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カテゴリー ダメダメ家庭の金銭感覚
配信日 04年2月9日 (10年9月30日 記述を追加)
タイトル 収入のアップを図らない
親の遺産をめぐって、残された親族がドロドロの争い。
まあ、よく聞く話です。

まあ、親族同士で骨肉の争いというのは見苦しいですよね?
だからと言って、財産にあまりに淡白なのも問題でしょ?

「遺産?いいわよ!私は全然いらな〜い!」
そんな姿は、格好はいいけど、その人の子供はどうなるの?本来は受け取れるはずの遺産が受け取れませんよね?親が放棄してしまったら、その子供には回ってきませんからね。

このような場合、むしろ親族間でドロドロの争いをしてまでも、遺産を多く取ろうというガメツイ親の方が、その子供にはありがたいわけです。

大体において、その家庭を維持していくにはそれなりのお金が必要ですよね?
いくらダメダメ家庭でも、それなりの定期的な収入源はあるでしょう。
しかし、ダメダメ家庭はそれほど収入のアップには拘らない。その面では意外と淡白なんです。

なぜかって?

ダメダメ家庭は意外とお金を使わないんですね。
子供の将来のためにお金を使うということもしない。家族旅行などのレジャーもしない。じゃあ、一体全体何にお金を使うの?
まあ、家とか車とかの「普通の家庭」に必要なものくらい。
周囲のみんなが持っているものを、人に合わせて購入するだけ。
ダメダメ家庭の合言葉は「普通」というものですよね?
ですから、「普通」を逸脱してまで収入のアップを図ったりはしません。

たとえば、「妻は家庭にいて家事をするもの。」という考えが普通だと思っている人は、決して外で働いてお金を稼いで収入をアップしようとは考えないんですね。

「子供の将来のことを考えて、蓄えが必要かな?」とか、
「子供に楽しい思い出を作ってあげたい。」とか、
「ワタシも、たまにオシャレなんかもしてみたい。」とか・・・
そのようなことは何も考えない。
だからお金がかからないわけです。

それに、このような家庭を形容する便利な言葉がありますよね?
「つつましくてもいい。家族みんなが幸せならば・・・」

勿論そうではあるのですが、「つつましい」家庭と「息が詰まる」家庭は、似ているようで全然違いますよね?
お金をかければいいというものではありませんが、毎日が同じことの繰り返しだったら、子供だってやりきれないでしょ?それこそ、息が詰まっちゃうでしょ?毎日が息が詰まる状態で、どこが幸福なの?

以前にダメダメ家庭は「イヴェントが少ない」ことについて書きました。勿論、お金がなければイヴェントが出来ないというわけではありませんが、それでもやっぱりある程度のお金は必要でしょ?

実際問題として、レジャーなどの各種イヴェントを行う際に、あるいは習い事など新しいことにチャレンジする際に、また本などを購入する際に、お金は必要ですよね?

ですから、標準よりもはるかに少ない金額でやりくりしているのは、やりくり上手というよりも、本来あるはずの「精神的な営み」に対しての支出がなされていないことなんですね。
実際問題として、家庭という形を維持するだけだったら家族旅行なんてしなくてもいいわけです。
本だって買わなくても問題ないでしょ?

あるいは、本来は、何かのトラブルに備えての蓄えも必要でしょ?
それこそ子供が病気になったら、どうするの?
「ウチはお金がないから、その治療をあきらめろ!」というの?
『と言うの?』どころか、実際に言っているのがダメダメ家庭。
だからこそ、お金もかからない。

子供の進学に対しても何もサポートもせずに、ただ「ウチはお金がないから、進学をあきらめろ!」と子供に言い渡すだけ。
あるいは、別のところでも取り上げておりますが、歯並びの矯正のような問題も、子供に対して、「お金がないから無理だ!」と言い渡すだけ。

こんなことだから、確かにお金は使いませんよ。
そんな状態は、好意的な言葉を使うと「つつましい」家庭の姿と言えるでしょうね。

ダメダメな家庭は、別の言い方をすると、
「夫が会社に勤めていて、定期的に給料をもらってくる。」
「それを妻が家で待っている。そして倹約して家を買う。」
そんな、普通の家庭の姿そのものといえるわけ。

逆に、妻がパートで働いたり、正社員で働いたりするような家庭を「普通じゃない!」と非難することになる。
あるいは、最初に挙げた遺産の場合も同じ。
親族でドロドロの争いをしてまでも、遺産を受け取るのは「普通」ではないと非難したりする。

このようなお金に淡白な姿勢は、離婚の時に発生したりします。
離婚する時、慰謝料とか子供の養育費に淡白だったりする人も多かったりするもの。
離婚の際に、被害者意識が刺激され、「相手からいっぱいお金を取ろう!」と意気込むパターンもありますが、逆に、夫からお金を取れるのに放棄したり、十分な額を請求しなかったりするパターンも少なからずあるわけです。
そしてその後になって子供の目の前で「自分のお金の苦労」を見せ付けることをするわけ。
「お母さんは、アナタを育てるのに、こんなにも苦労しているのよ。」とかね。

しかし、別れた夫からお金を受け取れば、お金の苦労の多くは解決するんですが・・・
あえて苦労を子供に見せ付ける。そして子供に感謝させる。
別の言い方をすると、別れた夫に対して被害者意識をぶつけるパターンではなく、残された子供に対して、被害者意識を見せつけるわけ。

あるいは結婚相手を選ぶ際にもそうです。
ダメダメ家庭を作る人は、相手の経済能力には意外と無頓着だったりする。
「今はともかく将来的に見て、お金を稼げそうな人かな?」とか考えない。
考えることは「定期的に確実に収入が得られるか?」という点なんですね。
まさに、収入の「アップ」の面には関心がないわけ。

確実であれば金額の多寡は問わない。これがダメダメ家庭を作る人です。
というか、収入が安定していることに異常にこだわるわけ。
まあ、収入が安定していることは、実際問題として重要なことでしょう。
その面においては、マトモな人だって同じ。
しかし、抑圧的なダメダメ人間としては、別の心理もあるわけ。
収入が安定していれば、逆に言うと、収入について考えなくてもいいわけでしょ?
「今後はどうなっていくのかな?」ということなり、「もし、収入が減ってしまったらどうしよう?」ということも、収入に変動がある状態であれば、そんなことを考えなくてはならないでしょ?
抑圧的な人間は、自分で考えること自体がイヤなんですね。
だから、いわば強迫的で切羽詰まった心理で持って、収入の安定性にはこだわったりするわけ。

まあ、このようにダメダメ家庭では、収入の安定性にはこだわりますが、その多寡そのものにはこだわらないわけです。
そして、安定した収入をもとに、「ふつうの家庭」の姿を維持しようとする。
しかし、その「普通の形」を維持するために、家族旅行も何もない家庭って、本当に普通と言えるんでしょうか?

お金で何でも買えるこの世の中で、お金に淡白な親って、子供にとっては頼りにならないダメダメな親なんですね。
子供の将来に対して、お金の面でサポートできないということは、精神的にもサポートする気がないわけです。精神的にサポートする用意がある親だったら、やっぱりお金の面も以前から配慮し、準備するわけですからね。

「つつましくてもいい。家族がみな幸せならいいじゃないか!」
勿論のこと、言葉の上では、そうなんですが、それはその家族が家族としての役割を終えた段階でいう言葉。
家族の活動の最初から「つつましさ」に安住してしまったら、子供も困ってしまうわけですね。だって、それは子供の側から、親に対して何も要望できないということでしょ?そんな遠慮ばかりの日々で、幸福も何もありませんよ。

まさに「つつましさ」の美徳という大義名分を掲げることにより、レジャーのようなものは何もせず、子供の進学に対しても、何もサポートをしない。
ひたすら我慢で、まさに心頭滅却の家庭。
そして、そんな親は「あ〜あ、つまらないなぁ・・・ホント、生きていても何もいいことはないわ!」とグチる始末。
そりゃ、そんな日々だったら、「生きていても何もいいことがない。」のは当然のこと。
しかし、親が嘆く以前に、子供だってそう思っているわけ。
そして、会話が何もないような陰陰滅滅の状態で、ダメダメな親は「つつましくても、幸せであればいいじゃないか!」と言い出す。しかし、先ほどは、「生きていても何もいいことはない。」と言ったばかりでしょ?
「生きていても何もいいことはない」という状態と、「幸せ」とは、どのように結びつくの?
しかし、ダメダメ家庭においては、そんな言葉が同時並行して走っているんですね。

「えっ?遺産?私はいらないわよ!」
格好のいい言葉ですが、ダメダメ家庭の親の心の中で次の言葉が用意されているわけです。
「どうせ、自分の老後の面倒は子供に見させるから。」
「まっ、そのために子供を作ったわけだしね。」
結局は、ダメダメ家庭では子供に何か与えるというより、子供から何か与えてもらう・・・そのようにしか考えていないんですね。

自分で考えることから逃避するダメダメ人間にしてみれば、収入の問題も自分で考えたくないわけ。だから、子供に丸投げすることになる。
そして、「こんなに苦労しながらオマエを育てたんだから、その分のお返しをするんだ!」と、子供に要求し続ける。

収入について考えることは子供の役割・・・ダメダメ家庭においては、そのような発想になっているわけです。
たまに、自分の娘を売春させるような親がニュースになったりしますが、そんな行動の背景として、こんな心理があるわけ。

親からの遺産を気軽に放棄する、お金にこだわらない善人の姿・・・
それは、自分の子供を売春させたり、あるいは、自分の子供を、事故の「当たり屋」のようなことをさせる鬼畜の姿と、その心理の面においては、それほど変わりがないわけです。

(終了)
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発信後記

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R.10/9/30