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カテゴリー | ダメダメ家庭出身者のキャラクター | |
配信日 | 06年10月13日 (10年9月20日 記述を追加) | |
タイトル | 純粋な人 | |
このメールマガジンで、たびたび19世紀フランスの詩人シャルル・ボードレールの言葉を引用したりしています。まあ、ボードレールの名前を出さずに引用することもありますから、気がつかなかった人も多いでしょう。 そのボードレールはこんなことを言っています。 「女は自然である。だから汚い。」 こんなことを書くと、このメールマガジンの購読者の中の女性は、烈火のごとく怒っちゃいますよね? 「私は毎日お風呂に入っているわ!汚いなんて失礼な!」 そのように言いたくなるのは当然。 しかし、このボードレールの言葉は、そんな「バッチい」「不潔さ」という汚さを意味しているわけではありません。そもそも、その言葉の前半部分の「自然である」はどういう意味なの?それこそ、こんな「女は自然である」なんて言葉は不自然ですよ。 汚いなんて言い方だと誤解を招くのも当然。フランス語の原文を当たりたかったところですが、ちょっと見つからない。 まあ、ただ彼が言わんとすることは、私にはわかります。 汚い・・・という言葉ではなく、不純なんて言葉にすると、よりわかりやすくなるのでは? えっ?やっぱりわかりにくいかな? あるいは、「純粋ではない」なんて言葉だと、よりわかりやすくなるわけ。 じゃあ、「純粋ではない」・・・って、どういう意味? そのように考えてみることができるでしょ? では、逆に、「純粋」って、何でしょうか? あるいは、たまに、人に対して使われたりしますよね? 「あの人は、純粋な人だ!」って・・・ ここで、ちょっと思い出してみましょう。人から「純粋な人だ!」と評価されるような人って、幸福な人なの? 往々にして、「純粋な人」と言われる人って、「生き方が不器用な人」という意味でしょ? 生き方が不器用な人を、好意的に言うと「純粋な人」となる・・・そんなものでしょ? 要領が悪く、なあなあでごまかすことが苦手。だから人と衝突してしまい、そして傷つく。純粋な人って、そんな状態ですよね? そして、そんな「純粋な人」って、往々にしてその人の母親の存在感が希薄だったりするもの。母親が現実としていなかったり、たとえ、生物的にはいたとしても、心理的には機能を果たしていなかったりする。 別のところでも書いていますが、母親という存在は、芸術分野においては、海とか大地とかで象徴されたりします。海も大地も、「汚れを受け入れ、そして、浄化する」存在でしょ? そんな存在は、人の汚れを背負ってしまう分だけ、まさに汚れることになってしまう。まさに「自然であり、汚い」ことになってしまう。しかし、逆に言うと、そんな存在が近くにいて、適宜浄化してもらわないと、汚れが積み重なってしまってしまうでしょ? だからこそ、過剰なまでに、汚れを警戒することになり、そして、ちょっとでも汚れてしまうと対処ができず、パニックになってしまう。 そして、「汚れている自分が大嫌い!」と、自己否定に走ってしまう。 それこそ、以前にプッチーニのオペラ「蝶々夫人」を取り上げましたが、あのオペラの蝶々さんも、典型的に純粋な人。そして、その蝶々さんも、母親が機能不全状態の家庭の出身。母親は、いることはいるけど、何も役にも立っていないし、折り合いが悪い。 だから、ピンカートンという、現実離れした「夢」にすがらざるを得ない。彼女は、現実とのかかわりが不器用であるわけ。 このように考察を進めると、ボードレールの言う「女は自然である。だから汚い。」という言葉も、実に味わいを持ってくるでしょ? 世の中には「汚い」美徳というものが存在するわけ。 まあ、逆説的な物言いになってしまいますが、もっと別の言い方をすると、「不純の美徳」とでも言えるでしょうか? いや、これでも十分に、逆説的ですね。 しかし、きれいさ、あるいは、純粋さだけが美徳ではないわけです。そして、純粋さというものは、後で「学ぶ」ことができます。しかし、不純さの美徳なり、「なあなあ」の加減は、本を読んだりして「学ぶ」ことなんてできないでしょ?それこそ、そんなものは「なあなあ」の雰囲気で「自然」に習得するものでしょ? そのためには、「自然であり、汚い」、そして「なあなあ」の加減がわかっている母性が必要なんですね。 そんな母性が機能不全の家庭だと、「自然」な「なあなあ」が身につかず、一般論的な原理原則だけが頼りにならざるを得ない。 原理原則だけが、頼りなんだから、どうしても人と衝突し、傷つき、人から「あの人は生き方が不器用だ。」と言われ、「あの人は純粋な人だなぁ。」と評価されることになる。 そんな純粋な人は、人と衝突ばかりして、たまに「ああ!ワタシって、どうしてこうなってしまうんだろう?」「どうして、いつもこうなんだろう?」と自分に対して嘆いたりする。 そんな嘆きは、たまにあったりするでしょ? そんな「どうして、ワタシは、いつも、こんなことに・・・」と嘆く人は、原理原則だけが頼りで、別の言い方をすると、人の気持ちがわからない人。そして、汚れを徹底的に拒否するので、「なあなあ」の加減がわからない人。 あるいは、汚れの付き合い方がまったくわからないように、上手に負けることもできない。どんなやり取りにおいても、相手に「勝とう」とするのはいいとして、その心理としては、「勝ち以外は受け入れられない」切羽詰まった状態となっている。だから、過剰反応してしまい、相手と不必要な衝突となってしまう。 譲れるところは、余裕をもって譲る・・・そんなことができないわけ。 そんな姿は、今回で取り上げた純粋な人そのものでしょ? ボードレールもそんな純粋な人と言えます。だから、幸福な人とは言えない。彼の言葉だって、何も女性を罵倒する意味ではなく、自分自身に母性からの影響がないことを自覚した言葉なんでしょうね。 あるいは、「人間は考える葦である。」のパルカルの典型的にこのパターン。彼はヤンセニスト(まあ、原理主義的な傾向を持つキリスト教の一派)の熱心な一員であり、そして、人とたびたび衝突していました。晩年はうつ病のようです。とてもじゃないけど、幸福な人とは言えない。パスカルの母親は彼が幼い頃に亡くなっています。彼も「不純さ」の美徳とは無縁な人。だからどうしても突き詰めて考えてしまう。なあなあのままではいられないわけ。 もちろん、哲学者や詩人などの天才だったらそれもいいでしょう。しかし、一般人は、いや一般人こそは、そんな純粋さとは別の不純の美徳を持っていないと困るものでしょ? しかし、母性の機能不全のダメダメ家庭は、そんな純粋な人を生み出してしまう。 逆に言うと、いわゆる純粋な人を見たら、その人の母親について考えてみる・・・そうすると、色々なことがわかっているわけです。まあ、その手の人は往々にしてマザコン傾向があったりするものでしょ? 汚れを拒否し、原理原則からぶれない人は、男性だったら、たまに活躍することもある。まあ、母性とは無縁の男性だったら、一時的には使いものになりますよ。 しかし、純粋な人のパターンである女性は、似ても焼いても使えないもの。 母性とは無縁の女性は、やっぱり使いものにはなりませんよ。 しかし、だからこそ、自分の価値を周囲に認めさせようと好戦的になり、ますます傷つくことになる。周囲と衝突ばかりして、ますます意固地なまでに、原理原則にこだわってしまう。そうして、ますます、周囲と衝突する。 そんな人って、現実にいたりするでしょ? もし、自分がそんな「純粋な人」であったら、それを自覚した上で注意しながら生きるしかないわけ。幼少時の母親の影響の「不全」がこのような純粋な人を生み出すわけだから、そんなものは、長じた後になって対処不能ですよ。 むしろ、自分だけでできる分野で活躍することを考えた方が現実的なんですね。 しかし、ダメダメ家庭出身者の自己逃避傾向が加わったりすると、他者に対して過剰に期待して、そして、「ワタシのことをわかって!」と人にからみ、結局は、トラブルになってしまう。 そうして、やっぱり「ああ!ワタシって、どうして、いつもこうなってしまうんだろう?」と嘆くことになる。 そんな純粋な人を助ける場合にせよ、もっと根源的なところから考えていかないと、本当のサポートにはならないわけ。「あの人は、不器用な人だから、ワタシが助けてあげよう!」なんて中途半端に関わったりすると、「母親認定」されて、入れ込まれる・・・そんな事態だって、実際にあったりするものでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 北朝鮮はあいかわらずで・・・どうせ、またそのうちにまた何かやるでしょうし・・・ チョット面白かったのは、フランスで競馬があって、日本の馬が参加して、日本の応援団が騒いで顰蹙をかったとの報道がありました。 私は競馬なんて全然知らないので、そのフランスの競馬がどんなものかは知りません。と言ってもヨーロッパだと、貴族の社交としての競馬などがあったりしますからね。 以前ちょっと言及した有名な映画「マイ・フェア・レイディ」において、正確な英語をやっと話せるようになったイライザが、アスコット(例のネクタイ?の由来になった場所)競馬場で大騒ぎをして、顰蹙を買ってしまうシーンがありましたが、今回もそんな調子だったんでしょうね。まあ、国辱モノですよ。まさに馬脚をあらわしてしまったわけ。 まあ、ヨーロッパに行くときはちゃんとした服も用意しておく必要があるって、基本中の基本。逆に言うと、それなりの格好をしていると、相応の対応をしてもらえる・・・『着は心?』ってこともあるわけ。 周囲を見れば、「これはちょっとマズイぞ!」と思うはずですが、そんな何となく雰囲気を読んだりする能力も、ダメダメ家庭では身につきませんよね? |
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R.10/9/20 |