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カテゴリー      敵と味方
配信日 07年12月4日  (10年5月24日,10年11月26日 記述追加)
タイトル 共通の敵
備考 「共通の敵」という考えは、自分の「敵」の、そのまた「敵」というスタイルなので、意味的に二重否定といえます。
以前に「多重否定」というタイトルで文章を配信しております。ダメダメ家庭の人間は、何かを否定することしかできない。否定してばかりだから、その否定がどんどんと重なって多重否定になるわけ。

人間を考えるに際しても、「誰が自分の味方なのか?」そのような肯定方向には考えない。まずは否定形で考え、「誰が自分の敵なのか?」そんなことが出発点になってしまう。
そうして、敵認定した人物に対抗心を燃やしてクレームをつけ、攻撃することによって、「自分は○○に対抗している立派な人間なんだ!」と自画自賛。
と言っても、何かに対抗しても何も達成するわけでもないでしょ?敵に対抗するなんて、まさに二重否定状態

しかし、自分の掲げた目標を実現するために努力するのではなく、何かに対抗するために相手にいやがらせをする・・・それがダメダメ人間の自己主張のスタイル。
まあ、韓国人の行動を見てみると、現実にそうなっているでしょ?

ダメダメ人間は、まずは「敵が誰なのか?」そのような地点から出発するので、人との結びつきも、「敵」が前提になるわけ。
つまり「共通の敵」によって、結びつこうとするわけです。

「アナタも、あの○○が敵なの?じゃあ、一緒にやって行きましょうよ!」

以前にちょっと触れましたが、「敵の敵は敵ではない。」と言った人がいました。これは現実的にそのとおりですよね?自分の敵にとっての敵を無理に自分の敵にする必要もありませんよ。「共通の敵」を持つもの同士で協力すればいい話。しかし、敵ではないというだけで、味方とも言えないでしょ?

味方というものは、達成したい目的が同じなり、行動の手法も似通っている、あるいはその価値観も近い・・・そのような相互理解ができていて、信頼関係ができている・・・それが味方というものでしょ?

しかし、達成したい目標があるわけでもないし、会話もできないダメダメ人間は、本当の意味での相互理解がない。ただ一時的にグチで共鳴しているだけ。だから、敵がいても、味方はいないわけ。

それにダメダメ人間は、味方という概念自体がピンとこない。だって、相互理解とは無縁の人なんだから、お互いが信頼するということにはならない。一時的な利害が一致していたり、あるいは、たまたま好意を持ったから、一緒にやっているだけ。一時的な感情次元で止まっていて、相互理解に基づく信頼関係はできていないわけ。
しかし、信頼関係がない味方なんて、本来は、ありえないでしょ?

そんな人たちは、「アイツは大嫌い!」とか「あの○○は我々の敵だ!」そんなことで結びつくだけ。
カルトな宗教とか、市民運動とか女性運動なんて、まさにその典型でしょ?あるいは、インターネットの掲示板なんて、そんなスタイルでしょ?

何回も書きますが、共通の目標があるから、一緒にやっているというより、共通の敵がいるから一緒にやっているだけ。
そのような共通の敵は、本来は一時的な関係ですが、ダメダメ人間はその関係しかないわけ。だから他者と一緒にやりたいと考えている際には、味方の味方、あるいは友人の友人と言う肯定を重ねたスタイルでのつながりではなく、「敵の敵」という関係から入ろうとするものなんですね。

『あの○○と一緒に戦いましょう!』
対抗心が強いダメダメ人間の「あいさつ」は、そんなもの。だから、最初のやり取りでのお土産も、まずは「敵」の話となってしまう。

それこそ、韓国のノ・ムヒョン大統領は、ヨーロッパに訪問しても、日本の悪口ばかり言っていますよね?あのノ・ムヒョンさんの心理も、「味方の味方」は存在せず「敵の敵」は存在するというダメダメ人間の精神構造を理解していると、意外にも理解できるわけ。
ダメダメ人間の中では「共通の敵」だけが、お互いを結びつけている。そんな常識の中にいるので、今相手をしている人間も、「敵」の話をすると、身を乗り出して話に乗ってくると確信しているわけ。

しかし・・・現実的には、そうはいかないでしょ?
友人の友人なら真摯に相手もしますが、「敵の敵」は、それだけですよ。ましてや、「敵」が共通じゃないケースだってある。「アンタとしては、あの○○を敵だと思っているのかもしれないけど、オレにしてみれば違っているけどなぁ・・・」なんて思うケースの方がポピュラーでしょ?「というか、そんな人のことはオレは関心ないよ!」と思われてしまうのがオチ。
いきなり、「あの○○を敵にしましょう!」なんて言われても、『ハイ!一緒に戦いましょう!』と言ったらバカですよ。

そもそも、いきなり「敵」の話をするような人間を、マトモな人は信頼しませんよ。しかし、ダメダメ家庭の人間は、信頼と好意の区別がつかない。
相手から、「一緒にやっていく」という態度が得られないと、「自分に好意を持ってもらえない。」と認識してしまって、ますます「敵」の話をするばかり。
「こんなにあの敵はヒドイんだから、一緒にやりましょうよ!」
「前には、こんなことがあったのよ!だからアイツは敵なのよ!」

「味方」というものの背景には、信頼というものがあり、「敵」というものを認定する背景には、「好意」の不在があるもの。
逆に言うと、「信頼」というものを理解できないんだから、「敵」については理解できても、「味方」に関しては、「誰を味方にするのか?」という個別の問題ではなく、その「味方という発想」そのものが理解できないわけ。だから、敵の話題ばかりになってしまう。
そして、ますます磨きがかかった悪口に、マトモな人は、ますます退いてしまうだけ。

結局は、「共通の敵」で団結できる小さな集団で、グチ大会に終始。
何回も書いていますが、市民運動だったり、女性運動がそうですし、あるいは、左翼学生運動なんてその典型でしょ?また、より小さな集団というと、まさにこのメールマガジンのテーマであるダメダメ家庭がまさにそうですよね?

しかし、「共通の敵」で一時的に一緒にいても、結局は、うまくいくわけもない。となると、内部で敵認定をするしかなくなる。まあ、ドメスティック・ヴァイオレンスなり児童虐待も起こるわけですよ。
集団内部での相互での敵認定となると、カルト団体の内部抗争がおなじみです。あるいは、以前にパソコンのOSのLINUXユーザーを取り上げましたが、その人たちは、LINUXを好きだから集まっているのとは違って、WINDOWSに対抗するから使っているという人が多そうですよね?だから、内部でいがみあっていて、まとまらない。

そもそも、「共通の敵」で結びつくよりも、「共通の価値観」で結びついた方がマトモなんて、それこそ小学生でもわかること。
しかし、ダメダメ家庭の常識で育つと、そんな当たり前のこともわからなくなるわけ。

あるいは、話題が「敵」の話題ばかりなんだから、その「敵」を見つけるために、日頃から「あら探し」ばかりとなってしまう。しかし、あら探しばかりしている人間は、結局は、そのあら探しが相互に向かうことになるのは自明の理。
そして、相互に敵認定しあって、いがみ合う。

単に組織や集団が分裂するだけでなく、敵認定が入っているので、報復行為を行うことで、その敵による被害者という自らの立ち位置を自分に確定させることになる。
カルト系の団体は、分野の違いはともかく、そんな様相になっているでしょ?
逆に言うと、あら探し行為が大好きな人は、共通の敵による結びつきしか存在せず、そんな人がいる集団は、メンタル的にはカルトに近くなっているわけ。
カルトというのは、「味方は誰なのか?」という発想が何もなく、「敵はどこなのか?」「どんな点が自分たちにとって、不快なのか?」そんなことばかり議論しているでしょ?

そして、「敵」の話題や、敵につながる話題で盛り上がる。
まがりなりにも大統領を務めているノ・ムヒョンさんだって、あのザマなんだから、日本のダメダメ人間も、同じようなことをやっているものなんですね。

たとえば、テレビや新聞などの既存マスコミが、インターネットに対してやたら敵対的ですよね?
どうしてあんなに敵対的なの?
それは、この「共通の敵」という発想と関係があるわけ。インターネットへの敵対心を表明することで、同じように、インターネットに対して敵対心を持っているオヤジやオバンの支持を得ようとする発想なんでしょうね。

しかし、情報において価値があるのは、その情報そのものや、その情報を作り出した人であって、それを伝えるメディアではありませんよ。テレビも新聞も、それにインターネットも、情報を「右から左」に移動しているだけでしょ?だからこそ、その人たち自身にとっての「売り物」がないわけですが・・・
そんな「売り物」がない人間の「売り物」は、「敵」についての情報だけになってしまう。
しかし、そんな光景は、ちょっと離れて見てみると、「哀れだなぁ・・・」と思うような光景ですよね?
まあ、皆さんはそんな「哀れ」な人間になる必要もありませんよ。
自分自身を理解して、自分の味方はどんな人なのか考える・・・そっちの方が、有意義じゃないの?それに、誰だってできることですしね。

しかし、自分の味方という存在については、自分自身を理解していないと成立しようがないもの。だからこそ、自己逃避のダメダメ人間は、味方の話題はできないわけ。
敵についての話だったら、自分の被害を語ればいいだけ。
しかし、味方についての話だったら、自分の目標なり価値観について語る必要があるでしょ?

それに「共通の味方」だったら、語る相手に対して、丁寧な説明をする必要がある。
それこそ、「この○○さんは、アナタにとっても、このように役にたつ人なのよ。」という形での説明が必要ですよ。しかし、「共通の敵」だったら、感情的な言い回しだけで十分になってしまう。
「ホント!あの○○って、気に入らないわね!アナタもそう思うでしょ?」
共通の敵についての「説明」って、そんな感じでしょ?

ダメダメ人間が人を評価するに当たっては、自分が設定している敵との関係性が重要なのであって、その人固有の信念などには関心がない。
ある人が自らの信念に基づいて行動していて、たまたま、方向が一致していても、その人と敵を共有していたのではなく、たまたま方向性が一致していただけのことが多いでしょ?
それを、「敵vs味方の視点」で見るから、「ああ!あの人も、あの○○を敵と思っているのね!」「あの人はワタシの仲間なんだわ!」などと受け取ってしまい、相手を誤解してしまう。

その人は自らの信念に基づいて行動していただけだから、いずれかは方向性が違ってきてしまう。そうなると、「敵を共通としている間柄」と勝手に誤解していた側は、「ああ!ワタシはあの人に裏切られたわ!」と大騒ぎすることになる。
そんな騒ぎを受けて、裏切り者と罵倒された側は、ただ、ビックリするばかり。
「オレはただ、自分の考えで行動していただけなのに、勝手に味方認定して、今度は勝手に裏切り者認定かよ?!ホント、いい加減にしてほしいよ!」となってしまう。

共通の敵による結びつきしかもっていないので、人を評価する際にも、「どんなものがキライなのか?」というマイナス方向の点に注目することになる。
「どんなものが好きなのか?」「どんな信念を持っているのか?」「何をやろうとしているのか?」は、どうでもよくなるわけ。
そして、敵を共通とすることができたら、一緒なって嫌がらせをする・・・それがこの手の人の結びつきなんですね。

逆に言うと、その程度の結びつきで十分だからこそ、自己逃避で会話不全のダメダメ人間は、「敵の話題」を持ち出すことになる。そして、その敵を共通化することで、お互いが結びつく。
まあ、そうやって、お互いのダメダメ度も共通化していくわけです。

(終了)
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発信後記

典型的なダメダメの実例として私がウォッチしております、ボクシングの亀田一家ですが、先日次男の方の謝罪会見があったそう。なんでもお相撲の朝青龍の謝罪会見に便乗して同日にしたんだそう。会社の株主総会日じゃああるまいし・・・

その最後で、「放っておいて!」と捨てせりふを残して去って行ったとか・・・
以前にこのメールマガジンで、その「放っておいて!」という言葉を取り上げております。ちなみに「捨てせりふ」についても取り上げております。
その自分が書いた「放っておいて」の文章を読み直してみると、今回の亀田一家にも実に当てはまる。

自分の文章を読み直して気持ちがいいのが、そんな時。
以前に書いてある文章が、そのまま別の事案にも当てはまる時です。
人から質問をされて、「ああ!それはこのタイプのダメダメでしょ?」とバックナンバーを提示すると、「まさしくそのとおり!」という反応が返ってくる。

逆に言うと、ダメダメというものは、基本形があるわけ。その基本形を理解していると、今後の進展も予想できるようになるものなんですね。
R.10/11/26