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カテゴリー | ダメダメ家庭出身者の状況 | |
配信日 | 05年8月29日 (10年6月19日,10年7月4日に記述を追加) | |
タイトル | 離婚の連鎖 | |
ダメダメ家庭周辺には離婚が多い。親戚や地域にも離婚経験者が多かったりするわけ。 このことは以前に配信しております。 だから、その中にいるダメダメ家庭自体にも離婚が多い。そのことは子供にしてみればどうしようもないこと。親のミスですものね。 ミスとちゃんと自覚していれば、問題も小さいわけですが、ミスとわかっていないケースも多かったりするわけです。 「たまたま、ダメな男に引っ掛かってしまった。」 「あの時は若かった。」 「親の勧めるまま結婚したら、こんなハメに!」 子供としては、親が語るそんな弁明を聞いて育つわけ。 「ワタシはかわいそうな被害者だ!」それが離婚した親の主張。 別のところにも書いていますが、当事者意識があるからこそ、それを失敗として認識できるのであって、ダメダメ人間は、当事者意識がないがゆえに、うまく行かないことを「被害」と認識することになる。 しかし、当事者意識がないがゆえに、失敗することになるのは、論理的に当然のことでしょ? それどころか、ダメダメな親は、結婚相手について、結婚前の問題から語ったりするもの。それこそ「貯金も全然なかった。」とか「結婚前から頼りなかった。」とか「性格の悪い義父さん、義母さんには困った!」と、子供を相手に語る。 結婚前から問題があるのだから、わざわざ結婚しなければいいじゃないの?しかし、被害者意識だけがあり、当時者意識がない人間にしてみれば、そんなグチを言うことも不自然でもなんでもないわけ。しかし、そんなグチを聞きながら育った子供って、どうなっちゃうの?ちょっと考えればわかることでしょ? しかし、ダメダメな親は「自分はかわいそうな被害者だ!」という意識ですし、そんな言葉で子供に自分の結婚の、失敗を、と言うよりも『被害』を語るわけです。しかし、結婚相手の選択という、人生において極めて重要な問題で失敗するような人間が行う子育て・・・って、上手く行くわけがありませんよね? 何度も書きますが、本人に自覚があればいいわけです。一回目の離婚を踏まえ、修正していけばいいだけ。実際として、人間というものは「若い」頃には失敗したりするもの。しかし、本人が若かったと言っても、周囲の人だっているわけでしょ?周囲の人は、一体何をやっていたの? 「遊びとして、付き合うのはいいが、結婚だけはやめておけ!」とかのアドヴァイスをしなかったの? そのように細かく考えてみると、単に本人の「若気の至り」とは言えないわけ。もっと構造的な問題なんですね。その構造的なダメダメを自覚しないままだとどうなっちゃうんでしょうか? 同じ構造からは、やっぱり同じ結果が生まれるものでしょ? 結局は、そんな家庭で育った子供も将来的に離婚したりするわけ。 実はダメダメ家庭では、この手の離婚の連鎖が頻繁に発生したりするもの。 こんなことを書くと、「そんな色眼鏡で見てはいけない!」などと、ボランティア精神にあふれた正論オバンが反論するものです。しかし、現実に離婚の連鎖って多いでしょ? 何回も書きますが、本人に自覚があればいいわけ。しかし、そのような正論オバンがヘタに同情したりするので、本人の自覚が出てこないわけです。 「あんな男に騙されて、アナタはお気の毒ねぇ・・・」 そんな同情の言葉を掛けられて、本人も「ワタシはお気の毒な被害者だ!」と、「自覚」してしまうわけ。 だから、被害者意識に満ちたダメダメな構造がますます強化されてしまう。こんな構造の元で育ったら、子供だって、ダメダメになっちゃいますよ。そりゃ自分の親と同じように「て・き・と・う」に結婚して離婚したりするのも当然でしょ? 離婚という問題は、離婚するということ、それ自体が問題ということよりも、「離婚するような結婚をなぜしたのか?」そのことが問題でしょ?ボタンの掛け違いというものは、往々にして最初のボタンの問題。最初の時点の選択を見直さないとね。 法律的に離婚していなくても、実質的に離婚状態のケースでも同じこと。 もう長いこと、口もきかない間柄でも、「とりあえず」離婚しない・・・という夫婦も、実際にあるでしょ? 「どうして離婚したのか?」だけに注目することで、形の上では、まだ、夫婦をやっている夫婦は、「どうして、こんな結婚をしたのか?」について考えることから逃避できてしまう。 少なくとも、自分の親が離婚したのなら、「どうして離婚したのか?」考える以上に、「ウチの親たちは、どうしてあんな結婚しちゃったのか?」考えないとね。 だって、身近な問題でしょ?そんな親に育てられた人としてみたら、当人なりに注意をしなければ、自分も「やっちゃう」可能性が高いものでしょ? しかし、ダメダメ家庭を作る親には強い被害者意識があるわけ。子供に対し自分の被害を語り続けるものなんですね。だから子供の側だって親に気を使って「お母さんはどうしてあんな結婚をしちゃったの?」などとは聞きにくい。だから、親の結婚の失敗の理由もわからないまま。だから、自分が「なじんでいる」親のスタイルで結婚し、親と同じような失敗をしてしまう。 この手の離婚の連鎖は、面白い?ことに順番が逆になるケースもあります。子供が先に離婚して、その後で親が離婚するケースもあるんですね。「子供が大人になるまで、オレたちはガマンしよう!」などと言っているのかもしれませんが、そんな家庭だったら子供だってマトモには育ちませんよ。そりゃ、子供だって結婚相手を選択することにも失敗するでしょ?だって、親本人も自分たちの失敗をちゃんと自覚せずに、解決を先延ばししていただけなんですからね。 何でもアメリカで統計があって、離婚した夫婦の実家も離婚しているケースが50%以上あるんだとか。 まさに、無自覚だと離婚は連鎖するわけです。 しかし、ちょっと考えてみてください。 離婚を連鎖させるに至らせた50%の実家の問題は当然のこととして、じゃあ、連鎖ではないパターン・・・つまり、親の側は離婚していないけど、自分たちの子供は離婚してしまった・・・そんな残りの50%は、そんなにマトモな家庭だったの? ちゃんとしたマトモな家庭だったら、自分の子供がマトモな結婚生活を送ることができるように、結婚相手の選択の場面から、適宜アドヴァイスを送るでしょ? それこそ、「自分たち夫婦はどうしてうまく行っているのか?」「どんな点に注意しながら、家庭を運営してきたのか?」そんな点から考えてみれば、結婚相手に対して要求することも具体的に見えてきますよ。 しかし、ダメダメ家庭は、自分たちの結婚生活について考えることから逃避している。 つまり、夫婦のお互いが、自分たちの結婚生活について見ようとしないし、考えようとしない。しかし、それであるがゆえに「問題があるようには見えない」ことになる。 だから、離婚という判断をあえてする・・・そんなことにはならない。 問題があるようには見えないと言っても、「うまく行っている」とは言えないわけ。 よく書いていますが、単純な肯定と、二重否定は別物。 離婚していない夫婦と言っても、まさに二重否定的な状況に陥っている場合も多いわけ。 そんな夫婦によって育てられたのなら、まさに、相手の問題を見ることから逃避し、「てきとう」に結婚し、結局は「こんなはずではなかった!」と言い出し、離婚することになりますよ。 そんなパターンは、形の上では離婚の「連鎖」ではないわけですが、潜在化していなかった連鎖が、顕在化しただけなんですね。 離婚という問題は、本人だけの問題とは言えないわけ。しかし、本人が当事者意識をもって自分で考えていくしかないわけです。当事者意識を持って考えずに、単に自分の被害だけを考えるようにしていると、離婚の連鎖が親子2代だけでは済まないわけです。 この離婚の連鎖の問題は、このように親子に渡って連鎖する事例が一般的ですが、一人で連鎖・・・つまり何回も離婚するという形になることもあります。 一回目の離婚、つまり最初の結婚の失敗で何も反省しないと、同じような失敗をするのも、ある意味において当然のことでしょ?何回も書きますが、「なじんでいる」流儀で行動するんだから、同じ結果になるのは当然のことなんですね。 あるいは、ご丁寧に、一人での離婚の連鎖と、親子による離婚の連鎖を、2つともやったりする場合もある。 そんな人は、物事を始める前にじっくり考えるという習慣がない。 「てきとう」に始めて、トラブルになって、「ああ!どうしよう!」と大騒ぎするだけ。 そして、騒ぎが一応は沈静化すると、また、「てきとう」に取り掛かり、また、トラブルになって、同じように嘆くことになる。 そして、そんな習慣が、親子で連鎖するんだから、親と子で合計4回の離婚なんて事態にもなりますよ。 そんな人は結婚する際においてのみ、「てきとう」に始めるのではない。常に「て・き・と・う」で取り掛かることになる。 まさにメールを書くようなシチュエーションでも、「てきとう」に始めることになる。文章全体の構想をまとめた上で、書き始めるスタイルにはならない。 そんなメールは読んでいても、状況がさっぱりわからない。 だから、こちらから追加して聞くことになる。 「えーと・・・この文章中の『前夫』って、アナタのご母堂の前夫なの?それともアナタ自身の前夫なの?」 逆に言うと、そんな「てきとう」な文章のメールを書くような人は、離婚しやすいわけ。 それだけ、物事を「てきとう」に始める習慣になっていて、十分な状況判断なり、自分自身の希望を確認する習慣がないわけ。 あるいは、離婚の連鎖を「引き起こす」タイプの連鎖のケースもあります。 それこそ、ある女性が、略奪婚のような形で、相手を離婚させる。 そんな人が作った家庭で育った女性が、また略奪婚を引き起こしたり、逆の方向として、「てきとう」に結婚してしまい、自分が離婚することになる。 略奪婚の連鎖は、当人としては離婚の連鎖ではないとはいえ、広い意味では離婚の連鎖でしょ? 自分自身から逃避している人は、自分自身でやりたいことが自覚できず、目の前のものに飛びついてしまって、そして「これは違う!」とか言い出し、プイっと捨ててしまう。 そんなことを、男女関係でも繰り返してしまうもの。 そのようなことを引き起こす心理的な構造は、共通していたりするわけ。 手をつけた後で、自分が率先して離れれば、自分が離婚の連鎖となるし、目の前のものに次々と食いつけば、離婚の連鎖を「引き起こす」ことになる。 よく言う言い方で、「魔性の女」なんて言い方がありますが、その手の「魔性の女」は、それだけ、「求める気持ち」が強いわけ。ある種の「入れ込み」を起こしやすい。「入れ込まれてしまった」側は、ヘタをすると、「自分がこの人の気持ちに応えないと!」と気持ちが盛り上がってしまう。 しかし、その種の人間は、「入れ込む」ことはあっても、相互理解とは無縁。 自分自身を知らないし、相手についてもわかっていない。自分を知らないがゆえに、周囲に対して「求める」しかないわけ。 「魔性の女」は、別の言い方をすると、「お騒がせ女」でもあるでしょ? 何回も離婚するということは、その当人自身は当然のことですが、周囲の人間も相当にダメダメということですよね?せっかく失敗したのなら、その意味を十分に考えるチャンスでしょ? しかし、ダメダメな環境だと、「アナタは何回もオトコにだまされてお気の毒ねぇ・・・」などと同情を受けたりするわけ・・・こんな環境だったら、何度でも失敗しますよ。 中途半端な同情は、相手をますますダメにしてしまうだけ。そして、そのツケが当人ではなく、子供に集約してしまう。本当に相手のことを考えているのなら、相手の問題点を指摘して、自覚を促す必要があるわけです。 離婚の連鎖って、そのような自覚の欠如の典型なんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 購読者の方の中に該当者もいらっしゃるかもしれませんが、私は別にその方を糾弾するつもりではありません。 どこかで自覚して、自分を見つめなおさないと、自分の子供にまで「親の因果」が行ってしまうんですね。 せめて自分の子供には、ちゃんとした結婚をしてほしい・・・と、心から思っているのなら、辛いことですが自分を見つめなおす必要があるわけです。 「ワタシは結婚当時は若かった・・・」離婚の理由をそれくらいでしか語れないような人って、自分で複数の離婚をするようなタイプの連鎖はしなくても、自分の子供に離婚の連鎖をさせてしまうんですね。 実際にいたりするでしょ? 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R.10/7/7 |