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カテゴリー 「約束の地」に関して
配信日 08年6月20日 (11年2月15日 記述を追加)
タイトル 約束の地・スパイラル
自分自身から逃避しているダメダメ人間は、現状認識からも、思考からも逃避して「あの○○に行ったら、すべて解決!」なんて発想を持っている。
このことについては、以前より度々触れております。
いわば「約束の地」に類する発想を持っているもの。
苦難に満ち、閉塞状況にある現状を一気に解決する「蜜と乳が流れる理想郷」的なイメージを抱いているわけです。
現実的に抑圧状況が厳しいので、もはや妄想だけが、「出口」となってしまっている状態となっている。
そのような「約束の地」を持つことによって、自己逃避状態を得ることができることになる。
「約束の地」を凝視することで、自分の直近の問題を直視することから逃避するわけです。

この「約束の地」の発想は、ヴァリエーションがあって、「故郷に戻ったら、すべて解決!」とか、「実家に戻ったら、あっという間に解決!」なんて発想のケースもあります。自分が元いた場所に戻ったらすべて解決する・・・そんな「帰還の地」というか、「逆・約束の地」と言えるような発想です。お相撲の朝青龍さんがその典型ですね。いずれにせよ、現状認識から逃避して、「あの○○に行きさえすれば・・・」「この状態になりさえすれば・・・」なんて妄想に浸ってしまう。何か不都合なことがあっても、「あの○○に、行きさえすれば・・・」と持ち出して、それっきり考えることをやめてしまう。

抑圧的な現実の中で、現実離れした妄想に、一時的に、救いを求めるのならともかく、現状認識とか思考を抑圧しているので、そんな「約束の地」の発想のみが救いとなっている状態となってしまう。
と言うことで、「あの○○に行ったら、ワタシのこの事態も、すべて解決!」という発想を恒常的に持ち続けることになる。
以前にも書きましたが、「約束の地」というものは、具現化された自己逃避なんですね。
その「約束の地」を肯定しているのではなく、そこに「すがらざるを得ない」という二重否定的な関係となっている。別の言い方をすると、「愛している」のではなく、「依存している」状態となっている。

依存というと、アルコール依存がポピュラーですが、それに近い状態と言ってもいいでしょう。
目の前の辛い現実を見たくない!
現実を直視して、地道に努力する気力もないよ。
ああ!飲まなきゃ、やってられるかよ!
夢見ているだけの、心地よい酔いを覚ましたくないんだよ!

しかし、やっぱりこうも言ってしまう。
「ウイっ!オレは酔ってないぞぉ〜」

酩酊状態にあるものは、酩酊状態であるがゆえに、「オレは酔っていない!」と言えてしまう。
同じように、自分自身が自己逃避状態にあるということは、自分では認識できない。
それが自己逃避というもの。

さて、以前に洗脳について書いたことがあります。
洗脳というものは、その人が「自分の言ったことを正当化したい!」そんな心理的欲求を、周囲が上手にリードすることによって達成されるもの。上からガミガミと問答無用にお説教するのだったら洗脳にはならず、ヘタをすれば反発されるだけ。洗脳するためには「自分がしたことや言ったことは正しいことだったと、自分としては思いたい!」「自分が間違ったことをしたとは、認めたくない!」そんな当人の心理を利用する必要があります。洗脳とは、当人が主体的に進行させていくものであり、自分で自分を縛っていくものなんですね。

さて、では、「約束の地」の理想郷を掲げた抑圧系のダメダメ人間はどうなるの?
実は、まさに絵に描いたように、自分で自分を洗脳していくわけです。

「あの○○に行ったら、すべてが解決!」そんな発想を持っていても、たまには疑念が起こることもある。

「まずは、目の前の現状認識が必要なのでは?」
「ワタシ自身は、ほんとうにそうしたいの?」
「もっと、別の方法もあるのでは?」
「△△さんは、別の考え方をアドヴァイスしてくれている。」

本当に、「あの○○に行ったら、すべてが解決!」と言えるのかな?
一時的に発生した、そんな疑念そのものを、抑圧してしまう。
疑念が心の中に芽生えても、「イヤ!そんなことはないんだ!あの○○に行けば・・・何とかなるんだ!」と、自分で自分を納得させようとする。

と言うことで、自分が抱く「約束の地」と相反するものの存在を認めようとしない。
その「約束の地」にフィットしたものだけを、受け入れようとする。
相反する物事なり視点なり考え方を受け入れることを拒否する。
別の言い方をすると、抑圧するようになる。
「あの○○に行ったらすべて解決。」という自分の夢を壊すものは拒否してしまう。
だから、抑圧状況から生まれた「約束の地」という発想によって、それ以外のものを、抑圧するようになる。
現実的には、ますます抑圧状況が深まり、濃くなってしまう。まさに洗脳状態に陥っていく流れに近い。いわば自分で自分を洗脳しているといえる。

それこそ、「子供を持ったら、こんなワタシもマトモになれるんだ!」なんて「約束の地」を持つ女性としても、それなりに逡巡することもある。

「ワタシが子供を持つ、って・・・このワタシが親になるのはいいとして、このワタシに子供を育てられるの?」
「このワタシ自身の問題もあるし、このワタシと結婚するようなオトコは、本当にマトモなの?」
「周囲の人は、『子供を持つといいよ!』って言うけど、自分としては、本当にほしいのかな?」
「あの☆☆さんは、子供を持っても、いつもグチばかり・・・ワタシもあんな感じになってしまうのでは?」
「もしかしたら、自分の親と同じようになってしまうのでは?」

そのような疑念も、一時的に持つことがあっても、それを即座に否定してしまう。
「いや!そんなことはない!子供を持ったら、このワタシの問題がすべて解決するんだ!」
ということで、「子供を持てば、すべて解決」という発想にフィットするような事例ばかりを見ようとする。

「子供を持つのは、ふつうのことと皆が言っている!」
「あの★★さんは、子供と一緒でいつも楽しそう!」
「やっぱり、子供を持てば、すべて解決するんだ!」
「子供がいないと、ワタシの老後は心配だ!」

やっぱりも何も、そんな事例ばかり集めたからそう見えるわけですが、自分でそんな事例ばかりを集めている・・・という認識はない。それはあくまで無意識的なもの。
と言うことで「子供を持ったら、すべてが解決・・・子供を持ったら、ワタシは、きっと幸福になるはずだ!」と、絵に描いたような洗脳状態。

そして、洗脳状態を進化させるにあたって、自分で表現することが有効であることは、洗脳について考えた文章で言及しております。人は自分が語った言葉には、責任を持とうとする。別の言い方をすると、自分が語った言葉は間違っていたとは思いたくない。
逆に言うと、「自分を縛るために」、誰かに対して、先制的にアドヴァイスをすることになる。
それこそ、「子供を持つと楽しいって、皆は言っているわよ!」と、誰かにアドヴァイスする。逆に言うと、そのアドヴァイスの言葉によって、自分を縛るわけです。
実際に、その人自身には子供がいないのに、周囲に対して、「子供を持つと楽しいって、みんなが言っているわ!」と語っている女性っていたりするでしょ?
そのような言葉は、自分を縛るためのものなんですね。

対面だと言いにくいことでも、それこそインターネットの掲示板のようなところでは、言い放しでもいい。その手のアドヴァイスの言葉は、相手に対して分かってほしいというよりも、自分の縛るための言葉とみると、そんな場所における言葉の意味も理解しやすいでしょ?
自分が子供を持つことに対して疑念を持たないように、自己洗脳しているわけです。

そんな洗脳状態にある人が、子供を育てるとどうなるのか?
そんなことは、それこそ子供だって分かることですよね?

結果的にトラブル状態なると、ますます現状認識から逃避するようになってしまい、人の話を聞かなくなる。
それこそ、都合が悪くなると逆上することで、自分が抱く認識とは相反する事態や考えを入り口段階で拒否する。それは、まさに洗脳状態にお約束の反応といえるもの。そんな「いっちゃっている」親と暮らしていれば、子供の側も、ますます不満を持つ。もちろん、いっちゃっている親に、現実世界の困りごとを相談できるわけもない。だから、子供だけで対処しようとして、ますます事態が悪化してしまう。
その結果がどうなるのか?

「ああ!子供を育てるために、ワタシは自分の人生を棒に振った!」「子供がいるから離婚できない!」と嘆き、自分の期待に応えられなかった、その「約束の地」に対して『報復』するようになる。
報復行為によって、自分こそが被害者だと確認する。
洗脳がそうであるように、報復も自分を正当化する行為でしょ?
洗脳との親和性が高い人は、報復との親和性が高いんですね。

この「約束の地」の例として、古来よりポピュラーな事例といえる、「子供を持つと、今現在の困難な状況も、すべて解決するはずだ!」なんて事例を取り上げましたが、最近登場してきているのが「秋葉原に行ったら、すべて解決するはずだ!」なる発想です。
抑圧状況にあり、「うるおい」のない生活にいる人が、「うるおい」の街として秋葉原に、自分の救済への希望を託してしまう。

しかし、現状認識から逃避しているんだから、秋葉原に行っても、何も改善しませんよ。
しかし、「あの○○に行ったら、すべて解決するはずだ!」と自分に念じている状態なので、それ以外の、発想や考え方は拒否してしまう。だから別の改善策も出てこない。
と言うことで、「約束の地」の発想によって、スパイラル的に追い込まれてしまう。
抑圧状況から生まれた「約束の地」によって、更なる抑圧状況が生まれてしまう。

それこそ「秋葉原に行ったら、今の問題が解決できると思っていたのに・・・結局はうまくいかないじゃないか!秋葉原のバカヤロウ!オレを救うことが出来ないこんな秋葉原は、本当の秋葉原じゃないんだ!こんな現実の秋葉原はオレが壊してやる!」
そして、「秋葉原でも救われないオレはもうダメだ!こんなオレ自身も壊してやる!」

そんな発想になると、どんな事件を起こしちゃうの?

何も秋葉原を「約束の地」とするケースばかりではなく、「子供を持ったらすべて解決!」という、子供を「約束の地」とするケースでも、やることはやっぱり同じでしょ?
「約束の地」そのものを破壊しようとするとともに、「約束の地」で救われない自分自身を破壊する。その事例も昔からポピュラーですよね?

ちなみに、次回配信の文章では、この「約束の地・スパイラル」によって、結果的にドッカーンとなった状況を描いた有名な文章作品を取り上げます。
秋葉原の事件の犯人の心理も、インターネットなるものがない時代に、既に描かれているわけです。

(終了)
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発信後記

先日配信した文章の後記の中で『鈍感な人たちは、血が流れなければ狼狽しない。が、血が流れたときは、悲劇は終わってしまった後なのである。』という文章を紹介いたしました。次回は、その文章が入っている作品です。

上記の文章のように、鈍感な人は、血が流れれば、それなりには狼狽するもの。逆に言うと、血が流れてから狼狽する人は、鈍感な人とも言えますよね?
そんな鈍感な人の考えなり視点など、取るに足らないもの。
鋭敏な人なら、血が流れる前から、相応の見解を出しているものですよ。
 R.11/2/15