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カテゴリー 自己への抑圧
配信日 04年3月12日 (10年4月7日に大幅に改訂)
タイトル 人の気持ちがわからない
フランスのロベール・ブレッソン監督の映画作品に「田舎司祭の日記」という作品があります。51年の白黒映画。まあ、半世紀以上の作品です。ちなみにヴェネツィア国際映画祭受賞作。

この作品の主人公はフランスの田舎でキリスト教の司祭をやっている青年。ダメダメ家庭出身者という設定です。映画においては、直接的には彼の過去は語られませんし、両親がダメダメだったとの彼からの直接的な言葉もありません。しかし、それらしいことは言われたり言ったりするわけです。

医者から「君自身ではなく、君の親は随分と酒を飲んだんだろ?」と言われますし、やたら食には興味がない。自虐的な司祭です。そして「他人は自分を嫌っている。」と思っている。典型的なダメダメ家庭出身者の姿でしょう。

その司祭が自分を評して言う言葉。
「私は、人の気持ちがわからない。」
まあ、現実的には、人の気持ちがわからないから、神様の方に逃げてしまったわけですね。

ダメダメ家庭出身者は人の気持ちがわからない人が多い。
だって、ダメダメ家庭の中ではいつだってグチばかり。
親からグチを言われ、イヤミを言われ続け。逆に言うと、言われ慣れているので、その面については何も感じなくなっているわけです。
いちいちそのようなグチに反応していたら身が持たないでしょ?
まあ、ダメダメ家庭の中で生き抜くには、そのように、人の感情や言葉に反応しないようにならざるを得ないわけです。だから人の気持ちがわからない人間になってしまう。

ダメダメ家庭においては、自然な感情を持ってしまうと、いつも不快感を持ってしまう。
だから、感情全体を抑圧するようになるわけ。
自分の感情を抑圧しているんだから、他人の感情がわからないのは当然でしょ?

このように、ダメダメ家庭の中においては、親からのグチに対して反応しないようにならざるを得ない。しかし、ダメダメ家庭の外では通用しないでしょ?
周囲の人の感情に鈍感な人間などは、周囲の人から相手にされませんよね?
しかし、しょうがないわけ。

人はまずもって、自分自身や自分の家族の言葉や感情から、他人の感情を推し量る練習をするわけです。
「そういえば、あのような言葉を言われたときには、イヤだったな・・・」とか、
「ボクがこのような行動をした時は、母親は悲しんでいたな・・・」とか、
あるいは逆に、「こう言われた時は、うれしかったな・・・」とか・・・

そのような体験の積み重ねによって、他人の感情を推し量り、思いやりをもって行動できるようになるわけでしょ?

しかし、ダメダメ家庭ではそうはいかない。
ダメダメ家庭では親はいつだって子供のイヤなことしか言わないわけ。
おまけに子供がどんな行動をしても、グチばかり。

周囲の反応はいつだって同じなんですね。
これでは人の感情を推し量る練習にはならないでしょ?
そりゃ、人の気持ちもわからなくなりますよ。

だから、成長して社会に出た後で、周囲の人から皮肉を言われたり、注意点を言われても「馬の耳に念仏」状態。
だってそうでないと、子供時代は生きていけなかったわけですから。
だからその後の生活において、どうしてもコミュニケーションが取れず、ますます人の気持ちがわからなくなるわけです。

そんな人は、相手に対して、ひどい言い方をしても、その後、平然と電話してきたりする。
本人はひどい言い方だとは思ってはいないんですね。だって、そのような「人を傷つける言い方」が、出身家庭においては「ふつう」の言い方だったわけですし・・・

しかし、相手は驚いてしまいますよね?
「オイオイ!先日は、あんな言い方をしておいて、よくもまあ!平然と電話して来れるものだよ!」
「せめて最初の挨拶で、謝罪の言葉でも入れておけばいいものを・・・」
こうなると、ますます人から相手にされなくなってしまいます。

まあ、今だったら電話だけでなく、メールのやり取りにおいても、そのパターンはあったりするもの。逆上気味のメールを送りつけた数日後に、平気で、「こんにちは、調子はどう?」などと言ってくる。
逆上気味のメールよりも、その後の平静な?対応が不気味ですよ。

そんな「人の気持ちが分からない」人は、それこそキリスト教の司祭でもやっていれば、まだ問題は少ないもの。

しかし、聖職者にならない場合には、世俗のものの「ふつう」のスタイルとして結婚したりする。
そもそも、「人の気持ちが分からない」人と結婚する人って、どんな人なの?
同類同士でしか、ありえないでしょ?
人の気持ちに配慮する人は、「人の気持ちが分からない」人とは、一緒にいたくはありませんよ。テンポラリーなやり取りには我慢できても、結婚となると、そんな人とは生活を供にしたくはありませんよ。

とういうことで、人の気持ちが分からないもの同士の夫婦となってしまう。
それが夫婦で留まっていればいいわけですが、ヘタをすれば子供ができてしまう。
そもそも、「人の気持ちが分からない」人は、その処世術として「人に合わせすぎる」傾向を持っているもの。
人の気持ちが分からないがゆえに、周囲の人の行動に「盲目的に」合わせるわけ。
相手の気持ちに配慮するのではなく、視覚的な情報なり、音響的な情報だけに注視し、合わせることになる。

そんな発想なので、「周囲の人の行動スタイルに合わせる」ために、子供を作ってしまう。
しかし、そんな状況で生まれた子供としてみれば、両親ともども「人の気持ちがわからない」人間と来ている。
これでマトモに育ったら奇跡ですよ。

あるいは、人の気持ちが分からない人は、自分の感情を抑圧しているわけですから、子供からのアクションにも無反応になってしまう。
「やり取りの相手の気持ちがわからなくても」、相手が大人だったら、とにもかくにも、「合わせておけば」いい。
しかし、子供の行動には、「合わせ」ようがないでしょ?
だから、現実的には、子供からのアクションに対しては、何もリ・アクションがない、いわば無反応になってしまう。
そんな無反応な養育者に育てられた子供としては、周囲との関係性の構築ができなくなるわけ。
ということで、アスペルガー症候群のようになってしまう。

人の気持ちが分かる養育者によって育てられるからこそ、その子供も人の気持ちが分かる人間になるわけでしょ?
そして、そんな「人の気持ちが分からない」子供の気持ちは、その親は当然のこととしてわからない。

まあ、こうなると、少年犯罪とかドメスティック・ヴァイオレンスなどの新聞紙上ではおなじみの事件になるのも当然でしょ?

(終了)
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発信後記

そういえば、神戸のサカキバラ?事件の少年が出てきたそうですが・・・
その少年に反省を迫るより、もっと重要なことがあるでしょ?
どうしてその少年があんなふうになっちゃったのか?
ちょっと考えれば判るでしょうに・・・
この文章に関連した文章として09年11月14日配信の「人の気持ちが分からない人からのメールという文章があります。
あるいは、もっと緻密に検討した文章として 09年7月16日配信の「思いやりの心理的ベース」という文章があります。
R.10/5/31