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カテゴリー ダメダメ家庭出身者の行動
配信日 09年5月20日
タイトル 意趣返し
ダメダメ家庭の人間は被害者意識が強い。
「ワタシは○○による被害者。」
そんな形でないと自己を認識できないし、説明できない。
だから、対抗心が強くなる

「ワタシに被害を与えた、あの○○をやっつけろ!」

日頃から、そんな発想になってしまっているわけ。

被害者意識が強いものだから、ちょっとしたことでも、自分が被った被害と捉えてしまう。だから、加害者に復讐しだす。
そして、その復讐こそが、その人のアイデンティティになるわけ。
トルストイが「アンナ・カレーニナ」の冒頭に書く「復讐するは我に在り。」状態。

そもそもダメダメ家庭の人間は、当事者意識がない。だから「自分が何をやりたいのか?」自分でもわかっていないわけ。そんな目的不在の状態の中で、「○○に復讐する」という人生の大目標が現れる。だからその復讐するという大義にすがってしまうわけ。

このような「復讐」というか「仕返し」を、よく「意趣返し」なんて言いますよね?
まあ、不快な思いをさせられたのなら、「お返し」をすることもありでしょう。
このことについては、以前にも書いております。

ヘンな人間に絡まれて不快な思いをしたのなら、「お返し」をして、立場をわきまえさせる必要もあったりしますよね?たとえ相手が「蟷螂の斧」程度の存在と言えども、今後、いちいち相手にするのは面倒。
「今後のことを考えれば、一度、キツク絞めておくことも必要か!」
そう思うこともありますよ。

今後のことを考えると、ここで「絞めて」おく・・・
そんな将来を見据えた「お返し」ではなく、ダメダメ家庭の人間がやるのは、今後のことを考えない「お返し」なんですね。だって、その「お返し」そのものが目的になっているんだから・・・

ダメダメ家庭の領域において、実に頻繁に見られるのは、親に対する「意趣返し」です。
ダメダメ家庭出身者で、「親を見返してやる!」なんて思いを抱き続けている人が多いわけ。

ダメダメ家庭出身者は、まさにダメダメな親による被害者と言えるわけだから、加害者たる親に復讐したい気持ちも当然。
しかし、ヘタをすると、その復讐が目的化されてしまうわけ。

自分の作った家庭に、もう、金輪際、関わらないでほしいから、親に対しキツク言っておく・・・というのだったら、まだわかりますよ。しかし、意趣返し大好きのダメダメ人間はそうではない。「コイツのせいで!コイツのせいで!」と自分を納得させるために、親に復讐し続けるわけ。そうして、周囲の人から何か言われても、「親のせいで、こうなってしまった!」と弁明するだけ。

親に復讐しても、じゃあ、今後はどうなるの?
ダメダメな親と距離を取るために、親に対してキツク言うのはまだしも、「意趣返し」が目的化されると、逆に言うと、親とは関りが継続することになる。

結局、「アンタのせいで、ワタシの人生を棒に振った!」と親に対しグチり続けることになってしまう。しかし、これって、「オマエを育てるために、ワタシの人生を棒に振った!」とグチり続けた、その人の親とまったく同じ姿でしょ?
結局、親による被害者という立場に安住して、自分自身の問題から逃避してしまう。

ダメダメ家庭出身の人間は、親の問題がアンタッチャブルになっているケースが多くあります。
アンタッチャブルになっているのとは逆に、すべての問題を親の問題にしてしまうケースもあるわけ。このような例となると、「絵に描いたようなすばらしい」家庭を作ろうとする人もいます。ダメダメだった自分の親に対する意趣返しとして「非の打ち所のないように見える家庭」を作ろうとするんですね。しかし、逆に言うと、そんな人は、自分自身からも、直面している現実からも、そして親が持っていた問題点からも逃避してしまって、現実の世界にフィクションを打ちたてようとするわけ。絵に描いたような家庭だから、そんな「理想家庭の姿」からいったん外れてしまうと対処ができない。だからその「汚れてしまった絵」を見ないということしかできない。自分が親となって作った家庭が、大嫌いだった自分の実家と似ている面を発見するとパニックになってしまうわけ。今年の最初の頃に取り上げた民主党の永田議員の父親がそんな感じなのでは?

重要なことは「自分が何をしたいのか?」でしょ?
自分がしたいことを親がジャマをするのなら、その場合は排除すればいいだけ。
しかし、抑圧的なダメダメ人間は、排除そのものが目的となってしまう。排除行為によって、いわば犯人認定としているわけ。
まさに、「子育てによってワタシの人生を棒に振った!」と言い続けた、その人の、親のようになってしまう。排除行為に依存しているんだから、逆に言うと、いつまでも関わり続けることになってしまうわけ。

このような意趣返しは、ダメダメ集団から「出て行く側」がする意趣返しのケース。
しかし、被害者意識というものは、「出て行かれる側」にも存在するケースがあります。まあ、心理的には「逃げられてしまった」そんなパターン。
そのような場合は、ある種の犯人認定の儀式のようなことをしたりするものです。

そもそもダメダメ人間は会話の能力がない。話の中身はグチばかり。そんな人の相手をしてくれるのは自分の子供くらい。
だから、自分たちの元から出て行くことを妨害しようとするわけ。
このことも、このメールマガジンで頻繁に書いています。

しかし、そんな状況でも、「何とかして脱出しよう!」として脱出する人もいますよね?
「このままじゃ、自分はダメになってしまう!」「何とかしなきゃ!」
そんな人に対して、ダメダメな親は、どんなことを言うのでしょうか?
「オマエを育てるために、ワタシの人生を棒に振った!」
「養育費がかかった!」
「学費も大変だった!」
・・・だから、養育費を返還しろよ!

出て行く側は、出て行くに際し、後を濁して出て行くわけでもないのに、残される側は、出て行こうとする人に対して、縄をかけて、重石を乗せるような形で、脱出を妨害するわけ。
そもそもダメダメ家庭は被害者意識が強い。
一緒にいても、被害者意識を募らせる。
しかし、脱出されると、もっともっと被害者意識を募らせるようになるわけ。

だから、ますます犯人認定をするようになる。
養育費なりの請求は、まさに犯人認定の自己確認であり、「逃げられてしまった自分こそがかわいそうな被害者」という自己確認なんですね。

脱出しようとする人に対して、養育費なり慰謝料を請求する例って、結構あるでしょ?
その昔、とある芸能人の女性が、離婚した夫に対して1億円を請求しましたが、まさに彼女にしてみれば、強い被害者意識がそうさせるわけ。
あるいは、お相撲さんの世界で、若い力士を殺してしまった相撲の親方が、辞める力士に食費や医療費を請求しましたが、このケースもその親方に強い被害者意識があることがわかるわけ。「ワタシこそが、かわいそうな人間なのに・・・」そんな心情があるわけ。

強い被害者意識があるということは、その人がダメダメということ。だから当然のこととして会話の能力もない。だから、自分の考えを伝えることもできない。だからますます「どうして、オマエは、わからないんだっ?!」とやっぱり被害者意識に。

しかし、その請求によって、自分がかわいそうな被害者であると自己確認できても、周囲の人間は呆れるばかり。
「その人がどうして脱出しようとしたのか?」
逆にわかるわけです。

しかし、そんなことを指摘するような人間は遠ざけ、「まあ、なんてお気の毒なの!」とグチに共鳴してくれる人だけを周囲に侍らせるようになる。
そうなると、ダメダメを改善することは不可能。

ということで、脱出しようとする人間に対してますます妨害し、脱出した人間に対しては、意趣返しをするようになる。
別れ際での対応を見るだけでも、その人のダメダメ具合がわかるわけ。
被害者意識の強いダメダメ人間というものは、別れ際や別れた後になっても、色々と面倒なもの。

意趣返しは、いわば捨てセリフのようなもの。その人の被害者意識を示していると同時に、説明能力の低さを示しているわけ。そんな人は、相手に説明するというよりも、自分で納得するための儀式として意趣返しを行っているわけ。

上記のような慰謝料請求のような意趣返し以外でも、「あてつけ」ようなことをしたりすることもあります。相手に仕返しをするというよりも、自分の被害を相手に見せ付けるような行動をするわけ。
そもそも被害者意識が強いダメダメ家庭においては、「より大きな被害を受けている側がランクが高い」状態。だから被害者競争があるわけ。
だから、「ワタシはオマエよりも被害が大きい!」と主張し、それを実践することになる。
「ワタシの方が被害が大きいんだから・・・ワタシに構って!ワタシのことをわかって!」
ダメダメ人間は、そんなロジック。

被害しか主張するものがないし、被害が大きい方がランクが高い。だから自分の被害を主張するような行動を取るようになるわけ。
それこそ、以前に神奈川県の藤沢で起こった、恋人の目の前で自殺したとされる女性ですが、そんなことも平気でできるようになるわけ。
あの事件について、「そんなことがありえるわけがない!」との理由で裁判で有罪になりましたが、ダメダメ家庭出身の人間にしてみれば、そんな事態は、不思議でもなんでもないわけ。まあ、裁判官ふぜいには理解できないのでしょうが、購読者の皆様だったら、そんな「あてつけ」での自殺も「十分ありえる」ことが、実感としてわかるでしょ?
それこそ、典型的なダメダメ家庭出身者といえる画家のゴッホは、同居していたゴーギャンが逃げた際に、自分の耳を切り落として、送りつけましたよね?
相手の目の前で、強烈なあてつけをすることで、自分こそが被害者であると主張しているわけ。

いったん、ちょっとしたあてつけをして、構ってもらったら、それで味を占めてしまって、また繰り返す。だからあてつけのレヴェルがどんどんとあがってしまう。
ちょっとしたあてつけなら笑って済むわけですが、大きなあてつけをされると、した側ではなく、された側が、ヘタをすれば刑務所行きになってしまう。だって、プロの法律家でも、一般の裁判員でも、あてつけで自殺する人間なんて、信じられないでしょ?他者からの意趣返しに腹を立てて、それに対して逆襲しても、危険なだけなんですよ。
だからそんな人は早めに見分けて避けるしかないんですね。

(終了)
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発信後記

この意趣返しという言葉は、先日辞任された民主党の小沢さんの記事を読むと、実によく登場してきます。
アメリカからの訪問団に対して意趣返しをしたとか、
中国からの使者に対して意趣返しをしたとか、
最近だと、副代表の管さんに対して意趣返しをしたとか・・・

仕返しとして、約束をドタキャンしたりするそうですが、そんな行動によって「あの時は、よくもこのオレをコケにしてくれたな!」と無言のうちに主張しているんでしょう。

そんな行動から、何事も自分がこうむった被害と捉えていることが見えるわけ。
つまり被害者意識が強く、そして、トラブルが起こらないように、事前に準備するという当事者意識もないことがわかるわけ。そして、自分の現状を相手に的確に説明する能力もないことがわかるわけです。
そして意趣返しをすることで、「オレこそが、被害者なんだ!」と自分で確認しているわけです。

小沢さんの行動を「オレこそが、被害者なんだ!」「オレはオマエよりも、もっとかわいそうなんだ!」という言葉を背景に見直してみると、実に見通しがよくなるでしょ?
この文章に関連する文章としては 07年4月20日配信の「報復」 という文章があります。
R.09/12/29