トップページに戻る | 配信日分類の総目次に戻る |
カテゴリー分類の総目次に戻る | タイトル50音分類の総目次へ |
カテゴリー | このメールマガジンそれ自体について |
配信日 | 06年3月8日 |
タイトル | このメールマガジンの「解説」 |
今回はちょっと趣を変えて、発行者のこの私が、このメールマガジンの解説をしてみたいと思います。 自分の文章を、自分で解説するなんて、気が進む話ではありませんが、たまには趣を変えるのもいいでしょうしね。 本来は、文章なんて、「読み手が読みたいように読めばいい」ものと言えるでしょう。 「こう読みなさい!」なんてべき論で説明するほうが、私の流儀ではありません。 しかし、小説の後についている「解説」などをチラっと読んだりすると、絶句する時もあります。 「オイオイ!この作品をこんなにヘンテコに解説しちゃうのかぁ?!」 「作者さんも、お墓の中で頭を抱えているだろうなぁ・・・」 まあ、ほとんどの「解説」には絶句させられるものですが、たとえば実際にビックリしたのに、例の「ラ・マン(愛人)」などで有名なフランスの小説家マルグリット・デュラスの小説の巻末についていた「解説」を読んだ時があります。 翻訳者さんが「解説」していらっしゃる。 その解説がトンチンカンなのは、まあ当然として、「あらまあ!」と思ってしまった文があります。 作者のマルグリット・デュラスがある時に「書き手が、その全部の意味がわかっているような文章など、そもそも書く意味がない。」と言ったそうで、そのデュラスの言葉を、解説者さんが、「デュラスはわかりくいことを言っている。」と書いておられます。 しかし、「書き手が、その全部の意味がわかっているような文章など、そもそも書く意味がない。」なんて、当たり前のこと。どうしてそんな簡単なことがわからないの? それこそ「バッカじゃないの?!」なんて言いたくなりますが、まあ、そうは言えないんでしょうね。その翻訳者さんだって、立派な大学を出て、大学で文学部の教授をしていらっしゃるらしい。 それなりの知識はあるんでしょう。バカとはとてもじゃないけど言えない。 しかし、では、そもそも作品って何? それは作者を超えたものでしょ? 作者を超えたものから霊感を受けて、作者を超えた作品が生まれていくわけでしょ? 作者を超えているんだから、作者がその全部を理解できないのは当たり前。 作者が全部理解できるということは、単なる人間レヴェルの文章ということになりますよね?そんなもの、無理して書く必要なんてありませんよ。 まあ、そうなんですが、そのあたりが実感を持ってわかる人と、全然わからない人がいるというわけでしょうね。 論文書きと文章書きは本質的に違っているということなんでしょうネ。しっかし、その教授さんは、大学でどんな講義をしているんだろう? そんな論文書きが「作品」を解説しようとしても、「作者を超えた文章」が、わかるわけがありませんよ。 ということで、まあ、自分の文章は、ある程度は、作者が解説しておかないと危ないわけ。 だって、「作者を超えたもの」を、曲がりなりになりにも、実感として理解できるわけですからね。 とはいっても、まさに作者は作品を全部は理解していないわけですから、解説するのもヘン。 ということで、ここでは、このメールマガジンが持つ方向性を書いてみたいと思っています。 このメールマガジンは「ダメダメ家庭」という、ある種マージナル(境界領域)な家庭を扱っています。そのマージナルな現場を注視することによって、マージナルな家庭のみならず、より一般的な状態における人間の心理を理解するのに参考になれば・・・と思っているわけです。 このようなスタンスは、フロイトの精神分析のスタンスに近いんですね。 フロイトは神経症の臨床現場を元に、あのような精神分析の手法を作り出していきました。そのようなフロイトの精神分析に対しては、無理解や反発も多くありました。 それこそ出版しようとすると、出版社から「ウチはポルノは扱わないんだよ!」と拒絶されたりとか・・・ 今現在から見るとギャグのような話ですが、当時としては、それが常識的な対応と言えるんでしょうね。 フロイトの精神分析は、神経症の臨床現場に深く根ざしているがゆえに、そのような現場を知らない人間には理解されにくい。 精神分析は、決して、神経症の患者さんの心理を理解することだけでなく、より一般的な人間心理の理解にも有効なのですが、一般的な状態の人間から、そのような人間心理を見出すような、そんな洞察力のある人間なんて、ほとんどいるものではありません。 だから、神経症の臨床現場というマージナルな場所で、より理解しやすいわけ。そのような現場において、フロイトの指摘を理解するのは、洞察力がそれほどなくても大丈夫。 ダメダメ家庭の問題もまったく同じことが言えます。 このメールマガジンで記述しているダメダメ家庭の具体的特徴は、ダメダメ家庭を理解するのにもちろんのこと役に立つと思っていますが、その他のマージナルな領域でも、顕著に見られたりするんですね。 それこそ、インターネットの掲示板のやり取りを理解するのに、このダメダメ家庭の特徴が頭に入っていると理解しやすい。 「ああ!この人が、こんな書き込みをした背景には、たぶん、このような心理状況があったのだろうな。」そして「そんな心理状況に陥る背景は、子供の頃のこんな体験が影響しているんだろうな・・・」 そんな感じで、理解することが可能になってくるわけ。 あるいは、韓国や北朝鮮の人々の行動の心理的な背景を理解するのにも、役に立っていると言えるでしょう。 私は、このダメダメ家庭の特徴を提示することによって、誰かを断罪したり、評価することを目的としているのではありません。 目の前に繰り広げられる「珍妙な」行為の背景にある心理を考えるきっかけにしたいと思っているだけです。 そして、その心理が理解できれば、「それがどのような状況に発展していくのか?」も予想できるでしょ? 事件が起こる前に対処すれば、悲劇など起こりませんよ。 とは言っても、まさにフロイトの精神分析が「キワモノ」の扱いを受けたように、このメールマガジンだって、そのような扱いをされている面もあるでしょう。 私の文章をどのように判断しても、それは読み手の勝手ですよ。 私としては、「あの人がなぜ、このようなことをするのか?」「どうして、こんなことを言うのか?」「どうして、こうなっちゃうのか?」 ちょっと戸惑った時に、私の文章を思い出していただいて、参考にしていただければ結構です。 とはいっても、往々にして読み手というものは、「全部理解できないような文章」を受け付けないもの。そんなものでしょ? しかし、「書き手がその内容を全部理解できるような文章など書く意味がない。」ように、「読み手が全部理解できるような文章など読む意味がないわけ。」 だって、文章全部が理解できたということは、自分自身のそれまでの「知の限界」が広がったとは言えないでしょ? 「自分が以前からわかっていることを、改めで確認」しても、面白くはないでしょ? わからないなりに、ちょっと頭の中に入れておいて、自分の考えが行きづまった時に思い出せばいいのでは? 「ああ!あの時の文章って、実はこんな意味だったのか!」 そのように、「ピンとくる」ような状況を作ることができれば、それでOKです。 逆に言えば、読み手が全部理解できるような文章など、書く意味もありませんしね。 「敢えて」わかりにくい表現をしたほうがいいというわけではありませんが、読み手の「知」の限界を広げるということは、今までに存在していないような、「視点」を提示するということでしょ? 読み手が「わかりにくい」と感じるのは当然ですよ。 書き手が全部の意味がわかるような文章など、書く必要がなく、 読んで全部の意味が理解できるような文章など、読む意味もなく、 読み手が全部納得できるような文章など、書く意味もない。 まあ、だから「解説」って、珍妙になっちゃうわけ。 フロイトの精神分析を「ああ、そういえば、フロイトがこんなことを言っていたなぁ・・」と思い出すように、私の文章だって、「そういえば、こんなことが書いてあったなぁ・・」と思い出していただければ結構です。 私の文章がフロイトと同じレヴェルだと申し上げているわけではありませんヨ。 まあ、今回配信の文章は、このメールマガジンの解説であり、解説というものの解説です。 『アンタは、いったい何が言いたいかって?』 「解説なんて、あてにしなさんな。」って、ことですよ。 (終了) *************************************************** 発信後記 本文中で言及しています、フランスの作家マルグリット・デュラスですが、そのうちにその作品を取り上げてみようかな?まあ、あの「ラ・マン」だってダメダメ家庭にいる少女が、「ものを書きたい!」という意欲を高めていく話ですからね。いわば芸術家誕生のストーリーであって、援助交際の小説ではありませんよ。 ちなみに、そのデュラスの晩年を描いた映画があって、確か「デュラス 愛の最終章」とかのタイトルだったと思います。映画のデキは落ちますが、見ていて笑っちゃいました。 まあ、映画の中のデュラスの物言いが、何とこの私とよく似ていること!デュラスが言っている言葉の意味が、この私にはほとんどわかりますよ。 そんな感想を持ったのは、日本でも3人はいないでしょうが・・・ あと、そのうち、またオペラを取り上げることも考えています。ただ入手性が悪い作品は、たとえその作品が面白いものでも、購読者さんが実際に調べてみるのが困難になるので、そのあたりが考えどころ。 オペラの入門の文章も、もちろん書けますし、巷にあふれているものよりもはるかに面白い文章にできる自信はありますが、今現在のメールマガジンだって週に3回発行ですからね。これに別のものも付け加えると、マジに私も死んじゃいますよ。 デュラスと同じような破滅型の私も、ちょっと考えちゃいますねぇ・・・ ただデュラスがそうであるように、ダメダメ家庭出身者にとって、芸術創造は、「救い」になるわけ。だから、このメールマガジンでダメダメな過去を厳しく見据えるとともに、未来へのステップに役に立つように、様々な形で芸術作品を取り上げたいと思っています。 このメールマガジンの最終回も、とある小説をとりあげます。今週からその最終回の文章の製作に入りました。とりあえず最終回のドラフトが上がったら、このメールマガジンの発行を週2回にして、できた時間で、芸術に関する文章を作ってみたいと思っています。今だってアタマの中には文章が入っているのですが、まとめあげるのに時間がなくて・・・ 最終回の発行は、まだまだ先のことですが、最後の文章がきっちり出来上がっていると、とりあえず私も安心できますからね。今まではこのメールマガジンが終了したら、別のものに取り掛かろうと思っていたのですが、なかなか終わらないので、発行頻度を下げようと思っています。その折はよろしくお願いいたします。 |
|
R.10/11/28 |