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カテゴリー | ダメダメ家庭出身者の状況 | |
配信日 | 03年11月14日 (10年3月1日,11年2月6日 記述を追加) | |
タイトル | 登校拒否、引きこもり | |
追記 | 管理者による補足文章があります。(10年5月29日 アップ) | |
もし、嵐が来ていて、海が逆巻く状況の中で、「港から船を出してくれ!」と言われた場合には、船長さんは何を考えるでしょうか? 今後の嵐がどう悪化していくか?・・・勿論ね。 船にどれくらい強度があるか?・・・当然でしょ。 そもそも出航する必要があるの?・・・ごもっとも。 しかし、船長さんが考えなければならないのは、嵐の中を航海して、船にダメージを負った場合に、港に戻って修理できるかどうかの問題ですよね? どんなに厳しい航海でも、港に戻ってきてちゃんとメンテナンスできるのなら、多少の危険があっても出航することができる。 ところが、マストが折れたり、船体に穴が開いたりしてしまった後で、船の修理のしようがないような港だったら、出航できませんよね? あるいは、マストが折れたり、その他のダメージを負ったりしたら、戻った後の港で散々責められるような場合には、絶対に出航しませんよね? 「オマエが、ちゃんと船を操縦しないから、こんなに壊れるんだ!!」なんてね・・・ 港が機能していないからこそ、港から出航できない。 港がしっかりしていれば、つまり「母港」の機能を果していれば、安心して出航もできる。 港に留まっているからと言って、港を気に入っているわけではないんです。むしろ逆なんですね。 ということで、今回の文章では、登校拒否や引き篭もりの問題を取り上げましょう。 子供がこのような状態に陥ると、周囲の人間は「がんばって学校へ行け!」と励ましたりするようですが・・・ これはさながら、嵐の中に出航する船に、「ガンバレ〜」と景気付けのラッパを鳴らすようなもので・・・意味はありませんよ。 嵐の中の出航を考えている船長さんに対しては、「もし、航海の間に、船にトラブルがあったら万全のサポートをするよ!」と言った方が船長さんは安心して出航できるでしょ? 登校拒否も引き篭もりも、外の世界での失敗を受け入れない家庭そのものの問題なんです。家庭がダメダメなので、家庭に居ざるを得ない。逆説的ですが、そのようなものです。 家庭を肯定して家庭にいるのではなく、家庭以外の場所だともっと対応ができないという二重否定的な状況で家庭に留まっているだけ。 学校で子供がトラブルになった際に、親がどのように対応してきたか? それまでの子供への親の対応の積み重ねが、登校拒否という結果になっている。 たとえば、子供が学校でトラブルを起した場合に、 「また、この子は!親に迷惑をかけてばっかり!ホント、困ったモンだ!」 「他の子のようにやっていればいいのよ!」 「こっちも忙しいんだから、自分でなんとかしなさい!!」 なんて言われていたら、不登校にもなりますよ。 だって、家の外で失敗したら、親から散々と責められるわけですからね。 大体において、登校拒否の家庭を見ると、「何故に子供が登校拒否になっているのか?」という疑問がわいて来る事はむしろまれです。 逆に「そもそも、こんなダメダメ家庭なんだから、子供が登校拒否になることは明白なのに、この人たちは、何故にそれが分からないのかな?」と不思議に思ってしまうんですね。 それこそ、船をバックアップする港の整備体制を見れば、船のことを考えた港なのか?それとも、形だけを整えて、船のメンテナンスについて何も考えていない港なのか?そのようなことは、ちょっと見れば判ったりするものですよね? ところが、そこがまさにダメダメ家庭のダメダメなところで・・・ 実際にトラブルが起ったりすると、御立派なカウンセラーに相談したり、挙句の果てには陰陽師に相談したり・・・と、形の上では一生懸命に対応する家庭もあります。 しかし、カウンセラーや陰陽師とは話をしても、実際に登校拒否している子供の話を真摯に聞くことはしないんですね。子供に対しては、とにもかくにも「学校に行け!」と命令するだけ。 だから、親の側も、カウンセラーや陰陽師から受けたアドヴァイスの話は、色々と話せるんですが、子供の考えは全然話せない。 「えっ?子供が何を考えているかって・・・えーとぉ・・・うーん・・・」で終わってしまう。 そして、親がカウンセラーのような相談相手に依頼するのは、「どうやったら、世間並みに子供が学校に行くか?」という点であって、「何故に子供が登校拒否をしているのか?」ではないんです。 そして子供に対して言うのは 「とにかく、世間の普通の子供のようにやってくれ!!」 と、そればっかりなんですね。 まさに「登校拒否をやめる。」という二重否定的な方向に発想は向かっていても、「子供が何に困っているのか?」「子供が何を求めているのか?」については、子供に言わせないようにする。 そうして、親の側は「ああ!こんなことになってしまって・・・ヘンな子供に当たってしまって・・・ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?」と子供の前で嘆くだけ。 そんな親の嘆きを見せられたら、子供が外の世界でトラブルになったら、親がもっと大仰に嘆くことが子供の側も予想できるでしょ? そんなことだから、ますます外の世界に出るのに慎重になりますよ。 しかし、ダメダメな親は、子供に対して「ふつうにしろ!」と言い放つばかり。 ホント、シュールなギャグを見ているような気になるものです。 勿論のこと、親には親権という法律で認められた権利があります。だからその権利を行使すれば、最終的に子供を学校に行かせることも法律的に可能です。 それって、家の中の状況を外の世界よりも更に救いがたい状況にすることで、子供を外に出すということでしょ? 学校に行くようにするのではなく、単に、家から追い出しているだけ。 港で喩えると、船が出港しないので、港に火を付けて、船を港から外に出したようなもの。 結局は、船と港の間には何も信頼関係がないままで、何の解決にもなっていないわけです。 ただ、親は「世間並み」に見えるようしたいというだけ。 そしてその「世間並み」が達成された段階で満足してしまっている。 何回も書きますが、ダメダメな親は「顕著な欠点が見えなくなればそれでいい。」と思っているだけ。 見えなくなればそれでいいと思っているのだから、子供だって、今後は、絶対に親に相談しませんよ。だって「見せられない」わけですからね。 外での失敗を受け入れないダメダメ家庭は、家庭内での失敗も認めないわけです。 こうなると子供の将来は見えてしまうでしょ? ダメダメな親は、自分の子供を幸せにしたいとは思っていない。 自分の子供からの被害にだけ視点が向っている。 逆に言うと、自分への被害がなければ子供当人がどうなろうとどうでもいいわけです。 それこそ、港にいると船に火を付けられるという体験をしたら、確かに港から出るでしょうが、もう戻っては来ないでしょ?こうなると、海の上を彷徨う幽霊船になってしまいますよ。 家から追い出して、中学校に無理に行かせたって、結局は、高校中退でしょ? あるいはさっさと家を出ちゃうとか・・・ そして、「親に迷惑をかけられない!」と常に切羽詰った心情を持つもの同士で結婚して、結局は、それこそドメスティック・ヴァイオレンスのような新たな修羅場になるばかり。 あるいは、「お父さん、お母さん、ごめんなさい。」と書き残して、自殺するとか・・・ たしかに、親の希望通りに外の世界には出たわけですが・・・この世の外にね。しかし、ちょっと外過ぎたと言えるかも? 港が壊れているから、船もメンテナンスができず、どんどんと壊れていく・・・そんなことは誰でも分かることなんですが、子育てを被害と捉えているダメダメな親はそんな発想にも至らず、「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?」と自分を憐れむばかり。 船を送り出すためには、まずは港を整備する・・・そんなことは当たり前のことでしょ? ところが、被害者意識が強いダメダメな親は、「ハズレの子供」に当たってしまった被害を大仰に語ることになる。 そんな嘆きの言葉に、ボランティアや市民団体がやってきて、その嘆きに同調してしまう。 「まあ!なんてお気の毒なの!」 「ヒドイ時代になったものだわ!」 「ふざけた学校ね!」 そのようにダメダメな親に同情してしまう。 ダメダメ仲間からの同情を得て、ダメダメな親は「自分はダメな子供による被害者だ!」と確信してしまい、被害者だからということで、自分では何も対処しない。 そして、登校拒否が、そのまま進んでしまって、ニートになってしまう。 しかし、ダメダメな親は、相変わらず、「働け!」と命令するばかり。 本来なら、子供が学校に行かないという時点で自分たちの家庭を見つめ直せば、対応策も見えてくるわけですし、そもそも、子供の声を聞くことが最初に必要なことでしょ? しかし、ダメダメな親は子育てに対して、被害者意識はあっても、当事者意識はない。 だから、子育ての当事者として、子供とやり取りをするという発想そのものを持っていない。子供とやり取りをする際には、子育てという被害を受けた被害者として、加害者たる子供を糾弾するだけ。 ニート状態になった子供を、親が殺害してしまうような事件も、たまに起ったりしていますが、その手の親は、子育ては親である自分が押しつけられた被害だと認識しているわけです。 つまり、その殺害行為も、その手の親にしてみれば、報復行為となっていて、その親なりの正義感に基づいているんですね。 逆に言うと、ダメダメ家庭では一方的な正義はあっても、会話はまったくないわけです。 船の船長さんからのヒアリングも一回もしていないのに、「この港はすばらしい!」と周囲に語ったりするわけです。それが港の問題だったら、船としては母港を変えるだけなんですが、家庭だと変えることも難しい。 結局は、そのダメダメな港にいつまでもいる船は、結果的に使い物にならなくなってしまう・・・ものですよね? (終了) *************************************************** 発信後記 大阪の河内長野での事件へのコメントは本当にシュールそのものですね。 警察もマスコミも学者もバカばっかり。 結局事件そのものしか見ていなくて、それに至る家庭内の会話に発想が行かないんでしょうが・・・ 原因があるから、結果があるわけで・・・ |
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以下に 管理者による補足文章です。 (10年5月29日 アップ) | ||
この手の「登校拒否」などの問題になると、家庭の側が、学校を追求する事例が多いようです。 それこそ、この文章をリーダース・チョイスで選定していただいた方も、そのような親について報告なさっておられます。 なんでも「自分たち家庭の問題にも目を向けたら?」という指摘に対して、親の側が「学校側の責任回避だ!」と猛抗議したんだとか・・・ そもそもダメダメ家庭は、当事者意識がなく、被害者意識ばかり。だから、トラブルが発生したりすると「どっちが悪いのか?」という点ばかりに視点が向かい、「自分たちがどうしたいのか?」という点を考えない。 そんな人は、「どっちが悪いのか?」という点ばかりを考えるので、自分を被害者として認定できる、つまり「ワタシは悪くない!」と言えるように、他者のあら探しばかりしている。 逆に言うと、そんな親の姿を見続けた子供はどうなっちゃうの? 子供が何をやっても、「オマエにはこんな欠点があるんだから、こうなってしまうんだ!」などと言われてしまうでしょ? あるいは、現在直面している子供のトラブルが、学校などの、家庭以外の第三者の責になって、それゆえ「親は悪くない。」となっても、だからと言って、子供が安心できるというものではないでしょう。 それこそ、上記の「学校の責任」云々ばかりを語っている親と一緒にいる子供としては「そんなにダメな学校だと、アンタ自身が分かっているのなら、転校させればいいじゃないの?」と思っているに決まっているでしょ? あるいは、よくある「時代が悪い。」という言葉も同じといえます。 そんなに悪い時代だと、子供に語るくらいによく分かっているのなら、そんな時代に子供を作ってはダメでしょ? しかし、ダメダメな親はそんな判断はしないし、したくない。 それこそ、登校拒否している子供を別の学校に転校させて、その新しい学校でまた登校拒否となったら、今度は、「学校側の責任」とは言いにくくなるでしょ? だから、そんな親は、「登校拒否の問題については、社会全体で考えていくべきだ!」「こんな問題を根絶すべきだ!」と一般化してご高説するばかり。 そのように一般化してしまうので、自分の子供の意向には何も関心がない。 そんな家庭では、それこそ自分の子供の名前など、もう1年以上も呼んでいなかったり、家族旅行などのイヴェントもなかったり、写真もないなど、色々なダメダメの様相を持っているもの。 前にも書きましたが、登校拒否の問題で、学校が悪いと認定できれば、子供が安心して学校に行けるの? そんなわけないでしょ? むしろ、学校をヒステリックに弾劾する親の姿に、子供がますます恐怖するばかり。 そんなことは、ちょっと目線を子供の側に移して考えれば誰でも分かること。 親の当事者意識の欠如こそが、登校拒否の問題の本質なんですね。 その土壌の問題が解決されていないと、たとえ強制力を使って、子供を学校に行かせても、結局は、問題の先送りとなるだけ。 同じような問題は、ドメスティック・ヴァイオレンスでも同じです。 市民団体やボランティアの連中が、暴力オトコをつるし上げて大喜びするのは勝手ですが、「被害者」となった女性の「人を見る目」が改善されたわけではないでしょ?だから、結局は同じようなトラブルになるばかり。 だから、そんな家庭を作る人は、「この世からドメスティック・ヴァイオレンスを根絶すべきだ!」と一般論でご高説をぶつだけになってしまう。 そんな活動家は、「その女性がどうして、そんな暴力オトコと一緒になってしまったのか?」について何も考えない。ただ、暴力オトコをつるし上げて喜んでいるだけ。 しかし、事態の土壌は何も改善されていないわけだから、より悪くなり、結局は、より悪化して、ドッカーンとなってしまう。 逆に言うと、登校拒否の段階で対処すれば、ドッカーンとならずに済むことになる。 しかし、ダメダメな親は、何も対処せず、そして、実際にドッカーンとなってしまった後で、「あ〜あ、悪い時代だなぁ・・・」と嘆くばかり。 まあ、本気でそのように思っているのなら、そんな悪い時代には子供を作らない・・・それくらいの判断は必要じゃないの?ダメダメな親は、「この時代はこんなに問題がある。」ということについて延々と語っても、「自分ではどうしたいのか?何をしたいのか?」「自分の子供にはどんな一生を送ってほしいのか?」について何も語れない。 自分自身については、「ふつう」と言うばかり。 そして、子供に対しては「ふつうの子供になれ!」と言うばかり。 「ふつう」ということは、「とにもかくにも人に合わせる」ということでしょ? 逆に言うと、親としては、ただ合わせているだけで、自分では何も考えなくてもよく、だからこそ、子供にしてみれば頼りにならない。 それに、「ふつうになれ!」と要求された子供としては、「ふつう」になるために、周囲をうかがってばかりで楽しくないし、気を使うばかり。 そんな家庭だからこそ、子供が登校拒否になってしまうわけです。 |
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R.11/2/6 |