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カテゴリー ダメダメ土曜講座(人物編)
配信日 09年10月3日
タイトル 現在の首相の鳩山さん
9月より民主党の鳩山さんが首相になりました。
なんでも鳩山さんは友愛なるものを掲げているんだそう。

個人の立場として、自分自身の友愛を掲げるのは結構なこと。ただ、政治家として、国家の最高権力者として、そんなものを掲げる必要はあるの?友情なり愛情なんて、本来は個人個人の問題ですよ。「権力者が愛を語れば、逆に言うと、一般の個人の感情を縛ってしまう」・・・残念ながらそれが現実というもの。
そんなに愛を語りたければ、宗教家にでもなればいい話。
とは思いますが、じゃあ、その鳩山さんが語る愛って、どんなものなの?

国連での演説なり、早々に打ち出してきた政策を見てみると、ある種の傾向が見えてくる。
鳩山さんの愛の対象は、実に遠いわけ。別の言い方をすると一般的で抽象的。
以前にアンドレ・ジッドの「狭き門」を取り上げた際に、実体としての人間よりも、人間を取り巻く言葉や概念の方に実感を持つ感覚についてまとめております。

鳩山さんも、そのパターンに近いのでは?

困っている人は具体的にはどんな人で、具体的にはどんなことに困っているの?
その具体的なイメージがあるのかな?

鳩山さんは実際に困っている人を、その現物を見たことがあるのかな?
その出自からすると、ないのでは?
政治によるサポートが必要な人を見たことがあるの?
別の言い方をすると、友愛を真に必要としている人を、見たことがあるの?
彼はいったいどんな人を助けたいんだろう?

その具体的なイメージがなければ政治家になってはいけない・・・そう申し上げているわけではありませんよ。ただ、具体的なイメージがないのだったら、友愛などという人間の精神に属するものを語るのではなく、国家の財政的なバランスシートや国際情勢や統治機構上の問題について語った方が実感を持って伝えることができるのでは?

抑圧的なダメダメ人間は、「近くよりも遠く」のものに関心を寄せるもの。
それだけ自己逃避しているわけ。鳩山さんの場合は、自己逃避というよりも、身近で困っている人を見たことがない、あるいは、困っていても、気が付かない・・・そんな人なのでは?

それこそ、以前に民主党の永田議員の自殺問題について考えたことがあります。
永田議員は鳩山さんと同じように東京大学の物理工学科の出身。そして民主党の国会議員。鳩山さんとしても、一般の国民よりも自分に似た人といえるでしょ?永田さんは、境遇的にも、能力的にも、そして実際の距離的にも鳩山さんにとっては身近な存在ですよ。そんな身近な人を救えない人が言う友愛って何だろう?

鳩山さんは、自分の身近な人は、困っていない・・・一種盲目的なまでにそんな発想があるのでは?
だから、対象がどんどんと遠くのものになってしまう。
逆に言うと、身近な存在がどんどんと無視されてしまうわけ。

前にも書きましたが、これは自己逃避というよりも、彼が実際に身近に困っている人を見ていない・・・そんな原体験があるからなのでは?
まあ、鳩山家は、そんな修羅場とは無縁ですよ。それはそれで結構なこと。
しかし、日本の家庭のすべてが、鳩山家のような恵まれた境遇というわけではない。

友愛という漠としたものを語ると、当然のこととして、その点から突っ込まれることになる。
それこそ亀井大臣のように、勝手なことをやり出し、「友愛なんだから当然だ!」「これこそがオレの友愛だ!」と言い出す人も出て来る。そんな人に対してヘタに警告したりしても、「オレの友愛を否定するのか?!」「じゃあ、アナタがいう友愛って何なんだ?」と切り返されるだけ。

あるいは、私のように「アナタのいう愛は地に足がついてなくて浮ついている。そんなことだから永田議員を見殺しにしたんだよ!」などと言い出すような人間も出て来るかも?その論理を使えば、「愛を持って人を救うためには、こんなことにお金が必要だ!」「永田議員を見殺しにしたことへの反省はないのか?!」などと言いだし、勝手なことをしようとする人も出て来るでしょう。

何をするにせよ、選択が必要になるわけですし、だからこそ救えない人も出て来る。
「どんな人を救うのか?」という問題は、現実的には、「どんな人を救わないのか?」という厳しい問題と不即不離。「全員を救うという名目」は、格好がいいわけですが、
結局は、抽象的な一般論の羅列で終わってしまうだけ。

その課題に向き合うためには、一方通行の愛情ではなく、相互理解が重要でしょ?
以前に取り上げたジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」では、愛情はあっても、相互理解が欠落している・・・そんな関係が、カタストロフを生んでしまうというストーリーでした。

愛を持つのは結構なこと。
しかし、自分の愛の対象についての理解も必要になるでしょ?
彼はせっかく理解力があるんだから、対象については、どのように理解しているの?
一方的に友愛を向けるだけだったら、相手に利用されるだけですし、ヘタをすれば「ストーカー」になってしまう。

対象に対する理解がなく、現実が見えていない人の語る友愛なり慈悲となると、歴史的には徳川綱吉の「生類憐れみの令」がありますよね?
あの法令も、理想論としては結構なこと。ただ現実なり対象とするものに対する理解が欠けている。だから結局は、現実の人々からは疎まれることに。
鳩山さんも、このまま行くと、平成の綱吉になってしまうのでは?

キリストが言う「汝の隣人を愛せよ!」という言葉は、逆にいうと、それがいかに難しいことなのか?それと繋がっているわけです。まずは、その難しさを理解することから友愛も始まる・・・そんなものなのでは?

(終了)
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発信後記

次回は、なんと900本目の配信となります。
今回の文章は、その次回の文章の前振りも兼ねています。
有名な言葉を取り上げながら、ダメダメ家庭の問題を考えた文章です。

次週は、「似て非なるもの」を集中的に配信する予定です。
また来週の土曜日は、また文芸作品に関係した文章にする予定です。
R.10/10/16