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カテゴリー | 相談という場におけるダメダメ家庭 | |
配信日 | 04年3月26日 (10年7月7日 記述を追加) | |
タイトル | 相談の仕方がわからない | |
たまに、親が子供を殺して無理心中したりする事件がありますよね? あるいは児童虐待の問題とか、あるいは、ドメスティック・ヴァイオレンスの果てに、女性が男性を殺害してしまうような事件もあったりする。 そのような家庭問題の事件があると、テレビではオヤジ系やオバン系の人が「そんなに困っていたのなら、どうして周囲の人に相談しなかったのだろう?」などと能天気なコメントをしたりするものです。 まあ、そのようなオヤジやオバンは頭の中がカラッポなんでしょうね。 言うまでもなく、そのように、無理心中するような親はダメダメ家庭の出身者でしょう。 だからこそ家庭内の問題が際限まで行ってしまうんですね。 「周囲の人に相談すればいいじゃないの?」というコメントは、いかにも正論で、もっともなものに聞こえるかもしれませんが、そのような現実の困難に直面している人を一番追い込むセリフでもあるわけです。 だって、ダメダメ家庭出身者は「人に対する相談の仕方がわからない。」んですから。 「一体全体、どうやって相談するの?」 「相談する際の心構えは?」 当人たちとすれば、そのような点で悩んでいるわけ。 「そんなこと普通にやればいいじゃないの?!」とオヤジやオバンは言うでしょうが、その「普通」ができないからこそ、家庭内で困りごとが深刻化するんでしょ? そもそも、「人への相談の仕方」って、どうやって練習するの? まあ、通常は、別の言い方をすると「ふつう」の人間の場合は、子供時代に、実家において、親に相談することで練習するわけですね。 しかし、ダメダメ家庭では親に相談することができない。つまりダメダメ家庭出身者は成長後になって初めて人に相談する「体験」をするわけです。別の言い方をすると、相談という状況について、「勉強」し、「学ぶ」ことになる。 これでは「相談」という行為も、ぎこちないものにならざるを得ないでしょ? あるいは、別の言い方をすると、「相談の仕方の問題について、誰に対して、どうやって相談するの?」 相談ができないことが、相談というシチュエーションによって解決しないことは、論理的に見て、実に当然のことでしょ? ダメダメ家庭において、子供が親に相談を持ちかけたらどうなるでしょうか? 『あのぉ〜、お母さん、ちょっと相談したいことがあるんだけど・・・』 「今忙しいんだ!あっちへ行け!」 「自分のことは自分で何とかしろ!」 「大体こっちはオマエのためにこんなに忙しい思いをしているんだ!そのことをわかっているのか?!」 と逆に説教されちゃいますよね? ダメダメ家庭出身者にとっては、親という「もっとも身近な存在」が、「最大の敵」という環境だったわけです。その体験を後々まで引きずっているわけ。 これでは、気軽に人に相談することなんて出来ないでしょ? だから「相談する際の心構え」が判らないわけです。どれくらい気を許したらいいのか?どれくらい甘えてもいいのか? 意を決して人に相談しようとすると、子供時代の記憶が蘇ってきて、大変な緊張状態になってしまう。これでは「気軽に」相談どころではないでしょ? 会社などの仕事を進める際に必要なものとして、「ホウ、レン、ソウ」と言われたことがありました。 「報告、連絡、相談」です。 しかし、ダメダメ家庭ではそのようなことは習得できない。 報告しても、無視される。 連絡しても、無視。 相談しても、無視。 このような実社会で必要な経験が全くできないのが、ダメダメ家庭というもの。 機能不全家族の不全な機能の一つとして、相談の仕方があるわけです。 だから、どうしても問題が発生し、トラブルが小さいうちに対処することもせず、深刻化することになる。 それにダメダメ家庭の人間は「人の気持ちが分からない」場合が多い。 あるいは、過剰なまでに「いい子ちゃん」志向があったりするもの。 相談というシチュエーションを何とか設定できても、「相談に乗ってくれる相手の気持ちを悪くしてはいけない。」という気持ちが先にたって、どうしても逃げ腰になってしまう。 ヘタをすれば、情報を小出しにしてきたりする。 相談される側にしてみれば、「このトラブルを解決したい!」という強い気持ちを持った上で相談という場に臨んで来ないこと・・・それが一番不快なこと。 本気でトラブルに向き合っているのなら、その表現に多少荒っぽいところがあっても、「まあ、しょうがないなぁ・・・」「この人も困っているんだろうなぁ・・・必死なんだろうなぁ・・・」と、許容できますよ。 しかし、本気が見えない状態で、相談という場に臨まれてしまうと、対処ができないでしょ? 「この人・・・単に『構って』欲しがっているだけじゃないのかな?」と思ってしまいますよ。 しかし、相談を持ちかけながら、本気を見せない側は、「気を悪くされてはいけないと思って・・・」「・・・だから、このことについては、言っていませんでしたが・・・」とかの言葉で弁明することになる。 しかし、そんな形で情報を小出しにしていれば、まさにその点から、相談相手から嫌われ、不快に思われてしまう。 ダメダメ家庭は会話不全の家庭。 会話の基本的な目的は、相互理解でしょ? 多少、議論が白熱しても、それで相互理解が深まれば、それはそれで有意義な会話だったことになるでしょ? これがもし、おしゃべりだったら、白熱した議論は不可でしょう。 おしゃべりは、いわば「楽しい雰囲気」が成果であり目的と言えるでしょ? だから、おしゃべりだったら、お互いが楽しめるテーマであることが必要になる。 相手の気持ちを悪くしないように・・・という配慮も必要ですよ。 しかし、相互理解を本来の目的としている会話だったら、その人が一番伝えたいことなり、わかってほしいことを、しっかり語ることが必要でしょ? そんな会話の基本姿勢が、ダメダメ家庭では習得できない。 「自分の言いたいことを言ったら、相手から怒られてしまった・・・」 「だから自分の希望を言わないでおこう・・・」 自分が育った家庭での体験を踏まえ、そんな態度になってしまっている。 しかし、態度で相手に対して自分なりの考えなどを何も言わないでおくと、やっぱり嫌われてしまう。だから、ますます、やり取りの相手に気を使い、その物言いも、ますますあいまいになってしまう。 そんなあいまいな物言いだから、事態が何も解決せず、そして、やり取りの相手からは呆れられてしまうのは当然のこと。 だからこそ、ヘタはヘタなりに、真剣に語るしかないわけ。 しかし、ダメダメ家庭の人間は、その真剣さから逃避して、むしろ、自分は困っているという感情なり、困った状態であるという現状認識を抑圧することで、つまり「ワタシはふつうよ!」と自分に言い聞かせることで、ダメダメ家庭の日々を生きている状態。 しかし、現状認識から逃避していれば、目の前の危機も見ようとせずに、トラブルにもなりますよ。問題を早めに認識しておけば、そして先見性をもって対処すれば、そもそもそんな事態にはならないでしょ? そして、トラブルが実際に起こった後になって、相談しようにも、現状認識も不十分だし、自分の希望もないんだから、言葉の上では「困った!困った!いったいどうしたらいいの?」と聞かれても、聞かれた方が困ってしまうだけ。 「どうしてこうなっちゃうんだろう?」 「どうして私はいつもこうなんだろう?」 というグチとも嘆きともつかない言葉は出てきても、その「こうなっちゃう」具体的な様相とか、「いつもこう」という過去の事件については語れない。 結局は、トラブルが何も解決されないばかりか、相談相手からはますます怒られる。 だから、ますます相談することにぎこちなくなってしまうわけ。 「人に相談する。」なんてマトモ家庭では当たり前に体験できることであるがゆえに、ダメダメ家庭出身者の欠落感は、周囲から理解されないことになるわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 このメールマガジンは「一話完結」のスタイルで発行しています。 今回の「お題」につきましては、関連する「お題」を、来週の月曜日と金曜日に配信する予定です。まあ、3部作となるのかな? ちなみに、メルマガ天国での購読者さんが急に増加いたしました。 一体何があったのかしら? 新しくご購読いただいた方、これからよろしくお願いいたします。 |
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R.10/7/7 |