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カテゴリー 子供がピンチの時
配信日 07年12月25日 (10年10月12日,10月10月21日 記述を追加)
タイトル 関係チェック
以前に「苺ましまろ」というアニメ作品を取り上げました。そのアニメの登場人物の「美羽(みう)」ちゃんが、重症のダメダメ家庭の子供である・・・そんな観点での文章です。
アニメを取り上げたのは、入手性という考えです。だって入手しやすいんだから、メールマガジンの文章を読んだ後で、購読者さんが自分でその作品を見て、自分の頭で考えてみることができるでしょ?

なんでも、あのアニメは深夜での放送だったそうで・・・
その点は私は知りませんでした。購読者さんからご丁寧にも教えていただきました。
まあ、アニメ作品は入手性がいいせいか、「食いつき」もいいんですね。
もちろん、色々と教えていただけることは大歓迎ですよ。
ただ、あまりに「濃い」ネタだと、私も対応できません。それこそ以前には、聞いたこともないオタク評論家の本を参照されて、「作品解説」されてしまったことがありました。そんな「濃い」話は同類同士でやってほしいもの。
私としては、人が気がつかないような「薄い」状態から、その心理を読んでいくタイプなんですよ。

ちなみに、私はジャンルには関心がありません。小説だろうがオペラだろうがアニメだろうが、ジャンルの問題よりも、その作家性に注目いたします。その作家さんが、何を見て、どのように考えたのか?その点を読み解いているだけです。

まあ、それはさておき・・・

あの「苺ましまろ」での美羽ちゃんの基本的な発想は「ワタシに構って!」というもの。
トラブルを自分で作り出し、「自分に構ってもらう」状況を作り出すわけ。
トラブル状態になると、そのトラブルが大きくならないように、周囲としても構う必要があるでしょ?だから、結果的に構ってもらえる。
逆に言うと、その美羽ちゃんは、普段から親に構ってもらっていないことが見えてくるわけ。

自分でトラブル状況を作り出し、そのトラブルによって、構ってもらう。
そんな行動パターンの目的として、最初にあげた「ワタシに構って!」という目的以外にも、「関係チェック」と言える目的もあります。
今回の文章では、ダメダメ家庭の人間が行う、「関係チェック」について考えてみます。

ダメダメ家庭の子供は、ちょっとしたトラブルをあえて起こし、その対応状況によって、周囲の人を色分けするわけ。自分との関係をチェックするわけです。
この人は・・・無視したから、当てにならない人だ!
あの人は・・・怒鳴りつけたから、自分を嫌っている人だ!
あの人は・・・親切に助けてくれたから、頼りになる人だ!
あの人は・・・同情してくれたから、自分に好意を持っている。

本来は、そんな色分けをして、頼りになる人を見つける必要などなくて、子供にとっては、絶対的に頼りになる人・・・つまり自分の親という存在があるわけでしょ?しかし、ダメダメ家庭では、親は子供のサポートなんてしない。子供が困っていても知らん顔。むしろ、「いったい・・・いつになったら、親に迷惑をかけないようになるんだか・・・」と冷たい表情で子供を眺めるだけ。

そんな状況だからこそ、自分が頼りになる人を、自分で見つける必要があるわけ。だから自分が起こしたトラブルへの反応をチェックすることによって、人々をカテゴリー分類しているわけ。

そうして、「頼りになる」、あるいは、「好いてくれる」と認定した人に対しては、更なるトラブル状況を作り出し、「どの程度まで頼りになるかどうか?」を確定させようとするわけ。
あるいは、『妙に』甘えたりして、「自分に対して抱いている好意」を持続させようとしたりする。関係チェックにおける試験問題も、難易度がだんだんと上がっていくわけです。

「苺ましまろ」における美羽ちゃんの行動も、典型的にこのパターン。
作者さんだって、ちゃんと、「見て」、考えて作っているわけです。

まあ、意図的なトラブルを起こすのが、小学生だったら許せても、大人がこれをやったらシャレにならない。しかし、現実的にはこのまま突っ走ってしまうもの。大人になっても、そんな調子なんですね。

やたらトラブルを起こして、「誰が自分のサポートをしてくれるのか?」「どの程度まで構ってくれるのか?」について見極めようとしたり、「自分に対して抱いている好意」を持続させようと、いい歳をして甘えたり、あるいは、付きまとったりするわけ。

たとえば、男女関係でもそんなことをするケースがありますよね?
女性の側が、男性に対して、ちょっと無理めの「お願い」したり、それこそちょっとしたトラブルを作り出したり・・・
女性の側としては、男性が自分にとってどれだけ愛情を持ってくれているのかを確かめようとしているわけですが、逆に言うと、それだけ自分自身に自信がないわけ。
自分自身のアイデンティティを相手からの愛情に依存している状態といえるでしょう。
最初の頃には、その要求に応じていた男性も、いい加減に鬱陶しくなってくる。
と言うことで、「アイツはメンドウなオンナなんだよな・・・」という評価になり、結果的に別れることになってしまう。

まあ、「メンドウなオンナ」のうちで別れればいいわけですが、あまりに付き合いすぎると、女性の側から入れ込まれてしまう。そうなると、別れるにも大変ですよ。

「メンドウなオンナ」と言うのは、それだけ、自分自身が確立していないわけ。
抑圧的なダメダメ家庭の出身であり、自己逃避が習慣化している。だから別の誰かに依存せざるを得ない。
しかし、依存された側は、鬱陶しいのは当然のこと。
そして、結果的に別れることになり、女性の側はますます自信がなくなってしまい、ますます誰かに依存し、「重いオンナ」になってしまう。

まあ、「メンドウなオンナ」ということで、別れてしまえば、傷も小さい。
しかし、男性の側は、依存されてしまっているわけだから、逆に言うと、それを「頼られている」と認識してしまうパターンもあるわけ。
「この女性をボクが守ってあげないと!」
そんな役割ができることになる。役割というものは、別の言い方をすると、居場所。

女性の側が関係チェックをし続けることで、男性の側が役割と居場所ができるわけだから、男性の側も内心ではうれしく思ったりする場合もある。
まあ、一般的なケースだと、途中まではその関係チェックに付き合っても、やがては「もう、やってられないよ!」となってしまうのは当然のこと。
それに、「このめんど臭さ・・・この感じは、前にもあったなぁ・・・そう言えば、あの○○との時もこんな感じだったなぁ・・・アイツもメンドウなオンナだったよ。」と、男性側も「思い出す」わけでしょ?

しかし、まあ、ウブな男性だったら、そんな場数はない。
そんなウブな男性は、「この人の苦境を何とかしないと・・・」と、どんどんと張り切ってしまう。
そんな充実感は、いまだかつて味わったことがないもの。だから、どんどんと気持ちが高揚する。
そして、そんな充実感を味あわせてくれる女性からの関係チェックにますます応えることになる。
そんな男性は、それ以前には、つまり自分の出身家庭においては、居場所がなかったわけ。だから、「頼られているという関係性」なり「初めて見つけた居場所」に入れ込んでしまうことになる。関係チェックをされた側が、試験での高評価によって、「このオレも、やればできるんだ!」と、盛り上がってしまうケースもあるわけ。

そんな流れを理解していると、以前(09年)にあった、埼玉県の結婚詐欺師の女性の事件も理解しやすいでしょ?
あの女性は、まさに関係チェックをし続けて、それによって、男性の側に居場所を作ってあげたわけ。まさに「このワタシがアンタを頼ってアゲているんですよ。」という上から目線の依頼なんですね。「この女性のメンドウさが、そして、それに応えている自分が、心地いい。」殺害された男性としてはそんな心理だったわけ。

「手のかかる子ほどかわいい。」というくらいならまだしも、「手のかかる女ほどかわいい。」とは、マトモな男性は言わないもの。
対象が大人だったら、ある程度は捌けた人でないと、ホントウにメンドウですよ。
しかし、そんなメンドウな対象をわざわざ好む人がいるわけです。
だからこそ、シャレでもないほどにメンドウな事態になってしまうわけ。

あるいは、大人になってもそんなパターンの典型が、先日(07年)の長崎の発砲事件での犯人です。
銃器を持ち歩いたり、車をねだったり・・・
これも、まさにトラブル状況でしょ?
そんなトラブル状況を作り出し、親から「構ってほしがっている」と同時に、周囲の人の反応を見ているわけ。マトモな家庭なら、自分の親がちゃんと対応するはずでしょ?しかし、ダメダメな親は何も対応しない。ダメダメな親は「どうして、こんなことに?!」「ワタシって、なんてかわいそうなの?!」「ワタシは、出来の悪い子供にあたってしまった!」とグチっているだけ。

よく子供の事件があったりすると、つかまってしまった子供が「親を困らせたくて・・・こんなことをしてしまった・・・」とか言っている例があるでしょ?
まさに、トラブルを起こすことで、親の対応をチェックしているわけです。
そして、そのような事件になるくらいの大きなトラブルは、往々にして最終チェックなんですね。この時点で対応しなかったら、もう縁切り・・・それくらいのニュアンスの関係チェックとなっているわけ。
逆に言うと、自分の親がそんなにダメダメで、まったく頼りにならないからこそ、子供の側としても、親以外の頼りになる人を求めて、そのような「関係チェック」が、ますます必要になってくるわけです。

トラブル状況の中でグチばかり言っている人に対して、「で、いったいアナタはどうしたいの?」なんて言おうものなら、その「関係チェック」で不合格になり、ヘタすれば敵認定されてしまう。無視したら、「頼りにならない人」認定となる。ここで「頼りにならない人」と認定されたのならまだしも、逆に、ちょっと手助けしたら、「あの人は頼りになる!」なんて認定されてしまい、そうなると、後が厄介。
たまたま、困っている様子の人を助けてしまった。そうしたら、その「困っている様子」が、実は、その人にとっての「関係チェック」だった。そうなると、その「関係チェック」に合格してしまい、「頼りになる人」認定。そうなると、その後ずっと「頼りにされて」しまうわけ。

そもそも、ダメダメ家庭の人間は、自分で考えることをしない。自分の思考そのものを抑圧しているので、いったん決めた関係なり役割を後になって修正できない。
だから、「このワタシは、『アイツは頼りになる人』と認定してあげたのに・・・自分の思い通りに動いてくれない!」なんてことになって、今度は強圧的に、命令をするようになってしまう。「このワタシはオマエを頼ってアゲているんだぞ!そこのところを、ちゃんとわきまえろよ!」「オマエの立場をわからせてやる!」なんて物言いになってしまうわけ。

しかし、その人の立場とやらも、トラブル時にたまたま助けたから、「頼りになる人」認定を勝手にされてしまっただけ。その関係性は一方的なものであり、そして、当人自身も明確に意識しているわけではない。だから、結局は、更なるトラブルに発展してしまう。
本来は、設定した関係と、現実の関係との間で齟齬が発生している段階で、当初設定した関係性を修正すればいいだけなのですが、抑圧的で、現状認識から逃避し、判断から逃避しているダメダメ人間には、そんな修正はできない。
だから、自分のアタマの中の設定を、現実世界に対して、強引に当てはめようとする。
相手の人間に対し、自分にとって頼りになる人間になるように、上の立場から要求するわけ。

何回も書きますが、本来は、子供にとって一番頼りにならなければいけないのは、自分の親のはずでしょ?
しかし、そうではないがゆえに、頼れる人を求めて、更なる関係チェックが必要になり、さまざまなトラブルが必要になるわけ。そんな状況になっても、ダメダメな親は我関せず。

このように「頼りになる人」認定ではなく、「自分に対して好意を持っている人」認定を受けてしまうと、まさにストーカー状態。
その人がトラブルで困っていたように見えたから、ちょっと助けてあげたら、「まあ!なんて親切な!この人は、ワタシに気があるんだわ!」とみなされてしまうわけ。そして「この人は、自分への好意を持っている人」という関係性を設定してしまう。

助けた側の人は、目の前で困っている人がいたから、助けた・・・ただそれだけなのに、「関係チェック」としてトラブル状況を作り出したダメダメ人間にしてみれば、まさに「おめでとうございます!アナタは、ワタシの関係チェックに優秀な成績で合格しました!」となってしまう。
前にも書いておりますが、抑圧的なダメダメ人間はいったん設定した関係性を修正できない。だからこそ、「この人は、自分に対して好意を持っている。」という自分のアタマの中で設定した関係性と現実の間で齟齬をきたしてしまったら、脳内設定ではなく現実の方を修正しようとするわけ。ということで、見事にストーカー事件となってしまう。

あるいは、「関係チェック」としてのグチもあります。切々と語る嘆きに対して、同情してしまったら、「あの人は、私の苦しみを理解してくれる人だ!」と入れ込まれたりすることに。そうなると、シャレにならない。

「信頼できる人」認定も、「好意を持ってくれている」認定も、自分に対して絶対的な理解者であり、頼りになり、愛情を持っている「はず」の、親という存在が、心理的に不在となっている結果なんですね。ダメダメ家庭の子供にしてみれば、生物的なり法律的には親がいても、心理的には存在してしない。だから、必死になって親の代替物を捜すわけ。

そんな観点で見てみると、あの長崎の猟銃事件も、実に理解しやすいでしょ?

殺された人は、「頼りになる人」認定とか、「自分を好いている」認定をされてしまった人でしょ?

目の前で困っている人を助けると、「関係チェック」なり「愛情チェック」に合格してしまって、付きまとわれる・・・って、迷惑な話ですが、それがダメダメ家庭周辺における現実。

「ダメダメ家庭の人間は避けるしかない。」と、このメールマガジンで書いていますが、あの長崎の事件では、殺された女性にしてみれば、基本的には避けようがなかったわけです。
あのような事件を、防ぐ義務も、役割もあるのは、あの犯人の両親ですが、肝心の両親に「その気」がないんだから、どうしようもない。
そうして、我関せずの両親は、いつものお約束のグチ。
「まあ、どうしてこんなことに?!」「ワタシって、なんてかわいそうなの?!」

まあ、今回の事件そのものが、犯人が自分の親に対して投げかけた、最後にして、最大の「関係チェック」であり「愛情チェック」なんですね。
それに教会で自殺ということなので、まさに「汝の神を試みて」いるわけ。神様が自分に対して愛情を持っているのか?自分自身の命でチェックしているわけです。
そんな点から見てみると、実に理解しやすいでしょ?

(終了)
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発信後記

本日は、クリスマスなので、聖書からの言葉を取り上げる予定でしたが、例の事件に関連したお題にいたしました。まあ、聖書の言葉は最後にチラっと出てきますが。

あんな大事件も、ご近所のトラブルメーカーの子供の行動と、その心理においては大差がないわけ。ただ大人になると、行動のスケールが大きくなってしまう。
本来は、これくらいの心理は、ちょっと洞察力がある人だったらわかるはずですが、どうもそんな「解説」が出てこない。ただ、「苺ましまろ」の作者さんだったら、その心理もわかるはずです。どっちかというと芸術的な洞察力が必要なんですね。
しかし、現実では、マスコミとか、学者とかが、いつものように議論のための議論に終始してオシマイ。そうしていつも間にか、話題に上らなくなってしまって、そのうち、同じような事件がまた起こる。

逆に言うと、あの手の事件は予測できるわけですし、その気があれば回避できるわけ。あの事件の犯人の親を見れば、「行くところまで行く」ことが簡単に予想できるものなんですね。ちょっと付きまとわれた段階で、その人の親を見てみる・・・そうすると、「行くところまで行く」のか、「途中でストップがかかるのか?」それくらいは予想できるものです。

「関係チェック」を受けたのかな?と思ったら、「その人」の親をチェックしてみる・・・そうしないと身が危ないわけ。
R.10/10/21