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カテゴリー ダメダメ家庭の被害者意識
配信日 08年4月18日 (10年4月30日に記述追加)
タイトル 説明させられるという被害
ダメダメ家庭の人間は説明能力がない。
この点については、前回において配信しております。
そもそも当事者意識がないんだから、自分自身で考えた上で行動しているわけではない。だから自分の行動なり考え方を説明しようにも説明できない。それに当事者意識がなく、達成したいものそのものがないんだから、自分の目標を達成するために、周囲に対して説明する必要もない。
説明する意欲もないし、必要性もない。これでは説明能力なんて向上しませんよ。

そして、ダメダメ家庭の人間は強い被害者意識を持っている。そもそも当事者意識がないんだから、あらゆる問題を、自分がこうむった被害を捉えることになる。それこそ子育てだって、親である自分が被った被害と捉えるくらい。
そんなことだから児童虐待だって起こるわけですよ。

どんなことでも自分が被った被害と捉えるダメダメ人間にしてみれば、誰かから説明を求められることも被害と考えてしまう・・・これは、実に理にかなったことでしょ?

そもそもダメダメな人間は、会話によって相互理解を図ることなんて考えない。
ダメダメ人間が持っているコミュニケーションは序列に基づいた命令と服従の関係だけ。同格の間柄で、「相手の話を真摯に聞き」「自分の考えを相手にわかりやすく伝える」という会話の精神とは無縁となっている。
会話によって、相互理解を達成し、合意を積み重ねていくことはしないので、そのための方法を持つ必要もない。

自分の考えを相手にわかりやすく伝えるって、それはまさに「説明」ということ。
普段からして説明というものと無縁なんだから、ますます説明能力が向上しない。だから説明が不要な状況を、自分から求めてしまう。
序列にこだわったり、とにもかくにも、周囲の人に盲目的に合わせているだけになってしまう。
そんなことだから、ますます説明能力が向上せず、ますます会話から縁遠くなってしまう。
だから、説明することに、ますます苦手意識を持ってしまう。

だから、やり取りの相手方から『アナタの考えをもうちょっと説明してよ。その言い方だけでは分からないから・・・』なんて依頼に対し、「説明しろ・・・だなんて・・・ワタシが大嫌いなことを、このワタシに要求している!!」なんて考えてしまう。

やり取りの相手方から、自分の言葉に対して疑問を提示された場合には、一般的には追加説明をすればいいだけですよ。しかし、説明というものにぎこちなさを持つダメダメ人間は、疑問の提示なり、追加説明の依頼を、いわば反論として認定してしまい、心理的な臨戦状態に入ってしまう。
そうして、「もう2度と、アイツから反論をされないようにしよう!」と、さらに強圧的な物言いをするようになる。
片一方が『もうちょっと詳しく説明してよ!』と頼んでいるだけなのに、その言葉を受けた側は、まさに「このワタシを追い込もうとしている!」という反応になってしまう。
逆に言うと、スグに反論として認定してしまうわけだから、その手の人は、自分が受けた追加説明に対しても、自分への反論として認定してしまうことも多い。
『ああ!この人はこの点を誤解されていらっしゃるんだな・・・この面についてのワタシの説明が不十分かな。じゃあ、もうちょっと詳しく説明しておくか・・・』そんなニュアンスでの追加説明に対しても、「オレの意見に対して、反論しやがって!!」と怒り出してしまう。

相互理解を目的とする会話の精神の元に生きているマトモな人なら、そんな反応なり発想は理解の範疇を超えたもの。
だって、そんな依頼があったら「その件については、別の言葉で言い換えると・・・」なんて説明すればいいだけでしょ?
しかし、説明することそれ自体に苦手意識を持っていると、説明を求められることも、まさに被害になってしまう。

と言うことで、「ワタシに被害を与えた憎いアイツに復讐してやる!」なんて反応になってしまう。
報復行為によって、自分の側が被害者なんだと、自分に確認させる儀式とするわけです。
説明することを嫌う人間にしてみれば、『もうちょっと詳しく説明してよ!』という依頼を受けることは、いわば宣戦布告を受けることと同じなんですね。

マトモな人間にしてみれば、シュールなギャグそのものでしょうが、ダメダメ家庭の人間は当事者意識がないので、そもそも自分の考えそのものがない。だから説明しようがない。
それに、会話によって相互理解に到達して、理解が深まった経験もない。だから説明に対して価値を見出せない。
それに自分でものを考えることをしない人間にしてみれば、相手から説明されても鬱陶しいいだけ。相手から色々と説明されて、「で、アナタはどう考えるの?」などと聞かれたら、それこそ厄介なことになってしまう。

だから、説明することだけでなく、説明されることすら被害と捉えることになる。
自分に対して説明をしてきた相手に対してのクレームも、「どうして『そんな』説明をするのよ!」という言葉ではなく、「どうして説明するのよ!」というクレームになったりする。
思考から逃避しているダメダメ人間にしてみれば、人から説明されてしまって、それを受けて自分で考えることがイヤなんですね。

『自分がイヤがることは他人にしてはならない!』
そんな倫理の基本に照らせば、「ワタシは人から説明されることが大嫌いなんだから、ワタシ自身も人に説明してはならない。」と考えることにも一理ある。
なんともまあ!見事な論理で、見事な倫理ですよ。

「他者からの説明をどのように受け入れ、自分自身の考えをどのように伝えるのか?」
そんなことは、やり取りの基本でしょ?
しかし、被害者意識が強いと、説明を聞くことも、説明をすることも被害になってしまう。

説明することが被害である・・・そんな自分の被害感情を、上手に「説明」できるわけもなく・・・
その鬱憤は、自分の身近な弱い立場のものに向かってしまう
その結果がどうなってしまうのか?
そんなことは、誰だってわかることでしょ?

説明がヘタな人ほど、「どうしてミンナは、ワタシのことを分かってくれないんだ?!」という被害感情を語りたがるものでしょ?
しかし、そんな嘆きの言葉を語っても、現状なり当人の希望については、何も語れないもの。
説明すること自体を被害と認識しているので、当然のこととして、自分の説明能力を向上させようとは考えない。
周囲に対して「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!アナタもそう思うでしょ?」と同情を求めるだけ。

そんな嘆きを聞かされた側が、「で、アナタ自身は現状をどう考えるの?」「アナタ自身は、結局はどうしたいの?」なんて質問をすると、どうなるのか?
「説明させられるという被害」が、まさに爆発するわけです。
そうして、やっぱり「どうして、わかってくれないの?!」となる。

そんな無限ループを体験なさった方も実際にいらっしゃるのでは?

(終了)
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発信後記

今回のお題とは関係ありませんが・・・
今、北京オリンピックの問題で大騒ぎですよね?
世界中を回っている聖火も、行くところ行くところで騒動が持ち上がっている。
そんな状態を見ると、ある言葉が浮かんでしまう。
『一匹の妖怪が世界を徘徊している・・・オリンピック聖火という妖怪が。』
中国共産党もビックリですよ。

そこまでして聖火リレーなんて、やる必要があるのか?
そもそも北京オリンピックそのものも、やる意味があるのか?
そのことも、よくわからない。しかし、中国政府としてはどんなことをしてでも、と考えているんでしょうね。
それこそ、
『北京オリンピックは、演説や多数決ではなく、鉄と血によってこそ開催できる。』
とマジで考えていそう。

北京でオリンピックと言っても、以前に中国あった反日暴動を思い起こせば、ただでは済まないことは分かりきったこと。
マラソンなどの競技中に乱入くらいは確実に起こるでしょうね。
中国選手が負けたら、暴動・・・なんて事態も起こりそう。

日本人選手も、応援団も、身の危険を覚悟して中国に行かないと・・・
日本政府は守ってくれるのかな?

北京オリンピックの頃は、日本の首相も福田さんではなくなっていそう。オリンピック期間中の日本の首相は、今の流れで言うと与謝野さんになりそうですね。
与謝野さんが、北京に向かう選手団に送る言葉はコレかな?
『君死にたもうことなかれ。』
R.11/1/16