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カテゴリー ダメダメ家庭の親のキャラクター
配信日 05年1月12日
タイトル 動物をかわいがらない (ペットの問題)
ペットを飼っている家庭もあれば、飼わない家庭もあります。親の意向が様々ですし、それぞれの住宅事情もあるでしょう。今ではアレルギーの問題もありますよね?
しかし、大人のペットに対する考えは多様でも、子供というものは誰でも「ねぇ、ペットを飼いたい!」と言い出すことが多いものですよね?

「友人の家で、子犬が産まれたので、引き取り手を探している。」このような事例は必ずあったりするものです。また、昔ながらの例として、段ボールの中で鳴いている子猫を拾って来る例もあるでしょう?

ダメダメ家庭の親は、さすがに冷たい対応をしますよね?

「動物なんて、金ばかりかかって、世話もしなくてはならないし、何もメリットがない。さっさと捨てて来い!私は動物なんて大嫌いだ!」
そうして、子供の目の前でその動物を取り上げ、おもむろに捨てに出かけるわけです。

「拾ってきた動物を飼わなくてはいけない。」と法律で決まっているわけではありません。飼っている動物を虐待したら、現在では、犯罪になるだけです。

その親の姿を目の当たりにした子供は、捨てられる動物と同じように「役立たずで、世話ばかりかける」存在である自らを自覚し、次なる放擲の順番が自らに訪れることを予感することになります。「親を怒らせたら次に捨てられるのはボクの番だなぁ・・・」と恐怖におののくわけ。
こうして、親に迷惑を掛けないように、気配りに満ちた、手がかからない子供になるわけですね。

勿論のこと、それぞれの家庭の事情がありますので、ペットを飼えないマトモ家庭もありますし、ペットを飼っているダメダメ家庭もあります。

しかし、動物をかわいがっている親だったら、少なくともその分は子供には安心を提供できるでしょう?
「次に捨てられるのは自分なんだろうか?」と心配でビクビクしている子供の将来なんて、言うまでもないでしょ?親としては、「次には、子供を捨ててしまおう。」などと考えていなくても、ダメダメ家庭の子供は親に対して微塵も信頼感を持っていませんので、「次に捨てられないよう」にとビクビクすることになるわけ。そんな安心感と無縁の日々が積み重なるとどうなってしまうの?それくらいは誰でもわかることでしょ?
何を考えるにも、前提となる日頃の関係を考慮しないといけないわけですね。

また親が動物を捨てる光景は、子供にしてみればいつまでも覚えているものですよね?
夕陽を背景に猫を捨てに行く姿・・・ああ!なんとドラマティック!
・・・そんな風景をいつまでも覚えている子供の将来がどうなるのか?わかりきったことでしょ?

あるいは犬のような哺乳類を蹴飛ばしたら犯罪になりますが、蛇やカエルだったら犯罪ではないでしょ?
動物に冷たいダメダメ家庭では、子供の目の前でそのような爬虫類等を惨殺したりするわけです。

ダメダメな親は子供に対して「命は大切!」と権威筋認定の教科書的な言葉を軽く使った後で、動物をさっさと捨てたりするわけ。

ちなみに、韓国では犬を食べるそうです。食習慣は国によって様々なことは当然で、その違いを非難するに当たらないわけですが、その犬を殺す際に犬に最大限の恐怖を与えて殺すそうです。
まあ、他の犬が殺されていくのを見せるんだそう。そうなるとその恐怖を感じた犬はホルモンか何かの関係で、よりおいしくなるそうです。
そのあたりをフランスの女優ブリジット・バルドーが非難したわけです。
まあ、韓国のペット事情なんてあまり聞きませんし・・・

ちなみに、犬に恐怖を感じさせながら殺すとお肉がおいしいというのは、実際にあるそうです。ルイス・ブニュエル監督の「小間使いの日記」というフランス映画にもそんなシーンがありました。まあ、その人の無慈悲なキャラクターを示すシーンになるわけですが・・・
同じ殺すにしたって、動物の命に配慮することも必要でしょ?

あと、日本のお魚の「生き作り」だって、ちょっとぉ・・・と、私としては思いますが。同じ食べるにしても、もうちょっと配慮がないものかな?

動物をかわいがる。あるいは動物の心情にそれなりに配慮する。
あるいは、動物に冷たく当たる。
そんな親の姿を見ていた子供がどのように考えるかなどは明白でしょう。

このように動物と人間の関係は、親と子供の関係と非常に似たところがあるわけです。

だから、動物をかわいがらない人間は、往々にして自分の子供に冷たいわけ。
また、ちょっと逆のケースもあります。

動物しか相手になってくれない、というケースです。
まあ、ペットをかわいがるということは、結構なこと。しかし、動物しか相手になってくれないのも、問題ですよね?勿論、本人がその問題を自覚していればいいわけ。いわばリハビリ感覚で、「まずはペットとの触れ合いから始めよう!」、というわけです。そんな自覚がないと、ペットだけが相手になってくれて、次に相手になってくれるのは、自分の子供だけ。そんな感じになるわけです。

ペットと自分の子供に「囲まれた」当人は、満足でしょう。しかし、そんな親の相手をさせられる子供の方はたまったものじゃないですよね?だって、そんな人はコミュニケーション不全のダメダメな親。本人は、動物と子供の中だけで生きていて、社会とは関わりが薄いわけ。これでは親としての努めは果たせないでしょ?

また、動物に冷たかった親の元で育ってしまうと、親と全く逆に、過剰な動物愛護に向かったりするケースもあります。
何と言っても、動物に冷たい親の姿は、自分に冷たい親の姿と直結しているわけですから、いつまでも印象に残っているもの。
だから、内心では自分自身を助けるために、動物を助けようとするわけ。自分自身を助けるわけですから必死になる。限度がないわけ。

よく動物愛護団体のテロリスっていますよね?有名どころのグリーンピースなどがありますし、動物実験をする医療関係者を襲撃したりするようです。あのような人たちの出身家庭はダメダメ家庭で、きっと親は動物に冷たかったのではないのかな?

過激な動物愛護団体は、動物愛護という単純な肯定形ではなく、動物に冷たい扱いをする人間に対し抗議するという二重否定になっているものでしょ?
それは、自分の親に対する抗議の代替であり、その親によって支配されている自分自身への救助になっているわけ。

ペットへの対応は、その家庭の問題が色々と反映していますので、観察すると様々なことが見えてくるものです。現在だけでなく、過去や未来のことも見えてくるわけ。知人からもらった犬を、死ぬまで一度も散歩にも連れて行かなかった家庭がありました。その家庭の娘さんが、2回も離婚したのは偶然ではないわけです。

付き合っている人のことを、よく、知るには、その人のペット観について聞いてみるのも有効でしょう。
「アレルギーでペットが飼えなかった。」というのはしょうがない。
「親が動物がキライだった。」と言われたら、その人の親はダメダメな親である可能性を考えないと行けないわけ。
「どんなことを契機に動物がきらいになったのか?」
そんな点から、その人のトラウマが見えてくるものでしょ?

ペットを飼ったことがある家庭の人だったら、ペットについて説明してもらえば、その人の説明能力・・・つまりコミュニケーション能力もわかりますよね?相手の親について聞くより、穏当ですしね。

あるいは、飼っている犬が妙に落ち着きがないような様子だったり・・・
ペットを見ているだけで、その家庭の実力が、かなり判るものなんですね。

(終了)
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発信後記

成人式があったそうですが、私はそんな歳ではありませんしね。
今年の成人式は平穏だったとか・・・
しかし、何故に成人式なんて開催する必要があるの?そんなビクビクしながら・・・同窓会にしてしまえばいいじゃないの?
まあ、この季節ですので、地方自治体の予算消化には、もってこいなんでしょうね。

新成人に「大人になる気構え」を説くのは勝手ですが、主催する自治体が本当の大人なら、成人式のような形骸化した儀式などを、廃止する「気構え」があってもいいのでは?
開始する勇気も必要ですが、「廃止する」勇気も必要なんですね。

今回のお題の関係では、ペットを飼わない勇気もあったりします。自分が動物を飼うのにふさわしくない・・・と、自覚していれば、問題はないわけ。
同じように、「子供を持たない」勇気もあるでしょ?

ダメダメな人間が、考えもせずに「普通に」子供を持ったら、どうなっちゃうのか?
愛知県で、子供を虐待した母親が逮捕されましたが・・・
10代で二人の子持ちって・・・逮捕された母親は勿論ダメダメですが、周囲は何をやっていたのかな?まあ、周囲もダメダメなことは確実ですよね?

ちなみに、成人式を遊園地で行う自治体もあるようですが・・・
自分のお金を使って遊ぶならともかく、税金で遊ばしてもらうなんてね。
大した成人たちだこと!
そんな成人式をヘラヘラ見守っている、新成人の保護者?も・・・どうなっているの?
R.10/11/17