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カテゴリー ダメダメ家庭の対抗心
配信日 09年3月6日 (10年11月11日 記述を追加)
タイトル 糾弾
備考 糾弾は、「敵」という否定的な存在を、「攻撃する」というスタイルで二重否定的な状況といえます。
ダメダメ家庭は会話不全である。このことは頻繁に書いています。
会話というものは、当然のこととして言葉で成り立っています。
そして、ダメダメ家庭の人間の使う言葉は、マトモな人間が使う言葉と、使用する言葉自体からして違うもの。
言葉というものは、コミュニケーションの道具であり、思考の道具でしょ?コミュニケーション能力が低く、自分自身で考えることをしないダメダメ人間は、その道具である言葉からしてダメダメなんですね。

ダメダメ人間が言う言葉の中では、一般社会では到底使わない言葉が頻発しているもの。
その時点で気がつけばいいのでしょうが、ダメダメ人間は、まずもって自分をダメダメに安住させてくれる環境を求めてしまうので、周囲からの適切なアドヴァイスなども受けられないわけ。

さて、以前にこのメールマガジンでは、ダメダメ人間が行う行動として「つるし上げ」ということを取り上げました。何かを犯人認定して、つまり加害者認定することで、自分たちが被害者であることを主張するわけ。被害者意識が強いダメダメ人間は、誰かをつるし上げることで、「自分はかわいそうな被害者なんだ!」と確認したいわけ。
「アイツのせいで!アイツのせいで!ワタシはこんな目に!!」

この「つるし上げ」を、別の言葉で言うと「糾弾」となります。
大昔の学生運動などの看板では「断固糾弾せよ!」な〜んて文字が躍っていたものですよ。
今でもあるのかな?

しかし、この「糾弾」という言葉は、まがりなりにも漢字であって、それなりに格調があるように見えるんでしょう。21世紀の今でも、政治家がたまに使ったり時があったりするものでしょ?
街頭での立会い演説会のニュースや、政治家のコメントなどで、たまに出てきますよね?
しかし、その「糾弾」という言葉は、一般社会では使わない用語でしょ?

その「糾弾」って、音声的にはともかく、意味的には、所詮は「つるし上げ」でしょ?現実として、どう違うの?歴史的に見ると、中国の文化大革命なんて、国家総動員でのつるしあげ・・・つまり糾弾大会でした。

「糾弾」って、相手の考えを聞かないということですよね?あるいは、相手にわかりやすく伝える意欲がない状態でしょ?
つまり、「説得」でもないし、「説明」でもない。あるいは問題点を明らかにする「解説」ということでもない。最初に犯人認定して、一方的に「つるし上げる」だけ。だから糾弾されて、考えが変わった人ってこの世にいるの?
糾弾されて、一時的におとなしくなるケースはあるでしょうが、考えを改めた人って聞いたことはないでしょ?
説得でもないし、説明でもないんだから当然ですよね?
別の言い方をすると、「相手を黙らせるための行為」であって、「相手から合意を取るための行為」ではないわけ。

しかし、そんなことをして何が楽しいの?
相手の考えをじっくり聞いて、自分の考えを、相手にもわかりやすく伝えればいいじゃないの?
それこそが、当人たちが主張している「考え」を尊重することでしょ?
一方的に押し付けるだけなんて、自身の信念に対して失礼ですよ。

つまり、糾弾を「する側」の人は、自分の考えに自信がないし、会話の能力にも自信がないことがわかるわけ。別の言い方をすると、自分の考えを「説明」することもできないし、相手に「説得」することもできないし、周囲の人に「解説」することもできないって、自分たち自身で言っているようなもの。

相手がダメだから糾弾するのではなく、現実は、当人がダメダメだから、とにかく誰かを糾弾する・・・そんなものでしょ?
熱心に何かを「糾弾している」側の人たちって、部外者にとってみれば、「なんだか・・・あの人たち・・・恐そう・・・」と思われる人ばかりでしょ?というか、話をして面白い人なんていませんよね?

当人が、自分自身に自信がないし、会話の能力がないのなら、その点についてはしょうがない。
自分自身を見つめて、少しずつでも改善していけばいいのでしょうが、そんな気概もない。だからこそ何も達成できず、自信を得ることもない。結局は、その「いらだち」がつのり・・・・その「うっぷん」をはらすために、やることと言ったら、誰かを糾弾することくらい。

そんな姿を見ていた周囲のマトモな人は、どんどんと離れて行ってしまって、周囲の人間のレヴェルのダメダメ化がますます進行する。
そもそも、そんなスグに人を糾弾するような人間は、被害者意識が強いので、周囲の人から自分の問題を指摘されると、「ワタシを糾弾しようとしている!」なんて過剰反応してしまう。結局は、そんなことにならないような、お互いに対して甘い人間が集まらざるを得ない。そんなダメダメ集団が外部に対してすることと言ったら・・・と延々に続いてしまうものなんですね。

「なぜ、その人を糾弾するの?」「どうして説明とか説得じゃないの?」
などと聞いてみてご覧なさいな。
ヘタにそんなことを言ったりすると・・・どうなっちゃうのか?
まあ、君子危うきに近寄らずというわけ。

糾弾なんて言葉が出てくる人を見たらチェックしてみると面白いですよ。その他のダメダメの諸相がいっぱい見つかるものですからね。
何も政治運動や市民運動のような組織立った糾弾だけでなく、最近ではインターネットのブログの炎上なんて状態も、それに近いものでしょ?
ブログの炎上なんて、何だかんだと言って、所詮は「つるし上げ」ですよね?

このように「糾弾」という行為は、一般的には集団で行われるわけです。
ただ、それを個人で行う場合もあるわけです。

メールなどのやり取りにおいては、スサムメールなどがその典型。このスサムメールについては、以前に文章を配信しております。
相手の考えを理解しようともせず、ちょっとした言葉尻を捉えて、独りよがりの反論をいっぱいぶつけるメールです。

そもそも反論というものは、いっぱい書き込めば相手が納得してくれるというものではないでしょ?
そんなにいっぱい反論しなきゃいけないような相手からは距離を置くのが、マトモな発想。
いっぱい反論の言葉を言えば相手が納得してくれるというものでもありませんよ。相手だって、反論ばかりの言葉なんて、聞きませんし、読みませんよ。皆さんもそうでしょ?

相手に納得してほしいのなら、もっとも重要な点について、相手とじっくりやり取りし、それが相手に受け入れられたら、その次の段階に進めばいいだけ。反論は一度にまとめて行うものではなく、一つ一つ着実に行うもの。

逆に言うと、いっぱい反論の言葉が出てくる状態だと、「何が一番重要なのか?」「どんなことを一番わかってほしいのか?」について考えたくないし、その点について自信がない状態であることがわかるわけ。
大勢の人間によって誰かを糾弾するのも、あるいは、一個人が多くの反論の言葉によって誰かを糾弾するのも、心理的には同じ。

誰かを「つるし上げている」「糾弾している」当人たちは、それなりの正義感があるのかもしれませんが、そんな人たちは尊厳からは遠い、そうとは言えるでしょ?
逆に言うと、そんな人たちの姿からダメダメについて知見が得られるものなんですね。実際のつるし上げでも、ブログの炎上でも、スサムメールでも、自分の考えを相手にわかってほしいのではなく、あるいは自分の言葉を聞いてほしいのでもなく、「ワタシは悪くない!アイツが悪い!」という関係性を自分に確認するだけ。

つるし上げをされる側は、つるし上げの言葉など聞いていない。
ただ、「血走ったまなざし」をみつめるだけ。
自分の言葉を聞いてほしいのなら、あるいはわかってほしいのなら、つるし上げなどはしないもの。
つるし上げをする側は、相手を必死で凝視し、あら探しに励み、それを罵倒することで自己から逃避するわけ。

自分から逃避していて、自分で考えないので、結果的に、その行動は自分がよく知っている行動・・・つまり自分の親の行動と似ていたりするもの。
特に、相手の話を聞かず一方的に断罪する姿勢から、その人の父親の姿がわかるもの。
まあ、この点については、まさに某国の社民党の党首の方がその典型でしょ?

あるいは、糾弾行為をする人は、糾弾の対象者と心理的に近いことも多い。
このサイトでは反面教師という言葉を取り上げたこともありますが、反面教師という言葉を使う人は、まさにその反面教師さんと向いている方向は違っていても、その姿かたちはまったく同じもの。
逆に言うと、似ているからこそ、その「違い」を必死でアピールし、そして自分に納得させる必要があるわけ。
「違うんだ!違うんだ!ボクはこんなに悪い子じゃないんだ!」と主張したい。

しかし、実際は似ているがゆえに、相手について考えたくないし、相手からの見解を聞きたくもない。だからこそ、一方通行のやり取りでないと困ってしまう。
そして、説明能力がないがゆえに、自分が説明しなくてもいい高邁な論理を持ち出してくる必要がある。だからこそ、この手の人は権威主義であって、「権威ある○○さんが、こう言っている。」という説明をすることになる。
そうして、権威あるご高説によって、一方的に相手を非難することになる。
被害者意識でいっぱいにして、聞く耳持たずの姿勢で相手を罵倒する。
しかし、そんな姿こそ、親譲りだったりするわけ。

皆さんも、今後はこの「糾弾」という言葉に注目してみると面白いですよ。
子は親の鏡という言葉を実感するでしょう。

(終了)
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発信後記

昨年末より、土曜日に、過去に配信した文章とリンクしたスタイルの文章を配信しております。事件だったり、人物だったり、あるいは、特定の問題を取り上げたりしています。

明日は、とある文芸作品をとりあげます。
その作家は、このメールガジンで頻繁に言及している作家です。
その作品中で描写されている家庭の姿が、いかにこのメールマガジンでの記述と重なっているのか?そんな観点で読んでいただければ幸いです。
R.10/11/11