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カテゴリー ダメダメ家庭にないもの
配信日 04年6月28日 (10年8月18日 記述を追加)
タイトル 挨拶がない
以前に配信したお題で「丁寧な挨拶」という内容を配信したことがありました。
形の上ではご近所の人と丁寧な挨拶をしても、ダメダメ家庭では、挨拶の言葉と実際の気持ちが全然違っていると言った話でした。
ダメダメ家庭では、「丁寧な挨拶」という「形」を整えることだけを考えているわけです。

そのように、ダメダメ家庭においては、外との挨拶は意外とソツなくこなすことができるわけですが、家庭内では挨拶なんて全然しなかったりするんですね。

「おはよう」とか、
「おかえり」とか、
「ただいま」とか、
「おやすみ」とか、
「お疲れ様」とか、
「ありがとう」とか。

何も特別な言葉ではなくても、一般的な挨拶ってありますよね?
そのような挨拶が消えちゃうんですね。

まあ、子供だって「おかえり」などと言われても、困惑しちゃうわけです。
「帰る」って、どこに?
「この家に?」
「この家に帰る」って?「この家だったら帰るではなく、行く」だろうに・・・
と、子供も戸惑ってしまうことになる。そんな心理状態ではフランクな会話にはなりませんよ。
だから、たとえ挨拶が交わされても、会話には進まないわけですね。

そう!挨拶から始まるのは、通常は「会話」。
ですから、挨拶が消えている状態ということは当然のこととして、家庭内で「会話」が消えている状態と言えるわけです。

挨拶をすることによって、いわば「相手の存在を確認している。」ことが伝わるでしょ?
挨拶というものは、相手の存在の確認の宣言とも言えるでしょ?
「アナタがここにいることを、ワタシは容認した。」そんな意味もありますよね?
相手の存在を容認することの宣言がなければ、相手だって、何も言えませんよ。

挨拶によって、自分の存在を相手に知らしめ、相手の存在を容認し、良好な関係性を確認する。
そうなれば、会話に進むことができる。
逆に言うと、自分の存在を相手に知らせず、相手の存在の容認をも知らせなかったら、やり取りなんて始まりませんよ。
だから、挨拶のない家庭では、会話がなくなってしまうのも当然。

父親はだまって給料を取ってくる。
母親はだまって飯炊き、洗濯。
子供はだまって部屋にいる。
顔を合わせても黙々と家庭内の役割を処理。

このような状況を説明する際には、世の中には便利な言葉がありますからね?
「家族だったら、いちいち口に出さなくてもわかるはずだ。」

しかし、「わかる」って、何を「わかる」の?
まあ、そのような状態でわかるのは、「お互いが顔を見るのもイヤだ!」ということになっちゃいますよね?

しかし、何も会話がないことを、「暗黙の了解」とかの美辞麗句ですべてを納得させてしまう。

こうなってしまうと、もう改善なんてできなくなるわけです。だって、挨拶もしない状態を自分たちは納得し、肯定しているんですからね。肯定している現状を変える必要はないでしょ?会話がないということは、逆に言うと、困りごとを言われないということ。
だからこそ、論理的には「問題ない」と言えてしまうわけ。
会話のない状態を、「会話がなくても、うまく行っている状態。」と言い換え、自分たち自身を騙している
ダメダメ家庭は、自分のダメダメな行動を擁護する美辞麗句は実に知識豊富なんですね。

「お帰り!今日は学校でどんなことがあった?」とか親から言われたら、子供だって困っていることも親に対して言いやすいでしょ?
たとえ、その時は会話が進まなくても、別に機会に、「今日は学校で○○君に怒鳴られちゃった・・・」などと言いやすいでしょ?そのような言葉があれば、親も対応することもできますよね?
子供だって、挨拶の返事という形ではなくて、沈黙状態の中から、いきなり「今日は、学校で困ったことがあるの・・・」と言い出すには勇気がいりますよね?

「家族ならそんな遠慮はなくて言いたいことは言えるはずだ!」
正論オバンや説教オヤジのご高説はご高説として、勝手に言っていればいいのですが、現実としては沈黙の状態から、家族に困り事を相談ができる子供はいないでしょう。

「おはよう!」とか「お帰り!」とかの挨拶もなくなっている状態の家庭の親が、子供がトラブルを起こした時に言う言葉は、
「ウチはふつうの家庭だった。困っていることがあれば、親である私に言えばいいじゃないの!!一体、何やっているんだか!」
という言葉になるわけ。

直面しているトラブルについて、子供は親に対して何も言わない。
トラブルが見えないということなんだから、まさに「ふつう」の家庭といえるでしょう。
ダメダメ家庭というものは、子供の困りごとを、親に対して言わせないようにする家庭といえるわけ。

そもそもダメダメ家庭は被害者意識が強く、子育ても親である自分が背負わされた面倒と認識している。つまり、親にしてみれば、子供は加害者なんですね。
だから、ダメダメ家庭においては、挨拶はなくても、謝罪の言葉は飛び交うことになる。
ダメダメな親は子供に対して、謝罪の言葉を言わせようとするわけ。
そして、実際に言わせて、「ああ!ワタシはやっぱり被害者なんだ!」と確認することになる。

逆に言うと、相手に謝罪の言葉を言わせたがる人は、被害者意識が強い人。
何事も被害と認識しているので、逆に言うと、当事者意識がない。
だから、相手に対して伝えたいことなり、わかってほしいこともない。
だから、ますます挨拶とは無縁になる。

挨拶もなく、会話もないので、相互理解とは無縁となる。
会話がなければ、相互理解に至らないのは、当然のことでしょ?
それこそ、子供がどんな希望を持っているのか?どんなことに困っているのか?
挨拶もなく、会話もないんだから、わかるわけもないじゃないの?

そんな状況なので、子供としてはあらゆることを子供だけで対処する必要がある。
だからこそ、トラブルが大きくなり、そのトラブルによって、ダメダメな親の被害者意識が更に刺激されてしまう。
そして、子供に対して、更に謝罪を求めることになる。
かと言って、子育ては親である自分が背負わされた迷惑と考える親は、子供との相互理解を図るようなことはしない。
ということで、その家庭から、挨拶がますますなくなり、謝罪の言葉が、ますます飛び交うことになる。

結局は、発生するトラブルが大きくなるばかり。
しかし、そんなことは、トラブルが発生する前にも、見る人が見るとわかるものなんですね。

その代表的な特徴として、今回取り上げた「挨拶がない」ということがあるわけです。

(終了)
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発信後記

最近上記メールマガジン用アドレスに、hanmail.net とか hosanan.net とか hosanna.net とかドメインのアドレスから文字化けしたメールが来ています。まあ、即効で受信拒否リストに設定しましたが・・・

このメールマガジンでは、典型的ダメダメ家庭の行動として、とある国の方々の行動を例として取り上げていますが、別に差別意識ではありません。
「会話」の意欲もなく、能力もないダメダメ家庭の行動として申し分のない実例だからです。まあ、このような「嫌がらせ」も申し分のない実例ですが・・・このような「嫌がらせ」もせめて英語で書かないと文字化けしますし、私も読めませんよ。
R.10/8/18