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カテゴリー | やり取りと距離感 | |
配信日 | 06年6月9日 (11年2月16日 記述を追加) | |
タイトル | 実家との微妙な距離 | |
ダメダメ家庭を作る親は、会話の能力がない。 会話のスキルがないというだけでなく、話のネタも持っていない。 だから自分の子供しか相手になってくれない。 だから子供が自分から離れて行くのを妨害しようとする。いつまでも自分の相手をさせようとする。 と言っても、ダメダメ家庭は被害者意識が強い。自分の子供を育てることすら、親である自分の被害と考えている。だから、子供と一緒に暮らしていても、「オマエを育てるために、ワタシの人生を棒に振った!」そんなグチを子供に対して言うだけになっている。 自分の子供を自分に迷惑を掛けたと加害者として認定しているんだから、その子供なんて、さっさと外に出して、もう会わなければいいだけでしょ?しかし、そんなことをすると、唯一のネタであるグチが言えなくなってしまう。そしてグチの相手がいなくなってしまう。 結局は、その子供を自分の身近においてグチを言うことになる。 子供に対して、いつまでも自分のもとにいて、グチのネタを作り、そしてグチの聞き役になってほしいと思っているわけです。 ダメダメな親はそのように考えているとして、では、子供の側はどう考えているの? 子供は親の希望通りには育たない。そもそも親のグチばかり聞いていたわけですからね。 親と一緒にいて楽しかった思い出なんて何も持っていない。 そんなダメダメな親との距離感についても、ダメダメ家庭出身者なりに色々なケースが存在いたします。 今回取り上げるのは、「なんとなく」微妙な距離のままでいるケースです。 そもそもダメダメ家庭の人間は、自分自身を厳しく見つめることができない「心の弱い」人間が多い。 何かうまく行かないことがあると、「悪いのは全部○○のせいだ!」と、自分以外の誰かに責任を押し付けるだけ。 おまけに、ダメダメな親ほど被害者意識が強く、上記のように親からのグチを聞かされ続けたので、そんな家庭に育った子供ほど「親に迷惑を掛けられない!」と思い込んでいる。だから「思い切った」ことはしない。 かと言って、親との関係を修復するようなこともしない。だって、親と顔を合わせてもグチを言われるだけなので修復のしようもないし、そもそも修復も何も、産まれた時から上手く行っていないのがダメダメ家庭というもの。だから、「な〜んとなく」の判断停止の関係が続くことになる。 実は、子供の方も、自分の親について「親のせいで、ワタシは上手くいかない・・・」と始終グチっていたりする。そんなグチを言いながら、実家に住んだままだったり、実家から一時的に離れても、結局は親の近くにいたりする。かと言って、積極的にコンタクトを取るわけではない。 そんな光景を見せられると、「じゃあ、いったいアンタはどうしたいの?」という、まさにダメダメ家庭の人間にお約束の疑問が出てきますよね? 確かに親子だったら、絶縁をしたくても、現実的に出来ない場合が多い。それにダメダメ家庭出身者は経済的に自立できないことも多い。まあ、会話ができないのだから、社会生活だって上手く行きませんよ。それについては、現実は現実でしょうがない。 だから重要なことは、精神的な観点での位置づけでしょ? まずもって、精神的な距離感を確定させる必要があるわけです。 現実的には、自分の親を、精神的な意味での「ブラックリスト」に登録すればいいじゃないの? 親の言葉は聞いても、「馬の耳に念仏」状態に徹すればいいじゃないの? 子供時代のその人が、そうされたようにね。 「自分の親はまったく頼りにならない。」なんてグチっているのなら、そう「扱えば」いいわけでしょ?どうして中途半端に関わるの?一緒にいて会話があるわけでなし・・・ あるいは、近くに住んだとしても頼りになるわけもないでしょ?そんなダメダメな親は自分が困った時に助けてくれるの?そんなわけないでしょ?ヘタに相談を持ちかけたら「いったい、いつになったら、オマエはワタシに迷惑を掛けないで済むようになるんだか・・・」「オマエは昔から、親に面倒ばかりかけて・・・」と、待ってましたとばかりにグチられるだけですよ。だったら、もう二度と顔を見なくても済むような遠いところに行けばいいだけ。 しかし、ダメダメな子供は、親についてのグチを言いながらダメダメな実家に住んだり、あるいは、それこそ「スープの冷めない距離」に住んだりする。なんともまあ、微妙な距離にいる。 それって、結局は、自分自身の問題と直面することから逃げているわけです。 自分自身の問題と向き合えば、必ず自分の出身家庭について考える必要が出てくるでしょ?「付かず、離れず」という言葉がありますが、判断から逃避しているダメダメ家庭出身者は、「付くという判断」も「離れるという判断」からも逃避してしまう。 あるいは、「親のせいでこうなってしまった・・・」という犯人認定はできても、「じゃあ、自分としてはどうしていくのか?」という自分自身の判断はできないままとなっている。 だから、「な〜んとなく」の微妙な距離になってしまう。 親について自分なりに考えて、その上で、「かつては色々とあったけど、やっぱり自分の親は、すばらしい親だった。」と思えば、積極的にコンタクトを取ればいいだけですし、「自分の親はダメダメだった。」と思えば、精神的な意味でのブラックリストに登録したり、完全に絶縁する方向で対処すればいいじゃないの? 「滅多に合わないし、会えばグチを言われるだけ。」という親との関係を「なんとなく」ズルズル続けていることは、自分自身と向き合っていない証拠でしょ? 結局は、どっちつかずのまま。 そんな人は、自分自身で考え、「自分にとって、親はどんな人だったのか?」そんなことを判断することから逃げているし、「自分としてはどうするのか?」という判断からも逃げている。 現実においても、実家と「どっちつかず」の関係の人っていたりするでしょ?そんな人って例外なくグチっぽいでしょ?だって自分自身から逃げているわけですからね。 現実上の距離なり、やり取りの頻度についてはどっちつかずでも、そんな人は、結局は自分の親と一番近いといえます。判断停止で、グチばかりという点で、その人の親とまったく同じなんですからね。 そんな人は、自分自身を見つめることをせず、親の問題を片付けることもしない。「なんとなく」親と関わりを継続する。そんな人は、上手くいかなくなった場合は、結局は誰かを犯人認定することでオシマイとしてしまう。それこそ「悪いのは全部○○のせいだ!」なんて、ダメダメにお約束の言葉を持ち出すことになる。 そして、犯人と認定する対象だって、現時点での自分自身から関わりが遠いものが選定されてしまうことも多い。以前に書きましたが、「新しく関係ができた新参者」を犯人認定することになる。だって、新たに関係ができた人が原因だったら、自分自身や親の問題を考えなくて済むでしょ? まあ、そんな犯人認定される新参者は往々にして、自分の子供になってしまう。 「子供ができたせいで、自分の生活はメチャクチャだ!」 「子育てのせいで、自分の人生を棒に振ってしまったわ!」 ああ!どこかで聞いたことがあるフレーズだなぁ・・・ まったく、親と同じなんですね。 現状認識といっても、単に犯人認定に留まっているだけで、「自分としてはこのようなことをしたい!」という自分の問題については考えない。 それこそ、「オレが、引きこもりになったのは、親のせいだ。」と状況認識するのはいいとして、親を犯人認定してオシマイになっている。 親の問題を自覚したのなら、実家を出ることが最良ですし、たとえ経済的に困窮になって、野たれ死にすることになっても、実家にいながら、「親のせいで・・・」と、恨み続けて生きるよりもマシなのでは?パスカルの賭けの理論じゃないけど、そのまま実家で陰々滅々の日々を送るよりも、勝負してみればいいじゃないの? しかし、自分でやりたいことがない人間は、「親のせいで・・・」と言いながら実家に居続ける。 そんな人は、実家との関係が、本当の意味では、確定していないわけです。だから、「なんとなく」の、あいまいな距離感のままで、実家に居続ける。 あいまいな状態は、犯人認定がなんとなくできて、かつ、自分でやりたいことがない人間にはちょうどいい距離感といえます。犯人認定はできても、それが自分の判断につながっていない状態といえるでしょう。しかし、不満が何も解決されず、蓄積されていく一方。だから、いずれかは、臨界点を超えてしまう。 今回、このお題を取り上げたのは、例の秋田県の事件のことがあるからです。 秋田県のシングルマザーが、自分の子供や、近所の子供を殺害した事件がありました。 その事件を考える際に、彼女と実家との距離感について考えておくと理解しやすくなります。 まあ、時事ネタばかりやっているのもなんですが・・・まあ、時事ネタは、割と人気がありますからね。たぶん、期待していた人も多いでしょうし・・・違います? しかし、あの女性だって、どうして秋田県に住んでいるの? それも実家の近くでしょ? 彼女がダメダメ家庭出身者の典型的な人間であることは、あまりに明白ですよね? 子供しか相手になってくれないところまで親とそっくり そして、被害者という立場が得られると、「妙に」ツボに入って、張り切ってしまうでしょ? そうして、自分の「被害」を、ことさら強調する。 絵に描いたような、「子は親の鏡」状態となっている。 まあ、その点は、皆さんも感じたでしょ? しかし、彼女自身はそのことを、どの程度自覚していたでしょうか? たしかに、彼女に対して、マスコミなり周囲の人たちから被害はあったでしょうが、一番考えなくてはならない被害は、自分の親からのものでしょ?しかし、そのことを考えることから逃げている。だから実家のある秋田県に住んでしまう。 もし、彼女が、自分自身や自分の実家の問題を明確に自覚したら、秋田県には住まなかったでしょうし、あんな事件も起きなくて済んだでしょう。だって、自分の親と同じように、子供を育てる意欲も能力もない・・・と、自覚できれば、子供を養子に出すことだってできたわけですからね。 子供への距離も、実家への距離と同じように、明確に判断せず、「なんとなく」の関係のまま。 この手の「なんとなく」の関係は、ダメダメ家庭出身者では結構ポピュラーです。 私などに相談される方にも、そんな状態の方もいらっしゃいました。 私としては「親が嫌いなら徹底的に嫌ったら?それを避け、中途半端なあいまいな状態にしているから、今の問題が大きくなったのでしょう?」などと言ったことがあります。 「自分の親を嫌ってはいけない!」なんて、お説教をぶつだけの人も多くいますが、そんな「ありがたい」お説教によって子供が死んでしまう・・・それが現実のダメダメの世界なんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 今回の秋田県の事件の彼女だって、きっとバカではないのでしょうから、本気で色々と考えれば自分自身の問題なり、実家の問題だって考えることができるはずですよね? こんな時に大敵になるのが、よく書いていますが、ボランティアの連中。 あなたたちは全然悪くはないのよ! 悪いのは全部○○なのよ! なんて言い出して、本人が自分で考えることを妨害するわけ。 そうやって、いつまでも一緒にグチを言い合える仲間であるようにしてしまう。 グチに共感するのは勝手ですが、本当に、当人のことを考えているのだったら、「アナタも、もうちょっと自分自身の問題として考えてみたら?」「で、結局アンタはどうしたいの?」などと言う必要もあるでしょ? 事態が悪化して、「しわ寄せ」が来るのは、被害も語ることができない一番弱い立場の人なんですね。声を大にして自分の被害を語っている人ではないわけ。 それこそイスラムにボランティアに出かける能天気連中もいますが、イスラムでは女性や子供が自分の被害を語ることも許されずに、厳しい状況にいるわけでしょ? しかし、ボランティア連中は、そんな本当の弱者には目を向けず、グチを言っている人間に吸い寄せられるだけ。そして一緒にグチっているだけ。そして、そのようなダメダメな精神的土壌を温存させ、結局は「一番弱い人間」が追い詰められて、行くところまで行ってしまうことになる。 それがどうして善意なのか?私にはさっぱりわかりませんよ。 |
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R.11/2/16 |