではありませんよ。十分に誇れることですよ。

ただ、そのような「まさに規格品」の世界しか知らないがゆえに、規格外の存在には対応できないわけ。
ダメダメ家庭は、まさに規格外の家庭。
一般社会の常識の規格とは、外れた発想を持っている。

そんな規格外の発想を持っている人間が、「まさに規格品」の人間の集団にいると、孤立するでしょ?だって、周囲の規格品的な「よい子たち」は、規格外の発想なんて理解できない。それに、「よい子」というものは規格外の能力を持っているわけではないので、規格外の能力を持っている人間の発想について、たとえ説明されても実感として理解できないわけ。
規格品は、社会において質的にオーソライズされているばかりではく、その数として多数派と言えますよね?一般人たるものは、規格外の発想なんて、何も無理に理解する必要なんてありませんよ。

優秀な規格品として、社会に役に立つ人材を育成する・・・それが地方国立大学の役割であって、それは社会にとって必要なこと。
ただ、規格外の発想を持つ人間とは相性が悪いというだけ。

あと、このメールマガジンでは、以前に「女子大学」というお題の文章を配信しております。地方国立大学と同じで、女子大学自体がダメダメというわけではありませんヨ。
ただ、強圧的で問答無用な父親に対し不満を持っている女の子が、女子大学に逃げ込む・・・そんなパターンは、ポピュラーでしょ?

父親に不満を持っているなら、それでいいわけですが、それを自覚しないままだと、それが「オトコへの不満」と一般化されてしまう。そんな不満いっぱいの女の子同士が共鳴して、集団で不満が膨張するパターンがあるわけ。
まだ共学だったら、周囲にはマトモな男の子もいるでしょう。何も男女の付き合い云々ではなく、一緒にサークル活動をやったり、試験対策をやることだってありますよね?
そんな経験を踏まえて「オトコにもアタリもいれば、ハズレもいるわけね?ワタシの父親はハズレなんだろうなぁ・・・」とわかることになる。

自分の父親がマトモであったら、別に女子大学でもいいわけ。だってオトコを見る基本線ができているわけでしょ?自分が一番よく知っている男性を基準として人を見る・・・その基準点が、マトモだったら、多くのオトコも、冷静に観察できますよ。

ダメダメ家庭の女の子が、自分が一番よく知っているオトコと言える自分の父親から目をそらして、ただ不満ばかりを増長させていく・・・そうやって、「悪いのは全部○○のせいだ!」「その○○をやっつけろ!」とクレーマー系の女性運動や市民運動の活動家になっていく・・・そんなケースも実にポピュラーでしょ?

さて、さて、今回取り上げる作品は、ジョージ・ルーカス監督の有名な映画「スター・ウォーズ」です。その中でもエピソード1〜3を取り上げます。
卓越した能力を持つ少年アナキン・スカイウォーカーが、ジェダイの騎士になり、やがて、悪の権化ダース・ベイダーに堕ちていくストーリーです。
あまりに有名な映画ですし、当然のこととして、どこのレンタル・ヴィデオ・ショップにも置いてあります。

この「スター・ウォーズ」を、このメールマガジンで取り上げるとなると、
「よりにもよって、宇宙を舞台にした壮大な作品と、ダメダメ家庭の問題を結びつけるのには無理があるだろう?」
「こじつけはよくないぞ!」
まあ、そう思う方もいらっしゃるでしょ?

しかし、この「スター・ウォーズ」のエピソード1〜3は、上記の地方国立大学の問題なり、女子大学の問題と、きわめて近い問題を扱っています。
監督のジョージ・ルーカスも、その点に注意しながら作品にしています。

さて、その「スター・ウォーズ」のエピソード3のクライマックスにおいて、卓越した能力を持つ少年アナキン・スカイウォーカーが青年になり、彼を育て上げたオビ・ワン・ケノビと、剣で決闘をいたします。育てたものと育てられたものの、いわば擬似的な父と息子による決闘と言えます。せっかく自分が育てあげたのに、悪に堕ちて行ってしまったアナキンに対して、オビ・ワン・ケノビは、このように言うわけ。

「I have failed you ! 」(オマエを育てるのに失敗した!
それに対して、アナキンは、このようにオビ・ワン・ケノビに言う。
「I hate you ! 」(アンタなんか、大嫌いだ!)

いやぁ・・・サスガに大宇宙を舞台にしているだけあって、我々のケンカとは言うことが全然違っているよ!
・・・なんて思われる方は、このメールマガジンの購読者ではないでしょう。

まあ、上記のやり取りは、むしろツボを押えたやり取りでしょ?
この「オマエを育てるのに失敗した!」という言葉は、前回配信のメールマガジンの文章で考えています。

皆さんも、そんなやり取りをやった方もいらっしゃるでしょ?言った人もいるでしょうし、言われた人もいるでしょう。
上記のやり取りは、ダメダメ家庭に典型的なやり取りというだけでなく、逆に言うと、宇宙を舞台にしたSFドラマには不向きなやり取りとも言えますよね?
せっかく宇宙という広々とした場所を舞台にしているだから、そんな感情的なやり取りのシーンを使わなくてもいいじゃないの?

前回に配信した文章でも書きましたが、「I have failed you ! 」(オマエを育てるのに失敗した!)というのは、実に、いやらしい。
そんなことを、「言われた方」は、どうすればいいの?
「オマエはバカだ!」あるいは、「オマエは欠陥品だ!」
と言われたら、まだ反論もできるでしょう。
しかし、「オレはオマエを育てるのに失敗した!」あるいは、「オレは欠陥品を作ってしまった!」なんて言われても、何とも言いようがないでしょ?
「じゃあ、失敗されてしまったオレは、どうすればいいのさ?」
そんな感じで、途方に暮れますよね?

だから、そんな言葉に対し言うとしたら、まさに「I hate you ! 」(アンタなんか、大嫌いだ!) と言うしかない。

逆に言うと、相手の気持ちが見えずに、「I have failed you ! 」(オマエを育てるのに失敗した!)なんて言葉を言うような人間だからこそ、失敗するわけでしょ?
しかし、そんな「オマエを育てるのに失敗した!」という言葉はダメダメな親には、結構ポピュラーな物言いでしょ?

しかし、アナキン・スカイウォーカーを育てたオビ・ワン・ケノビは、アナキンを悪の権化に育てようと思ったのではない。むしろ、規格品にしようと思っただけなんですね。
オビ・ワン・ケノビは、いわば、「地方国立大学」の人。
能力的にも、規格品として優秀ですし、幼少時に、辛酸をなめたわけではない。上司からの命令には、ちゃんと従う。いわば「よい子」のまま、順調に育ってきた人。
それに対し、アナキン・スカイウォーカーは、規格外の能力を持ち、幼少時には、辛酸をなめている。自分でなんとかしないと、生きてはいけない環境で育ってきているわけですし、自分自身で打開できる能力もある。

規格品として優秀なオビ・ワン・ケノビは、規格品の人間を育てることはできても、規格外の人間は、育てられないわけ。
かと言って、オビ・ワン・ケノビが持っている規格は、周囲からオーソライズされているわけですし、多数派でもある。それ以外の考え方を認めるのはできないし、その必要もない。
だから、自分が持っている規格を、他者に「当てはめよう」とするわけ。それが規格外の人間には、抑圧に映る。だから不満が爆発する。

まあ、こんな流れは、芸術家の伝記では、それこそポピュラーな『エピソード』でしょ?
ジョージ・ルーカス監督の少年時代が、よくわかりますよね?

アナキン・スカイウォーカーを育てたオビ・ワン・ケノビは、絵に描いたような「いい人」なんですが、ある意味において、弱さもある。
規格外のアナキンとどう向き合っていいのか?自分でも困っている。

この映画では、オビ・ワン・ケノビが、アナキンの問題から目をそらすシーンがよく出てきます。
そもそもアナキンが「不純性異性交遊」をやっていることに、薄々気がついているのに、それに向き合おうとしない。
アナキンが、「ボクは傲慢な弟子でした。」なんて謝罪しても、真剣に話し合おうとはしない。
子供から発するサインを見逃している、と言うか逃げている状態なんですね。まさにダメダメな親のお約束の姿。

規格品に徹している人は、いわば「よくある規格品的なトラブル」に対しては、定石的な、あるいは教科書的な対処法を取るわけですが、トラブル自体が規格外になってしまうと、目を背けることしかできないわけ。

あるいは、最後の決闘の後で、オビ・ワン・ケノビが、アナキンを切る。
切られて倒れているアナキンの剣を拾い上げて、「オマエを愛していたのに・・・」などと言うオビ・ワン・ケノビ。
映画では、アナキンの剣を映して、それを、オビ・ワン・ケノビが拾い上げる映像が出てきます。
そんなシーンがどうしてあるの?
剣や、剣を拾い上げるシーンが出てくると、観客はこう思うことになりますよね?

『あの剣でアナキンの「とどめ」をさすんだろうな。』
アナキンは断末魔で苦しんでいる。ここで「とどめ」をさしてラクにしてあげるのが、せめてもの愛情じゃないの?「オマエを愛していたのに・・・」なんて言葉で言うより、実際の行動で愛情を示したら?

しかし、オビ・ワン・ケノビは、その判断しないで、苦しんでいるアナキンを放っておいて、そのままいなくなってしまう。
彼は言われたことはちゃんとこなすことができても、自分では判断しない人。自分では判断しないから、本当の意味では会話をしない人。
もちろん、オビ・ワン・ケノビはアナキンに対して愛情を持っている。そしてアナキンも自分を育ててくれたオビ・ワン・ケノビに愛情を持っている。
しかし、愛情はあっても、相互理解はないわけ。

愛情がなくても、相互理解があれば、それほど大きなトラブルになりませんよね?
しかし、相互理解がない愛情は、結局は憎悪に転化してしまうもの。

そして、日頃から「自分は周囲から理解されていない。」と周囲に不満を持っている人は、自分の理解者を探すことになる。
自分を育ててくれているオビ・ワン・ケノビに理解してもらっていないと感じているアナキンは、結局は、「自分を理解し、認めてくれている。」と思っている存在に惹かれてしまう。

まさに女子大学で、「悪いのは全部オトコのせいだ!アナタは悪くないのよ!」なんてアジを叫ぶクレーマー系の女の子に惹かれてしまうようなもの。

悪の権化のダース・ベイダーも、そんなちょっとしたことの積み重ねで誕生したわけ。

実はこのダース・ベイダーの誕生に、大きな意味を持っている人物がいます。
アナキンを見出した人であり、そしてオビ・ワン・ケノビの師匠であるクワイ=ガン・ジンという人。
彼は、オビ・ワン・ケノビとは違って、「よい子」ではありません。
今流の言葉を使うと、「チョイ悪オヤジ」。

主流というか規格品の人間の考え方や価値観もわかるし、尊重もしているけど、「ハズレもの」の気持ちもわかる。そして、当人は自分なりの尊厳をもって、しなやかに生きている・・・そんな人。

このチョイ悪オヤジのクワイ=ガン・ジンは、アナキンを見出したのですが、スグに戦死してしまいました。もし、この人が、アナキンを育てたのなら、アナキンだって、ダース・ベイダーにはならなかったでしょう。

規格外の人間は、そんなチョイ悪を目指すのが、現実的なんですね。
無理に規格品になろうとすると、結局は、ドロップアウトして、非主流どころか反主流になってしまう。そして対抗心だけが生きがいになってしまう。
主流なり規格品との距離のとり方・・・それに失敗したからこそのダース・ベイダーというわけ。

育てた結果として規格品の人間になったのなら、それはそれでいいわけ。そもそも規格外の能力を持つ人間に育てようと思っても、そりゃ、元々の才能の問題もありますよ。
しかし、最初から規格品の人間にしようと、型を押し付けると、とんでもない方向に暴走してしまうわけです。規格品の人間は、別の言い方をすると「ふつう」の人間。それは結果として達成されるものであって、目標として掲げるものではないでしょ?

ふつうの子供になれ!
ダメダメな親が、そのように言うことは、かなり以前に配信しております。
「ふつうの子供」も、結果としてそうなるのならともかく、ダメダメな親は、そんなわけわからないものを目標として掲げてしまう。しかし、そんなことを要求された子供は困ってしまうでしょ?

こんなことを書くと、このように思われる方もいらっしゃるでしょ?
ワタシの子供は、そんな規格外の能力なんて、ないし・・・ウチの家庭は、ダメダメ家庭ではないんだから・・・規格品として育てばいいわ!

いやいや!それが問題なんですよ!
自分の子供は規格品であると、最初から決め付けているから、トラブルになるわけ。
オビ・ワン・ケノビの失敗・・・まさにfailも、当人はわかっていないでしょうが、その点なんですね。


さて、この映画は、このように擬似的な父親と息子の葛藤劇です。
親以上に高い能力を持っている息子と、親としては、どのように向き合っていくのか?
あるいは、子供の側として「ありきたりな型にはめようとする父親と、どうやって向き合っていくのか?」
そんな問題意識が反映されているわけ。
まあ、ジョージ・ルーカスにとっても切実な問題だったのでしょうね。

さて、この映画では、アナキンとオビ・ワン・ケノビの擬似的な親子関係以外に、別の擬似的な親子関係が出てきます。
映画のセリフをよく聞くとお分かりでしょうが、この映画では、イギリス英語とアメリカ英語が、区別されて使われています。

イギリス英語を使う人は、それなりの立場の人。それに使われているイギリス英語は労働者階級の英語ではなく上流階級の英語。ちょっと例外は、エピソード1の冒頭に出てくる船の女性船長さん。彼女は労働者階級のアクセント。逆に言えば、その船が、国の正式の機関のものではないことがわかるわけ。非公式の事前折衝なんですね。もし公式の交渉ということなら、船長さんは上流階級のイギリス英語を話しますよ。

宇宙を舞台にしているのに、英語の使い分けをやっている。

イギリスとアメリカの関係も、擬似的な親子関係でしょ?
それに子供の方が、能力があることも、アナキンとオビ・ワン・ケノビの関係と同じ。

アメリカは、鬱陶しいところはあっても、まあ、悪の権化とまでは言えないでしょう。
イギリスは、アメリカにとっては、まあまあの親だったわけ。
息子のアメリカを、それなりの国に育てあげたんですからね。

ちなみに、発音を細かく聞いていると、ちゃんと考えて作っていることがわかります。
イギリスのアクセントが濃い人ほど、立場が高かったりするわけ。
あるいは、背の高いロボットのC3POは、ニューヨークのアクセントじゃないかな?
ヘタレだし、ちょっとシニックなところも、いかにもニューヨーカー。

悪の側も、地位の高い人はイギリス英語で、下っ端はアメリカ英語なんて、日本語で言えば、悪の黒幕が京都弁で、チンピラが大阪弁のようなもの。
このように書くとわかりやすいでしょ?
宇宙だろうと、家庭だろうと、アメリカだろうと、日本だろうと、どんな時代だろうと、人間のやっていることなんて、そんなに変わりがないわけです。

(終了)
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発信後記

今回の話とは全然関係ありませんが・・・
このメールマガジンでは、たびたびドメスティック・ヴァイオレンスについて言及したりしています。このドメスティック・ヴァイオレンスは、一般的には夫から妻への暴力ですが、もちろん、男女が逆転するケースもあります。

先日より、お騒がせの大臣がいますが・・・
大々的な絆創膏に、様々な声が上がっていますよね?
まあ、彼自身によると、吹き出物なんだそうですが・・・
しかし、吹き出物って、そんなに簡単に治るものなの?

しかし、本当に吹き出物だったら、ちゃんと言わないとね。
あの絆創膏姿を見た多くの人が、「奥さんによるドメスティック・ヴァイオレンス」を連想したのでは?
というか、奥さんにも知り合いもいるでしょうから、そんな人は、奥さんに電話して、「アンタ・・・亭主殴っているんじゃないよ!」なんて言ってきた人もいたはずです。昔の知人からのメールもあったでしょうね。
「アンタ・・・鬼嫁だね!」
わざわざ言って来なくても、周囲の人の中で、そう思っている人も多いはずです。大臣は吹き出物が恥ずかしいのかもしれませんが、「鬼嫁認定」されてしまった奥さんの名誉はどうなるの?

そんな事態になることは誰だって予想できることでしょ?
もし、そんな事態が予想できないのなら、はっきり言ってバカですよ。
まあ、そんな男性と結婚した奥さんも、所詮は人を見る目がありませんね。どっちが暴力を振るうにせよ、ドメスティック・ヴァイオレンスでは、この「人を見る目のなさ」の問題が、避けては通れない。

もっとも、人を見る目がないことにかけては、右に出るものがないのが、その大臣の上司ですが・・・
R.10/12/7