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カテゴリー | ダメダメ土曜講座(表現と作品 編) |
配信日 | 09年3月14日 (10年8月9日,10年11月11日 記述を追加) |
タイトル | 一つの案件、一つの文章 |
昨日において、「フィックス恐怖症」というお題で文章を配信いたしました。 抑圧的な人間は、現状をフィックスするのを恐怖するもの。「だらぁ〜」と流れるままにしておきたい。 昨日の文章にも書きましたが、時間は止め処もなく流れると言っても、ある時点における現状なり課題を明確化する必要があるでしょ?いわば会社における決算のようなもの。 それがなければ、自分でもわかりにくいし、他の人に対して、自分たちについて説明できませんよ。 しかし、現実逃避で、自己逃避のダメダメ人間は、会社における決算書のようなものをまとめることができないわけ。文章力という技術的なり能力的にできないのではなく、心理的にできないわけ。 一つの案件を、一つの文章にまとめることが出来ない状態。 だから、一つの案件が、複数の文章に分割されて記述されていたり、一つの文章に複数の案件が記述されていたりするもの。 このメールマガジンの発行者たる私は、当然のこととして、ダメダメ家庭の問題には詳しいと言えるでしょう。メールマガジンを発行する前から、ダメダメについてかなりわかっているからこそ、こんなメールマガジンを発行する気になるわけですし、それが可能。 しかし、メールマガジンの発行を開始してから初めてわかったダメダメの様相も多いわけ。 特に、心理的な抑圧の問題については、購読者さんからのお便りによって、より見えてきた面も多いものなんですよ。 抑圧的な人間は、「一つの案件を、一つの文章」にまとめることができないということも、購読者さんからの様々なお便りから見えてきたものなんです。 抑圧的な人間は、現実を直視することに対し恐怖感を持っているもの。 そして、自分で考えることにも恐怖を持っている。 そんな特性があるから、自分が直面している問題を、自分なりに認識し、自分なりに考え、1本の文章にまとめあげることが難しいことは、わからないわけでもありません。 しかし、そんな事情に対する理解が可能なのは、この私が、ダメダメについて、傑出してよくわかっているからであって、一般のマトモな人には絶対に理解不能ですよ。 だって、本来なら、一つの案件について、1本の文章にまとめることの方が、文章作成の面からはラクでしょ? どうして、わざわざ複数の文章に分割するの?あるいは、どうして複数の案件を入れてしまうの? 昨日の文章でも書きましたが、わざわざ複数のメールに分割した上で送付されてくると、受け取った側はビックリしてしまう。あるいは1本のメールに、複数の案件が入っているので、「とにもかくにも、アナタがもっとも重要と考えている案件に集中して記述してください。」とお返事しても、相変わらずの複数の案件が入ったメールが来たり、返事がなかったりするもの。 ヘタをすると「どうして、そんなことを言い出すんだ?!」「それくらいは、読んだ側が考えろよ!」と逆上するような人も、実際にいたりする。 「どうして、そんなに頑強に抵抗するのかなぁ・・・」 「コチラとしては、たかが、『一つの案件を、一つの文章にまとめる』ように依頼しているだけなのに・・・」 私としては、実に不思議だったんですね。 そんなやり取りは、1回や2回じゃないんですよ。 一つの案件について、曲がりなりにも自分で認識し、自分で考え、一つの文章という、それなりの成果にまとめるということは、抑圧的な人間にしてみれば、難しいことなんでしょうね。 私はどっちかというと文章を書ける側の人間なので、『文章を書けない方々の発想』とは違っている面もあるでしょう。 しかし、1つの案件を1つの文章にまとめることそれ自体ができないのは、前にも書いていますが、文章力の問題ではなく、心理的な抑圧の問題なんですね。 ダメダメ家庭の人間が、やり取りの相手方からよく言われるのがこの言葉。 「で、結局は、アンタは、何か言いたいの?」 そんなことを言われる人間にしてみれば、「言いたいこと」を、自分のアタマの中でまとめあげること・・・そのことが心理的に難しいわけ。 ただ、断片的な感想なり感情を、その都度、並べていくしかできないわけです。 「言いたいこと」自体を、自分の中でまとめられないんだから、それを他者に分かりやすい形で、文章としてまとめることなんて、絶対に無理ですよ。 逆に言うと、「言いたいこと」が絞りきれていない状態のままでやり取りをしていることが習慣化してしまっているので、文章力も向上しない。 な〜んとなく、周囲に通りがいい言葉を、断片的に並べているだけになってしまう。 まあ、そんな人がまとまった内容を持つ投稿の文章を考えるなんてことは、確かに地獄でしょう。そもそも、一つの文章に複数の案件を投入する人は、その文章の目的も、複数になっている状態。 文章をいただいた私が、「この文章は、投稿の文章ですか?私へのご意見ですか?それとも単なる感想ですか?」と聞いても、「どれでもいいです・・・」なる回答になってしまうもの。つまり目的からして、複数になっていて、結局は、何も伝わらない。 とにもかくにも、文章を送る目的くらいは絞ってみたら? しかし、抑圧的な人は、それすらできないものなんですよ。 現状を向き合うのが怖いので、やることを絞ることができず、どうでもいいことに手を出す・・・そんな行動スタイルは、以前に取り上げたトルストイの「アンナ・カレーニナ」でも描かれています。 アンナさんは、自分の離婚問題を直視せず、美術や建築などのどうでもいいことに手を出すし、自分の子供は育児放棄しているに、他人の子供は預かってかわいがる。 一番重要なことに集中することができないわけ。 集中を要求されると、恐怖心を感じで、逆上してしまう。 常に逃げ道を作ろうとするわけ。 だからこそ、出口がなくなってしまう。 このようなことは、まさに「ボランティアの人たち」もまったく同じ。 いざとなったら逃げられる状況を保とうとするわけ。 だからこそ、肝心のことは達成できないことになる。 これが単なる文章作成時の問題だったら大きな問題ではないのですが、心理的な抑圧の問題なので、「一つの案件を、一本の文章にまとめる」ことができない人は、同じような状況を別のフィールドで発現させることになる。 それこそ、この手の人は、子供を持つ際には、複数の子供を持とうとする。 一人っ子にはしないんですね。 一人の子供の子育てに集中し、子供の意向を聞きながら、親としての自分の意向をわかりやすく伝えながら子供を育てることができないわけ。 一人の子供に集中するのではなく、対象を複数にすることで、常に逃げ道を残そうとするわけです。それこそ、アンナ・カレーニナのように、養子を取ってまで、一人の子供に真剣に向き合う状況を避けようとするわけ。 まさに、「この子供は、どんな人間になってほしのか?そのためには、親としての自分はどうすればいいのか?」そのようなことを考えることから逃避するために、複数の子供を持つことになる。 「一つの案件を、一本の文章」にまとめることができないことに留まっているレヴェルなら本人だけの問題ですが、親として、一人の子供に真剣に向き合うことができない人は、当然のごとく育てている子供をメチャクチャにしてしまう。 文章においては、一つの文章に多くの案件だったり、一つの案件を多くの文章に分割したりするので、逆に言えば、「今現在、書いている一つの文章において、何を伝えるのか?」そんな発想から逃避できることになる。つまり、分割したスタイルは、文章のスタイルとして、自己逃避に適しているわけ。 それだけ、「相手にわかってほしいこと」が、自分でもわかっていないわけ。 だからこそ、そんな人は、反論を山ほど書いてある『スサムメール』を送りつけたりするもの。 前にも書きましたが、反論という場では、なおのこと「相手にわかってほしいこと」を絞る必要があるでしょ? しかし、ダメダメな人間は、相手を『糾弾』するだけ。 逆に言うと、説明でも解説でも説得でもないわけ。ただ、「悪態をわめき散らしている」だけになってしまう。 抑圧的な人間は、何かに接して断片的な感想を持つことはあっても、それを統合して、自分なりの意見なり見解のレヴェルにまですることができない。 当然のこととして、それを一本の文章にまとめることはできませんよ。 意見なり見解のレヴェルであれば、客観的な説明をする必要も出てくるし、それが可能。 しかし、感想のレヴェルだと、客観的な説明にすることはできないでしょ? 結果的に、断片的な感想を、ただ、並べただけのものになってしまいますよ。 「一つの案件を、一つの文章にまとめることが出来ない人は、何も達成できない。」ってことは、誰でもわかることでしょ? だから、今現在はそれが出来ないような人は、何とかしてできるようにするしかないわけです。 何も上手な文章を書くようにしましょうと申し上げているわけではないんですよ。 一本の文章に、一つの案件が基本であると申し上げているだけです。 (終了) *************************************************** 発信後記 昨日の文章でも書きましたが、「一つの案件を、一つの文章にまとめる。」ことに、多大な心理的な負担を感じる人がいる・・・ということは、ダメダメに通暁している私にもショッキングなことでした。 まだ、この私なら、その心理的な流れを理解することはできますが、一般の人には到底理解できないでしょう。 そんな心情を理解してもらうためには、その心情をまとめた文章を作成する必要がある。 しかし、それができないのが、まさにこの症状。 「みんなはどうして私たちの苦悩をわかってくれないんだ!」と言いたいのはわからないでもありませんが、せめてその苦悩を文章としてまとめる努力くらいはしないと、わかるわけがありませんよ。 最初から上手な文章にまとめる必要はありませんから、とにもかくにも、その努力はしてみてくださいな。 |
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R.10/11/10 |