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カテゴリー | ダメダメ家庭をめぐる環境 | |
配信日 | 05年8月26日 (10年11月8日,11年1月14日 記述を追加) | |
タイトル | 同情の押し売り | |
「鏡よ、鏡よ、鏡さん!世界で一番美人なのは、だ〜れ?」 なんて、童話の世界では、悪い魔法使いが言ったりしますよね? それこそ、そんな魔法使いは、白雪姫でおなじみです。 まあ、「ワタシは世界で一番の美人だわ!」と鏡の前でナルシスティックに浸っているくらいならその人の勝手でしょう。他の美女を殺してしまうのは大問題ですが・・・ 鏡の前で一人で勝手に納得しているくらいなら、人畜無害ですよ。 ダメダメ家庭をめぐる環境を考える際には、そんな容姿の面でのナル人間は問題にはならない。むしろ、善意や同情心のナルシズムの方が問題になるわけです。 このメールマガジンにおいて、以前に配信した文章において、ダメダメ家庭出身者はボランティア関係者になる例が多いと書いています。会話のできないダメダメ人間は「恵んでやる」という立場に自分をおきたがる。 立場の問題だけでなく、ボランティアという場であれば、「自分の同情心」をアピールできるでしょ?何も周囲の人にアピールするというより、自分自身に「自分のすばらしい同情心」をアピールできますよ。 「ワタシはこんなにも同情心に富んだ、心優しい人間なのよ!」 鏡に向かって「世界で一番美人なのは誰?」と言うように、「世界で一番同情心が富んで心優しい人間は、だ〜れ?」とやるんですね。 そして、その答えは「それは、ワ・タ・シよっ!」 それを、一人で勝手に納得している分には、構わないわけです。しかし、自分の同情心を満足させるためには、困っている人のところに出掛けていって、その人を助ける必要があるでしょ? 困っている人を実際に助けることができればすばらしいこと。 しかし、自分の同情心を満足させるために、困っている人の元にわざわざ出かけていくような人に、本当の人助けができるの? その手の人って、実に単純にしか物事を見られない。まさに「善vs悪の構図」だったり、「敵vs味方の構図」だったり、あるいは「被害者vs加害者の構図」のような単純な二項対立でしか物事をみずに、細かな各論には踏み込まない。だから、困っている人の一時的な「話の聞き手」になることはできても、事態は全然改善しない。 一時的には改善したように見えたとしても、そんな困った事態を生み出した構造というか土壌そのものは何も変化がない。だから、そんな事態が形を変えて繰り返すことになる。 以前にもちょっと書きましたが、女優(なんですか?)の杉田かおるさんの問題ですが・・・ 以前に、とある宗教団体からの脱退騒動があって、何年か後に今度は離婚騒動がありました。 宗教も離婚も本人の勝手ですが、失敗の仕方が全く同じでしょ? 考えもなく、「て・き・と・う」に一緒になって、後になって「ワタシはだまされた!利用された!ワタシはかわいそうな被害者だ!」って・・・テレビ番組でコメディを演じているのならともかく、マジメにやっていたらギャグですよ。 せめて一回目の宗教での失敗の時に、自分自身を見つめなおせば、結婚での失敗はしなくても済んだでしょ? しかし、この手の問題では、考える能力もないナルシスティックな同情心を持った人間が集まってきて「アナタは騙されちゃったのよ!まあ、なんてお気の毒な!」と、ワイワイと盛り上がってしまう。 そんな感じで同情されてしまうので、当人だって、その気になってしまう。 『そうなんだわ!ワタシはかわいそうな被害者なんだわ!ワタシは何も悪くないんだわ!』 しかし、考えもなしに、宗教団体に入会したり、結婚したりすることが、まずもって問題でしょ? 倫理的に見て、いい悪いの問題ではなく、心理的に問題があるでしょ? 宗教団体だって、多分・・・体験入会だってあるでしょ? 結婚だって、結婚前に相手と話をするでしょ? あるいは、周囲の人には相談しなかったの? 騙されたもヘチマもないじゃないの?要は本人の洞察力の不足でしょ? あるいは、一回目の失敗の時に、「アナタ自身にも問題があるんじゃないの?」「もっと慎重に行動しなさいよ。」と言ってくれる人はいなかったの? あるいは、「アナタはコケやすいんだから、今度からは、前もって、このワタシに相談してね!」と言ってくれる人はいなかったの? ダメダメ人間は普段からグチばかり言っているので、周囲の人のレヴェルも低い。これは前回配信の文章で書いております。だから周囲からの適切なアドヴァイスも受けられない。もちろん、例え適切なアドヴァイスを受けたとしても被害者意識の強いダメダメ人間は「どうして、そんなことを言うのよ!」「アンタはワタシのことを何も分かっていないわ!キーっ!」と逆上しちゃうだけですが・・・ だからこそ、グチに共鳴し、同情を表明する人ばかりが周囲にいる事態になってしまう。 ナルシスティックに同情を表明する人間は、いわば機械仕掛けの小鳥のようなもの。 何も考えずに、「アナタは悪くないわ!」と連呼するだけ。 そんな連呼が相手への配慮になるの? 本来は、炭鉱のカナリアがそうであるように、クリティカルな事態になりそうになったら、「早く対処しなさいよ!」と叫ぶこと・・・それこそが本当の意味での相手への配慮でしょ? しかし、ナルシスティックな同情心でいっぱいの人間は、機械仕掛けのように、何も考えずに「まあ、なんてお気の毒な!」と鳴くだけ。 そんな声を受けて、発生しているトラブルも、何も対処されず、規模が大きくなるばかり。 そうして、「アナタは騙されちゃったのよ!まあ!なんてお気の毒な!」などと言いながら、同情心を押し売りする人間が、更に集まってきてしまう。そんな人たちから「お気の毒に!」という「ありがたい」言葉をもらって大満足! そして、同じ間違いを繰り返す。 まあ、芸能人はそれをネタにしているわけですから、それも本人の勝手でしょう。それでメシが食える面もあるわけでしょ? しかし、カタギの人間にもそんなことが起こっているわけです。 それこそ、夫が妻に対し暴力を振るうドメスティック・ヴァイオレンスの問題がその代表と言えます。 夫に暴力を振るわれるのだから、気の毒ではありますが、当然のこととして「どうして、そんな男と結婚しちゃったの?」という疑問が出てきますよね? 無人島で、2人だけ生き残っちゃったの? そんなわけないでしょ? 男なんて星の数ほどいるでしょ? どうしてそんなスカな男と結婚しちゃったの? 結婚する前は相手の何を見ていたの? 親を始めとした周囲の人は、その男性をどう評価していたの? あるいは、激しい暴力になる前の、ちょっとした兆候があった際には、どのように対処したの? そのように考えていくと、決して、暴力夫だけの問題ではないんですね。そんな暴力男を「選んだ」側の問題だってあるわけです。 失敗は失敗でしょうがない。しかし、重要な点は、「どうして失敗したのか?」自分自身でちゃんと理解することでしょ? 厳しく、辛いことは確かですが、自分自身を見つめ直す必要があるわけです。 しかし、そうやって折角、自分自身と向き合って行こうと思っている人に、同情心の押し売りがやってくる。 そうやって「アナタはお気の毒な被害者なのよ!」と、言い出したりする。 人間は誰だって、ラクをしたいものです。 自分自身を向き合う厳しさよりも、「自分はかわいそうな被害者なんだ!」と納得する、そんなラクな方を取ってしまう。 しかし、それでは暴力男から一時的に逃げることができても、暴力男を「選んだ」当人の問題は何も改善されないでしょ? そうなると、杉田かおるさんとは別の流れに行ったりする。 結婚での失敗の後に、宗教での失敗となるパターンです。 「その宗教が良いか悪いか?」は、本人との相性の問題もあるでしょ?事前にちゃんと調べればいいわけでしょ?自分とフィットするかどうか?なんてちょっと調べればすぐわかる話ですよ。 しかし、「て・き・と・う」に結婚して、失敗する。そんな自分を全然自覚していないままだと、今度は宗教団体にも、「て・き・と・う」に入会したりする。 そうして泥沼の事態に・・・ それこそレイプ牧師のような団体に引っかかってしまう。そうなると当人だけが被害を受けるだけでは済まないでしょ? このような、結婚の失敗の次に宗教の失敗などという事例って、よくあったりするでしょ? そうして「ワタシは、なんて不幸で、かわいそうなんだ!」と自分自身で嘆くことに。 その言葉に、同情心の押し売りをする人間も更に大満足することになる。 『そうよ!アナタはかわいそうなのよ!ワタシが何とかしてあげるわ!』 言葉は言葉としていいのですが、そんな同情心の押し売りをする人間が「何とかしよう」とするから、ますます事態が悪くなったわけでしょ? やたらグチっぽいダメダメ家庭の周辺には、この手の同情心の押し売りをする人間が集まってくるものなんですね。 だからますます改善が難しくなってしまう。 「鏡よ、鏡よ、鏡さん!世界で一番美人なのは、だ〜れ?」 なんて、鏡の前で言ったりする悪い魔法使いは、それほど問題はない。 むしろ、「鏡よ、鏡よ、鏡さん!世界で一番同情心が富んで心優しい人間は、だ〜れ?」と悦に浸っているナルシスティックな同情心を待つ人間の方が厄介なんですね。 自分の同情心を満足させるために、それを押し売りする。 そんな人間は、周囲から善人に見える分、そして、ある種の「優しさ」の外見を持っている分、悪魔よりもタチが悪い存在といえます。 まさに、「羊の皮をかぶった偽預言者に気をつけろ!」とイエスさんも警告を鳴らしたくなってしまうほど。 同情の押し売りをする人にとって、「押し売りができること」なり「押し売りをする先」が問題なのであって、トラブルを解決したり、あるいは予防することには関心がない。 事態を解決することが目的ではないので、具体的な各論には関心がない。 とにもかくにも、誰かを同情をしたいだけ。 そして、そんな人のトラブル時の対応は、「どの人に同情するか?」という点だけ。 だからこそ、トラブルになったら、「どっちが悪いのか?」という点に議論を持っていってしまう。 そして、「悪くはない」側に対して過剰な同情を表明し、『ああ!気の毒なこの人に対して、こんなにも同情しているワタシって、なんていい人なの?!』と歓喜することになる。 その手の人は、同情した時点で、その人にとってのトラブル対応は終了してしまっている。 だから、事態を具体的に、そして各論的には考えない。 過度な同情の言葉と、形ばかりのお金を出して、『ああ、ワタシってなんていい人なの?!』と自画自賛するだけ。 だって、その手の人にしてみれば、同情している自分という立ち位置こそがその人の求めているものなんですからね。 そして、過度な同情を表明することによって、物事を具体的に考えることから逃避して、一丁上がりとなってしまう。結果的に、有効なサポートにはならない。 実際問題として、過剰な同情の言葉をかける人が、具体的なアクションを提示したことがありますか?そもそも事態が改善されてしまうと、同情することしか能がない人が一番困ってしまいますよ。 過剰な同情の言葉は、認識や思考への無関心の裏返しなんですね。 まさに、アルベール・カミュが「異邦人」の中で書くような「やさしい無関心」そのもの。 その手の人にしてみれば、同情によって、「同情する自分」という役割なり居場所を作っているわけです。だから、そのことへの障害になる見解が出てくると、逆上することになる。 「まあ、なんてヒドイことを言うのね!」 「この人を、気の毒には思わないの?」 「この・・・人でなしっ!」 そのように、同情することへの障害に対しては、過激に対処しても、同情するような事態を改善するためには、何もしない。相変わらずの同情どまり。 同情したがる人間はともかく、同情された側としては、そんな安っぽい同情などは受けてもしょうがないでしょ? しかし、ダメダメ人間は被害者意識が強く、その被害者意識を刺激されると、喜んでしまう。だから、そんな安っぽい同情を喜んで受けてしまう。 そして、『ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!この人たちもそう言ってくれているわ!』と自己憐憫することになる。 逆に言うと、同情の押し売りをする人は、トラブルがあったりすると、その関係者の中で安っぽい同情を喜ぶ側に対して、「アナタは悪くないわ!」と呼びかけ、「まあ、なんてお気の毒なの?!」と同情することになる。 そんな同情によって、事態がよくなったことがありますか? だって、事態が悪くなればなるほど、同情が効果的でしょ? だからこそ、同情の押し売りをする人間は、同情する自分に対し、ますますナルシスティックに陶酔してしまうんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 ダメダメ家庭の進行はスパイラル的に進行します。最初にちょっとしたダメダメがあってそれを放置するために、手が付けられなくなるほど大きくなってしまう。結局、どっかーんとなってしまうわけ。 私は何もボランティアの方々が、諸悪の根源だと申し上げているわけではありません。結果的に、ダメダメなスパイラルの進行に寄与してしまっていることを自覚する必要があるのでは?と申しているだけです。 一旦、ダメダメなスパイラルが進行しだすと、それをマトモな回転に反転させることは極めて難しいものです。それよりも、「全く新しい組織」を立ち上げてやり直す方がずっとラクなんですね・・・ そんなことを考えていたら、今回の総選挙での小泉首相の腹が読めてきました。 小泉首相も解散前は、「やれることを全部やる」という姿勢もなくなってきて、いささかダメダメ状態だったことは以前にちょっと触れました。 小泉首相にとって、今回の解散は、「全く新しい組織を立ち上げる」つもりなんでしょうね。 郵政が重要というより、どっかーんと解散をしたかったのでしょう。 今回、刺客などと刺激的な言葉が踊っていますが、虚心坦懐に見てみると刺客とされる面子は、意外にマトモ。皆さん政治以外の分野で実績を上げているし、女性も多いし、何よりも世襲ではありません。 落下傘候補などと揶揄されますが、本来は国会議員なんだから地元も何もないでしょ?それに地元と時間をかけて調整すると、結局は世襲候補者ばかりになってしまうもの。 今回、どさくさに紛れて、世襲ではない有能な候補者を多数擁立したのは、多分、それ自体が目的なんでしょうね。 小泉首相は自分を戦国時代の織田信長になぞらえているそうですが、織田信長は世襲ではない有能な人材(羽柴秀吉、明智光秀、滝川一益など)を登用して、勢力を拡大していきました。信長は政策が新しいだけでなく、人材の登用の面においても優れていたわけ。そのあたりが念頭にあるんでしょうね。 今回の総選挙の意義って、郵政の問題以上に、人材の登用の意味があるんでしょう。今回当選する刺客の中で、後々ビックになる人も出てくるんじゃないのかな? 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R.11/1/14 |