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カテゴリー 映像作品に描かれたダメダメ家庭
配信日 07年7月24日
取り上げた作品 スター・ウォーズ(エピソード1〜3)
今回のテーマ 参入の苦労について
監督 ジョージ・ルーカス
前回、ジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」のエピソード1〜3を取り上げました。壮大なSF大作などと言われたりしますが、実際に見てみると、そんな簡単なものじゃあないわけ。

前回配信の文章では、規格品のオビ・ワン・ケノビと、規格外のアナキン・スカイウォーカーとの相性の悪さに注目して、考えて見ました。
結果として規格品であることは、もちろん、結構なこと。ただ、無理に規格品になろうとしても、あるいは、規格品にしようとしても、なれるものではないというだけ。

ちなみに、映画ではアナキンが、「新たな秩序を打ち立てる存在」と予言があった・・・とされますが、秩序とか規格などは、ある種、硬直化の危険があるもの。
それを外から揺さぶり、かき回し、活性化させる存在が必要になってくるんですね。
神話学の世界でいう、トリックスターのようなもの。いわばアナキン・スカイウォーカーはトリックスターの役割なんですね。

ジョージ・ルーカスは、「スター・ウォーズ」のエピソード4〜6において、神話学の成果をかなり取り入れた映画つくりをしていました。このエピソード1〜3でも、神話学の考えが反映されているわけ。

さて、前回において、規格品という観点から、考えて見ましたが、今回は別の視点から、考えてみます。いわば、エピソード2となるでしょうか?

アナキン・スカイウォーカーがジェダイの騎士となり、その能力を生かしていくにあたって、様々な困難に遭遇する。
そんな困難は、ダメダメ家庭出身の人間が、マトモ家庭出身の人たちとのやり取りで遭遇する困難と、実に似ているわけ。

ここで映画で示された例を挙げながら考えて行きましょう。

1. 運が悪い・・・このアナキン・スカイウォーカーはそもそも運が悪い。大変な能力を持ちながら、生まれた場所が悪いので、その能力を見出してくれる人と出会うことがなかった。それに、その自分の能力を見出してくれて、本来はその能力を伸ばすのに最適な存在であるクワイ=ガン・シンは、スグに死んでしまう。だからアナキンとは相性が悪い人と言える、オビ・ワン・ケノビの指導を受けるハメになる。運さえよければ、こんな面倒なことにならないわけ。

2. 苦労体験・・・アナキンは、幼少時から苦労ばかり。そしてそれを自分の力で解決する必要があったわけ。周囲の人間は頼りにならない。そんな原体験があるので、「人の言うことを聞かない」人間にならざるを得ないわけ。

3. 無力感・・・アナキンは幼少時から困難な状況にいる。身近にいる自分の母親を助けることができない。だから常に無力感を感じているわけ。この無力感というものは、卓越した能力があるがゆえに感じるもの。そもそも当人が無能だったら、無力感は持ちませんよ。自分の目の前の困難さが自覚できて、その解決法がおぼろげにわかって、その解決の可能性があって、そして、今のところは自分で解決できない・・・だから無力感を持つんでしょ?

4. 参入障壁・・・アナキンがジェダイの騎士の修行を受ける段になると、「仲間に入れる」かどうかで問題になる。アナキンが「育ちすぎている」のが問題になるわけ。いわば過去の体験が多いゆえに、規格品になれないことを危惧されているんですね。しかし、その「育ちすぎている」ことなどは、アナキン本人が望んだことではないでしょ?

5. 孤立感・・・上記のような様々な参入障壁に遭遇して、そして、無力感を感じるがゆえに、どうしても孤立感を感じてしまう。周囲の人とは過去の体験も違っているし、その能力も違っている。だからその孤立感を理解してもらうこと自体が難しいわけ。だからますます孤立感を感じることになる。

6. 入れ込む・・・少年アナキンは、ナブーという星のお姫様パデュメに入れ込んでしまう。この感情は、きれいなお姉さんにあこがれるのとは違っているわけ。そのお姫さまは、能力も高い人だけど、自分の星の問題を解決できずに、無力感を感じている。だから孤立感も感じている。少年アナキンは、それに「反応」しちゃったわけ。だから単なる憧れではなく「入れ込み」に近い感情なんですね。「彼女のことは、このボクが一番わかってあげられる。」「ボクのことは彼女が一番わかってくれる。」そんな感情があるわけ。

7. 執着・・・人に入れ込んでいるので、入れ込んでいる相手を失うのが怖い。だから無理をする。

8. 自分を認めさせたい・・・周囲の人間は自分を認めていないと思っているので、どうしても「功を焦ってしまう」ことになる。だからやり方も強引。だから、ますます孤立する。

9. 甘言に弱い・・・アナキンは普段から「自分は周囲から理解されていない。」と思っているので、「オマエは周囲から理解されていないので、お気の毒だ!」なとど甘言をささやかれてしまうと、コロっと引っかかってしまう。結局は、そのまま悪の道に・・・


まあ、ダメダメ家庭出身の人間が遭遇する、困難な事態や落とし穴がテンコ盛り状態でしょ?

ちなみに、実際の映画を見ていただければわかるでしょうが、この青年アナキン・スカイウォーカーは日本の源義経によく似ている。能力が非常に高く、そして愛を強く求めるというキャラクターもそっくりですし、2つの勢力にはさまれて、どんどんと身動きが取れなくなっていくところなどソックリ。
ジョージ・ルーカスがどの程度意識していたのかはわかりませんが、逆に言うと、「この手」の話は、それだけよくある話というわけです。

映画「スター・ウォーズ」は、まさに「昔、昔、あるところに・・・」という冒頭の言葉で始まりますが、ここで描かれた内容は、昔もあった話ですし、今後も、同じようなことがある・・・そして、規模はともかくとして、今現在の我々の目の前で起こっている。それが人間というもの。

アナキンが遭遇せざるを得ない、多くの参入障壁は、まさにダメダメ家庭出身の人間が遭遇せざるを得ない障壁そのもの。
その障壁に対し、「不合理だ!」「不公平だ!」と言うことはできるでしょう。しかし、その障壁は、マトモ家庭の人間には関係ないもの。だから、そんなクレームの声を上げれば上げるほど、マトモ家庭出身の人間から、ますます「受け入れられなくなる」だけ。

実家がダメダメ家庭であったら、残念ながら、このような障壁はあるものと覚悟しながらやっていくしかないわけ。その自覚がないと、誰かを犯人認定し、そして対抗心を膨らませ、結果として、「ダーク・サイド」に堕ちてしまう。

そんな実例は、皆様も実際にご存知なのでは?

(終了)
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発信後記

ちょっと前に配信した文章で、宗教原理主義者が、政府に対抗して立てこもって、政府によって武力鎮圧されるというストーリーを持つオペラを紹介しました。その折に、今現在ではアフガニスタンで起こっているなんて書きましたが、あれはパキスタンの間違いです。申し訳ありません。ちなみにバックナンバーでは修正いたしました。

今アフガニスタンでは、韓国人のキリスト教徒が、布教活動のためにアフガニスタンに潜入して、拉致された事件が発生していますよね?

イスラム教国にキリスト教の布教に出かけることについて、色々な考えがあるでしょう。
もし、それらの韓国人キリスト教徒が、それ相応の信念があり、覚悟があってのことなら、周囲の人間がとやかく言う話ではありません。

命をかける覚悟もないのに、そんな場所に入ったのなら、ダメダメを通り越して、精神医学のマターでしょう。
そもそも、アフガニスタンでは、以前にも韓国人のキリスト教徒が、その素行ゆえに国外追放される事件もありました。そもそも現地で歓迎されていない人たち。
しかし、それでも布教したいということなら、それも一つの信仰の形でしょう。

そのキリスト教の一派は1998年に創立とのことで・・・まあ、新しい集団のようです。
まあ、その手の人たちが日本でやっていることを思い出すと、色々な意味で現地では歓迎されないでしょうね。

カルトの連中は、精神的な分野の言葉を多く使いますが、自分自身の精神を見つめたりはしているのかな?まずは、それが先じゃないの?
自分自身の精神からの遠さが、まさに、韓国とアフガニスタンという物理的な距離につながっているんでしょ?自己逃避をしている人間が、布教って・・・
しかし、このような点は、日本でもキリスト教系や仏教系のカルトで頻繁に見られることでしょ?

今回取り上げた「スター・ウォーズ」ですが、監督のジョージ・ルーカスが自分自身を厳しく見つめているのがよくわかるでしょ?
未来に残るのは、自分から逃避しての、ありきたりな精神的な言葉の羅列ではなく、自分自身の心の中にある真実を表現した作品なんですね。
R.10/12/7