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カテゴリー ダメダメ土曜講座(表現と作品 編)
配信日 09年3月7日
タイトル 「ラ・マン」
作者 マルグリット・デュラス
このメールマガジンでは、「作品に描かれたダメダメ家庭」というカテゴリーにおいて、様々な芸術作品において描写されたダメダメ家庭の諸相を、作品からピックアップするような文章を配信したりしております。

今回は、土曜ダメダメ講座のカテゴリーの中で、フランスの女流作家マルグリット・デュラスの小説「ラ・マン」を取り上げましょう。
この「ラ・マン」は、彼女の自伝『的』な小説であって、そこで描かれた少女の家庭の様相が、まさにダメダメ家庭そのものと言えるくらい。だから、以前からメールマガジンで記述しているダメダメ家庭の様相と、実に重なるわけです。

ということで、この小説中の文章をピックアップしながら、過去にこのメールマガジンで配信した文章との関わりを指摘して見たいと思っています。

ちなみに、作者のマルグリット・デュラスはベトナム出身のフランスの作家。1914年生まれ。人種的にはフランス人ですが、当時のフランス植民地であったベトナムで生まれ育ったわけ。
ちなみに、この「ラ・マン」は、小説がヒットしたため、後に映画化されております。
第一次大戦と第二次大戦の間の時代のベトナムを舞台にして、フランス人少女と、中国人青年の援助交際?・・・そんな感じで映画になっていましたよね?
映画の方もそれなりにヒットしたようですから、今でも、レンタルショップにもおいてあるでしょう。
あらすじとしては、ベトナム在住のフランス人の17歳の少女が、お金持ちの中国人男性と関係を持って・・・とかの話。

さて、ここでは、この「ラ・マン」で描写されたダメダメ家庭の諸相について、主人公の少女の母親の問題。少女の家庭での問題。そしてそのダメダメ家庭の出身者の問題。
そのように3つに大別しながら、ピックアップしていきます。

では、最初に主人公の母親やその実家から見えるダメダメ家庭の様相について。

1-1. 意外にアタマがいい
主人公の少女の母親は、小さな学校の校長。つまり結構アタマがいいわけ。ただ、その母親の実家は農家。農家と言っても、小作農、自作農、あるいは、農業経営者・・・それぞれによって全然違っています。ただ農業経営者くらいならいざしらず、そうでない場合は、普段はそれほどアタマを使うわけではありませんよね?アタマがいいのに、それを発揮できない境遇だと、どうしても不満を持ち、それを周囲に当り散らしたり、子供を犯人認定するようになってしまうわけ。デュラスの母親のご尊父はそんなところがあったのでは?

1-2. 人生に疲れた顔
小説中の記述によると、主人公の母は「やつれた顔、身なりにうかがわれるある種のだらしなさ、まなざしのけだるさ」・・・それって、いかにも「人生に疲れた」雰囲気でしょ?

1-3. 悪くはない
・・・母はそうやって話すのだ、自分には何の「罪とが」もないということを・・・
「罪とがもない」って、まさにダメダメにお約束の「悪くはない」そのものでしょ?

1-4. 無責任
「母は思慮に欠けていた、支離滅裂だった、無責任だった。母はそうしたすべてだった。」

1-5.味方がいない
主人公の母親は、開拓地を植民地政府から購入しますが、その土地はとんでもない土地で、耕作不可能の土地。政府の役人にワイロを渡さないと、「それなりの」土地をもらえないわけ。それは確かに不正ですが、そんな情報に疎いし、そんな情報をくれる味方もいない・・・それが、当事者意識がなく、会話不全のダメダメ人間の姿。

その母親は学校の校長です。植民地の学校の校長となると、まさに序列意識の強い人にはうってつけ。まさに「教えてあげる。」「指導してあげる」なんてスタイルでしょ?そんな人間は、子供だって「育ててあげる」になってしまいますよ。
1-6.序列意識

・・・主人公の少女の母親は、まさにそんな女性。
「なんとなく、ワタシも、そんな女性を実際に見ていたよなぁ・・・」と思われる購読者の方もいらっしゃるのでは?

母親の親にしても、娘が校長だし、孫は世界的な物書きになったんだから、DNA的に優秀でしょう。しかし、前にも書いておりますが、その優秀さが発揮できないと、被害者意識に満ち、問答無用の家庭になってしまう。母親とその実家とは仲が悪かったようで、子供たちは母の実家とはほとんどやりとりもない。小説の記述だと「兄たちは母の実家を知らなかった」。つまり、
1-7.祖先について知らない


ちなみに、この母親については、小説中の記述だと「純粋な絶望によって絶望した母親を持つという機会に、わたしは恵まれたのだ。」
しっかし、さすがにデュラスは、プロ中のプロ!表現がすばらしい!!

さて、では、主人公の少女の家庭の雰囲気はどんなものだったの?
主人公の少女の家庭は、その少女の上に2人の兄がいて、上記の母親がいる。父親とは死別です。

ちなみに小説中の記述だと、こんな記述があります。
『ただの一度も言わない、こんにちはも、こんばんはも、新年おめでとうも。ありがとうも、一度も。決して話しかけない。話す必要があるとは、断じて思わない。すべてが黙りこくったまま、遠くよそよそしいままだ。石で出来た家族、分厚い厚みがそのまま石化して、どうにも近づきようのない家族・・・』『わたしたちの家ではお祝いをすることはただの一度もない、クリスマストゥリーを飾ることもないし、刺繍のハンカチーフを使うこともなく、花が飾られることもない。そればかりか死者のための行事もない、墓もなく、思い出もない。』
・・・まあ、「こんな家庭が本当にあるのか?」と思われる方もいらっしゃるでしょうし、「オイオイ!そっくりそのままワタシが育った家庭の雰囲気だ!」と思われる方もいらっしゃるでしょうね。

ということで、
2-1.イヴェントが少ない
2-2挨拶がない
2-3.ハメをはずさない
2-4.遊びを知らない
2-5.殺伐とした部屋
2-6.お墓がない
2-7.プレゼントを鬱陶しがる

また、オシャレを楽しむ心の余裕がなくなってくる。
2-8.オシャレの楽しみ
母親は、不恰好なストッキングをいつもはいているし、子供は「わたしはずっと長い間、わたしだけの服というものを持っていない。母の服の仕立て直しばかり。」状態。

当然のこととして、
2-9.会話が不全
小説中の記述だと「会話という言葉は、家の辞書にはない。」とのこと。

会話が不全なので、子供たちの名前も使われなくなる。そして母親は「あの人」と呼ばれることになる。小説の記述を用いると、「わたしはよく兄たちをひとまとめにして話す、あの人がそうするように、あの人、母が。わたしは『兄たち』という、母も家庭の外に出ると『息子たち』と言う。」
2-10.名前の喪失
2-11.「あの人」という呼び名

当然のことながら、そんな環境だから兄弟仲が悪くなる。
2-12.兄弟仲が悪い

前にも書きましたが、この主人公の家庭は父親は死別です。だから離婚などとは違って、不快な思いをしたわけではないはず。だから本来はその父親の写真とか、父親の思い出があるはずでしょ?しかし、お亡くなりになった父親についての話は出てこない。
2-13.写真がない

あるいは、そんな一般レヴェルとはかけ離れた家庭で育ってしまうと、当然のこととして一般常識とは無縁になってしまいますよ。
2-14.一般常識

そんな環境だから、その中の子供は、どうやって脱却しようか?と考えることになる。
そのひとつとしては、まさに作品を制作する芸術家になること。
ダメダメ家庭の子供は、親に認められない分、作品を制作して、自分を認めさせようとするわけ。
3-1.表現にこだわる

とはいえ、やっぱりダメダメ家庭のメンタリティは持っている。
だから不都合なことがあると、スグに政治のせいにしたりするもの。

小説中の記述だと「そしてわたしは、戦後2年経ったときには、フランス共産党員になっている。絶対的に、決定的に、どちらも等価なのである。それは同じことだ。同じ同情、同じく助けを呼ぶ声、同じ判断の虚弱さ、いやいっそ、個人の問題の政治による解決を信じるということに存する同じ迷信と言ってしまおう。」
ちなみに、上記の文章で「同じ」と言われているのは、第二次大戦中の対独協力者、いわゆる「コラボ」の人たちと同じと言っているわけです。共産党もナチス協力者も、その精神は同じと言っているわけ。
3-2スグに政治のせいにする
3-3共産党員

そして、デュラスはアルコール中毒で入院したり、何回も離婚したりする。
3-4.離婚の連鎖

しかし、そんな環境の中で、
3-5.「自分自身と対話」し、母親や周囲の人を洞察し、まさに物書きになっていくわけ。
そんな決意を記した記述を抜き出して、今回の文章はお開きといたしましょう。

「この家族の乾ききった姿、ひどい頑なさ、悪しき力、そのなかでこそわたしは、わたしの本質となす確信、やがて自分は物書きになるという確信の奥底で、わたし自身をもっとも深く認識している。」

(終了)
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発信後記

ダメダメ家庭というものが、いかに似ているものなのか?
実感された方もいらっしゃるでしょう。
ちなみに、上記文章をお読みになって、「あれっ?」と思われた方もいらっしゃるのでは?

明日は、いわば番外編として、その「あれ」について、考えてみます
あと、月曜日には、作者であるデュラスを中心に考えた文章を配信いたします。

上記 日本語版                    上記 フランス語版       デュラス本人とその母親
R.10/10/17