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カテゴリー | やり取りと距離感 | |
配信日 | 05年6月17日 (10年11月29日 記述を追加) | |
タイトル | 穏やかな疎遠 | |
ダメダメ家庭の夫婦は、「お互い顔を見るのもイヤ!」という修羅場状態に陥ってしまっている・・・そんなケースも勿論あります。 しかし、そんな修羅場ではない、もっと穏やかな疎遠状態のケースもあるわけ。 この状態の実例については、03年というかなり昔に配信した『人にアドヴァイスしたがる』という文章で書きましたが、夫の長期の単身赴任のケースなどです。今回の文章はその回の補足と言えます。 「どうも妻が苦手だなぁ・・・」などと思っている夫は、会社内で上手に調整して単身赴任になるようにしてしまうわけ。 そうして、年に数回の頻度で、苦手な妻の元に出勤するわけです。 なぜ妻が苦手なの? 往々にしてその手の妻は「正論大好き人間」なんですね。別の言い方をすると「べき論大好き人間」。夫としても、妻の気に入る正論を常に言わないといけない。本音を言ってしまうと、妻からべき論で説教されてしまう。だから、夫婦間で本音の会話がないわけ。これでは会話も楽しくないし、自分を偽らなくてはならないので、心理的に疲れてしまうでしょ? ということで、夫は妻とは会話をしなくなります。しかし、正論大好き人間はそれが気に入らない。「夫婦は楽しく会話すべきだ!」という正論を持ち出し、夫に対して「楽しい会話」を要求するわけ。しかし、「楽しい会話をしなさい!」と命令されても対応できるわけもないでしょ? さすがにこうなると、夫も逃げ出すわけ。まあ、「会社の都合で単身赴任となった・・・」とか言ったりするわけです。と言っても、実際には会社内で自分が単身赴任になるように工作したりしているわけ。 日頃から本音の会話をしていない妻の側は、その単身赴任の話で簡単に納得してしまう。まあ、現実的に望まざる単身赴任だって多くあるでしょう。しかし、それが3年以上続いているようなケースは、このような「妻が苦手」な夫の自主的な工作の成果であることが多かったりするもの。 子供の都合で、夫の赴任に付き合えない・・・などと言っている人が、「子供が登校拒否で困っているの!」などと言ったりするものです。「じゃあ、子供の都合で単身赴任って、一体何なの?」と思ってしまいますよね? このような例を現実にご存知の方もいらっしゃるでしょう? 夫の側は、そうやって、面倒な家庭から逃げ出して「ラッキー!」なんでしょうが、正論大好き人間の正論の対象が、次にはどこに向かうことになるのかについては自明のことですよね? 母親の正論に合わせないといけない子供は、家庭内で疲れてしまうわけ。そもそも大人であり、妻とは対等の間柄である夫ですら疲れるんだから、子供だったら疲れ果ててしまいますよ。ということで、登校拒否になったりする。 往々にしてこの手の「正論大好き」人間は、実家とは仲がよかったりするものです。 自分の娘をそのような正論大好き人間に育てた親も、同じような「正論大好き」人間。 それなりにウマが合うわけでしょう。お互いが「べき論」で楽しい会話ってとこでしょうね。 正論をちゃんと言えることは勿論いいこと。 夫となった男性も、その正論を聞いて「あの女性はしっかりしている!」「立派な考えを持っている。」と思って結婚したんでしょうね。しかし、「自分で色々と考えた上で正論を言える。」のではなく「教えられた正論をオウム返しに言っているだけ。」ということが、一緒にいると段々分かってくるわけ。 別の言い方をすると、信念を持っているのではなく、ただ、聞く耳を持っていないというだけなんですね。 つまりその手の立派な正論は、会話の不全の証明みたいなものなんです。 しかし、正論は正論。権威があるもの。表立って反論はできませんヨ。 逃げ出すことができる夫はともかく、逃げ出すことができない子供は、その正論に追い詰められて行くところまで行ってしまうわけ。 登校拒否の子供の母親って、案外こんなタイプが多かったりするものです。 この手の母親は、自分の子供相手に正論をぶつだけではあきたらず、もっと社会全体に正論をぶとうとするわけ。それこそ学校のPTAの役員になったり、それ以外の地域活動に自主的に参加したり、ボランティア活動に入れ込んだりすることになる。 しかし、夫との会話も不全の人間が、ボランティアもヘチマもないでしょ? しかし、逆に言うと、ボランティアのような「恵んでやるという立場」があるからこそ、正論を一方的に言い渡すだけの人間にしてみれば、会話の能力の欠如が目立たないことになる。 その手の人は、立場を使ってやりとりを一方的なものにしたり、反論されにくい正論によって、やりとりを一方的なものにするわけ。 だから、反論されにくい正論があると、喜んで飛びつくことになる。 例えば、妙に道徳的な正論ってありますよね? アダルト系の本とかヴィデオを槍玉にあげたり・・・ その手のアダルト系のものが誉められたものではないことは言うまでもありませんし、自分の子供に喜んで見せたいというものでもないでしょう。 だからといって、その手のアダルト系のものを、自分の亭主は若い頃に見てこなかったの? 「オレはエロ本などは、生まれてこの方、見たことがない!」なんて、そんな男性っているのかな? 大体の男性は、「オレも、まあ、一応オトコだし・・・まあ、若い頃は色々と見たさ。」くらいに苦笑いしながら回答するものでしょ?かと言って、その亭主が、現在は性犯罪を繰り返しているの?ちょっとでも本音の会話があれば、わかることでしょ? 逆に言うと、「そんなアダルト系のものは一回も見たことがない。」なんて人は、若い頃の友人関係はどうなっていたの?そっちの方が不気味でしょ? そんな理屈を私レヴェルなら簡単に言うことはできます。しかし、そこまで頭が回る人ばかりではないわけ。結局は問答無用の正論が支配する家庭になってしまう。表立っての反論がない分、その家庭は、「平和」と言えるわけ。怒号が飛び交っているわけではありませんからね。 しかし、結局は会話がないわけです。北朝鮮みたいなものなんですね。 まさに、みんなが、あの作り笑いをしているだけ。 何も単身赴任という例ばかりではなくても、修羅場になっていないまでも、フランクな会話が不全の家庭ってあるでしょ? そんな家庭は、表面的には平穏で「問題がない」分、当人自身にもそれがダメダメ家庭であることは自覚しにくいわけ。 そうして問題が表面化したら、その手の女性のすることは犯人探し。 「悪いのは全部○○のせいだ!」と、言い出したりする。まさにアダルト系のものが槍玉にあがってしまう。そうして「あの○○を根絶すべきだ!」と倫理的な主張を連呼する。本人はそれで納得できるでしょうが、それで家庭が改善されることなんてありませんよね? やたら「べき論」をぶつ人って、実際にいるでしょ?まあ、知人のような同格の間柄で「べき論」をぶたれても大したことではありません。そんな人とは話をしなくなりますからね。 しかし、べき論が支配する家庭にいる子供は不幸ですよね? 楽しい会話が「いいこと」であり、会話に満ちていることはいい家庭と言えることは当然ですが、「さあ!これから楽しい会話をしなさい!」「家族は楽しく会話すべきだ!」と命令することって、珍妙でしょ? ダメダメ家庭では、その手の珍妙なことが横行していたりするんですね。それが珍妙なことと全然わからない親は、逆に気楽。だから、その「ひずみ」が子供に集約してしまうわけです。 この手の穏やかな疎遠は、まさに「問題がない」という二重否定状態かもしれませんが、「上手く行っている」というシンプルな肯定形ではないわけ。 あるいは、「問題がないように見える」というだけであって、実際問題として、「トラブルが存在しない」となっているわけではない。 むしろ、「臭いものにフタ。」という発想になってしまっていて、トラブルが顕在化しないようにしているだけ。 小さな問題を、早めに顕在化して、早急に対処していく・・・そのように予防に配慮して家庭を運営するのではなく、とにもかくにも、困った事態は見たくないというだけ。 問題を見ないように、見えないようにしているだけなので、中身がどんどんと腐ってくる。 だからこそ、大きなトラブルになってしまったり、「顔を見るのもイヤ!」というモノホンの修羅場になってしまうわけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 昨日、カンボジアで事件がありましたね。 私などは東南アジアと、つい「ひとくくり」にしていまいますが、多分それぞれの国が、かなり違うんでしょうね。 カンボジアで以前に「タイに対する暴動」がありました。タイの芸能人が余計なことを言ったとかで・・・ ちょうど中国や韓国の反日暴動のようなものなんでしょう。 私の知人で、タイが好きで毎年タイに行っている人がいますが、カンボジアが好きという人は聞いたことがない。 今回の事件は政治的なものではないのでしょうが、子供を巻き込むのは、犯罪者にしてもレヴェルが低い。そもそもカンボジアは王様にしても日和見の典型だし。 上手く行っていない国の人々に対して、「お気の毒!」と援助の手を差し伸べることは、勿論結構なことなんでしょうが、ダメなのはダメなりの理由があるものです。まずはそれを自覚させるのが先決のような気がいたします。ヘタに援助の手を差し伸べると、当人たちの被害者意識が正当化されてしまう。 被害は被害で実際にあったのでしょうが、被害の確認だけでは物事は改善しませんよね? 援助を受けて、短時間に改善された国もありますが、ある程度長引くと、援助を受けることに当たり前になってしまう。こうなると、その状態で安住してしまう。 もともと上手く行っていた国がたまたま失敗した場合はともかく、もともとダメだった国は、援助しても援助する側の自己満足で終わっちゃうんでしょうね。 |
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R.10/11/29 |