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カテゴリー 信頼と好意の諸相
配信日 09年6月17日
タイトル 対応してくれるという信頼感 (事後承諾 ,生返事)
このメールマガジンでは、他の人による著作に言及することがあります。
皆さんの中で興味を持たれた方は、「自分でも読んでみよう!」と図書館に行かれた方もいらっしゃるかも?
図書館を利用する際には、自分の住んでいる地区や、職場がある場所の図書館を利用するものですが、隣接する地域でも利用することができます。貸し出しカードも簡単に作ることができる。
まあ、この私は、ちょっと変わった本を探したりすることもあるので、どうしても複数の地域を利用することになってしまう。

たとえば東京なら、23区で全部同じシステムかというと、それぞれの地域でかなり違っています。利用しやすいシステムもあれば、利用しにくいシステムもある。
それこそ本を予約する際に、カードのバーコードからの読み取りでOKというところと、いまだに、いちいち申請用紙に記載しなければならないところもある。

利用者としては当然のこととして、利用しやすい地域の図書館に行くことになる。多少移動時間がかかっても、図書館内で、スタッフの方とやり取りする時間を考えれば、利用しやすいシステムを持つ地域に行った方が早いわけ。
利用しやすいシステムを持つ地域は、現実的には図書館のスタッフのレヴェルもまともなことが多く、やり取りも早い。使いにくいシステムを持つ地域は、残念ながらスタッフのレヴェルも落ちることが多く、やり取りに際しては口角泡を飛ばして説明することになってしまう。

と言うことで、どうしても、使いやすいシステムを持つ地域に行くことになってしまわけ。
しかし、その使いやすいシステムだって、いきなり最初から、使いやすかったわけではないでしょう。利用者の要望に応えている内に、だんだんと利用しやすくなっていったんでしょうね。だんだんと整備するだけでなく、システムを抜本的にリフォームする際には、利用者からの要望を踏まえたものにするから、なおのこと、使いやすくなる。

現実的には、使いにくいシステムを持っている地域は、利用者自体が少なくなってしまう。それこそ、この私のように、文句も言わずに別の地域に行ってしまう人もいる。そもそも、使いにくいシステムのままということは、それまで利用者が要望を出しても対応していないからであって、そんな状況なので、不満を持った利用者は新たに要望も出さなくなるわけ。

ここで何も図書館の問題を議論するつもりはありませんよ。
要望を出して、その要望に対して対応してくれるという信頼感の問題を取り上げたいと思っているだけです。
要望を出しても、どうせ無視される・・・そのように判断していたら、もう要望なんて出しませんよ。逆に言うと、そうなると、要望を出されなくなった側は、「ウチはうまく行っている!」「何も問題ない!」と豪語できることになってしまう。

ヘンな話になりますが、100の要望に対し50%応えている側は、半分しか対応できていないとなりますし、0の要望に対し、何もしなくても、全部対応していると言えるでしょ?
どっちがマトモなのか?
それはたとえば、「北朝鮮とアメリカのどっちがマトモな国なのか?」そんな問題と似ていますよね?

多重否定表現になってしまいますが、「政府に対する抗議デモがあるから、その国がうまく行っていない。」とは言えないもの。
デモすら起きないくらいに見限られている可能性もあるわけ。
あるいは、学生時代に、授業の集団ボイコット事件があったりして、ボイコットに参加していない生徒がその教員や学校を高く評価しているかというと別問題。
「どうせこんな学校は、卒業したらもう二度と来ないし・・・それまで、おとなしくしていればいいだけ・・・」「あのバカ教員は死ななきゃ治らないよ!」くらいの冷めたパターンもあるでしょ?
そんなケースだと授業をボイコットする生徒の方が愛校心があると言えるわけ。よく書いていますが肯定と二重否定は違うもの。

まあ、図書館のようなものだったら、何も言わずに別の地域に行けばいいだけ。
しかし、北朝鮮のようなところだったら、別の地域というわけには行かない。
ただ、北朝鮮がどうなろうと、どうでもいい話。

このような対応してくれるという信頼感の問題は、ダメダメ家庭において顕著に見られるもの。ダメダメ家庭の子供としては、「親には何を言ってもムダ!」と判断しているわけ。
だから何も言わないことになる。
問題がないから何も言わないのではなく、言ってもムダ・・・それどころか言うと面倒になるだけ・・・そのように判断しているわけです。
それこそ意を決して、子供が親に要望を出しても、
「ウルサイ!いったい誰のために、こんな苦労をしていると思っているんだ?!」と親から文句を言われるだけ。要望を出したら事態が改善されるどころではないわけ。

それこそ、図書館の問題でも、「この区も、隣の○○区と同じようなシステムにすればいいじゃないの?」などと強く主張しても、ヘタをすればクレーマー扱いされるだけ。
それよりも、さっさと見限った方が健全ですよ。

図書館は、別の地域に行くのも簡単だけど、家庭だと別の家庭に移籍するのも簡単じゃない。結局は、親を見限ったまま、そんな親との日々を過ごすことになってしまう。

自分の親に対しては何を要望してもムダと判定しているので、当然のこととして、子供としては全部の問題を自分で解決する必要がある。
それこそ、そんな環境で育った子供が結婚しても、スグに離婚したりするもの。
結婚後すぐに離婚するなんて、実家は何をやっていたの?
しかし、親は対応してくれないと判定しているので、そんな人は、事前に親に相談するわけでもないし、トラブルが起こってしまうと、実家ではなく、公的機関を頼るようになるもの。

そもそも子供時代から自分だけで解決する発想なので、自分ひとりで何かと無理をして、だからこそトラブルが多発しやすい。
極端な例だと、自分だけで解決しようとして自殺する
あるいは、公的機関を頼る発想が捻じ曲がると、関係のない人を襲撃するようになる。
まさに厚生省OBを襲撃したりするわけ。
そんな状況でも、実家は相変わらず蚊帳の外。

あるいは、そんな環境に育つと、事故承諾が多くなってしまうもの。
だって、事前に相談しても、無視されるだけなんだから、事後承諾で十分ですよ。

ダメダメ家庭では、親は子供との約束など、いとも簡単に反故にするもの。
そもそも、ダメダメな親は「子育ては親の被害」と捉えているので、子供との約束など無視する権利があると思っているわけです。

「自分が一番の被害者だ!」と勝手に思っているダメダメ人間は、自分が一番の被害者なので、自分より被害の少ない、つまり自分より恵まれている人間のことなど考える必要がないと思っているわけ。だから約束を反故にすることにも、心理的抵抗はない。
これは日本のダメダメ家庭だけでなく、ダメダメの精神を持つものの共通の発想です。
それこそ北朝鮮や韓国や中国が、決めた約束を平気で無視したりするでしょ?
そんなことをすると、後々信頼されなくなることは自明なんですが、「自分が一番の被害者だ!」と思っているので、そんなことも平気でできるわけ。

決めた約束を平気で反故にする家庭で育った人間が、他者と結んだ約束を守るわけがありませんよね?と同時に、「自分が相手との約束を守らないように、相手の側も自分との約束を守らないだろう。」と推定しているわけ。
双方が合意に至るまで会話を進め、その合意を元に次のステップに進む。
そんな当たり前の手段ができないわけ。

事を始める前に、色々と取り決めて、その合意に従って事を進めていく・・・本来はそんなスタイルが一般的でしょ?しかし、合意そのものに信頼感がないのだから、そんなスタイルは取りようがないわけ。
事をやってしまった後で、事後承諾。
そのようなスタイルの方が効率的ですし、精神衛生上もいいでしょ?
合意を結んだ後で、「後で梯子を外されるのでは?」なんてビクビクしながら行動するよりも、ずっとラクチンですよ。

そんな環境で育ってしまうと、
結婚も事後承諾、
離婚も事後承諾、
就職も事後承諾、
転職も事後承諾。

そしてそんな習慣は連鎖してしまうもの。

「ウチの人は、ワタシに何も言ってくれない!」
そんなグチを言う人間本人は、じゃあ、結婚前に、その結婚について親に相談したの?
そんな夫の姿は、結局は、妻の姿そのものでしょ?
そして、そんな家庭で育った子供はどうなっちゃうの?
事後承諾とは、親に迷惑をかけない心理であり、当てにしない心理。
それはダメダメ家庭においては、必要な態度。

しかし、そんな態度は、ダメダメ家庭以外では通用しませんよね?
しかし、ダメダメ家庭出身者は、自分の家庭での「ふ・つ・う」の流儀を押し通すことになる。だから事後承諾のスタイルになってしまう。

それこそ、以前に自分探しの旅の途中でイラクで殺されてしまった若い人がいましたが、その親は「へぇ・・・あの子は・・・今イラクにいるの?ふーん・・・」と、余裕のコメントでした。つまり殺された青年は、事後承諾ばかりだったことがわかるわけ。

しかし、ダメダメな親は子供との約束をいとも当然のごとく反故にしてきたので、子供だって事後承諾でいいと思っているわけ。
どうせ、事前の合意など無意味ですからね。
だから事前の連絡もしない。

逆に言うと、事後承諾のスタイルが多い人は、ダメダメ家庭出身の人と見ることができます。それだけ「会話による合意」が無意味な環境だったことがわかるわけ。

皆様の周囲にも「オイオイ、そんなことは、もっと前に言っておけよ!」と、言いたくなるような人っていますよね?そんな人に無理にアドヴァイスしてもムダ。ヘタをすればダメダメ家庭の被害者意識が爆発するだけ。
本人が「自分はダメダメ家庭出身者だ!」と自覚しているのなら、救いがありますが、そんな自覚がない場合は、その事後承諾のスタイルで後々まで突き進むことになるわけ。

その手の人は、要望に対し対応してくれるという信頼感がないし、合意を平気で反故にする常識を持っているので、やり取りもいい加減。
人の話も「て・き・と・う」に聞いている。
いわば生返事が多くなるわけです。

そもそもダメダメ家庭ではマトモな会話なんてない。
交わされる言葉は親からのグチやイヤミだけ。
聞いてためになるわけもなく・・・かと言って聞かなかったら「おい!オマエ聞いているのか?オマエのために言ってやっているんだぞ!」とからんでくる。
まあ、居酒屋での酔っ払いよりタチが悪い。

かと言って、内容はいつも同じグチ。
この点は、居酒屋の酔っ払いと同じ。

ということで、聞かされる子供の方としては、「いかにこの場を立ち去るか?」それが主眼になるわけです。
親のいうことをしっかり聞いても、別に価値のある話でもないし・・・

ですから親から何かを言われても、子供の側は、「いかに親のイヤミから逃れるか?」だけを考えるようになるわけ。だから返事もその目的に沿ったもの。

例えば、「ちょっと考えておくよ!」とか、
「あとでね・・・」とか、
「あれあれ・・・と・・・うんうん・・・」とか、
「まあ、そのうち」とか、
「みんな、やっているよ!」とか、
「ハイハイ・・・」とか、
あるいは、よくある「別にぃ・・・」。

いかにも気がない返事でもOKなんですね。
だって親の主眼は別に子供をよくしたいということではないわけですから・・・親のグチはグチを言うことそのものが目的であるわけです。子供の反応など基本的にどうでもいいもの。グチを子供が聞いていることで完結してしまうわけですね。
親としては、「自分は子供を育てる迷惑を被った、かわいそうな被害者なんだ!」そう主張したいだけ。

どのみち、子供が親のグチにどのような回答をしても、同じことをまた言い出すものですし・・・子供としても、まじめに付き合うことの方がバカらしいわけです。
だから子供としては、その場をやり過ごすことだけが上手になるわけ。

まあ、ダメダメ家庭ではそんなものなんですね。
問題はその後です。
だって人との話で言い逃れだけが上手になった人間が将来どうなるの?
生返事ばかりの人間がどうなるの?
そんなことは、言うまでもないことでしょう?

そのような官僚作成の国会答弁のような会話ばかりしていたら、一般社会でどうなっちゃうの?
官僚作成の国会答弁は、国会では有効ですが、その他には通用しませんよね?官僚の中の世界だって通用しませんよ。
しかし、ダメダメ家庭ではそのような「会話」しかしたことがないので、どのようなシチュエーションでも国会答弁のような言い逃れに満ちた会話になる。

「はいはい・・・」とか、
「いちおう考えておくよ・・・」とか。

こんな気のない返事は、まずもって一般社会では通用しませんよね?
まあ、社会では通用しないことが明確に結果として出てくるので、最後には、ホームレスになったり、刑務所に入所すればいいだけです。しかし、問題は家庭に入った場合です。
女性だったら、家庭に入るという手段が、現実的に取れたりするもの。

家庭内で、親となってしまうと、相手が自分と同格や格下の人間ばかりですので、安心してそのような言い逃れに満ちた会話を再現することが出来ることになる。子供から都合の悪いことを言われても、ご自慢の言い逃れで切り抜けてしまうわけ。
子供が「お母さん、これ、お願いねっ!」
『ハイ、ハイ。』
しかし、何もしない。

それこそ、後で子供から「あれはどうなったの?」などと突っ込まれても、「いったい誰のためにこんな苦労をしていると思っているんだ?!」と言うだけ。
まさにデ・ジャ・ヴ

まあ、友人として会話していても、そのような「言い逃れ」にふさわしい言葉を乱発する人はダメダメ家庭の出身者と見ればいいでしょう。軽く付き合うのはいいとして、深みにはまると後々大変なことになるわけ。

そんな言い逃れの言葉が多い人は、依頼すれば対応してくれるという信頼感がないので、どうしてもその物言いが強圧的なものになってしまうもの。双方の合意を基にしたものではなく、支配関係を基にした発想になってしまう。あるいは、真っ先に自分の被害を語るようになるわけ。相手から自分の被害への補償を受けるという形を取ろうとする。
これらが合わさると、たとえばクレーマーとかモンスターペアレントになってしまう。
「こんな被害をアンタから受けた → だから、対応してよ!」
そんなロジックに頼るようになる。

そんな状況で、相手からも被害を持ち出してくると、「どっちがより大きな被害を受けているのか?」でモメることになる。これではドメスティック・ヴァイオレンスにもなりますよ。

こんな状況になっても、やっぱり実家が対応してくれるという発想がないので、自分たちだけで解決しようとする。結局は「自分が死ぬか、相手を殺すか?」の二者択一。
ここで「自分は親に対し信頼感を持っていない。」と自覚できればまだいいわけですが、現実では、「親に迷惑をかけたくない。」という理屈で、自分の親のダメダメについて思考停止にしてしまう。思考停止だから、何も考えずにやってしまう「なじみ」のことを繰り返す。

ダメダメ家庭の周囲は、やっぱり同じようなダメダメになっていることが多く、ダメダメな周囲の人は、そんな「親に迷惑をかけないため。」などというありきたりな説明で納得してしまう。そして、そんなダメダメな環境だと、被害話には反応して、「まあ、なんてお気の毒なの?!」といつもの共鳴。
そんな習慣があるので、ダメダメな環境以外の場所でも、延々と被害話を並べ、結局は相手から「さっきからグダグダ言っているけど、結局は、アンタはどうしたいの?」と怒られる。

そんなトラブル状況に陥ると、自分で考えることから逃避するだけでなく、誰かに説明する意欲もない。だってダメダメ家庭では子供が親に説明しても聞いてももらえない・・・し、対応してもらえない。だから自分の問題を周囲に説明する意欲も習慣もなくなってしまう。
「どうせ、アンタに言ってもわからないでしょ?」
と投げやりな状態。

だからこそ、人の話も真剣に聞かず、まさに生返事ばかり。そんな人間の周囲はやっぱり同類ばかりになってしまう。そんな人からの要望は、レヴェルが低いもの。
だから、ますます相手からの要望を聞き、対処する習慣がなくなってしまう。
そんな場所での要望は、程度の低い要望ばかりなので、生返事どころか「もうっ放っておいてくれ!」と逆切れするのが習慣化してしまう。

ということで、被害には反応しても、説明には反応なしという状況が深まるばかり。
ということで、ますます要望を出さなくなってしまう。

そして実際にトラブルが起こって、「どうしてこんなことに?!」「子供は何も言ってくれなかった!」と言ってグチる。あるいは、「ウチは何も問題のない『ふつう』の家庭だった!」
と嘆くことになる

子供が親に要望も言わなくなってしまっている家庭ほど、そんな嘆きが登場してくるものでしょ?

(終了)
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発信後記

今週は、マトモな家庭の出身者が当然のように持っていて、ダメダメ家庭の人間は持っていないものを集中的に取り上げます。前回配信の文章では、ダメダメ家庭の人間は、リスペクトといっても、それが一般的な意味での「敬意」とは違っていることについてでしたが、その他にもダメダメ家庭の人間は、信頼というものを理解できないわけ。

丁寧に依頼すれば対応してくれるという信頼感を持っていないがゆえに、そんな人はトラブルになりやすい。だって、「困って時に対応してくれるかどうか?」という観点で人を見ないわけだから、たとえば結婚する際にも、そんな視点が抜け落ちてしまう。
これではトラブルになりますよ。

そして実際にトラブルになったら、それこそボランティアの連中がやってきて、一緒にクレーム大会。しかし、その手のボランティアは、嘆きに共鳴しても、事態を改善するために対応はしてくれないでしょ?
自分自身の特性を自覚しないと、結局は、同じことの繰り返しになってしまうわけ。
R.10/5/8