トップページに戻る | 配信日分類の総目次へ |
カテゴリー分類の総目次に戻る | タイトル50音分類の総目次へ |
カテゴリー | ダメダメ土曜講座(人物編) |
配信日 | 09年2月21日 (11年1月3日 記述を追加) |
タイトル | 中川昭一さん(前財務大臣) |
以前に、ローマの国際会議で醜態をさらした中川昭一さんが、先日(09年)、大臣を辞職いたしましたよね? まあ、あの姿を見せられるとねぇ・・・ 彼はお酒が大変好きとのことで、よくあんな事態になるんだそう。 お酒を好きなのはいいとして、それならなおのこと、それ相応のシチュエーションで、じっくりと味わえばいいじゃないの?真昼間から、慌ててお酒を飲むんじゃなくて・・・ ・・・なんて思っていて思い出したのが、以前に取り上げた、お相撲の朝青龍さん。 朝青龍さんも、逃げるようにモンゴルに帰っていきますよね? モンゴルが好きなら、逆に言うと、もっとしっかり手続きをとって、じっくり滞在すればいいだけ。 彼の場合は、モンゴルに帰っているというよりも、モンゴルに「逃げている」と言った方が近い。逃げ場所がモンゴルしかないというだけ。 いわば、「ここに帰り着けばなんとかなる!」という「逆・約束の地」の状態となっている。 中川さんも、お酒が好きというよりも、お酒に逃げていると言った方が近いのでは? いわば「飲まないと、やってられない!」という「二重否定状態」。 それだけ、普段の日々にプレッシャーを感じているんでしょう。 政治家だから、大臣だからプレッシャーを感じるのは当然ですが、だからと言って、お酒を飲んでそのプレッシャーがなくなるというものではないし、他の大臣はあんなに飲酒していないでしょ? 彼は「根拠のない自負心」で、自分を実態以上に大きく見せようとしている。 だからこそ、なおのことプレッシャーになってしまう。 彼は、実際は繊細な人なんでしょう。 ご存知のように彼のご尊父は、国会議員在職中に「自殺」されました。 プレッシャーを自分自身に溜め込むのは、そんな心理的傾向の遺伝的な面もあるんでしょうね。 彼は過去において、お酒でトラブルを起こしたりしていたそうですが、本来はその時点で「反省する」のがスジというもの。 周囲の人間も、そんなアドヴァイスが必要なのでは? 「お酒がほしい!」「酒がないと死にそうだ!」などと騒いでいる人に対して、お酒を提供するのが、周囲の人間としての善意なの?それは違うのでは? 同じようなことは、ダメダメ家庭出身者の問題にも言えることです。 ダメダメ家庭出身者の「事情」に同情して、「まあ、なんてお気の毒な!」と同情の言葉をかけるだけでは、その人が堕ちて行ってしまうだけでしょ? ある時は、厳しい言葉も言わないとね。「配慮と同情」は違いますよ。 ダメダメ家庭の事情に同情するだけのボランティアの連中は、結局のところ、アルコール中毒の人にお酒をふるまって、「困った人に恵んでやっているボクたちって、なんていい人なんだ!」と悦に浸っている人の姿と同じじゃないの? 本来は、そんな安っぽい同情しか能がない人からの援助を拒否するのが、自身の尊厳に配慮した行為であり、事態改善への第一歩なのでは? 自分への厳しい言葉を受け入れなくなってしまった状態。それこそがダメダメなんですよ。 さて、ここでは中川さんのアルコール依存の問題を考えております。 別のところで考えておりますが、依存と愛情は大きく違う。 依存はNeedに近く、「離れられない」という二重否定であって、 愛情はLoveであり、単純な肯定となっている。 アルコール依存ということは、「アルコールを好き」なのではなく、「アルコールから離れられない」という状況となっている。 つまり、アルコールに執着することで自己逃避しているわけです。 それだけ、自分自身との距離感がつかめないわけです。 逆に言うと、内面に空虚感があるわけです。ただ、自己逃避であるがゆえに、その空虚感を自覚できずに、心の空洞をアルコールで埋めようとすることになる。 あるいはもっと別の言い方をすると、彼としては、政治家の活動によって、本当の意味での充実感がなかったわけです。もし充実感を得ていたら、アルコールを大好きであっても、依存にはなりませんよ。 頻繁に書いていますが、自己逃避状態になってしまうと、自分が自己逃避であることが分からない。それが自己逃避というもの。 それをどうやって周囲がウォッチして、ケアーしていくのか? それは言うほど簡単ではありません。 ただ、これほどの依存症状は、だんだん悪化していくものなので、初期の段階で適切に対処すればいいわけです。 何回も書いていますが、依存の本質は、依存する対象の問題ではなく、自分との距離感であり、つまり自己逃避の問題。 つまり、アルコールは単なる逃避先に過ぎないわけで、逃避元である自分自身を見つめることが必要になるわけです。 自己逃避は、別の言い方をすると、自分の価値が自分で見いだせないということ。 つまり、自己否定に近い状況になっている。 自己否定の極限がどのような事態になってしまうのか? それはちょっと考えればわかることでしょ? この中川さんは、09年10月にお亡くなりになりましたが、彼が抱えている心の空虚感に的確に対処していれば、最悪の事態にはならなかったのでは? (終了) *************************************************** 発信後記 本文中にも書いていますが、アル中の人に、お酒を「恵む」のが善意なのか? ダメダメ家庭の人からお便りを頂戴すると、そんな問いかけを私自身ですることになります。 もちろん、ダメダメ家庭ならではの事情があり、それを理解することは必要になってきますが、単純な同情ですべて解決できるものではないでしょ?理解=同情ではないでしょ? 当人の希望をサポートするのが周囲の人間の役目。 「酒を飲み続けて、死んでもいい!」と覚悟を決めているのなら、それはそれで当人の考え。 しかし、ただ「ワタシに構って!」というだけの覚悟のない状態だったら、私としても「もうお酒は止めたら?」という必要がある。 皆さんも、そんなことをちょっと考えてみてくださいな。 |
|
R.11/1/3 |